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『南総里見八犬伝』は、近世市民文化の爛熟した文化・文政・天保期において、絶大の人気を得た最大のベストセラーであり、近現代の大河的長編時代小説の原点に位置づけられる小説史上の大古典です。曲亭馬琴が、四十八歳の文化十一年(一八一四)に筆を起し、天保十三年(一八四二)に至る二十八年の歳月をかけて見事に完成させました。
 時代を室町末期に設定し、歴史・地誌の虚実をないまぜにした、浪漫的理想主義と評される物語の面白さは今なお変りません。
 今回刊行する『南総里見八犬伝』は、馬琴研究の第一人者である、京都大学名誉教授・濱田啓介博士が本文を校訂、テキストの信頼性はもちろんのこと、読みやすい表記によって、馬琴が知識と趣向のすべてを傾注して綴った原文の面白さを十分に楽しんでいただけます。
 また、『南総里見八犬伝』のもうひとつの大きな魅力である原本の挿絵を、すべて収録しました。最新の印刷技術を駆使し、原本オリジナルの迫力を再現しています。
 この『南総里見八犬伝』は、かつて小社の創立八十周年記念〈新潮日本古典集成〉(昭和五十一年~平成元年。五十六作品八十二冊)の一環として刊行を予定していましたが、当時における使用漢字の限界、挿絵製版技術の制約等の理由によって今日まで刊行に至りませんでした。
 ここに、構想も新たに〈新潮日本古典集成〉別巻として刊行いたします。大方の絶大なるご支援をお願いいたします。
二〇〇三年三月
新潮社


当然ながら小説は文字の連なりに過ぎない。しかし意味をもつ文字を或る形に配置することによって、文字の連なりは異形の「世界」を生み出すのである。日本語で構築される異世界=小説は、当然他の言語で綴られるそれとは作法が違う筈である。二十八年の長きに亙り文字を連ね続けた馬琴の偉業は、本邦の小説史を語る上で欠かせないものであるだろう。挿画にまで気を配り、徹底して完結性に拘泥し続けたそのスタイルこそを、私は範としたいのである。膨大かつ複雑なテクストの校訂作業を完遂された濱田先生の労に心から感謝すると共に、この度の刊行を喜びたい。


『南総里見八犬伝』は、黙読より音読が読書のメジャーな方法だった江戸時代、まさにスター的な存在だった。ストーリーの面白さはいうまでもないが、文章のテンポやリズムの心地よさも大きな理由であった。そしてその愉しさをいっそう増幅したのがルビである。作者馬琴は、用いた漢語に自ら大和言葉で絶妙なルビを振っている。「烏夜」に「やみ」、「密語」に「ささやき」、さらには「鳥觜銃」と書いて右側に「てっぽう」、左側に「タネガシマ」なんて振っている。こういうルビがどんどん出てくる。今度の新潮社版は文字も大きい。あっというまにハマるだろう。