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リベラリズムへの不満

フランシス・フクヤマ/著 、会田弘継/訳

2,420円(税込)

発売日:2023/03/17

  • 書籍
  • 電子書籍あり

『歴史の終わり』から30年。自由と民主主義への最終回答。

リベラリズムが右派のポピュリストや左派の進歩派から激しい攻撃を受け、深刻な脅威にさらされている。だがそれは、この思想が間違った方向に発展した結果であり、本質的な価値に疑いの余地はない。多様な政治的立場を包含する「大きな傘」としてのリベラリズムの真の価値を原点に遡って解き明かし、再生への道を提示する。

目次
第1章 古典的リベラリズムとは何か
第2章 リベラリズムからネオリベラリズムへ
第3章 利己的な個人
第4章 主権者としての自己
第5章 リベラリズムが自らに牙をむく
第6章 合理性批判
第7章 テクノロジー、プライバシー、言論の自由
第8章 代替案はあるのか?
第9章 国民意識
第10章 自由主義社会の原則
訳者あとがき
原注
参考文献

書誌情報

読み仮名 リベラリズムヘノフマン
装幀 石間淳/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-507321-3
C-CODE 0098
ジャンル 政治
定価 2,420円
電子書籍 価格 2,420円
電子書籍 配信開始日 2023/03/17

書評

あのフクヤマが書く堂々たるリベラリズム論

宇野重規

 タイトルは『リベラリズムへの不満』であるが、内容は堂々たるリベラリズムの擁護論である。ただし、あのフクヤマが書くリベラリズム論である。右派のポピュリズム、左派のアイデンティティ政治によるリベラリズム批判に応えつつ、ジョン・ロールズに代表される現代アメリカのリベラリズムともはっきりと距離を取る点に特徴がある。ロールズの立場が中道左派的なリベラリズムであるとすれば、フクヤマは中道右派的なリベラリズムとも言える。コンパクトな本であるが、極めてバランスの取れた「王道」的なリベラリズム論であろう。
 フクヤマというと、冷戦終焉時に論文「歴史の終わり?」(後に『歴史の終わり』として刊行)を執筆し、自由民主主義の最終的勝利を唱えたイデオローグとして理解する人もいるかもしれない。しかしながら、訳者あとがきで詳述されているようにフクヤマの「世界的論客としての息は長い」。特に二一世紀になってからでは、『政治の起源』と『政治の衰退』(原著はそれぞれ、2011、2014年)が重要である。
 人類史レベルでの政治の発展を展望するにあたり、フクヤマは古代ギリシア・ローマではなく、中国においてこそ「国家」の発展が見られたとする。その一方、政治の発展を評価するにあたっては、「国家」の発展だけではなく、「法の支配」と「民主的アカウンタビリティ」が重要であると論じる。この三つの要因で現代政治も捉えるフクヤマは、「法の支配」による権力均衡が行き過ぎるアメリカと、「法の支配」や「民主的アカウンタビリティ」に欠ける中国を対比する。現代政治学の達成をバランスよく総合したこの枠組みは、権威主義国家の台頭が見られる今日、ますます有力な分析手段となっている。
 本書『リベラリズムへの不満』についても、同様な印象がある。左右の攻撃から古典的リベラリズムを擁護するのみならず、今後の政治的議論の立て直しのための説得的な見取り図を提供しているのが魅力的である。
 フクヤマに言わせれば、現代のリベラリズム批判は、その思想的本質を否定するものではない。むしろ特定の解釈によって極端化したことが問題であり、だとすれば必要なのはリベラリズムを「穏健化」することである。先ほどの政治の三つの要因について言えば、リベラリズムの本質は「法の支配」であり、「民主的アカウンタビリティ」とともに「国家」を制約することが重要である。現代の権威主義者が権力分立を攻撃し、司法を私物化しようとしているのを見れば、「法の支配」をあらためて強調するフクヤマの意図は明らかだろう。
 古典的リベラリズムにおいて重要なのは多様性を統治することにあり、寛容こそがその理念になる。「法の支配」は財産権とともに経済発展を支えたが、現代の新自由主義は適切に法を執行する国家までを敵視するに至っている。新自由主義による過度な不平等がリベラルな民主主義を脅かしていることに明確に批判的なのも本書の特徴の一つである。
 一方でジェンダーやエスニシティなどの差異の問題をリベラリズムが正当に扱っていないという左派のアイデンティティ政治からの批判に対しては、リベラルな国家が多様な集団を承認し、法的地位を与え、財政的支援を行なっていることを確認しつつも、リベラリズムの対象があくまで個人であり、集団ではないことも強調する。
 リベラルな社会は事実に基づく開かれた科学的な検証を不可欠な要素とする。これに対し、現在のネットに溢れるのは、「自分が好む現実」に対する強い志向によって「動機づけられた推論」である。フクヤマが「科学」を信じるのでなく、自由で開かれていて、経験による検証や反証に依拠する「科学的方法」を信じることが重要であるとしているのも注目される。
 最終的にフクヤマは、多様な人々が良き生き方について合意できないことを前提とするリベラルな社会において精神的な空虚が残ることを認めつつ、リベラリズムの原理と政府の形態に代わるものがないことを結論づける。またリベラリズムの普遍主義がナショナリズムと緊張をはらむことを見据えながらも、「法の支配」に必要な強制力を持つ国家と、人々の連帯や忠誠心の源泉としての国民国家を認める。やはりリベラリズムにとって、国民にサービスを提供し、富や所得の再分配を行なう、質の高い信頼に値する国家が不可欠なのである。
 最後にフクヤマが言及しているように、本書の結論は実に「中庸」である。しかしながら、学知に支えられたバランスのいい「中庸」が、現在求められている。そのことを思わせる一冊であろう。

(うの・しげき 東京大学教授)
波 2023年4月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

1952年生まれ。アラン・ブルームやサミュエル・ハンティントンに師事。ランド研究所や米国務省などを経てスタンフォード大学シニア・フェロー兼特別招聘教授。ベルリンの壁崩壊直前に発表された論文「歴史の終わり?」で注目を浴びる。主著に『歴史の終わり』、『政治の起源』、『政治の衰退』など。

会田弘継

アイダ・ヒロツグ

1951年生まれ。東京外国語大学卒。共同通信社でジュネーブ支局長、ワシントン支局長、論説委員長などを歴任し、2023年3月現在は関西大学客員教授。アメリカ保守思想を研究。著書に『追跡・アメリカの思想家たち〈増補改訂版〉』(中公文庫)、『破綻するアメリカ』(岩波現代全書)、『トランプ現象とアメリカ保守思想』(左右社)、『世界の知性が語る「特別な日本」』(新潮新書)などがあるほか、訳書にフランシス・フクヤマ『政治の起源(上・下)』『政治の衰退(上・下)』(ともに講談社)、ラッセル・カーク『保守主義の精神(上・下)』(中公選書)などがある。

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