小林秀雄の全集は、過去、いずれも著者の生前、四度にわたって刊行されている。文学者の個人全集が、計四度、それもすべて著者の在世中に刊行されたということ自体、すでにして稀有の出来事である。どれほど小林秀雄の発言が、いつの時代にも読者に待たれ、拠り所とされていたかがここからも読み取れるだろう。

 最初の小林秀雄全集は、終戦まもない昭和25年9月、創元社から出た。著者48歳の年である。3年前には「モオツァルト」が、前年には「私の人生観」が、いずれも創元社から刊行されていた。そして全集刊行中の26年3月、この第一次小林秀雄全集によって著者は芸術院賞を贈られた。当初の編集構想、主題別年代順配列全六巻に二巻が追補され、全八巻となって26年7月、完結した。

 第二次以後は、いずれも新潮社から出た。昭和30年9月に始まり、32年5月に完結した第二次全集は、収録作品が発表年月順に配列された全八巻である。この第二次全集に際して著者は、作品を自選し、小説作品とランボオ論とを除いた多くの自作に徹底した修整を施した。刊行開始時、53歳。3年前に「ゴッホの手紙」を出し、前年からは「近代絵画」の雑誌連載を始めていた。

 第三次全集は、昭和42年6月から43年5月にかけてである。大岡昇平・中村光夫・江藤淳の三氏を編集委員に迎えた第三次全集は、大正年間以来の著者の業績が徹底的に蒐集され、分類され、主題別年代順の全十二巻に構成された。精緻な年譜や書誌なども初めて備えられた。刊行開始時、著者は65歳。配本開始直後の42年11月、文化勲章を受章。3年前には「考へるヒント」がベストセラーとなり、前々年からは「本居宣長」の雑誌連載が続いていた。

 第四次全集は、昭和53年5月から54年9月にかけての「新訂小林秀雄全集」だった。第三次全集の増補・改訂・新装版として刊行された第四次全集は、第十二巻「考へるヒント」までは第三次全集と変わらず、新たに増補する第十三巻に「本居宣長」、別巻Iに「人間の建設」と、昭和50年代、40年代を象徴する二つのベストセラーが組み込まれて特色をなした。完結時、著者は77歳を数えていた。

 そして今回の新全集、第五次小林秀雄全集は、文字どおりの集大成版となる。過去四度の全集では著者自身が収録を留保した作品、あるいは発表紙誌等の散逸によって閲覧困難となっていた作品など、過去の全集には収録されていない作品をも多数収めて著者六十年の文業を全十四巻(別巻二)に網羅する。
 収録作品の配列は、原則として発表年月の順によっている。したがって全十四巻の巻立も発表年月順である。先にも見たとおり、第一次全集は主題別年代順、第二次全集は発表年月順、第三次・第四次全集は主題別年代順であった。主題別年代順には、同一分野の思考を一息に見渡せるという利点がある。発表年月順には、思考の過程が刻々と伝わってくるような臨場感がある。今回の第五次全集では、第三次・第四次全集との間で、主題別年代順、発表年月順、それぞれの利点を相互補完する便宜も勘案して発表年月順が選択された。
 また「ランボオ詩集」をはじめとする四大翻訳、さらには三木清・正宗白鳥・折口信夫・岡潔らとの対談座談計二十二篇など、通常の文章作品以外からも幅ひろく小林秀雄の業績・発言を収録する。加えて別巻Iに、単行本未刊行のベルグソン論「感想」を特別収録する。「感想」収録までの経緯については、後掲「収録作品一覧年譜」の注記を参照されたい。

 小林秀雄は、37歳の春に書いた「読書について」で、「読書の楽しみの源泉にはいつも『文は人なり』といふ言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、一番手つ取り早い而も確実な方法なのである」と言い、「かうして、小暗い処で、顔は定かにわからぬが、手はしつかりと握つたといふ具合な解り方をして了ふと」「ほんの片言隻句にも、その作家の人間全部が感じられるといふ様になる」と言っている。本全集を読者が順次、第一巻から第十四巻、さらには別巻までも巻を追って通読されるなら、まさしく「手はしつかりと握つた」巡りあいの感覚を、いっそう確実にされるに相違ない。



第一次全集


第二次全集


第三次全集


第四次全集