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「はじめに」全文公開

はじめに ロボットと人工知能が出会うとき

 あなたが本書を手にしたのはさまざまな理由によるでしょう。「セックス」という言葉がひっかかった人もいれば、ロボットや人工知能という言葉の組み合わせが気になった人もいるでしょう。SF小説の定番テーマでもあるその2つの言葉の合流は、今や科学的に現実味を帯びつつあります。表紙でこの本に決めた人もいるかも……? もしくはいたずら気分で、誰かにプレゼントして赤面させるつもりで買った人もいるかもしれません。この本をプレゼントとして受けとった人、おつかれさまです。
 一方、こうしたテーマが果たして本当に科学的な意義を持ちうるでしょうか。疑わしく思う人もいるでしょう。至極まともな疑問ですし、できれば続く10章のなかで、驚きのエピソードや発想、そして科学や最新技術を紹介させていただき、この本で紹介される一見わけのわからない話題には、それ以上のものが潜んでいたのだと示せれば幸いです。
 この数年間、セックスロボットについて報じる記事が次々と新聞や雑誌を賑わせてきましたが、私はそのほとんどに目を通してきました。というよりも、それらの記事のほとんどは私自身か、私の顔見知りの“ロボセクソロジスト仲間”──たった今つくった造語です──によるものでした。こうしたニッチで際どいテクノロジー分野の専門家の代弁者になろうとは、少なくとも2‌01‌5年くらいまでは考えたこともありませんでした。それでもひとたびセックスとロボットという2つの単語を組み合わせてみると──想定した通りではありますけど──多くの人たちが即座に激しい拒否反応を見せました(とは言え、本書が目指しているのは、ただこの2つの言葉のスキャンダラスな組み合わせで人を驚かせるということではありません。卑猥な言葉を求めて読まれているのだとしたら、ほぼ間違いなく期待外れに終わりますので、ご注意を)
 本書の題材はセックスに限定するものではありません。ロボットや人工知能という題材に限っているわけでもありません。本書は愛情表現とテクノロジーについての本であり、コンピュータと心理学についての本でもあります。あるいは歴史と考古学、愛と生物学についての本でもあります。近未来と遠未来、SF小説でいうユートピアとディストピアについても語るべきことは多くありますし、孤独と友情、法と倫理、個人と社会について書かれた本でもあります。そしてなによりも、機械が溢れる現代世界における、人間についての本なのです。

 私のセックスロボットの研究は世の多くの名案と同じく、居酒屋での他愛ないおしゃべりから始まりました。ヨーロッパで行われた認知科学とロボット工学に関する学会に参加した時のこと。そこには人工知能の研究者が大勢集まっていました。ふつう、学会が終わった後の打ち上げでの会話は、人間の存在を根本からバラバラに分解して議論するような話になりがちなのですが、その場に哲学者がいるとその傾向はさらに強くなります。そして哲学者の友人を持つ利点を1つだけ挙げるとすれば、それは人間存在に関する根源的な考えを聞けることであり、認知科学関連の学会のいいところを1つだけ挙げるならば、哲学者が大量に参加していることにあります。
 そこで交わされた会話のディテールは、いまやぼんやりと霞んだ陽気なアルコールのもやに覆われてしまいましたが、人が人である根拠や、人が生きていると実感する要因だったりを議論したような記憶が(なんとなく)残っています。学会自体のテーマはテクノロジーに思考を持たせるための方法論、つまり「人工認知」の可能性について、というものでした。それを実現するには(つまり、それまでに遭遇したことのない環境やシチュエーションに置かれたとしても、しっかり対応できる柔軟な機械をつくるためには)、まず私たち人間がどうやってそれを実行しているのかを整理する必要があります。とはいっても人間の認知や反応を真似させて、そのままロボットに適用させたいわけでもありません。それも1つの手なのでしょうが、せっかくのコンピュータ駆動の機械なのですから、もっと効率がよく、もっと最適化された手法があるかもしれません。その手法を検討する前に、私たち人間がどうやってこれらに対応しているのか、その解釈が先決されなくてはいけません。何百万年もの進化を経てきた私たちですが、まだ自分たちのことでわかっていないことが、山ほどあるのです。
 私たち人間は、きれいな家を建てて、そこにセンスのいい家具を置いたり、お洒落なコーディネートで着飾って、髪の毛が乱れていないか気にしたりと、あらゆる洗練を目指していますが、どんなにがんばっても野性の本性を完全に除去することはできません。劇場やワインバーでデートしている間くらいは、自分たちを高尚で都会的だと思いたいだけ思っていただいても構わないのですが、私たちは人とのつながりを求める単純な生きものでもあります。そしてそのつながりとは、恐らく(というよりほぼまちがいなく)裸の物理的な接触をともなう“つがいの儀式”でしかありません。セックスは人間にとって大きな部分を占めているのです。だからこそ私たちは何百万年とその存在を継承し、今ここにいるのです。あの、脳天が沸き立つような快感の興奮には、良識を紙屑みたいに捨てさせてしまう力があるのです。肉体の一部としてしっかりと組み込まれている本質的な力に抗うのは容易ではありません。私たちの思考そして行動は、セックスの影響を強く受けています。私たちの知覚や認知機能も影響されている。その上、セックスは楽しい
 こうした会話をさかなにお酒を飲みながら、私たちは答えのない疑問を、そして取り組みたい謎について論議していたのでした。たとえば私たちの世界の捉え方、世界の理解の仕方はセックスに影響されているのか? そしてセックスのもたらす効果を人工の認知システムにも認知させるべきなのか、認知させるべきでないのか? 人間のように振る舞うよう設計されたロボットに、性欲を持たせるべきなのか? 欲望は設計できるのか? 性行為可能なロボットを医療用途に活用すると、どんな役割を担わせることができるのか? 社会はそれを認めるのか?
 その学会で発表されたことのほとんどはもう忘却の彼方ですが、アルコールに浸されたその日の打ち上げの議論は、その後も私の頭に残り続けました。その後、昼間の日差しを浴びて素面しらふに戻ったあとも、その時の疑問は悩ましくも私にとって意味をなし続けたのです。まもなくすると2つの出来事が私の周りで立て続けに起こって、私はこのテーマを自分の研究対象にすると決意したのです。1つはある学生が、人工的なセックス機能を修士論文のテーマに選んだことで、私は喜んで彼女の指導教員を引き受けました。2つ目はちょうどその頃、セックスとロボットをめぐる報道が嵐のごとく取り沙汰されるようになって、規制の機運が高まったこと。これが決め手で、夢中になったのです。

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 私たちの生活にロボットが登場してから久しくたちますが、ロボットという発想そのものはさらにさかのぼり、実に何千年も前から存在していました。一方、事前に命令プログラムされた仕事を自ら遂行できる機械という意味での自律型ロボットは、20世紀半ばまで出現することはありませんでした。工場の製造ラインを自動化するためにつくられた産業用ロボットがそれに当たりますが、蒸気機関を原動力とする18世紀の産業革命がそうであったように、ロボットは製造プロセスの高度化を推進しました。
 近代西洋文明においては、これまで人類は3度の産業革命を経験しています。第1が蒸気機関で駆動する工場の登場。第2が鉄と原油と電気の活用。もっとも最近の3度目の産業革命がインターネットやパーソナルコンピュータによるデジタル革命。そして今、人工知能とロボット技術が、現存する製造工程の手法を不可逆的に変え、人間に取って代わるとされる第4次産業革命が間近に迫っているとされます。
 ロボットと人工知能は2つの異なる概念ですが、目的によっては併用することが可能です。
 ロボットとは機械化されたボディです。物理的な形状を有し、ヒューマノイド=人のかたちをしている場合もありますが、必ずしも人の姿をしている必要があるわけではありません。また、プログラムされた指示に基づいて動いたり、反応したりすることができます。一方、AIの略称で知られる人工知能には実体がありません。現時点では人間のように思考することはできないため、「頭脳」と呼ぶと語弊がありますが、仮に人体のアナロジーを使えば脳に相当します。しかしやっているのはデータから学び、入力された情報を解析し、パターンを見出し、新たな気づきを示しているだけに過ぎません。インテリジェントに動作しているとされる機能であっても、今のところは具体的に定められたタスクをこなしているだけで、汎用人工知能なるものはまだ存在していないため、かなりの制約のもとにあります。たとえAIがチェスや囲碁で私たちに勝つことができても、理論の掛け合わせなど複雑な要素が強い分野では、まだ私たちに一日の長があります。
 ロボットとAIは私たちの日々の生活にますます溶け込みはじめています。AIにいたってはもうあちらこちらに存在していて、あまりにさりげないため、気づくことさえ困難になってきています。たとえばあなたが今しがた利用したネット通販のカスタマーサポートのページはどうでしょう? おそらくかなりの確率で自動化されたAI、つまりチャットボットだったはず。人間が顧客への対応マニュアルにしたがって口にした言葉と、AIが生成した回答を比べても、違いを見出すことは難しくなりつつあります。感性のあるAIはまだ存在していないし、AIが感性をもつことなんて永遠にあり得ないかもしれませんが、人間に似た振る舞いをさせることは可能なのです。ロボットにAIを搭載すれば、そのロボットは周辺環境から学習し、センサーから入力されたデータを処理し、その時々で行動を起こすこともできます。そのロボットを人のかたちにすれば、さあどうでしょう。人造人間の製造までの道筋はもうついたようなもの……というのは言い過ぎでしょうか?
 音声で発せられた命令を認識し、それに応答できるソフトウェア、いわゆる「仮想アシスタント」は目覚ましい勢いで普及しつつあります。現時点で市場を席巻しているのはアマゾンの〈アレクサ〉、アップルの〈Siri〉、グーグルの〈グーグルアシスタント〉、マイクロソフトの〈コルタナ〉の4巨頭。いずれも話しかけるだけで天気予報から好みのラジオ番組の放送時間、レシピやスポーツの試合結果まで、ありとあらゆる情報を引き出すことができます。欲しいもののリストを記録させておいたり、目覚まし時計を設定することなど朝飯前です。あなたがスマート電球をお持ちであれば、部屋の明るさを調整させたりといったことも可能だし、エアコンがインターネットに接続されていれば、外出先から帰宅した頃に涼しくなるように設定しておくなんてこともできます。湯沸かしポットであれば、水を入れてコンセントにつなげたりといった一連の動作は必要ですが、お湯を沸かすように指示することもできます(自分でスイッチを入れる方が手っ取り早い気がしなくもないですが)
「コルタナさん、音量を下げて」といった命令だけではなく、卑猥なお願いをしてみた人がいることは想像に難くありません。〈Siri〉に下ネタを振ってみたり、〈アレクサ〉を口説いてみたなんて経験はないでしょうか? 「どんな反応をするのか知りたかっただけ」という人も含めれば、そうした経験のある人はあなただけではありません。人間とは、存在するすべてのものを堕落させようとするものです。ただし、人気の仮想アシスタントは口説かれるのにも慣れていて、マイクロソフトもグーグルもアップルもアマゾンも、口説きにかかるようなユーザーは軽くあしらうように、裏で大幅にカスタマイズを施しています。よかったら試してみてください(ただし職場で試すのはおすすめしません)
 しかし、そういった仮想アシスタントはどの程度人間らしいのでしょうか。信頼に値するほど? 親しみを覚えるほど? 恋に落ちてしまうほどの人間味があるのでしょうか? スパイク・ジョーンズ監督の映画「her/世界でひとつの彼女」(2013年公開)では離婚協議中の孤独な男性が、コンピュータのOSに恋をするという近未来の物語が描かれています。悲しいかな、真の愛への道のりはいつだって平坦ではないようで、主人公は彼女が肉体を持たないことに歯痒さを覚えはじめます。ただ、幸いにして現実世界には解決策が存在していたのです。そう、“セックスロボット”です。

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 期待が高まる前に申し上げておきますが、セックスロボットなるものはまだはっきりと存在しているとまでは言えません。長らくSF小説の定番テーマとして取り上げられてはいるものの、現実味を帯び始めたのはここ数年のこと。大規模な商業生産を実現している製品はまだなく、カリフォルニアを拠点とする〈リアルドール〉のメーカー、アビスクリエーションズ社がシリコン製のドールの頭部にアニマトロニクスを搭載し、AIで個性をもたせているのが、もっとも近しい事例でしょうか。〈ハーモニー〉という愛称で呼ばれるこのロボットは(首から下が完全に動かないので、厳密にはロボットではないですが)、AI駆動のアプリを使うことによって、ユーザーが好む特徴を強調させるなどして、キャラクターを調整できます。またヨーロッパではセルジ・サントスというエンジニアが、欲情させることを目的としたロボットをつくっています。この研究テーマをよしとするのであればの話ですが、あなたの目的は彼女にオーガズムを与えること。ただ、ここまで聞いて何かお気づきにならないでしょうか。そう、今日つくられているセックスロボットは圧倒的に女性の形をしているものばかりなのです。

 現在見られるセックスロボットは、実際の人間と見間違えることなど、まずもってありません。アニメチックだったり、女性の身体の特徴を過度に強調したり、誇張して過剰にセクシーにされていたりと、人間とはまったく別の代物です。どんなものでもつくりだせる素晴らしいテクノロジーが簡単に入手できてしまう時代において、どうしていまだに実物を真似るような、絶対に成功しないことばかり人間は試みているのでしょうか。おっぱいを5つ、ペニスを3本、腕を20本といった具合に、ほしいままにパーツを組み立てることもできます(あなたがもし好むのであれば)。もしかしてロボットには、人間のような形状をしているからこそ惹きつけられる何かがあるのでしょうか。
 また、テクノロジーを用いて快楽を得るという未来像には、誰もが賛同しているわけではありません。法や倫理の観点からみて、セックスロボット相手の行為は浮気になるのか? セックスロボットは暴力やレイプを増長しないか? もし誰かが子ども型モデルを開発したとしたら? 人間同士の関係を破綻させることはないのか? 2016年にあるメディアが見出しで注意喚起したように、ロボットが「私たちを死ぬまでファック」するようなことが起きないか──整理すべき問題は山積しています。
 ただし、逆もまた然りで、性的欲求を満たすことのできるコンパニオンロボットが、孤独の解消や快楽の提供、あるいは強制性をともなうセックスワークの根絶や、性犯罪者を対象とする治療・社会復帰のための活用など、私たちの世界を好転させてくれる可能性だってあるのです。それこそが私たちの未来なのだとすれば、ロボットの台頭は恐れることではなく、文字通り寄り添ってみていいことなのかもしれません。
 さっそくはじめていきましょう。魅惑的にして、時に怪しいセックスロボットの探索を。時々途中下車することもありますが、まずは手はじめとして、3万年前に時計の針を戻す必要があります。きわどい話ばかりですが、労力なくして得るものなしです。いざ出発。

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