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どんな地獄だろうと構わない。
でも、この秘密だけは、絶対に守り通す。

嘘 Love Lies

村山由佳/著

1,944円(税込)

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発売日:2017/12/26

読み仮名 ウソラブライズ
装幀 Getty Images/カバー写真、123RF/表紙写真、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 538ページ
ISBN 978-4-10-339952-0
C-CODE 0093
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 1,944円

刀根秀俊、美月、亮介、陽菜乃は仲のいい友達グループだった。中学2年の夏にあの事件が起こるまでは――恐怖、怒り、後悔、そして絶望。生涯拭えぬ過ちとトラウマを抱えたまま、各々の人生を歩んでいた4人。求め合う体と秘めたる想いが、さらなる苦悩を呼び、暴力の行き着く果てに究極の愛が生まれる。著者渾身の長編ノワール!

著者プロフィール

村山由佳 ムラヤマ・ユカ

1964年、東京都生まれ。立教大学卒。1993年『天使の卵―エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。2009年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞した。他の著書に、『天使の柩』『放蕩記』『アダルト・エデュケーション』『ありふれた愛じゃない』『天翔る』『ラヴィアンローズ』など。

目次

第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
終章

インタビュー/対談/エッセイ

こぼれた石ころを拾い集めるように書き続けてきました
(完全版)

村山由佳榎本正樹

作家生活25年目となる今年、約1年半ぶりの新作『噓 Love Lies』を刊行する村山由佳さん。過ちとトラウマを共にする男女4人の20年間の軌跡を描いた本作では、自身初となる「ノワール」に挑戦。その真意や今後の創作活動の展望まで、榎本正樹氏がお話を伺いました。

【目次】
村山版ノワールの世界
出会いと死にまつわる新境地
関係を関係で束ねた「関係小説」として
堕ちた世界で光を希求する主人公
次なる四半世紀に向かって

■村山版ノワールの世界

――中学時代に出会った同級生4人の数奇な運命が、メンバーの1人、刀根秀俊の半生を軸に描かれていきます。
村山 大人版「スタンド・バイ・ミー」を、という思いから構想を出発させた作品なので、4人という数と、少年少女時代から話を進めることが必須でした。

――主人公の刀根は虐げられた子供です。父親を早くに亡くし、母は一人息子の彼を放置します。母の愛人に暴力を振るわれる日々の中、突然現われた九十九誠というやくざ者に心を開いていきます。村山さんは長らく母と娘の関係を描いてこられましたが、本作では父と息子の関係へと大きくシフトしています。
村山 父親という存在を主人公に対置させたのは、「天使シリーズ」以来かもしれません。男女4人の仲良しグループの中で、刀根をメインに置くことを決めた際に、彼が成長していく過程で出会う困難が、男っぽく骨っぽいものであってほしいと思ったんです。年若いうちから男になることを強いられる刀根を設定した時に、父の不在や父の不全といったモチーフが自然に出てきました。

――「おとこ」となるべく反社会的な人間から教育を施される、いっぷう変わった少年の成長小説の側面もあります。
村山 単行本化にあたって「週刊新潮」連載時の原稿を大幅に加筆・修正したのですが、ダークサイドの描写が相当量増えました(笑)。連載中は常に着地点を考えながら書いていました。着地してみたはいいものの、きれいに着地するためには、刀根や仲間たちにもっと負荷をかけなければならない、そのためには納得のいく伏線を設定しないといけないと考え、物語を膨らませていったら、想定以上にノワールの雰囲気が出て、これまで書いたことのない世界がたちあらわれました。こういう作風の作品を書けるとは思っていませんでした。

――負荷というのは、具体的に言えば事件ですね。本作ではいくつもの衝撃的な事件が起きますが、その端緖となるのが、中学2年の夏に起こった4人の仲間の1人、中村陽菜乃への暴行事件です。中学2年生の少女が暴行されるシーンは生半可な気持ちでは書けませんし、読めません。物語の必然として、読者を納得させるリアリティが備わっていなければならない。村山さんにとっても、大きな決断だったと想像します。
村山 ドラマチックな展開にしようとか、読者の気持ちを惹きつけようとか、そういう軽い理由だけでは書くことが憚られるシーンです。4人組はこの暴行事件を契機に逃れがたい運命に巻きこまれていくわけですが、確かに書くのに勇気が要りましたし、消耗もしましたね。おっしゃる意味での自問自答はありました。そこが嘘になってしまうと、その後のすべても嘘になってしまいます。『La Vie en Rose ラヴィアンローズ』(2016年)の夫殺しの場面も精神的に相当参りましたが、それ以上でした。

――村山さんが極道の世界を書くとは想像していませんでした。暴力団の人間関係や内部抗争など、男たちをとりまく世界が詳細に書かれており、そのことがエンタメ小説としての奥行きを広げています。
村山 拳銃が登場するシーンを書いただけで、同じ軽井沢に住む馳星周さんに「ゆかっちが拳銃!? 大藪賞でも目指してんの?」と驚かれたくらいです(笑)。私にとって馴染みのない世界でした。懸念していたのは、ちょっと興味があるから女性作家がハードボイルドチックなものを書いてみました、みたいな受けとめられ方です。あえて極道を持ちだす以上、リアリティがないと意味がないし、実際はこんなに甘いもんじゃないとか、あまり知らずに書いてるねとか思われてしまう程度のものであれば、書かない方がましだとの思いもありました。私の相方がそちらの世界になぜか精通しているので(笑)、とことん監修してもらいました。おそらく、「嘘」はないと思います。

――反社会的な存在であるのに、どこか人間味あふれる極道の描き方がユニークでした。悪にもいろいろな悪があるという視点ですね。
村山 1から10まで悪であるというような人はめったにいるものではなくて、だからこそ人間て厄介なんですよね。でも、箍が外れやすいとか、感情のある部分のスイッチが入りやすいとか、そういう人たちは確かにいて、私たちが窺い知れないことをしでかすのだと思います。近藤や佐々木は割とコントロールして書くことができましたが、ただ一人、九十九に関しては得体のしれない人間で、書いていて興味が尽きなかったですね。九十九や、刀根の母親の愛人で刀根に暴力を振るう南条は、私の小説の中に出てこなかったタイプの人間だと思います。

■出会いと死にまつわる新境地

――4人の中学時代と34歳になった彼らの現在を往還する時間構成になっています。最初は章ごとに切り替わっていきますが、章を追うごとに切り替えの頻度が増していき、物語に緊張感が生まれます。
村山 単行本化にあたって直しを行う際に留意した部分です。章自体を入れ替えたりもしました。過去と現在を切り替えることで、視点人物も変わります。あまり頻繁に視点が変わると読者が感情移入しにくいだろうと考え、シーンの変わり目では遅くとも5行目ぐらいまでで視点人物が分かるように書くことを心がけました。アステリスク(*)のマークが入った箇所で視点が切り替わります。次のアステリスクが来るまで他の視点人物には替えないという自己ルールを徹底しました。

――陽菜乃への暴行事件を契機に、仲間たちは予期せぬ殺人事件に巻きこまれていくことになります。物語に事件、特に人の死にまつわるシーンを導入することはとても難しいと思うのですが、村山さんはどういう点に留意して書かれていますか。
村山 榎本さんと以前『天使の梯子』(2004年)の刊行時にお話をした時に、「人って簡単に死ぬものじゃないですか」という私の言葉を重く受けとめてくださいましたよね。ただ、今回の小説では、後ろに警察の影が見えています。これまでの小説では、警察が機構として物語の中に入ってくることはありませんでした。今回は組織犯罪があり、犯罪を取り締まる警察があり、彼らの対立関係や癒着ぶりを感じさせる物語にしたぶん、事件が起きて人が死んでしまっただけでは、もはや話が済まなくなっています。本作では個人的な死ではなく、社会的な死を描いています。本来、死は個人的なものですが、それが犯罪となると、周りの人間や、社会や、法を巻きこみます。もし犯罪が露見しないのであれば、なぜばれなかったのかを厳密に書く必要がありました。こういう形で人の死を扱ったことも、たぶん初めてだったんじゃないかと思います。

――もう1つの大きな死。それは仲間の1人である正木亮介の突然の事故死です。自己犠牲のような形で亡くなった亮介の死には、救済のイメージが重ねられます。彼は死ぬことで、長年の苦しみからようやく解放されたとも言えます。
村山 現実問題として、亮介のような性格の人間が、過去にあのようなことを実際にしてしまったことを考えると、彼は死をもってしか救われなかったんだろうと思います。陽菜乃との関係がもっとうまくいっていたら話は違ったのかもしれませんが。自分で自分を崖っぷちの方へと追いつめる人間っていますよね。そういう人間が期せずして犯罪を犯してしまった悲劇なのだと思います。

――大もとを辿っていくと、そもそも4人が出会ったことが悲劇の出発点と考えられます。出会い自体はニュートラルな出来事です。出会いがもたらした人間関係の展開において、ある事件が起き、時にそれが殺人に発展してしまうこともある。人と人の出会いは、そうしたことすべてを含むのですね。
村山 別れはある程度、選択可能ですけれど、出会いばかりは「出会い頭の事故」というように、まさしく衝突事故みたいなものだと思います。出会った時点では、相手がどのような人間なのかわからない。そういう意味では怖いですね。

――村山さんは「出会いの物語」を多く書いてこられました。というより、ほとんどの作品が出会いの物語です。出会いは、ある状況下において悲劇にも喜劇にもなる文脈を含んでいるということでしょうか。
村山 本当にそうだと思います。今回、担当編集さんが最初は「村山由佳の集大成」という帯文を考えてくれたのですが、集大成であるけれども同時に「新境地」であることのほうをアピールしたかったので、帯文を替えてもらいました。出会いについても、死についても、今回のような形の物語を書くのは初めてで、まったく新しいことにチャレンジしているつもりでも、じつは今まで自分の中でやり切れていなかった部分を、一所懸命に石ころを拾うみたいに、集めながら進んできた気もします。一つ書けば、いくつもの課題が生まれる。ずっとそうやって小説を書き続けてきたのかもしれません。

■関係を関係で束ねた「関係小説」として

――村山さんの作品世界を「白村山」「黒村山」と、明と暗に分けて考える人がいます。でも、村山さんの小説では常に「白」と「黒」が入り交じり、共存していたように思うんです。白だけでも黒だけでもない。白の中に際立つ黒であったり、黒の中に見え隠れする白があったり。本作では両者がミックスされ統合されて、一つの世界に昇華されています。集大成としての白と黒であり、新境地としての白と黒が実現された作品といえます。
村山 逃れがたい運命の渦中にたたきこまれた4人にしても、日々、朝から晩まで絶望して生きているわけではありません。日常生活を送る中で、事件を忘却する一瞬が確実に増えていきます。亮介が言うことは事実だと思うんですね。陽菜乃はその言葉に憤慨するけれど、現実的に彼女だってずっと思いつめて生きてきたわけではなかろうと。小学校教師として、子供の笑顔にほっこりする瞬間だってあったはずです。どんなに汚れてしまっても光を希求する気持ちを持ち続ける彼らの対岸に、九十九に代表される目の前にどんなに善きものがあっても目を向けない真逆のタイプの人たちがいる。どんなに黒いことをしても白を希求する人間と、徹底して黒の側にいようとする人間の対照を意識した初の作品かもしれません。

――10代の青春小説に始まり、恋愛小説、家族小説を経由して、極道小説を取りこみつつ、最終的にライフストーリーへと緩やかに着地する。これまで村山さんが個別に描いてこられた世界が、一つに集約された印象があります。
村山 それだけに、帯の惹句に悩みました。どういう小説なのかうまく説明できないんです。恋愛小説といっても間違いではないし、家族小説でも極道小説でも、ノワールでもあるのだけれど、そういってしまうとこぼれ落ちてしまうものが出てくる。だから担当編集者は困ったはず(笑)。村山由佳といえば恋愛小説家、近年だと官能小説家のイメージがあるかもしれません。この作品では恋愛や官能の要素は紹介文からあえて外して、ノワールを謳ったわけですけれど、果たして胸を張ってノワールといえるものなのかどうか。果たしてどう読まれるのか。実は内心びくびくしながら反響を待っているんです(笑)。ノワールの肉付けをした作品だけれど、あくまであの4人から始まった物語で、最初から最後まで通奏低音としてあるのは「スタンド・バイ・ミー」の味わいなんです。

――つまり、関係性ということだと思うんです。村山さんはデビューから首尾一貫して、人物の関係性に着目してこられました。本作では、まず父と息子の関係、そして母と息子、母と娘、さらに4人の関係、極道の世界の中での関係と、様々な関係のバリエーションが指摘できます。多様な人間関係をさらに関係で束ねていく「関係の関係小説」の構成になっています。
村山 これまでは、あるコミュニティの中の限られた関係を書いてきたような気がします。この作品に登場する4人は、事件によって関係の内部に閉じこめられます。極道の世界も、関係性だけが約束事となる特殊な世界です。刀根の実父は読む人が読めばある人物と推測できるように書きましたが、彼からはあらかじめ父親が失われています。母の愛人だけれど、むしろいなくなってほしい存在として南条がいて、一方で極道を父親のように慕う時期もあります。そういう父と息子の風景を書いていて、わくわくしました。オイディプス神話ではないですけれど、母と娘にはない要素というか、父を疑似的に殺して超えていく、その部分は話の本筋ではないですが常に意識していました。
 最終的に佐々木はあのような決着のつけ方をしますが、彼はいったい何者であるのか。最後にすべてを引き受ける形で、彼がしおおせたことの意味を考えれば、実は彼がいちばん父親に近い人物と言えるかもしれませんね。

 

――関係が混信していくプロセスを、村山さんは独自の視点で書かれています。クラス委員長を務める亮介は実直な少年ですが、秀俊に好意を抱く陽菜乃の気持ちを自分に向けたいがゆえに2人の関係に割りこんでいきます。そこが悲劇の出発点になります。彼は性的な暴行を受けた陽菜乃を守ると彼女の前で宣言しますが、その言葉自体が暴力であることに無自覚です。君を守りたい、という一方的な言葉の押しつけに、女性をコントロール下に置こうとする男性性の発露が見え隠れしています。
村山 亮介との間で陽菜乃が性的関係を結べなかった理由は、そういう部分にあるんですね。君を守りたいという言葉の元に支配が始まって、支配下にある間は守るけれど、檻の中から出ていこうとすると牙をむく。これまで私が何度も書いてきた男性たちと亮介には重なる部分があります。
 じつは、担当編集者2人と打ち合わせした時に、私が、亮介の出てくる場面はもっと剪定しようと思っていると話しました。その時の2人の言葉が印象に残っています。あまり刈り込み過ぎないでほしい、と。ほとんどの男性読者は、亮介をしょうがないやつだと思いながらもそこに自分を投影するはずで、刀根のような男っぽい人物に完全に自己投影する読者はむしろ少ないと思います、と言ったんです。あぁそういうものか、と思いました。

■堕ちた世界で光を希求する主人公

――この作品で描かれるのは徹底的な暴力です。それは肉体的な暴力にとどまらず、性的な暴力、さらに言葉の暴力にまで及びます。おぞましいほどの地獄が極限に到った次の瞬間、清らかで聖なる世界が開示されます。
村山 読者のほとんどは、この作品で描かれるような地獄を実際に見ることはないでしょう。もちろん私も含めてですけれど、それぞれの小さな地獄を見、経験して、大人になっていく。その代わりに、4人が見たような聖なる瞬間に遭遇しないまま、一生を終えるのでしょう。そこまで堕ちないと見られないものであるなら、見ない方が幸せかもしれない。でも彼らが経験した悲しみや、泥に裏打ちされた暴力の世界を否定することが私にはできません。私はそういうものに対して昏い憧れの気持ちを持っています。

――堕ちに堕ちた場所から、たちあがってくる聖なる世界。村山さんの小説を読む醍醐味と愉楽は、まさにそこにあります。
村山 主人公や登場人物が泥にまみれている時の視線の角度の問題だと思うんです。そこまで堕ちてなお、光の射す根源を見るのか。それとも自分の体の影しか見ないのか。亮介は自分の影しか見ていません。自分の心を影の方に追いやって自己崩壊してしまいました。残りの3人は、特に刀根は美月と陽菜乃の助けを借りながら、光の方へ目を向けることを最後まで投げだしませんでした。

――つらい20年だったけれど、その過程を通して手に入れた「何か」は確実に存在したはずです。美しく穏やかなエンディングの風景は、痛苦に満ちた半生を送ってきた彼らだからこそ獲得できた到達点であるとも考えられます。
村山 最後に原稿の手入れを行ったのはラストシーンでした。陽菜乃のために救いが欲しい、そこがもっと読みたい、と担当者が言ってくれたので、刀根と陽菜乃の会話部分に多く手を入れました。あの2人ですから、本当は好きだったとか、そういう野暮な言葉は絶対に言わないわけで、じゃあどのように書き直したら彼らがいくらかでも救われるのかと、ずいぶん悩みましたね。人ひとりの命を奪う事件に加担した彼らが、能天気に幸せになるのは違う気がしました。ミッション系の学校で育った私の倫理観かもしれませんが、やはり贖いがなくてはいけないと思いました。法的な処罰が下ることはないかもしれないけれど、彼らは半生を犠牲にして贖ってきたのでないか。その部分に読者が納得してくれるかどうかが重要だと思っています。

――同じくラストで真帆を見た陽菜乃が、「あの小さな少女の未来が、どうか明るいものでありますように」と願います。すべては「祈り」に集約するのですね。
村山 そういう意味でも、彼らが佇む海には光が射していなければならなかったし、波は輝いていなくてはならなかったんです。背景も含めて、デビュー作から連なる「天使シリーズ」の方がはっきりと理解できる形でキリスト教的な世界観の影響が指摘できるのですが、罪と罰、贖いや祈りというモチーフも含めて、確かにこの作品は私の中の集大成でもある気がします。

――1人の女性が坂道で夏蜜柑を転がして途方に暮れる。いきなり読者に提示されるプロローグは、ラストを読むことで了解されます。ラストはプロローグへと再びつながり、円環的な構造を提示します。ダークで濃いノワールですが、円環的な構造が物語全体を包みこんで、物語を五センチくらい浮かせて、緩やかに着地させます。
村山 今ふと思いだしましたが、あのプロローグはデビュー前にあるミステリの新人賞の応募原稿で書いて、最終の8編まで残った長編小説「六番目の憂鬱」のプロローグなんです。お蔵入りになった作品ですが、自分でもすごく印象に刻まれた場面だったので、今回の作品の導入部に使いました。エピローグとプロローグがつながっているという構造は、好きなんですよね。

■次なる四半世紀に向かって

――「嘘」の後に「Love Lies」という英語の副題が付されたタイトルです。どのような意味をこめられたのでしょうか。
村山 愛のためについた嘘が、人をどんどんややこしい場所へを追いこんでいく。そういう意味あいで付けました。中にはLove Liesではない本当のLiesが出てきますけれど、私たちは小説を読むような具合には周りがわからない状態で自分の人生を生きているので、それがLove LiesなのかLiesなのか区別がつかない。それと同じくらいリアルに、登場人物がどういう種類の嘘なのかを見抜けないまま葛藤したり苦しむさまを書きたいと思ったことが、このタイトルを付けた最初の理由です。

――村山さんにとって2018年は、作家生活25周年の年になります。『嘘 Love Lies』は、これまでの四半世紀の集大成であると同時に、次の四半世紀に向けての出発点となる作品でもあります。本作を起点にして、どのような方向へと創作活動を続けていかれるのか、具体的なイメージはありますか。
村山 初の評伝ものの企画をいただいていて、現在準備中です。『すべての雲は銀の……Silver Lining』のような原点に返ったようなストレートな青春ものの執筆予定もあります。『ダブル・ファンタジー』の続編で連載中の「ミルク・アンド・ハニー」のような直近の新作もあり、今年は単行本がたくさん出ます。これまで青春ものと官能ものの2つで来たところに、今回のようなノワールや、これから挑戦する評伝ものなど、ますます自由に自分の領土を拡大していきたいと思っています。デビューして6、7年目ぐらいまで、手持ちの球数がどんどん減っていく気がしていました。同じ球を2球続けては投げられない。あとまだやってないことって何だろうと、どんどん世界が狭まっていく感じでした。今は一つやると次の可能性が見えるというか、さっきも言いましたが、一つ書いて後ろを振りかえると、拾いきれなかったものがたくさん落ちているんですね。
 言葉という器自体がそういう性質のもので、一つの言葉を選ぶことで、盛りきれなかった要素がこぼれ落ちてしまう。言葉の集大成として織りあげられた小説からこぼれ落ちたものって、いったいどれぐらいたくさんあるんだろうと想像します。言葉というとても目の粗い網で、いったい本当のことなんてどれだけすくい集められるんだろうとか、これぐらい目の細かい網を用意しなくちゃならないとか、そういうことを考えていくと、一生かかっても拾い集められるものではないことに気づき、愕然とします。
 作家生活を続ける中で、読者への情報提示の仕方や加減についても考えるようになりました。たとえば、佐々木が刀根の素性について、どの時点でどのくらい理解していたかということについて、10年前だともっとわかりやすく書いていたと思うんです。でも今は省略したり、あえて書きこまない方向に好みが移ってきました。説明って、野暮くさい気がして(笑)。読者の側から見ると不親切でもあるわけですけれど、そのさじ加減がなかなか難しい。作品を書いていく際に、読者にどれだけのことを伝えるのか、あるいはあえて書かずにおくべきなのか。小説技巧の問題になりますが、そういうことを考え続けています。次の四半世紀に向けての大きな課題です。

(むらやま・ゆか 作家)
(えのもと・まさき 文芸評論家)
波 2018年1月号より

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