小林秀雄全集に寄せる
水上勉

 小林秀雄の人柄は私たち後進の文学の徒にも、やさしく、きびしく、常に誠心を以て付きあわれた。鎌倉のお宅に出入りする植木屋さん、寿司屋さん、酒屋の丁稚にいたるまで、人間小林秀雄のやさしさをいう者が多かった。それほど、小林さんは人間として、存在は大きかったのである。
 仕事も広大な芸術全般にわたる考察が深くて汲めどもつきぬ井戸のように、湧水のごとき業績であった。絵画、音楽、文学、骨董に及ぶ論文は私たちの人生に硬いくさびを打つごとき、言語にみちあふれていた。
『本居宣長』が上梓された日の小林さんの洒脱な挨拶をおぼえておられる人も多かろう。「この本に定価が高くつけてあるのは三度か四度読みかえしてもらいたいためである。本は何度もくり返し読むのがいい。」「宣長さんもくすりの宣伝をしておられるから私も本の宣伝につとめるのである。」
 推敲に推敲をかさねつくされた文章の極意をこの全集から学ぶのもいい。私はこの全集を日本の読書界に再度薦めたい、と思う。

悠然として渾然たるネヴァ河
安岡章太郎

 一九六三年、小林秀雄、佐々木基一の二氏に、私を加えた三人は三週間ほどのソ連旅行に出た。何の目的もない旅だが、それが甚だ愉快であった。
 エルミタージュ美術館に出掛ける前夜、通訳のリヴォーヴァさんが、「いよいよエルミタージュですよ、ようく休んで疲れを取って置いてね」という。「わかりました」と佐々木さんが謹厳にこたえる。そんなヤリトリを奥の部屋で聞いていた小林さんは、「なに、エルミタージュ? どうせペテルブルグあたりに来ているのは、大したものじゃなかろうよ」と、甚だ素気ない様子であった。
 翌朝、その小林さんの姿がホテルの中に見えない。われわれが狼狽気味に部屋を探していると、「やあ失敬」と先生があらわれた。「朝起きぬけに一人でネヴァ河を見てきた」とおっしゃる。「ネヴァ河ですか」私たちは唖然とした。小林先生の地理勘は甚だ弱くて簡単な道にも直ぐ迷われるからだ。
「しかしネヴァは、じつに好い河だ、悠然としていて、あれこそロシアそのものだ」だが私には、その悠然渾然たるものは、河の流れよりも、寧ろ先生自身の人生態度にあるように思われた。

自分の言葉に命をかけた人
河合隼雄

 小林秀雄というと、白洲正子さんにお聞きした彼の生き方が目に浮かんでくる。それは端的に言えば、「自分の言葉に命をかけた人」である。彼の評論には気合いが入っている。と言って、声高ではない。静かな言葉だがピンと張りつめたものがある。
 一億総評論家などというとき、それは評論すべき対象が第一義に存在し、それに対して二義的にもの言いをする無責任さを伴う。それだからこそ、気安く楽しむこともできる。
 小林秀雄は、評論を第一義的なものとして確立することに成功した。彼は評論の対象について語ったりはしない。対象と対峙しているうちに、彼と対象との距離はほとんどゼロに接近し、そのときに彼は命をかけた言葉を書きつらねるのだ。彼の言葉が先行し、それによって対象が生きてくるとさえ感じられる。
 無責任な評論が量産されている今日において、小林秀雄を読むのは、背筋を正されるような感じがして心地よいのである。

思考による人生の証し
秋山駿

 考える、ということが、どれほど愉しいものであるかを、身をもって教えてくれたのが小林秀雄だった。生の快楽を感覚した。私の十六、七歳の頃である。
 それから五十年。私の手は絶えず小林秀雄という言葉の川の流れに触れていた。読み返すときには、自分の内部に新たな生の感覚を喚起してその川を泳ぐ。すると、新しい発見が生ずる。
 身をもって教える、というのが精髄である。二十代には二十歳の、三十代には三十歳の、また、六十歳の、七十歳の、思考があった。その果実を私は味わった。思考によって立つ人生の、みごとな証しである。
 いまになって私には解ることがある。小林秀雄の言葉は、あれは論理などというものではない。心の奥底へ語りかける言葉であった。
 今回、ベルグソン論『感想』が、全集に収録されるのは、非常な喜びだ。あそこには、小林の最上の文章が、連なる峰のように在る。

天才の自由性
石原慎太郎

 小林秀雄の天才性の所以はその完璧に近い自由さにある。
 彼が誰にも先んじて、日本における近代批評という領域を切り開き完成したのは、感性において、発想において彼がいかなるものに対しても完璧に自由だったからに他ならない。
 それはいい換えれば、彼が自らの情念をそのまま批評という作業の梃子として持ちこんだということだ。であるが故に彼の批評は明晰さを踏まえながらそれを超えて、いわば透明に結晶した感性の輝きとしても人々の心をとらえる。芸術家としての恣意と批評家としての冷智が両立併存するという奇跡的な完成を小林氏は成就させたのだ。
 例えば、彼の翻訳によるアルチュール・ランボオ詩集はなんと比類なくランボオ的であることか。私が青春期に読んだ小林秀雄訳のランボオ詩集は、彼に手を引かれて私の前に出現したランボオなる異形な天才の人物そのものであった。私はそこにランボオの少年としての息遣いや彼のパイプの煙草の匂いさえ嗅ぐことができたものだ。
 小林秀雄の全作品を通じて私たちが味わうものは、自由で、静謐で、かつ強烈な人間の個性に他ならない。

青春の小林秀雄
大江健三郎

 高校の教師にすすめられて小林秀雄の文章をひとつ読み、思いさだめた作家、思想家の全集を読めと書いてあったので、まず小林秀雄全集の全体を読んだ。そして私の文学的青春が始まった。
 初期、中期の作品を神話化して、口真似までする人も多いけれど、私はそうしない。小林秀雄は、新しい作品ごとに、直前までの弱さを摘出し乗り越える人だ。そこでつねに新鮮で、前に向かっている。それが『本居宣長』まで続いたから、私の文学的青春は長持ちした。
 小林秀雄の後継者たちが、いずれも文学の批評をやめて、文化伝統や国権のウツロな擁護者となり、保守政治家の代言人になり下がりさえするのはなぜだろうか? かれらが乗り越えるスタイルでないからだ。
 小林秀雄の全体を受容し乗り越える、新しい人が現れるまで、私はその人に手渡すつもりの、小林さんにあずかった宣長の書をしまっておく。

詩心の展開
宮城谷昌光

 小林秀雄の作品とは、『様々なる意匠』から『本居宣長』まで、つきあってきた。このつきあいがわたしにもたらしたものの巨きさは、はかりしれない。はじめは小説にかぎらず芸術作品の読みかたと観かたを、ついで小説の書きかたを、さいごに小説家としての生きかたを誨えてもらったようにおもう。が、そこには、わたし自身にひきつけすぎた読みかたがあったと反省したとき、小林秀雄の真影がみえたような気がした。端的にいえば、小林秀雄はボオドレールのようになりたかったのであろう。『悪の華』に匹敵する詩を書く自信もあったにちがいない。が、かれは不幸にして中原中也という天才詩人に遭遇した。中也がふたつの詩集を残して逝ったあと、小林秀雄の詩心は、詩集という象を放棄して、展開せざるをえなくなった。小林秀雄はランボオがわかる希有な人である。ランボオがわかるがゆえに、「もののあはれ」がわかるのである。飛躍的ないいかたかもしれないが、わたしはそうとしかいえない。

知力の調べ
宮本輝

 そのときは確かに時流に乗った価値を秘めていて、人々に何等かの思惟や示唆や感動を与える役割を担っても、旬の時期を過ぎるとたいした意味を表さなくなる書物というものは無尽蔵に存在する。
 だが、不動の知力によって構築された文章なり思惟なり感想なりといったものは、年月を経るごとに新しい音楽を、読む人の成長にともなって奏でつづけていく。
 その知力の調べの凝縮を我々に残したのが小林秀雄であったが、装いを新たに全集が刊行されるとなると、それに対峙する側も心を新たにせざるを得なくなる。優れた「意匠」の「意匠」たるところだが、新しい読者に対する工夫がそこにあって、ひとつは読むという作業に思い切った手助けを試みている点だ。じつはそれこそが小林秀雄の望むところであったのではないかという気さえする。
 この新しい全集は、氏の一見気難しく晦渋な思考が、文章という音符で暗号化された心地良い、わかりやすい音楽であったことを伝えてくれる。小林秀雄の知力の調べによって、暗号が解けていくと言ったほうがいいかもしれない。

遭遇する人
沢木耕太郎

 小林秀雄は遭遇する人である。中原中也に遭遇し、ドストエフスキーに遭遇し、モーツァルトに遭遇し、ゴッホに遭遇し、本居宣長に遭遇した。それは運命的であると同時になにほどか戦略的な気配が感じられないこともない。小林秀雄における「運命」と「戦略」との境界はどこにあったのだろうか。
 また、小林秀雄は遭遇した対象に「情熱」と「諦念」という逆説的な構造の掘削機をもって入りこんでいった。確かに、そこしかないという独特な角度から対象に入っていく小林秀雄の姿ははっきりと見える。しかし、そこから出てくる小林秀雄の姿は見えてこないのだ。小林秀雄は、運命的に遭遇した対象から、もしくは戦略的に遭遇した対象からどのように出てきたのか。あるいは、最後まで出てくることはなかったのか。
 いま、私があらためて小林秀雄を最初から読み返したいと思っているのは、この二つの疑問に自分の手で答えを出したいと望んでいるからである。