立ち読み:新潮 2022年1月号

現代語訳「紫式部日記」/古川日出男

 あなたはいまからわたしの日記をのぞこうとしています。そうしてもらってけっこうです。けれども心がまえというものはほんの少しだけいるかもしれません。なぜなのかをお話しします。たとえばわたしがひとこと「あそこの女房がね」などと口にしたら、あなたは、いかがでしょう? たちまち「それって、どのひとのワイフのことだろう?」とかんがえたりはしませんか。これはゆゆしい事態です。いま、わたしはAのことをAとして伝えようとしたのです。なのにあなたはそのAをBのことだと曲げてかんがえたのです。もし、ちがうことばだったらあなたはきっと、いっしゅんをおきました。たとえばわたしがかりにつぼねと口にしていたら、あなたはツボネとはなんだろうと眉をひそめますよね? その語をごぞんじなかったら。いきなり曲げて理解したりはしません。
 局とは、ひとつひとつ、べつべつにしきられた部屋のことです。
 女性にょしょうのための部屋です。つとめさきでの。
 これとおなじ文脈でつかわれる語にぼうがあります。房とはひとつひとつ、べつべつにしきられた部屋で、これを「女性のために」と限定すると――女房、となります。ほら、あなたもだんだんとAのことをAとしてイメージできはじめているのではないかなとおもいます。もっといいます。こうした職場のプライベート・ルームをあたえられている女人にょにんたちのこともまた、おなじその語――女房、であらわします。
 これなんです。わたしのいわんとしたAは。
 ぜんぜんワイフではないんです。
 もちろん、いっていたひとたちもいるかもしれない、ワイフってつもりで。けれども少数派です。
 こんなふうな主張をいれると、あなたは「こだわってるなあ」とか「なんだか、こじらせてるなあ」とかおもいますか? つまりわたしが、女房とワイフとに。もし、おもうのでしたら、あなたはただしい。わたしはワイフであることにも女房になってしまったことにもこだわっているし、一時はこじらせましたから。さっき「勤務さきのプライベート・ルームが、局だ。房(女房)だ」といいました。だからプライベートつながりの話をすれば、わたしは宣孝のぶたかのワイフでした。いつの時代に、という説明をするばあいにはこよみはクリスチャン暦がいいですか? あんまり西暦にはなじめないのですけれど。たぶん九九八年です、むすばれたのは。でも、一〇〇一年に、彼は、もう、死んだのです。わたしの夫は。つまり結婚生活はわずかに三年みとせほどですよ。わたしは以来、ずっとシングル・マザーです。この死別以来、わたしはいつも感傷的ブルーで、グルーミィです。
 ちなみに一〇〇一年って長保ちょうほう三年です。
 この日記は長保年間にはまだ書かれていません。長保年間にはまだ、わたしは出仕もしていなかったし。出仕するというのは、宮づかえする……実家さとをでて仕事をするということで、まさに「女房になる」の意味です。長保年間につづいたのが寛弘かんこう年間でして、たしか西暦にかえると一〇〇四年のどこかから一〇一三年のどこか? この時代にわたしは、この日記に手をつけています。それから『源氏物語』にはもっとむかしから手をつけています。だからわたしは、この日記のために筆をとった当時にはこう名のれたわけです。「わたしは中宮ちゅうぐうさまの女房である者でして、またフィクション・ライターでもあります」と。けれども、この自己紹介をもちだしたとたんに「それって、だれのワイフ? ごめんなさい、あたまの部分がちょっと、わからなかった。聞きもらしたのかも」とあなたにいわれでもしたら、――いいえ、かんがえられでもしたら、とわたしは懸念もしました。あなたは中宮ということばになじみはありますか? この語がなにをさすのか。だれをおしめしするのか。いまのように敬語をもちいれば「えらい人間ひとなのかな?」とおしはかることはできますよね。はい、そうなんです。あなたは、皇后という語はもちろんごぞんじですよね。
 そう、天皇のワイフです。
 中宮もおんなじなんです。
 やっぱり天皇の、みかどのワイフなんです。
 ご身分としてどちらが上位だということはありません。じっさい長保年間には、皇后さまがいらっしゃって中宮さまがいらっしゃった。お一人の帝にお二人のきさきでした。この日記は、現代語訳にとどめずに英語などによる考察もほんの少しまじえましょう。もし、天皇をエンペラー(the Emperor)と英訳するのならば、皇后も中宮もともどもにエンプレス(the Empress)になる、と、まあ、そういうことです。
 これで、だいぶAのことをAといっても曲がらないというところにこられたとおもいます。わたしはエンプレスである中宮さまにつかえる、職場にプライベート・ルームをもっている女性にょしょうです。そして『源氏物語』を著わしたフィクション・ライターです。この作り物語――フィクション――をまだ筆をとどめずに書いています。職場はいずこでしょうか? いまは中宮さまのお父上のおやしきです。この「いま」というのは日記のオープニングのあたりでは、ですね。中宮さまのお父さまについての情報もお伝えします。藤原道長ふじわらのみちながさまです。おん年は四十三で、もちろんこれは数え年ですけれども、ですから一歳か二歳をマイナスしてイメージしてもらうことが満年齢の「現代」を生きている人間には必要ですけれども、目下左大臣さだいじんでいらっしゃいます。よわい四十三にして、はや政界の最高権力者です。この道長さまのお邸は土御門殿つちみかどどのと呼ばれています。けれどもわたしは道長さまをしょっちゅう「殿との」といいますので、ここはやっぱり、混乱をさけ、土御門殿ならぬ土御門邸としましょう。どうして中宮さまは、エンプレスであるのに内裏だいりにおられないのでしょうか? これは「里下がり」のためでした。ご懐妊のことがあって――帝のお子です――中宮さまは実家さとにもどられたのです。そのために中宮さまのアテンダントだともいえるわたしたち女房たちは、みなみな土御門邸にうつったのでした。
 このようなわけでわたしは、いま、南北二町の豪邸マンションである土御門邸におります。

 いい落としてはならぬことを、一点。
 あなたは日記のオープニングからのぞきますが、この日記のほんとうの出だしは、欠けています。しかたがないことです。西暦の一〇一〇年だのに書いたのですから。それはやっぱり散佚さんいつだの欠落だのはします。そこをわたしが書いて埋めてしまってもいいのですが、しかし正確におもいだせるかどうか。また、おもしろいかどうか。この「おもしろいかどうか」は重要です。なぜって、冒頭部の欠落したこのわたしの日記が、「いいや。冒頭にはけっして欠け落ちた文章(記事)はない」といわれることもあって、それは、「この出だしはおもしろいのだから、いかにもここから書きだされたのである」と主張されているからです。そういわれても、これは日記です。つまり、フィクション――『源氏物語』――とおんなじような気合いはいれていません。わたしがかなめとしていたのは、一点めは記録で、それからいま一点が、その日その月その年の、グルーミィさのちかさととおさ。こうした要点をふまえたら、あとは縛られないでいい。そのようにかんがえていました。だって日記なのですから。
 それと、もちろん、「書かれてしまったら、読まれる」とはおもっていました。
 あなたにも、とはおもわなかったけれども。
 さあ、いきます。
 現代語訳です。

 土御門邸に秋が来る。しだいしだいに入りこむ。すると邸内は風雅な趣きでいっぱいになる。しかも、どこがどう風情ふぜいで、なんて、あんまり的確にはいえない。でもいってみる。池(ここには池があるのよ)の岸辺の樹々きぎの梢。その池に水を通している細い水路、これは遣水やりみずというのだけれど、そのほとりの草むら。それぞれが一面に色づいている。そして空――空の一帯。その深みのある美しさといったら。こうした草木だの秋晴れだの、夕映えだのにひきたてられながら、いちだんと心にしみるのは、読経だ。ご安産をねがって一時いっときもやまずにつづいている僧侶たちの声。それは昼夜間断ない。ほんとうに「一時もやまずに」なのだ。夜の話をするならば、夜は、風がすずしさをまして、いつでも遣水が、さらさらさら……といって(このせせらぎ音も絶え間ない)、それが夜通しの読経と溶ける。風音とせせらぎと経読みのハーモニー。
 そして中宮さまのこと。初産ういざんをこの晩秋にも控えていらっしゃる中宮さまのこと。わたしたち女房たちはおそばにいて、とりとめのない雑談をする。それを中宮さまはお聞きになって(お年は二十一です。数えで)、ほんとうは大儀たいぎなのだろうとおもう、もうお身重もお身重だもの、なのにそうしたご様子はあらわされない。なんでもないわ、お前たちも心配しないで、とわたしたち女房たちに暗黙裡にいわれている。そこがほんとうにご立派だ。ということだって、この日記に書いたら「いまさら」でしょう。ただ、この憂鬱な世の中には、こういうお方をわざわざお探ししてでもおつかえする、というのが、やっぱり慰めだ。わたしはなにをいわんとしている? わたしは、わたしのふだんの心もちがとっても感傷的ブルーだといい、感傷的ブルーでグルーミィなのだと確認し、にもかかわず中宮さまのお側においてもらえると、そのさがわすれられるのよ、といわんとしている。不思議だ。

(続きは本誌でお楽しみください。)