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それは時代の先端にして、生まれながらの古典だった。

謎とき『風と共に去りぬ』―矛盾と葛藤にみちた世界文学―

鴻巣友季子/著

1,404円(税込)

本の仕様

発売日:2018/12/26

読み仮名 ナゾトキカゼトトモニサリヌムジュントカットウニミチタセカイブンガク
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 284ページ
ISBN 978-4-10-603835-8
C-CODE 0395
ジャンル 文芸作品、文芸作品
定価 1,404円

『風と共に去りぬ』は恋愛小説ではない。分裂と融和、衝突と和解、ボケとツッコミ――高度な文体戦略を駆使して描かれたのは、現代をも照射する壮大な矛盾のかたまり。全編を新たに訳した著者ならではの精緻なテクスト批評に、作者ミッチェルとその一族のたどってきた道のりも重ね合わせ、画期的「読み」を切りひらく。

著者プロフィール

鴻巣友季子 コウノス・ユキコ

1963年、東京生まれ。翻訳家、文芸評論家。英語圏の現代文学の紹介と共に古典新訳にも力を注ぐ。『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫)の他、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(同)、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(『世界文学全集2-01』河出書房新社)の新訳も手がける。他訳書に、J・M・クッツェー『恥辱』『イエスの幼子時代』(ともに早川書房)など多数。『熟成する物語たち』(新潮社)、『全身翻訳家』『翻訳ってなんだろう? あの名作を訳してみる』(ともに筑摩書房)など翻訳に関する著書も多い。

書評

「通説」を覆す「全身翻訳家」の挑戦

秋満吉彦

「第二芸術論」で知られるフランス文学者の桑原武夫は、とんでもない研究者に出会ったときに「おもろい」という言葉を発したという。「頭がいい」でも「できる」でもなく「おもろい」。これが桑原の最上級の褒め言葉だった。哲学者・鷲田清一さんが何かの著書で紹介していたエピソードだ。
「頭がいい」や「できる」は既存のものさしで測られた評価でしかないが、「おもろい」というのは、これまでの通説やそれが依って立つ基盤そのものを揺るがし、場合によっては解体してしまうような兆候を感じとったときに発せられる言葉だ。鷲田さんにこのエピソードを教えてもらってはっきりしたのだが、私は「100分de名著」で講師を選ぶ際に、この「おもろい」があるかどうかを大事な選択基準にしているのである。
 去年、この「おもろい」を心の中で何度も呟くような幸運に巡り会った。翻訳家・鴻巣友季子さんとの出会いである。
 鴻巣さんの翻訳はJ・M・クッツェーの諸著作などで親しんでいた。どのような語りをされる人なのかという好奇心からトークショーに参加したのをよく覚えている。期待にたがわず、ビビッドな語り口で魅了された。確か、その感想をSNSでつぶやいたのをきっかけに、SNS上で鴻巣さんとのやりとりが始まったと記憶する。ぶしつけながら、鴻巣さんに、『風と共に去りぬ』の解説をお願いできないかメッセージをお送りしたところ、興味をもっていただき、お会いすることになった。
 一抹の不安はあった。エンターテイメント感満載で、誰に教えられずとも読めてしまうこの本を、番組で解説する必要はあるのだろうか、と。
 ところが、その懸念は鴻巣さんにお会いしていっぺんに吹き飛んだ。社員食堂でお茶を飲みながらの打ち合わせだったのだが、途中カップをもつ手が止まってしまった。「この小説、ディストピア小説としても読めるんですよ」「映画では全然目立たなかったメラニーがカギなんですよね、この小説って」「自由間接話法を使った高度な文体戦略がこの小説の面白さを支えているんですよ」等々と、読み解きのアイデアが鴻巣さんの口から次々に飛び出してきた。私はその間、ずっと心の中で「おもろい」という言葉を繰り返し呟いていた。まさに『風と共に去りぬ』を取り巻く通説ががらがらと音を立てて崩れさっていく、快感に満ちた時間だった。
 鴻巣さんはご自身のことを「全身翻訳家」と呼んでいるが、全身で作品に没入し、最深部まで潜ってその細部を味わい尽くし、再び水面に浮上してきて、私たちが表面的にしか読めていなかった、作品の深部にある「宝物」を届けてくれる……私は、そんなイメージで鴻巣さんのお仕事を眺めている。鴻巣さんの近著『謎とき『風と共に去りぬ』―矛盾と葛藤にみちた世界文学―』や「100分de名著」での解説には、そんな「宝物」がたくさんちりばめられていた。

(あきみつ・よしひこ NHK「100分de名著」プロデューサー)
波 2019年5月号より

「し、知らなかった、なんですって!?」

中島京子

 翻訳家というのは、すごい仕事だと常々思っている。
 小説家は、効果的な文体や語彙を選んで、自分の書く小説に命を吹き込もうとするものだ。完璧なプロットを仕上げてから執筆にかかる作家もある。でも、どんな作家でもある程度は、勘や直感を頼りに書いているものではないかと思う。
 でも、翻訳家は違う。他人の文章を、己の勘で訳すわけにはいかない。どういう効果を狙ってその文体や語彙、そしてプロットを使ったのかはもとより、勘を頼りに書き上げた文章まで、その勘のよって来たるところを探り出して解明し、日本語に移し替える。訳す、というのはどうも、そういう作業らしい。「腑分け」という言葉が頭に浮かぶ。
 本書は当代きっての翻訳家による見事なメス捌きを、手術室の上から眺めることができる、そんな印象の一冊だ。
 とはいえ、無菌でひんやりした器具類の音が静謐な手術室に響くのではなく、そこではわくわくするようなドラマが、スリリングな考察が、ときに活きのいいユーモアとともに展開されている。
 例えば、冒頭のスカーレット・オハラの外見。映画と違って小説では、いわゆる美人さんではない。そのくらいのことは、読者も小説の一行目を読んで知るのだけれど、実際、どういう容姿だったかまでは、さほど気にせず読んでいるのではないだろうか。
「背は低めで、吊り目で、スクエア・ジョー、首は猪首気味で(ふっくらし)、腕はむっちりしていて、バストは年齢にしては並外れて大きいが、ウエストは恐ろしく細く、脚が美しい。」
 これは翻訳家がまとめてくれたスカーレットの容姿だが(スクエア・ジョーは、エラ張りっぽい顎のことだそう)、どちらかというとジョディ・フォスターのようなタイプをイメージさせるものではないか。そして、実際、スカーレットのコワモテぶりには、ヴィヴィアン・リーよりジョディ・フォスターのほうが、合ってるんじゃないだろうか(ジョディだとちょっと聡明すぎる感じもするが)。少なくとも作家は、ああいう雰囲気の外見を主人公に選んでいるのだ。
 そして文体。これに関しては、やや挑発的ともとれるこんな文章に驚かされる。
「本作の文体は何に似ているかと問われれば、わたしは「ミッチェルと同時代の作家であれば、ある意味ではヴァージニア・ウルフ、時代をさかのぼれば、フローベールの『ボヴァリー夫人』ではないかと思う」と答えるだろう。」
「ミッチェルの文体には、語り手からある人物の内面へ、また別の人物の内面へと、視点のさり気なく微妙な移動があり、それに伴う声の“濃度”のきめ細かい変化、そして、間接話法から、自由間接話法、自由直接話法、直接話法に至るまでに、何段階ものグラデーションが存在している。」
 のだという。
 翻訳する人間が嫌でも気づかざるを得ない文体上の工夫は、読み手にはほとんど意識されずに来た。それは、「技法」や「文体」のことなど気にせず読んでほしいという作者の希望でもあり、同時代の先進的な手法も含め、あらゆる「技法」を、小説のおもしろさ、読むための推進力に奉仕させた作家の到達点であったというのが、とても興味深い。
 いくつも読みどころはあるのだが、やはり注目したいのは「メラニー」だろうか。
 ドクターストップがかかっているにもかかわらず、お堅いメラニーが、いかにして、そして誰の子供を妊娠したかに関する考察には、唸らされた。こう書くと、ややワイドショー的なトピックに聞こえるだろうけれども、アシュリをめぐる二人の女の三角関係(あるいはレットも含めた四角関係?)の物語とも読める小説のクライマックスは、メラニーが二度目の子供を妊娠し、そのせいで命を落とす場面だ。それまで長い、長い小説の中で緊張感を持って保たれてきた人物関係図が、ここでがらりと一変する。あの日、あの夜、いや、あの夜に至るまでの間、彼らに何があったのか! さあ、みなさん、もう一度読み直して、考えたくなるでしょう?
 笑ったのは、「この主人公はいつも、いつも、「し、知らなかった、なんですって!?」と驚いている」という話。たしかに、冒頭からして彼女以外のすべての人にとって自明なアシュリとメラニーの婚約が、寝耳に水だったというところから始まる小説の中、何度スカーレットが「えっ?」と驚くかを数えるだけでも楽しそうだ。本書を案内役に、もう一度大作の迷宮に入り込みたくなる。

(なかじま・きょうこ 作家)
波 2019年1月号より

目次

はじめに
『風と共に去りぬ』あらすじ
第一章 映画と翻訳――世界的成功の内実
1 原作と映画の奇跡的な関係
原作と映画が同時期にヒットした稀有な例/最高に映画的にしても最も映画化が難しい小説/スカーレットの意外なルックスとは?/〈タラ〉屋敷の本当の姿/大火を駆け抜けるあの勇猛な馬は?/目に見えない原作と映画の違い/見えざる心理を表現する工夫/映画には出てこない目玉キャラクター
2 日本語への翻訳最初期
文字は写されたか/“海賊版”でのスタート/「風」はいつどこから吹いてきたのか/“Tomorrow is another day.”はネガティヴ・シンキング?
第二章 潮に逆らって泳ぐ――文学史における立ち位置
1 萌えの文学とキャラ小説
萌えの源泉/消費されるキャラクター
2 マーガレット・ミッチェルはどこにいる?
文学界は「モダニズム」真っ盛り/ミッチェルの反骨精神
3 前衛と伝統の小説技法 キャラクター造り
キャラのリユースとコンポジット/レディメイドですがなにか?
補遺:スカーレットのモデルたち 南軍兵士妻の実体験記
第三章 人種と階層のるつぼへ――多文化的南部へのまなざし
1 『風と共に去りぬ』の生みだした多様性
マルチカルチュラルな“続編”たち/南部神話を打ち砕く――異分子、よそ者、少数者へのまなざし/多文化背景にこめられた願いと下心/ステレオタイプからは逃れられない?
2 数々の多岐の道がここに至る
偉人と猛者と異端児と――型破りの家系/ミッチェル家/フィッツジェラルド家/スティーヴンズ家
3 クー・クラックス・クランをめぐる猿芝居
クランとミッチェルの複雑な関係/そのときおしっこに行きたくなり……/最もシリアスにしてコミカルな一章/犯人たちはすでに死んでいた
第四章 文体は語る、物語も人生も――対立と融和、ボケとツッコミの構造
1 映画の成功とジレンマ
だから言わんこっちゃない――見過ごされてきたhowの部分/ミッチェルとフォークナーの意外な関係
2 「なにが書かれているのか」ではなく「どう描かれているか」
名文、美文にも背を向けて/“内面視点”の採択と声の一体化
3 最大の謎――ビッチ型ヒロインはなぜ嫌われないのか?
容姿も性格もアウト!?/トーン・チェンジで空気の入れ替え/人生が文体を決める――長い、長いノリツッコミ
第五章 それぞれの「風」を読み解く――四人の相関図
1 パンジー・ハミルトンの奇妙な消失
ヒロインはスカーレット・オハラではない/ハミルトン姓が隠れている理由/燃えさかる炎と二人の母
2 黒のヒロイン、聖愚者メラニー・ウィルクスの闇
裏の、あるいは真のヒロイン/くるくると変わる貌/“ヒロイン”はつねに蚊帳の外/バトラーがメラニーの瞳の奥に見たもの/悪を知らずしてこの弁はなるか?/メラニーは知っていたのか?/原稿の執筆順序が握るカギ/メラニーという茫漠たる闇
3 アシュリ・ウィルクスの名誉と性欲
固定化された「白馬の王子」像/「きみの身体も……」という強調/マーガレット・ミッチェルの“生涯の恋人”/二重の欲求不満に苛まれて/二組のセックスレス夫婦と色宿/いかにしてアシュリは妻と再び交わったのか
4 仮面道化師レット・バトラーの悲哀
身を窶す批評者/おどけ者の悪党キャラ/議論を呼ぶオープンエンディング――レットとの別れは決定的か?/クランの場面に関する読み間違い
5 切断された相関図
五通りの分身関係/スカーレットとレット/アシュリとメラニー/メラニーとレット、レットとアシュリ/切断されたライン――スカーレットとアシュリ/これは恋愛小説ではない/ミッチェルにとってのダイナモとか?
おわりに


主要参考文献
謝辞

イベント/書店情報

キーワード

つなぐ本×本 つながる読書<広がる世界

『風と共に去りぬ』はなぜ歴史的ベストセラーとなり得たのか?

◎この一大長編を一気に読ませる原動力と駆動力はどこにあるのか?
◎本作の“萌え感”はどこから生まれるのか?
◎魅力的なキャラクターたちはどのように作られたのか?
◎性悪なヒロインが嫌われないのはなぜなのか?
◎作者が人種差別組織のクー・クラックス・クランを登場させたのはなぜなのか?
◎作者が人種差別主義者だという誤解は、この小説のどこから来るのか?
(鴻巣友季子『謎とき『風と共に去りぬ』―矛盾と葛藤にみちた世界文学―』5頁)

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