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一番会いたい人に会いに行く。
こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。

劇場

又吉直樹/著

1,404円(税込)

本の仕様

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発売日:2017/05/11

読み仮名 ゲキジョウ
装幀 大竹伸朗/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六版
頁数 207ページ
ISBN 978-4-10-350951-6
C-CODE 0093
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 1,404円

演劇を通して世界に立ち向かう永田と、その恋人の沙希。夢を抱いてやってきた東京で、ふたりは出会った――。『火花』より先に書き始めていた又吉直樹の作家としての原点にして、書かずにはいられなかった、たったひとつの不器用な恋。夢と現実のはざまでもがきながら、かけがえのない大切な誰かを想う、切なくも胸にせまる恋愛小説。

著者プロフィール

又吉直樹 マタヨシ・ナオキ

1980年大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人。コンビ「ピース」として活動中。2015年「火花」で第153回芥川龍之介賞を受賞。著書に、『第2図書係補佐』『東京百景』などがある。

書評

運転中のラジオ

町田康

 先日。自らハンドルを握り、首都高速道路三号線を用賀方面に向かって走行していたところ三軒茶屋のあたりでなんだか急速に気持ちがざわついてきたので、音楽でも聴いたら少しは気が晴れるのではないか、例えばラモーンズの「Beat on the Brat」かなにかが流れたら、と思ってラジオのスイッチを入れた。そしたら。
 ラモーンズどころかジェスロ・タルすら流れず、だったらせめてルー・リードか、それが難しければもうロッド・スチュワートでもいいのだけれどもそうしたものすら流れない。じゃあなにが流れたかというと、ラジオから流れてきたのは陰気なおっさんのたどたどしい語りで、しかもそれが延々と続いて、いつまで経っても曲がかからない。
 そして用賀を過ぎる頃、それが放送大学で、おっさんは哲学の講義をしているのだということがわかって、それでさっきからニーチェがどうしたこうした言っていたのか、と合点がいった。
 それで聴くとはなしに聴いていたところ、ちょっとなに言ってるかわからないのだけれども、なるほどと思うところもあって、どういうところかというと、昔から人間には、もしかしたら自分は先祖とかそういう人がムチャクチャしんどい目に遭った、その犠牲があったから生きているのではないか、と思う後ろめたい気持ちがあって、それを情けない奴らがうまいこと利用したために人間がムチャクチャになった、みたいなことで、そこから先は話が複雑化したのと追い越し車線をノロノロ走る車にむかついて喚き散らしたのとでよくわからなかったのだけれども、そこのところは、そういやそうだよな、と思った。
 それで東名に入って川崎あたりで思うのは、そうして後ろめたいと思う気持ちが、自分が思うことのかなりの部分をカバーして、本当に思うことが表面上はなかったことになって、でも本当に思うことは思うことなので、本人や周りが矛盾に苦しむ、ということは普通に毎日、一日に六回以上起こっているなあ、ということだった。
 など考えるのはそう、『劇場』を読んだからで、ここではいろんな、そのようにしてカバーされ、直視しないで済む思いや考えが、文章によって覆いを外され、矛盾が明らかになる。ひとつを挙げるなれば例えば、それを愛情という言葉で覆っているが、実際には、一緒に居ることによって相手の精神と肉体を滅してしまうことがわかっていても離れられない、という気持ち、が描かれてある。
 通常は、でもそう思うと後ろめたいので、そこに運命とか、社会の掟とか、簡易スピ(リチュアル)とかを導入して、自分は後ろめたさの感覚を自覚して、それがわからぬほど無神経な人間でないと思いつつ、その後ろめたさに自滅しないで済むところに落とし込み、精神の安定を図りつつ、自分の情けなさを忘れる、という術が用いられる。しかしまあ、ときに気持ちがざわつくのは、それがたとえ高級ブランドであれ百均のものであれ、所詮はカバーに過ぎぬからであろう。
 しかるにここでは、そうしたカバーを外して、愛情の中に潜む利己的な気持ちや嫉妬心を剔抉、腑分けして、ざわつき、といった曖昧なものではなく、クリアーな形にしているのである。
 というとなにか露悪的なように聞こえるが、そうではなくして、そのようにして初めて、一般的な「理解」すなわち、安易でちゃちで情けない奴が自分の得や安心のために拵えた粗雑な見取り図の中に矮小化して位置づけるのではなくして、自分のこととして、その矛盾や葛藤に向き合うことができて、それがいまの、いろんなことがあった後の文学の役割だろうと思うからである。
 という訳でときに読むのが苦しかった『劇場』を読み終えて、とはいうものの日常に帰らぬ訳には参らぬから車に乗り込んだのだけれども、それはそれ、これはこれ、という訳にも、やはり参らない、なんとなればひとつのモデルでなく、写しでなく、もうひとつの現実だからという訳で、三軒茶屋でざわついた気持ちのカバーを外したら目の前に富士山。すんでのところで事故は免れたが死んでも仕方なかったのかも知れない、と思うような切迫した自分の気持ちがこの小説にあった。

(まちだ・こう 作家)
波 2017年6月号より

未熟な者だけに許された

西加奈子

 一気に読み進めたいのだけど、実際読む手は止まらないのだけど、苦しくて苦しくて、どうしても一度伏せてしまう作品がある。そんな作品に出逢うのは稀で、だからしばらく動悸が止まらないし、読み終わった後もその世界にずっと引きずられる。『劇場』はまさにそういう作品だった。
 主人公の永田は「おろか」という劇団を主宰している若い男だ。主宰しているといっても劇団はちっとも評価されず、わずかにいた劇団員ともぶつかり、結果永田の中学・高校の同級生であり理解者でもある野原を除いて、彼らに去られてしまう。
 永田という男を一言で表すのは難しい。考えすぎるところがあり、いつも憂鬱で悲観的、悲しくなるほどに純粋で、とにかく複雑である(でも、人間は常に複雑なものなのではないだろうか。特に若い人間は。彼らは自身の複雑さをもてあましたまま生きている)。
 永田はある日沙希という女性に会う。沙希と会った瞬間、永田は自分でも理解出来ないおかしなことを口走り、必死で彼女に接触する。「声をかける」というような軽やかなことでは決してない。生き延びるため、ほとんど命がけで彼女を求めているように思う。
「この人を生まれた時から知っていて、間近で人生を見守ってきたことと等価の感覚をこの瞬間に得たのだ。」
 それは永田にとってまさしく運命が変わる瞬間だったのであり、沙希にとってもそうだった。沙希ははじめ永田をこわがりながら、やがて笑いかける。
 沙希は優しい。永田と暮らし始めた彼女は、とにかく永田の才能を認め、永田の存在を認め、ほとんどすべてを受け入れる。このうえなく感謝し、愛しつつも、同時に永田は彼女のその純粋さ、底なしの優しさにおののく。それゆえ、永田の愛は鋭角なものになり、永田の心を理解出来ない沙希を傷つけることになる。
 恋愛小説と呼ばれるだろう。確かにこれは、若いふたりのつたなくもどかしい恋の話でもある。でも、もちろんそれだけではない。これは、演劇という表現形態との戦いの物語でもあるのだ。
 作中、「まだ死んでないよ」という劇団が登場する。野原に誘われその公演を見に行った永田はこう思う。
「作・演出を手掛ける小峰という男が自分と同じ年齢だと知り、不純物が一切混ざっていない純粋な嫉妬というものを感じた。彼を認めるということは、彼を賞賛する誰かを認めることでもあって、その誰かとは、僕が懸命にその存在を否定してきた連中でもあった。」
 さらに「おろか」の元劇団員でもある青山は小峰を天才として認めており、抗いつつも永田は「強引に小峰を見上げさせ」られるようになる。
「たとえみっともなくても、余裕など捨てて、小峰よりも時間を掛けて、演劇に喰らいつかなければならない。」
 永田の闘いは壮絶だ。そんな壮絶な戦火の渦中にあるがゆえに、彼の鋭角の愛はますます沙希を傷つけることになる。そして沙希は少しずつ壊れてゆく。
 どうしてこんなに下手くそにしか生きられないのか。
 それは冒頭で書いた彼の悲しいほどの純粋さからきている。人が避けて通れる場所に頭から突っ込み、人が軽くいなせる思考をとことんまで突き詰め、与えられた武器を拒否し、まるごしで闘おうとする。何も言い訳せず、真向から演劇に向き合い、完膚なきまでに叩きのめされ、それでも食らいつく。それは同時に彼の人間としての品であるように思うし、そのままこの作品の品でもあると思う。この作品は、安易な精神の逃亡を許さない。
 だから私は苦しくなったのだ。
 永田の欠点を数え上げればキリがない、沙希にだって言いたいことは山ほどある。きっとこういうふたりは、時代から取り残されてゆくだろう。でも、彼らの純粋さ、年月という残酷な理に顔面を強打され、それでも生きてゆく姿勢は、私たちが簡単に手放してしまったものだ。手放し、そしてなかったことにして、器用に社会に迎合してきてしまった「大人」の私たちに、彼らを笑う資格などないし、批判する資格もない。
 未熟な人間にだけ許された醜さ、美しさ。
 かいぶつみたいな作品だった。かいぶつの内臓を見せられているような気がした。こうやって書いている今も、私は『劇場』から逃れられないでいる。

(にし・かなこ 作家)
波 2017年6月号より

インタビュー/対談/エッセイ

尽くす女、嫉妬する男

壇蜜又吉直樹

尽くす女、嫉妬する男

同い年の才能が語り合った、人間関係のいちばん柔らかな場所――

壇蜜 又吉さんの新作『劇場』は、小さな劇団の主宰者の永田が、服飾の学校に通っている沙希と出会って……という恋愛小説ですが、男女の会話やメールがヒリヒリして息が詰まるようでした。又吉さんご自身も、男女の間に限らずとも、ああいう拗らせたようなメールなどのやり取りはよくなさるんですか?
又吉 あそこまでのはないですかね……いや、あるか? あるかもしれないです(笑)。
壇蜜 それはどなたと?
又吉 小説みたいな恋愛とかではなくて、ずっと僕に絡み続けて来る人でも割と無視しないんですよ。
壇蜜 返事を返すんですね。相手にするというか。
又吉 対応しちゃうんです。早めに撤退した方が楽なんですけどね。壇蜜さんは人間関係であまり揉めなさそうですね。
壇蜜 揉めない方だと思います。
又吉 シンドイですもんね。
壇蜜 シンドイし、覚えていられないんですよ、いろんなことを。直接会って喋るのでも電話でも、長いこと文句か何かを言われているうちに、「あれ、この人、最初何て言ってたっけ」とか思い始めて、ポカーンとしているうちに、相手がさらに逆上していく、という悪循環です。
又吉 壇蜜さんから怒ったりはしない?
壇蜜 私は怒りが持続しないんですね。というか、体力がもたない(笑)。でも、ケンカするほど仲がいいって言いますけど、個人的には、ケンカする人とは大抵うまくいきません。
又吉 僕もそう思いますね。中学時代から今までずっと仲がいい友達がいますけど、一回もケンカしたことないです。
壇蜜 やっぱり。気が済むまでケンカして、それで仲直りしてうまくやっていける人たちもいますけど、誰もがケンカするほど仲がいいとは限らない。「そこ、個人差があるからね」って言うと、また怒られるんです(笑)。「今はケンカしてても、僕たちは分かり合えるはずだから」。だから、「だって今、ケンカしてるのは分かり合えてないからじゃないの」と。
又吉 それ、口に出して言っちゃうんですか?
壇蜜 はい。
又吉 向こうは粘ってきませんか(笑)。
壇蜜 粘ってきます。「それは君の本心じゃないだろう」とか言うので、「本心なんかないよ。私は玉ねぎと一緒だから」と(笑)。
又吉 剥いても剥いてもずっと玉ねぎだぞって(笑)。それ、すごく分ります。
壇蜜 人間関係の上だけでなく、なぜテレビでも、すぐ本心とか本音とかを言わそうとするんでしょうね。よく言われませんか、「素の又吉さんを」なんて?
又吉 僕、よく言われる方かもしれません。「まだ知られていない又吉さんを」とか……。
壇蜜 そのうち副都心線あたりの中吊り広告で見そうですね。「まだ知られてなかった素顔の又吉直樹さん!」とか(笑)。
又吉 そういう質問されると、僕はいつも、「何で今まで隠してきたことを、ここであなたに言う可能性があると思えるの?」って思う(笑)。
壇蜜 三十ウン年、隠し通してきたことを(笑)。
又吉 隠すのには理由があるわけでしょう? 「これを言ったら生きづらくなる」とか「誰かを傷つける可能性があるな」とか思って、言わないわけですよね。「それを何で、今あなたの前で出すねん」と思う時はあります。でも、向こうの気持ちも分るというか、お互いさまというか、僕らも出始めの頃は「実はこんなんですよ」というトピックを必死で出していたんですよね。コンビでやっているから、相方の綾部は熟女好きとか、僕は本が好きだとか。
壇蜜 何かマスコミで取り上げられやすいポイントですよね。
又吉 はい。それを取材で聞かれたり、アンケートで答えたりして、一周回ったら、「本以外で何か」ってなるんですよ。ほな、「喫茶店、好き」とか「散歩、好き」とか答えて。三周目にもなると、「本とサッカーとファッションとコーヒーと散歩は分ったので、他に趣味、何がありますか?」。そんなにないでしょう(笑)。
壇蜜 たくさん過ぎると、もう趣味じゃない(笑)。
又吉 僕、趣味はわりと多い方やと思うんですよ。でも、「何か新しいことを」とか「このひと月で何かハマってることは」とか、そんな聞かれ方をします。僕はそれにできるだけ答えるようにはしているんですが、無理やり、興味ないものをあるって言ったり、何かに詳しいふりしたりするのは辛いですよね。壇蜜さんは、新しいものを吸収していこうというタイプではないんですか?
壇蜜 ええ。さっきのお話じゃないですが、デビュー当時に「いかに取り上げられるか」と世間に出したものに、今は苦しめられているような状態です。
又吉 そういうことってありますねえ。
壇蜜 調理師免許を持っていることを割と言ってきたので、「料理はお得意なんですよね」って。「いやいや、クックパッドがなければ何もできないんです」(笑)。私はタレントになって7年目ですが、今は広げて見せていたものをちょっとずつ回収する作業をしています。かつては、やたら「かつら剥き」をするキャラクターだった時期もありました(笑)。
又吉 やってましたね。僕も……あれ、壁に打つテニスみたいの、何でした?
壇蜜 スカッシュ?
又吉 「最近はスカッシュをやりたいと思ってて」って言ったことがあります。スカッシュって単語ももう出ないのに(笑)。あの時は、自分でも「そんなはずないやろ。大丈夫ですか、これ」と思いながらやっていましたね(笑)。
壇蜜 無理やりに外へ出してしまったものって、自分と食べ合わせが悪いパターンが多いですよね。
又吉 実際、スカッシュをやってみたら面白かったし、真剣にやっている人も一杯おるから「オリンピック競技になったらいいのに」と思いますけど、やっぱり継続してはできなかったです。人によっては、「これ、むちゃくちゃ好きなんですよー」とか言って、やってみたら全然できへんで恥かくけど、そこで笑われる潔さを出せる人もいます。でも壇蜜さんとか僕みたいなタイプがそれをやると、見ている人がいたたまれなくなりそうな……(笑)。
壇蜜 きちんと闇に葬り去れるのか、視聴者から心配されるタイプ(笑)。タイプで言えば、タレントやっている以上、自己顕示欲がまるでないわけはないけど、「見て~、私の暮らし」「いいでしょ~、みんなもやろうよ」みたいなテンションにはなれない方です。

「ヘンや」はもういいけど

又吉 『壇蜜歳時記』(大和書房)を読ましてもらったんですけど、あの本に「何でもかんでも面白がればいいってものじゃない」みたいなことが書かれていたのに共感したんですよ。僕は芸人で、常にふざけるとかボケるとかが美徳とされる世界にいますが、僕はわりとマジメな時があるんです。それが周りからすると逆にボケに見えるらしいんです。で、「何でそこ、マジメやねん」と言ってもらえる。でも、何か「今はふざけちゃアカン」という時があると思う方なんです。
壇蜜 けど、それを突っ込んでもらえるからいいですよね。芸人らしさ、と両立できているわけですもんね。
又吉 僕が「普通」と微妙にズレているのかもしれないです。まあ、何が普通か分からないけど……。あ、でも高校時代はちゃんとした普通の高校生でした。中学まではよく「浮いている」とか「ヘンや」とか言われていたのが、高校ではきちんと校則通りに制服着て、挨拶して、誰からも突っ込まれないようになりました。自分では「高校生のコスプレ」をやっている感じでしたけど。
壇蜜 『劇場』の登場人物たちは群れに馴染めずに苦労していましたが、又吉さんは、心は馴染んでないんだけど、表面上のスタイルとか外への出し方を馴染ませられた時期があったんですね。
又吉 そのまま突っ走れる強さがある人はいいと思いますが、そんな自分を俯瞰で見たり、客観的に見てしまう視点を持った人間は、一回は普通に馴染んどかないと、あとで突っ込まれた時、えらい恥ずかしいと思うというか……。まあ学生と違って、芸人は別に普通でなくてもいい職業だとは思いますけど、さっきのマジメな時の話みたいに、僕の中の「普通」でいると、それが「ヘンな自分」を演出しているみたいに思われたりもして――。
壇蜜 一周回っちゃう感じ。又吉さんは普通でいるのに作っていると思われる。
又吉 「ヘンや」とか言われるのは子どもの頃から慣れているから、そこに対する喜びはないねん、って言いたいんですけど……。
壇蜜 もう、「ヘンだね」「へへ、そうかな」は、何十年も前に又吉さんの中では終わってる。
又吉 終わってるし、飽きてるし、そこは端折って次の段階へ行ってほしいけど、初めて会う人とは永遠にそこをやり続けないといけない。そんなことをやっているうちに、また普通とは何か、よく分からなくなってきたりもします。
壇蜜 『劇場』の永田はどうでしょう? 「普通って何?」ということを考えてなさそうな気がします。いや、本当はどうしたらいいか、何となく分かっているけど、そんなふうに振る舞う自分が許せない、のかな。
又吉 永田は、簡単に言ってしまうと、周囲との関係性をうまく築けないんですね。下手くそというか……永田は物事や人間関係を複雑に考え過ぎたりすんねんやろな。

尽くすことを禁じられる方が

壇蜜 おかしな事を言うようですが、永田と沙希は同棲していて、おそらく狭い部屋で一緒にいて、シングルベッドか何かでぎゅうぎゅうになって寝ている感じですよね。でも、セクシャルなことを全く想像できなかったんです。作者が匂わせてもいないだけでなく、読む私も、ここで性描写とかセクシャルなイメージを想像しちゃいけないんだろうなって感じたんです。
又吉 それは……永田自身が嫌がったんですかね。つまり、2人の行為自体をじゃなくて、読者に2人の行為を想像させることが嫌だったというか。
壇蜜 私は「書かれていること以外は想像しなくていいからね」とちょっと拒否されている感じがしたんです。又吉さんも、セクシャルなことを持ち込んだらいけない、と考えられていたんですか? 『火花』の時は、愛情やセクシャルな情感を感じる場面も沢山あったんです。
又吉 永田の視点で書いているので、ヘンな言い方ですが、たぶん永田が書くべきこと以外は書いていないのかもしれません。永田の中の優先順位として――彼の記憶の中の優先順位というか――、性的な体験みたいなものは高くないんでしょうね、きっと。例えば、恋人が屁をこいたから窓を開ける、なんて日常的に起こりうる場面も書いていないことと同じかもしれません。ひょっとしたら、お互い傷つけ合ったとか、理解しようとし合ったけどできなかったとかの方が永田の記憶では重要なのかもしれないです。
壇蜜 永田さんは、家というものを寝る場所とか箱とかしか考えていないのかもしれませんね。一方で、沙希さんは永田さんが家にいないとダメな人じゃないですか。
又吉 そうですね。
壇蜜 2人の居場所に対する考えの違いが印象的でした。理解しようとしているのにスレ違っていって、どんどん息苦しくなっていく感じが圧倒的です。沙希は永田に尽くしたいんだけど……あれは、「尽くす」と呼んでいいんですかね。
又吉 ええ、そのまま見たら、尽くしているように見えますよね。
壇蜜 私も実はけっこう、沙希さんくらいのことはしちゃうんです。生活の面倒を見る人が必要なんだったら、自分がその役をやってもいいや、くらいは思います。だから、沙希が永田に尽くすところまでは自然に読めたのですが、その先がおそらく彼女と私は違ってくるんだと思いました。「この人が好きだ」っていう感情であそこまでひたむきになれるのは、きっと沙希は自分の得意なもの、好きなものがハッキリしているんだろうなと感じたんです。沙希は永田さんが好き、服作りが好き、将来はよくわかんないけど家族が好き、先輩たちが好きっていう、「好き」が多い人なんだろうなと。私は、自分の嫌なところを浄化させたいから相手に尽くしたい、みたいなところがあるんですよ。尽くすことで徳が積めるんじゃないかなと。悪く言えば、尽くす相手を踏み台にして極楽へ行こう、というような。
又吉 ふふふ。確かに、沙希は苦しんでいるけど、それはあの関係性で苦しんでいるんじゃなくて、結局永田を好きだから苦しんでいるんだと思うんです。尽くしたい人は、尽くすこと自体はしんどくない、むしろ尽くすことを禁止される方がつらいって言いますもんね。
壇蜜 私、「僕が何でもやってあげるよ」って人は選べない(笑)。
又吉 僕は永田的なわがままなところもあるし、沙希みたいに「意味わからん」と言われるくらい尽くすところもあるんです。『劇場』は恋愛小説ですけど、僕の場合、お節介なんですかね、恋愛でなくても、男女問わずに、「なんでそんなにやってくれるの」って言われるくらい尽くす時があります。自分でももう目的が分からなくなるくらい尽くすから、相手が引いているのが分かる(笑)。でも、自分はしんどくないんですよ。見て見ないふりをしたり、「家族やないしなあ」って干渉しない方がしんどい。相手と一緒にボロボロになる方が、僕には楽な時があるんですね。でも、相手にとって、それがいいとも限らなくて……。
壇蜜 「あなたが甘やかしたから、結局ダメにしたのよ」みたいに責任転嫁されますね。
又吉 まさに、そう言われたことあります(笑)。
壇蜜 でも、尽くすって、まさに共生ですよね。生きる力を分け与えている。最近、尽くす人って減ったのかな。「尽くしたい気持ちはあるけど、相手がいない」という人は多いんです。それで、「本当に好きな人に出会えてないんです」「本当にじゃない好きな人とは付き合ったの」「そんな不埒なことできません」「不埒なことしないと、本当に好きな人になんか出会えないよ」って言うと、ものすごく嫌な顔されて「そんなこと言うなんて最低!」(笑)。
又吉 そりゃ、付き合ううちにだんだん好きになる場合もあるやろしね(笑)。

嫉妬の解決法は

壇蜜 沙希さんが尽くす女なら、永田さんは嫉妬する男でもありますね。恋愛ではなく仕事面で、芸人さんってやはり嫉妬……しますよね?
又吉 僕は高校卒業して、よしもとの学校(NSC東京校)へ入ったんですが、そこには500人弱いましたかね。成績優秀者だけがライブに出られたり、選抜クラスに振り分けられたりする中で、みんな嫉妬を感じていたと思います。
壇蜜 芸人さんが己が保てないくらい嫉妬した時は、ひたすら相手の受けているネタを見るしかない、って話を聞いたことがあります。本当ですか?
又吉 それは一例だと思います。僕はデビューしたての頃、嫉妬みたいな感情があったんです。同世代で世の中へ出て評価されている人を見てね。「あれ、自分がああなると思っていたのに、そうじゃなかった。自分はあっち側の人間じゃなかったんだ」と理解して受け入れるまでは嫉妬みたいな感情はありました。だけど、それ以降はあんまりないというか、そんな考え方をしないようになりましたね。ところが、そこに後ろめたさがあるんですよ。つまり、「なんで永田みたいに、全てを直視して、きちんと真っ向から傷ついていかへんねん」という声が僕の中にあるんです。
壇蜜 永田は額の向こう傷とか多そうですもんね。嫉妬するのを分かってても、正面から見ていくから。諦めても、まだ前を見るから。
又吉 僕も逃げるつもりはないけど、ちょっとズラして考えたりするじゃないですか。ハッキリ傷つく前に、「あいつらと自分は違う。じゃあ、何があんねんやろ。とにかく、自分の好きな事やるしかない」みたいな結論になるのが早かったりする。それを永田は全部受けに行くし、周囲にも当然「何逃げてんねん」って厳しくなるし。
壇蜜 永田の劇団の女優だった青山さんはいい餌食になりましたね。彼女は永田を傷つけもするわけですが。
又吉 僕からしたら、青山はわりと正論を言っているんですよ。でも、「そこまで言ったら反感買うよ」と思える発言を繰り返す永田には頑張ってほしいというか、僕は嫌いになれない。自分の周囲を見ても、僕をすごく気持ちよくさせてくれる人より、「なんでわざわざ、ちょっと傷つけてくんねん?」って人の方が友達に多い気がする(笑)。壇蜜さんは仕事面の嫉妬ってありますか?
壇蜜 29歳でデビューした当時、「君は土俵が違うから、他の子たちとは比べられないからね」って、DVDの監督やカメラマンからさんざん言われてきたんです。「君は浜辺で走って、バランスボールに乗ってはしゃいだり出来ないから」と。おかげで私は端からいろいろ諦めたので、「どうしてあの子には、あんな仕事があるのに、私だけずっとシャワーホースを体に巻きつけてロデオマシーンに乗らないといけないの」って嫉妬せずにすみました。
又吉 独特なお仕事をされてきましたね(笑)。
壇蜜 最初に「比べられないからね」と頭ごなしに言われたのが、結果として非常に良かったんです。言った人は、きっとヌードのDVDを撮りたいためにコントロールしようと思っていたのでしょうが、私の道が逸れていったので、いい教育だけしてくれて卒業した感じです。
又吉 それはラッキーでしたね。僕が嫉妬していた頃、「比べられないからね」と自分で思えるまで、やっぱり1、2年かかりました。今でも「それ、言い訳ちゃうか」「そう思うてるの、自分だけや」とか考えが揺れる時もありますからね。
壇蜜 本当に幸運だったと思います。毎回、ものすごく「君は勝負するところが違うんだから」とか言われ続けて。だから、コントなのかエロティックなのかよく分からないような撮影も「まぁ、いいか」と出来たんでしょうね。嫉妬は自分を成長させもするけど、ストップもさせますしね。
又吉 嫉妬で立ち止まってしまうマイナス面の方が多いかもしれないですね。最近は、何か言われていますか?
壇蜜 私たち、同い年ですよね(1980年生れ)。そろそろスポーツ選手だと引退する人も多くなってきて……。
又吉 お笑いで活躍している人は、マラドーナと同じ年代の人が何人もいらっしゃるから感覚が麻痺しそうになるけど、自分のことで言うと、体力や集中力がいつまで持つかなと思いますよね。
壇蜜 畑は違いますが、私も「今のままでいけるわけないじゃん」と思っています。すぐに劣化とか衰えとかって言われるだろうし。それでマネージャーに「いつまで出来るか分かりませんよ」って言ったら、「あ、大丈夫。しれっと脱げばいいんだから」と。これは「おお、第三者の意見!」って刺激になりました。
又吉 周囲に恵まれていますね(笑)。
壇蜜 又吉さんは恋愛方面ではあまり嫉妬されませんか?
又吉 昔はしていたけど、だんだん、「そもそも、なんで自分が好かれているっていう前提にしてたんやろ」と思うようになって、嫉妬しなくなりましたね。壇蜜さんは?
壇蜜 心のコスプレとして、わざと嫉妬することはあります。
又吉 36、7歳の男って、あんまり嫉妬せえへんのかなあ……。嫉妬しないということは、半身しか乗っていないというか、「まあ、こいつも他所で何してるか分らんし」とかわざと思って、自分が傷つかないように、半分くらいしか己を捧げていないのかもしれないですね。
壇蜜 私、敢えて「前の彼女になんて呼ばれていたの」って訊いて、その呼び名で呼んでいる時もありました。実は『劇場』の主人公と同じ苗字の人でしたが、彼を前の彼女のおかげでしばらく「ながにゃん」と呼ぶハメになりました(笑)。
又吉 いま思い出したことですが、お付合いしていた人の町へ遊びに行ったことがあるんです。高校時代のことです。そしたら、ある男の人にバッタリ会ったんですが、彼が僕とそっくりだったんですよ。見た目、恰好、坊主頭、もみあげの感じ、ママチャリの自転車と(笑)。彼女は決してその人を見ないし、その人も「あっ」みたいになっていて、僕は「ああっ、もうこれ100%そうやろ」と思って。それで実際、そうだったんです。
壇蜜 あ、彼女に訊いたんですね。
又吉 何となく訊きました(笑)。で、僕はその人に似ていたから、彼女に選ばれた可能性が高いな、と気づいた。体型もサッカー部の筋肉のつき方をしていたし、プロフィール書いたら、あの人とほぼ一緒やなと(笑)。
壇蜜 嫉妬しましたか?
又吉 しなかったと思います。ま、ちょっとショックはあったかもしれないです。「彼女の好きなタイプやから、2人は当然似ている」のならいいけど、向こうがオリジナルで、コピーとしてこっちが発見されたのなら嫌やなと(笑)。でも、いま久々に思い出したくらいなんで、そんなショックじゃなかったですよ。その夜、電気消した時に、ちょっと考え込んだくらいです。
壇蜜 お話を伺っていて思ったのは、永田は又吉さんみたいに明るく解消できる思考回路がないから、ひたすら内向してウジウジしちゃうんでしょうね。
又吉 だからまあ、永田は僕じゃない、ってことです(笑)。
壇蜜 永田は「まだ知られてなかった素顔の又吉直樹さん!」じゃないと(笑)。

(だんみつ タレント・文筆家)
(またよし・なおき 芸人・作家)
波 2017年7月号より

恋愛がわからないからこそ、書きたかった

又吉直樹

『劇場』を書き上げて

 この小説が自分の中で大きすぎたので、書き上げた今はすごい解放感で、まだ変な感覚なんですけど、やっぱりうれしいですね。解放感がありすぎて、通常の〆切の焦りがなくなって、いま仕事がいろいろ遅れています(笑)。
『劇場』を書き始めたのは、2014年の夏頃でした。冒頭60枚くらいを書いて一旦原稿を置いて、そこから『火花』を書いて、その後またすぐ取り掛かりたかったんですけど、別の仕事もあったりして、それを落ち着かせながら並行して進めて、ようやく出来上がりました。
 始めた時点では、まだ小説を書いたことがなかったので、一年の間に『劇場』と『火花』の二作を書けたらいいな、と思っていました。でも、『劇場』の冒頭を書いたところで、これは絶対一年では書き切れないな、と思って。どちらかというと『火花』は衝動的に書いた方がいいように思ったんですけど、こっちはもうすこし時間をかけてやりたかったので、そこで一旦止めたんです。

どうして演劇を書いたのか?

『火花』は漫才師の話なので、自分が知っている世界だったのに対して、『劇場』の演劇の世界は実際に知らないので、劇団関係者の方に話を聞いたり、個人的に取材させてもらったりしながら書いたので、どうしても時間が必要でした。
 演劇を書こうと思ったのは、まず演劇そのものが好きだったのがあるんですけど、もうひとつは演劇に向き合っている人に興味があったんですね。お金儲けをしたくて演劇を始める人って、あまりいないじゃないですか。本当に好きじゃないとできない、その純粋さに惹かれました。
 僕自身、神保町花月という吉本の劇場で台本を書いていたこともありますし、さらに遡ると6歳の時、父の誕生日に姉ふたりと3人で漫才を作ったことがあって、僕が言ったことを姉が紙に書いて、それを姉たちが父の前で読んだのがデビュー戦でした。「何がオモロイねん」って父には言われましたけど(笑)。
 その後、小学校で「赤ずきんちゃん」を関西弁にしてみんなでやったら、父兄にすごいウケたんです。人前で何かをやってみんなが笑うのは気持ちいいんやなって。それは僕にとってすごく大きな体験でした。それで芸人になったんですけど、自分で考えたことをお客さんの前や劇場でやるのは、演劇も近いですよね。
 演劇で食べていくのは実際かなり難しいし、医療関係の仕事でもないから、直接誰かの命に関わるわけでもないし、「なんでそんな大変なこと、苦しみながらやっているの?」「やめたらええやん」と思う人が多いかもしれないけど、僕は全然そう思っていなくて、ムチャクチャ意味があると思うんです。
 同時に、周囲に理解されない状況で自分の好きなことに取り組むのは、ある意味すごく身勝手なことだったりもして、実際それに振り回される周りの人もいるんでね。僕が昔から好きなテーマのひとつに「誰も悪くないねんけど、なんとなくみんな苦しんでる」というのがあって(笑)。そういう人を見るとほっておけないし、たぶん自分がそういうタイプの人間なので、どうしたらええんやろな、という悩みどころでもあって、僕にとって書かずにはいられない重要な主題でした。

恋愛がわからないからこそ、書きたかった

 スポーツ番組でご一緒している中畑清さんが「今度書いたの、恋愛小説なんだろ?」「おまえ、結婚もしてないくせに」とおっしゃっていて、「ほんまにそうやな」って(笑)。でも、恋愛小説は、恋愛がうまい人だけが書くものでもなくて、わからんから書く部分もあると思うんです。
 恋愛って何なのか、いまだに僕はよくわかっていないんですよね。一見シンプルなようで複雑な構造で。実際うまくいってないから結婚してないわけで、だからと言って、ほっとかれへんというか、どうでもいいわ、とも思えないんでね。
 自分が生まれ育ってきたことを振り返ると、両親がいるわけじゃないですか。両親が恋愛したかどうかはわからないですけど結婚して、そういう男女の関係性の上で僕が存在しているんで。やっぱり重要な永遠のテーマで、子供の頃から常に関心がある三つのことのうちのひとつに入っているのかなと思います。
 主人公の永田は沙希と出会って、彼女の存在に救われるんですけど、彼が演劇にのめりこんでいくにつれて、沙希との関係がどんどん変化していきます。「人間が変化する」というのも、僕がずっと気になっていることのひとつです。よくいつまでも変わらないと言われる人がいますけど、そこには覚悟や大きな意志が働いていると思うんです。人間って、普通は絶対変わるんで。いろんな影響を受けたり歳をとったり、そもそも世界自体が変わっていくから、自然にしていたら、そこに混ざる自分の色も一緒に変わっていくんです。
 恋愛の場合、自分が変わるだけじゃなくて相手も同じように変わっていくので、戻したくても、もう戻られへんことがあって、最初はふたりとも黄色だったのに、どんどんいろんな色が混ざってきて、わけわからん状態になることって、けっこうあるじゃないですか。それが書けたのは、やっぱり小説というあれだけ長い文章だからこそだと思います。

10代のとき書いた、幻の小説

 時間の流れや感じ方も、人によって全然違いますよね。みんな、これから先どうなるかは気にするけれど、すでに起こったことは、もう過去のことやからって、わりと割り切れるじゃないですか。僕は過去だからといって、なんかほっとかれへんというか。
 物事を判断する時も、今こうして36歳の僕がバトンを渡されているので、この僕に決定権があるんだけど、20代の頃だったら、全然違うジャッジをくだすかもしれなくて、この今の僕の一存で決めていいのかという迷いもあるんです。もしかしたら、20代の僕のほうが判断力が上だった可能性もあるじゃないですか。時間の経過と成長が一緒にあるというのを、いまいち信用できないところがあって。若い頃かっこよかったのに、おっさんになってダサいな、と思う人がいるように、自分がそうじゃないとは言いきれへんから。だから昔の自分が決めたことを、今の僕が簡単にやめてしまうのはどうなのかな、と思ったりもします。
 20代の下積み時代はとにかく時間があって、ひとつのことをずっと考えていられたから、僕にとっては必要な時間でしたね。当時は遊ぶ相手もいなくて、ひとりでずっと歩いているみたいな日常で、それがよかったんかなって。
 僕、ずっと小説は書けません、と言い続けてきたんですけど、なぜかというと、18、19の時に、百冊くらい本を読んできたし、小説一本くらい書けるかなと思って、原稿用紙になんとなく頭に浮かんだ物語を書き始めたら、全然書けなかったんです。それで「小説って難しいんやな」と思って、また本に戻ると、「書き出しってこんなに美しいんや」「会話のあとはこうやって地の文に戻るんや」って発見があって、読書がさらに面白くなって、これはもうとんでもない人たちの世界だから、自分は読む側に回ろうと決めた、という。
 その書きかけの原稿がこの間、引っ越しをした時に出てきて読み返してみたら、まったく覚えてなかったんですけど、今回の『劇場』と『火花』を足したみたいな設定だったんです。それでちょっと笑ってしまって。その頃の僕は、まだ上京したてで何も経験していなくて、想像で書いている部分が大きいはずなのに、不思議やなあって。

「書きたいこと」と「わかりやすさ」

 小説を書くのが難しいことは、理解していたほうだと思うんですけど、やっぱり小説って難しいですね。『火花』を書いて、「あ、こうやって小説って書くんや」という感触は確かにあったのに、今回『劇場』に向き合うなかで「あれ、どうやって書くんやったかな」と思うことは何回もありました。
「書きたいこと」と「わかりやすさ」のあいだで、どうやって書くか、ずっと考え続けていたような気がします。「新潮」みたいな文芸誌に載せていただく小説は、読者を意識しすぎるとよくないことは客観的にはわかるんです。僕も好きな作家さんには、読者を意識せず自分の書きたいことを全力で書いてもらいたいし、それを自分なりに楽しみたいので。
 ただ、自分が書き手にまわった時には、ムチャクチャ読者を意識したいんです。それはびびっているのとは真逆で、意識するほうが難しくなるから。自分の書きたいものを書いたうえで、なおかつ人に伝わるようにすることは、今回かなり意識して書いたつもりです。
 僕の情熱を伝えるだけなら、絵の具に手をつっこんで紙にバチンとぶつけて、「ここから僕の心を読みとってください」というのでもいいと思うんですけど、小説だから、文字と日本語を使っている以上、最大限伝えることから目をそらしたくないなって。そのへんを考え出すと、さらに大変になったというのはあるかもしれません。

『火花』が難しかったと言われて

 僕が読んできた本は、文体が工夫されているものが多かったので、『火花』のときも悩んだんですけど、編集者さんと話して、普通に書いて映像が浮かぶ文章も珍しいから、そのままでいいんじゃないかと言ってもらって、じゃあそのまま書こうと思ったんです。だから、『火花』では自分の思いをまっすぐ言葉にしたつもりだったのが、普段劇場に来てくれる方やテレビで応援してくださる方が読んで、ちょっと難しかったという反応を聞いて、少なからず僕は驚いたんです。自分では難しいと思って書いていなかったから。
 一方で、僕の好きな作家さんたちに「そういう声があって、気になっているんです」「せっかくお金出して買ってくれたのに、難しくてあまりわからなかったら、かわいそうやなと思っちゃうんです」と話したら、「『火花』はそんな簡単な話ではないかもしれないけど、言葉が複雑だったり難しいとは思わないし、そこまで合わせに行くとバランスを崩すから、気にしない方がいいよ」っていう声がほとんどで。
 その両者の意見を聞いて、「どうしたらいいんだろう」という思いはありましたね。そこには、僕が舞台に立ち続けてきたことも影響していると思うんです。たとえば、僕らのことをよく知っている100人くらいの人の前でやる場合は、自分の好きなひとりよがりなネタでも許されるんですけど、それが500人に広がっただけで、まったくウケなくなるんです。で、ウケないというのは傷つくんです。
 そこで、どうやったら楽しんでもらえるか、ずっと考えてきたので、だいぶ広い劇場に自分の小説を「今回これです」って持っていくときに、どうしようかなという思いは、正直ありました。

表現の場を求めてあがく主人公を書くことで

『劇場』の主人公はずっと表現の場を求めていて、自分の表現を突き詰めたいという欲求と、もっとお客さんを呼びたい、注目を浴びる大きな舞台でやりたい、という両方の意識が強いんです。でも、その場が与えられなくて、そのためにはもっと考えたり、作品の強度を上げたりしないといけないから、本人の責任も僕はあると思うんですけど、そうやってあがいている主人公を自分が書いていくわけです。
 そういう主人公の状況に対して、僕自身はムチャクチャいい劇場を用意されていて、みんなが「二作目書けるのか」と気にしてくれている状況で、何をびびってんねんって(笑)。そもそも芸人になるのを決めたのも、小説書くって決めたのも自分で、表現の場を求めていたはずの人間が、おびえている場合じゃないな、と。だから書き進めていく途中で、小説自体が僕を鼓舞してくれた瞬間が何度もありました。
 自信をもって仕上げたものを人前で発表できるのは、そもそも喜びで、もちろん恐怖も伴うから初舞台はすごい怖かったし、そういうものなんですけど、発表の場が与えられて、打席に立てることがどれだけ恵まれているのか僕自身よくわかっているんで。それこそ、10代や20代の頃の自分が厳しい状況に抗って、やめなかったおかげで今、僕の番が来ているから、それをちゃんと背負ったうえで作品にしないといけないな、という思いはすごいありましたね。

何度も書き直すなか、最後に生まれた場面

 一旦書き上げた後、時間をかけて推敲をして仕上げていきたい、というのは最初からお伝えしていました。そのほうが間違いなくよくなるだろうと思ったのと、お笑いでネタをつくるときも、何回も直すなかで新しい発見があって、そこから広がっていくことがあるのを経験していたので、小説でもやってみたいなと思ったんです。実際に直していくなかで大きく発展して膨らんでいったところもあったし、逆に削ったところもありましたが、それはもう絶対やってよかったなと思います。
 この場面はもっと詳しく書き込もうという直しの段階で、考え込むことはあまりなかったかもしれません。その時点で小説のなかで書いていることと同じくらい、書いていないことも、もうすでに作品の世界のなかにはあったので、どこを出してどこを引っ込めるかを考えればよかったんだな、というのは今回、推敲を重ねるうちにわかったことでした。
 印象深い場面はどこか、と聞かれると、思い入れがあるところはいっぱいあるんで、どこかな。「あそこがよかった」と言ってもらう場面が人によって違ったりして、全部うれしいんですけど(笑)。最後の最後に書き足した、永田が演劇をやっていくうえで、自分は「こんな瞬間に立ち会うために生きているのかもしれない」と感じる高円寺の駅前の場面があって、そことかは好きですね。
 あそこがあることで、永田のことをすこしだけ好きになれるというか。終始、おまえ何してんねん、と言いたくなるような男なんですけど、ああ、こういう一面があるんやったら、わからんでもないなって。小説の精度や強度として、どのくらい読者に伝わっているのかはわからないですけど、自分としては好きですね。

(またよし・なおき 芸人・作家)
波 2017年5月号より

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