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あの秘密の裏道を通って、わたしは本当の人生を漕ぎはじめる。

マザリング・サンデー

グレアム・スウィフト/著 、真野泰/訳

1,836円(税込)

本の仕様

発売日:2018/03/30

読み仮名 マザリングサンデー
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Mayumi Tsuzuki/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 172ページ
ISBN 978-4-10-590145-5
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品
定価 1,836円

一九二四年春、メイドに許された年に一度の里帰りの日曜日(マザリング・サンデー)に、ジェーンは生涯忘れられない悦びと喪失を味わう。孤児院で育ち、帰る家のない彼女は、自転車を漕いで屋敷を離れ、人目を憚らず恋人に逢い、書斎で好きなだけ本を読む。そこに悲報が――。のちに著名な小説家となった彼女の、人生を一変させた美しき日をブッカー賞作家が熟練の筆で描く。

著者プロフィール

グレアム・スウィフト Swift,Graham

1949年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学卒業後、ヨーク大学でも学び、英語教師を経て、1980年、The Sweet Shop Ownerで作家デビュー。1983年、文芸誌「グランタ」によって、ジュリアン・バーンズ、イアン・マキューアンらとともに「イギリス新鋭作家20傑」に選出される。同年刊行の『ウォーターランド』でガーディアン小説賞ほか受賞、1996年、『最後の注文』でブッカー賞ほか受賞。その他に『この世界を逃れて』などがあり、10作目の小説となる『マザリング・サンデー』は、「最良の想像的文学作品」に与えられるホーソーンデン賞を受賞した。

真野泰 マノ・ヤスシ

1961年生まれ。学習院大学文学部教授。訳書にグレアム・スウィフト『ウォーターランド』、『最後の注文』、ジュリアン・バーンズ『アーサーとジョージ』(共訳)、イアン・マキューアン『夢みるピーターの七つの冒険』、ジョン・マグレガー『奇跡を語る者がいなければ』など。

書評

彼女が自由へと超越していく日

酒井順子

 イギリスのメイドの世界における“マザリング・サンデー”は、江戸時代の丁稚にとっての藪入りのような日だったようです。藪入りは盆と正月の2回ありましたが、マザリング・サンデーは年に一度、メイド達が母親のところに戻ることを許された日。
 この物語は、1924年3月のマザリング・サンデーの1日を描いています。使用人達がいなくては家事がまわらなくなるのが、ご主人様達の世界。その日は家で食事をすることができないので、シェリンガム家、ニヴン家、ホブデイ家の夫婦が誘い合い、遠出をして昼食会を開くことになりました。
 使用人は母親のところへ帰り、主人達も昼食会へ。となれば3軒の屋敷には誰もいないはずです。しかしその時、シェリンガム家では、1組の男女が一糸まとわぬ姿でたわむれていました。それは、その家の息子のポールと、ニヴン家のメイドであるジェーン。
 ジェーンは孤児であり、マザリング・サンデーに帰る家がありませんでした。ジェーンと数年前からそのような関係にあったポールは、マザリング・サンデーで家が空いたからこそ、初めて彼女を自らの屋敷へと呼び入れたのです。
 2人の間には、厳然とした身分の差がありますが、服を脱いだ関係において、身分差は問題になるものではありません。しかしポールが婚約しているのは、昼食会に参加しているもう1組、ホブデイ夫妻の娘。ジェーンとの事が済めば、彼は婚約者との約束へと向かうのです。
 男性側から見た時、性的興奮が高ぶる相手の順位として「一盗二婢」という言葉があるようです。すなわち、他人の妻を盗むのが1番、婢に手をつけるのが2番、というように(三妓四妾五妻、と続くらしい)。
 ポールにとってジェーンは、自分が雇用しているわけではないものの、「婢」。他人の妻ではないものの、他人の使用人ということで「盗」にもあたるかもしれません。いずれにせよ、他家のメイドとそのような関係を続けるということは、お坊っちゃまにとっても、またメイドにとっても大胆な越境行為であり、だからこそ行為がもたらす興奮も激しかったものと思われます。
 しかしポールがジェーンを屋敷の中に入れ、あまつさえ自分のベッドに招き入れたという行為は、越境の度が過ぎたのでしょう。ジェーンという異物がシェリンガム家に入り込んだことによって、何かのバランスが崩れ、そこから物語は、思わぬ方向へと展開していくことに。
 事が果て、婚約者に会うために出かけていったポールと、他家の屋敷に裸のまま残されたジェーン。彼女は裸のまま、屋敷の中を歩き回ります。衣服をつけていない彼女は、身分の差のみならず、あらゆる縛りから自由になっていたのであり、その時の彼女の経験が、その後の人生を変えていくこととなる。
 6月のような天気だった、マザリング・サンデー。その日、22歳のメイドであったジェーンの中には、「種」が蒔かれたのです。それは、性行為の結果という身も蓋も無い意味での、「種」。そしてもう1つ、自分が自分であるということを確認した彼女が、その先の人生という枝葉を伸ばしていくための「種」が。
 階級の壁を越境した男女の関係を描く小説は、珍しいものではありません。そんな関係が性的興奮をもたらすことも、私達はよく知っている。上つ方の性的玩具にされた「下」の階級の女性はたいてい、可哀想な被害者として描かれるものですが、本書はそうではありません。人目を避けて越境していただけの階級の境界線を、マザリング・サンデーをきっかけとして、彼女は超越していくこととなりました。
 長生きをしたジェーンは、その日のことを思い返すことがあります。名前すら親から与えられずに捨てられた彼女は、マザリング・サンデーに、おそらくはもう一度、「生まれた」のです。セックスはただ、一時の快感をもたらすだけではない。セックスの結果として残された種はやがて発芽し、実を結ぶことを、この物語は示すのでした。

(さかい・じゅんこ エッセイスト)
波 2018年4月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼Sakai Junko 酒井順子
一九二四年三月のとても暖かなマザリング・サンデーに、イギリスのとある屋敷の中を一人で、そして全裸で歩いていた、若い女性。彼女は、他の屋敷で働くメイドです。勤務先でもない屋敷を、彼女が裸で歩くのは、何故か。彼女が裸で歩む先は、どこなのか……。それは誰しも人生を振り返れば必ずある、自分にとって特別な日。彼女のそんな日を演出するのは、セックスと死でした。読みながら、自分もまた裸で屋敷の扉を一枚ずつ開けていくような気持ちになる物語。人生の扉は、マザリング・サンデーの後も、続くのです。

▼Kazuo Ishiguro カズオ・イシグロ
至妙。『マザリング・サンデー』は愛と情欲、そしてイングランドの理不尽な階級制度の壁に立ち向かう真っ当な庶民の生き様を描いている。

▼The New Yorker ニューヨーカー誌
性と知に目覚めるおとぎ話。

▼The Independent インディペンデント紙
『マザリング・サンデー』はインスピレーションの泉に対するコンラッドふう賛歌であり、この一見したところからは予想もできないほど精緻な小説のページの中には、スウィフトが師と仰ぐコンラッドの声がこだましている――「私に正しきことばと正しき調子を与えよ。さすれば私は地球を動かしてみせよう」。

▼The Times タイム紙
『マザリング・サンデー』は、スウィフトが書くすべての作品と同様、スウィフトが以前に書いたどの作品とも全く違っていて、読者はえも言われぬ仕方でじらされる。

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