立ち読み:新潮 2023年11月号

第55回新潮新人賞受賞作
海を覗く/伊良刹那

 海を見た人間が死を夢想するように、速水圭一は北条司に美を思い描いた。二人が交流を深めたのは高校二年生の春のことだった。始業式直後に隣の席に座った男の横顔の精緻さを、速水ははっきりと記憶している。秀でた額と一直線に筋が通り先の尖った鼻。控えめな唇の艶やかな赤が白い肌に浮かんでいた。その横顔は速水の知る中で最も人間から遠い美、最も単純な美だった。人間というより、人間の形をした石像のようだった。そんな単純な美貌が速水に絵画を眺めるときのような恍惚を与えたが、彼は美術部の一人で芸術を知っていたから、その美に介入することの愚かさも知っていた。それは広く雄大な海がたった一滴の血液で、その青さを損なうような、失意にも似た感覚だ。美は自己や客体といった要素が一度でも介在すると一瞬にして瓦解し、二度と美として顕現しないと速水は信じていた。たとえその要素がどれほど高尚な美徳でも悪徳でも、久遠の美に立ち入ったその瞬間にそれらは夾雑物であり、瑕瑾にしかならない。透き通り静謐とした独立不羈な美。自己の主張も他者の主張も意に介さない無関心の美徳。そのような本人すら自覚しない北条の人を魅了する本質を、速水は初対面でその見目形から的確に読み取っていた。その美の瓦解を許したくないがゆえに、最初のうちは眺めるに留め、それほどの交流もなかった。
 当然、それほどの美貌が校内で注目されないわけもなく、速水も北条の存在を入学当初から認知していた。北条自身はというと、他人からの視線や情念を憂いていたというより、それらの熱意にまるで関心がなかった。そしてそれを恥じることもなかった。北条はその人間的感情の不足から、人から好かれようとも嫌われようとも泰然自若の態をまるで崩さず、それがかえって、北条の透明な輪郭をよりはっきり、もしくはより曖昧にした。北条の関心は感情にもそれを内包する人そのものにもなかったのだ。熱意や陶酔からは全く離れたところに北条はいた。色白の肌と冷ややかで疲れを帯びた眼差は、北条の観念が肉体に作用していたというより他にない。まるで海のような男である。いかに身を捧げてもその深さには拒まれ、幽玄で無量の潮水が流水と静水で常に入り乱れているように、一貫性がないという点のみが一貫している。そして、滄海に血液が一滴とてしたたることを許さない。自身の静寂さを無自覚ながらに理解した堅牢な檻の中に住みながら、不自由など一切感じさせない姿を保つのだった。
 だが北条はまるで感情の欠落した人間ではない。あらゆることに無関心であり、無関心にすら縛られない人間であるから、速水が彼に感じる芸術性などは彼にとっては存在の有無すら疑われた。疲れた眼差のまま笑ってみせたり、色白の肌を日の下に晒しながら体育の授業を受けたりすることもあった。その微妙な矛盾が北条のアンニュイをより巧妙にした。その一面によって北条のほうから隣席の速水に話しかけたのは、いたって自然な流れといえるだろう。
「速水って海好き?」
 速水は口下手な男ではないが、この質問には動揺し、やや吃った。速水は芸術家としての自負はあったが、自分が天才でないことを理解していた。表現は些か凡庸さを抜け出してはいたが、感性は平均的であった。それゆえ、初対面の人間との会話は当たり障りのない、言葉の浪費としかなりえない、会話と呼ぶにはあまりにも粗末な代物であるのが常だったのだが、それとは対照的に北条の質問は人に性癖を問うようなものであった。速水にとって海はあらゆる生命の根幹であり、あらゆる官能の根幹であった。その好みの答えはまさに、人間が社会で生きる以上はみ出すことの許されない白線が何処に引かれているのかの答えと同義だった。
「すっ好きだけど。どうして?」
「そっか。俺も」
 どうして、の部分にすぐには答えないところに、北条の無邪気な身勝手さが垣間見えた。
 だが、すぐに北条は続けた。
「美術室に飾ってた海の絵。速水圭一って名前も合わせて記憶してたんだ。暗い海の美醜が写実された、いい絵だった」
 一年生の時に既にお互いの名前を認知していたことを知ると、速水は少し悦に入った。それと同時に感嘆した。その海の絵は大したものではなく、何か大きなきっかけや感慨があって描いたわけでもなかった。確かに速水と海との距離の暗示も見られる絵だが、根本は構成とデッサンのための写生である。見たままの海、凡庸な自然である。速水は見たものを精緻に描くことに長けていたが、犀利な認識は常に外界に向けられ、内省的でありながら自分の感性を深く認識することのない仮面の性質によって、どれだけ美しい絵画も、そこに込められた発想より写生の精密さのほうが注目をあびるに相応しい代物だった。だが北条は海という自然描写の透明すぎる抽象性と官能の中に、写実的な美醜を観たのだ。それはまさに行動の世界に生きる者にのみ許される視覚であった。行動を軽蔑する優美な本能と生きながら、北条は行動による物象の輪郭すら知覚する。速水は北条の表現が凡庸でありながら、その裏に鑑賞の才が潜んでいることに気づき、慄いた。

(続きは本誌でお楽しみください。)

[→]受賞者インタビュー 伊良刹那/あんな綺麗な文章を書いてみたい――Z世代の「美」の物語