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タイトルは、「無題」だった。その突き放した単語に愕然とする。しかし、綾音にはこれが「何」かわかる。(誌面のことば――秋ひのこ「でも、人が死んだ」より)

yom yom vol.67 2021年4月号

(隔月1、3、5、7、9、11月第三金曜日発行)

770円(税込)

雑誌の仕様

発売日:2021/03/19

発売日 2021/03/19
JANコード F80351
定価 770円(税込)

◆CLOSE UP
演芸写真家 橘蓮二セレクション
次世代の新星たち[連続企画第5回] 文・写真:橘 蓮二
春風亭昇々柳家やなぎ春風亭正太郎
四半世紀にわたり噺家たちの写真を撮り続けた目で、これからの活躍が期待される若手をご紹介。

◆SPECIAL STORY
秋ひのこ「でも、人が死んだ」
同級生の自殺をきっかけに誹謗中傷の的となった娘。身を守るため、夫の故郷での田舎暮らしを始めたが……。R-18文学賞大賞、待望の続編。

◆SERIES
最果タヒ「森森花畑ぼく森森海/森森花畑ぼく森森海 雷雷雷」[第9回]
朝食の詩/部屋/姉/千/少女漫画

橋本長道「覇王の譜」[最終回] 画:サイトウユウスケ
新たなタイトル・蒼天位。直江大と剛力英明、この一戦に勝ったものが得る。

小佐野 彈「我とひとしき人しなければ」[第11回] 写真:Dan Osano
ひとが聞いたら嘲笑うことだろう。でも、あの気持ちはまぎれもなく恋だった――。胸の高鳴りは二十歳の「僕」を新しい世界へと導いていく。

加藤千恵「手の中の未来」[第6回] 画:LIE
なんとなく飲みに誘われたり、新しい友達ができたり、しなくなるのが30代。誰かの結婚や妊娠を素直に喜べなくなったりもした。

中江有里「愛するということは」[第8回] 画:椋本サトコ
ママは自分を救いに来てくれたんだと思っていた。だけど、違った。やっぱりママは、何も変わっていない……。

馳 星周「眠らぬ王 極夜・第二部」[第4回] 画:ケッソクヒデキ
旧友・郭克泰が薬物中毒から脱した。その喜びも束の間――、楊偉民は新たな襲撃を受ける。

武田綾乃「君と漕ぐ4」[第2回] 画:おとないちあき
舞奈のデビュー戦で、いよいよカヌー部4人揃ってフォアで出場することに。結果はいかに!?

早坂 吝「探偵AI3 四元館の殺人」[第4回] 画:吉田ヨシツギ
再び起きた殺人。鍵のかかった部屋で一体どうやって?

◆COMIC
谷口菜津子「今夜すきやきだよ」[第9回]
うきうき気分で帰宅。何かつかんだ、はずだったのに……。

長谷川純子「脳出血で倒れたひきこもりの弟が憎いのか愛しいのかわかりません!」[第4回]
初めて弟の手を握った苦しいばかりに感じた時期にも、思えば立ち直りのきっかけがあり……。

◆CULTURE & COLUMN
南 沙良「届かない手紙を書きたい」[最終回] 撮影:石田真澄
お芝居と私――女優、モデル、18歳。南沙良が綴る等身大エッセイ。

荻上チキ「ポリアモリー・レポート 複数愛のリアル」[最終回]
夫と恋人と協力して、二人の子どもを育てている女性。ポリアモリーが作る新たな家族のかたちとは。

長井 短「友達なんて100人もいらない」[最終回] 撮影:亀島一徳
中学三年生っていうのはそういうもんなんだと悟った。女子も男子も異性への興味が止まらない年頃なのだ。

カレー沢 薫「モテる技術(仮)」[最終回]
堂々完結! 結局モテとはなんだったのか。最終回で語られる「最推し」と俺とモテ。

トミヤマユキコ「境界線に置くことば」[第17回]
『FEEL YOUNG』と女の欲望――安野モヨコ『ハッピー・マニア』『後ハッピーマニア』をめぐって

北村紗衣「結婚というタフなビジネス」[最終回]
『ミドルマーチ』における文化系女子

サンキュータツオ「世界のαに関するカルチャー時評」[第21回]
アップデートされていく言葉たち

今 祥枝「海外エンタメ考 意識高いとかじゃなくて」[最終回]
世界の変化に合わせた、自分の変化の必要性について考える。

清田隆之「一般男性とよばれた男」[第7回] 画:unpis
暴力とは殴る蹴るだけでなく、無視や監視なども含まれる。「DVと無縁だ」と言い切れる男性はどれほどいるだろうか? 恋バナ収集ユニット・桃山商事代表がインタビューして聞いてみる、マジョリティ社会的多数派たちの「なぜか口にできなかった自分語り」。

武田 鼎「“無視”されてきた男性不妊」[特別寄稿]
〜脚光を浴びる理由、不妊治療の未来は

平原 卓「知のバトン」[最終回]
――哲学者が考え、引き継いできたもの
近代以降、死の概念は大きく変わった。神話が失われ、拠り所を失った隙間を埋めたのは、ニーチェだった――。

渋谷直角「パルコにお店を出したくて」[最終回]
お店づくりプロジェクトも、とうとうクライマックス! これぞ、渋谷直角の集大成。その勇姿をしかと見届けてください!

パリッコ「たそがれドリンカーズ」[最終回]
あの頃から、私たちは「未曾有の事態」を何度か越えた。コロナの時代に友の姿が頼もしい。思いつき途中下車、ちょい飲み物語。今回の思いつきは記憶の中の「あのお店」。

押見修造「午前一時のノスタルジア」
yom yomのこと

執筆者紹介/編集後記

本号休載「ぬくとう君は主夫の人」(磯谷友紀氏)の続きは、「くらげバンチ」にて掲載されます。

編集長から

この秋、ウェブマガジンに進化!

 この度、「yom yom」は現在の電子書籍の形態から、ウェブマガジンへとリニューアルすることになりました。創刊時からずっと受け継がれてきた――「いま読みたい作家」による「いま読みたいテーマ」を描いた作品を掲載する――という編集方針を遵守し、より読者の皆さまに近い場所で、「いま」の欲望に忠実な、新しい物語を紹介していきます。リニューアルオープンは、今秋の予定です。すこしの間お休みをいただき、もっともっと読者と物語がひとつになれる場所を目指して準備してまいります。
 最新情報は、「yomyom」公式サイト、「yomyom」公式ツイッター(@yomyomclub)に掲載します。どうぞご期待ください!

ウェブマガジン「yom yom」編集長 藤本あさみ


 藤本あさみ次期編集長のメッセージにある通り、電子書籍での刊行は本号で最後になります。ウェブマガジンというのは、つまりインターネットで「yom yom」を開くとそのまま読める形です。2017年に電子書籍の雑誌へと姿を変えてちょうど4年、装い新たな門出にどうぞお力添えを。リニューアルオープンまでしばらく間が空きますから、連載途中の作品については各末尾に先の予定などを記しました。

 私事ではありますが、2012年の春号から着任し、決して短いとは言えない時間をこの雑誌で過ごせて幸せでした。文芸誌とは、執筆者が時代や人生といった得体の知れないものと、言葉というやはり得体の知れないものとともに切り結ぶ、そのフルパワーの軌跡の集合です。「小さなことだけ描いてある」と唱える作品ほど大きな影と向き合っていたり、世の中には文芸ほど誠実なものはないんじゃないかと思ってきました。

“女子マンガ”というジャンルを確立した雑誌「FEEL YOUNG」の歩みからフェミニズムを捉え直すトミヤマユキコ氏の論考(「境界線に置くことば」)、あるいは医療の現場で“無視”されてきた男性不妊の実態をレポートした武田鼎氏の特別寄稿など、今号も私たちのかけがえのないリアルに向き合う記事をお届けします。もちろん、先ごろ『愛されなくても別に』で吉川英治文学新人賞を受賞した武田綾乃氏の連載「君と漕ぐ4」はじめ、充実の連載作品もお楽しみください。

「誌面のことば」は、秋ひのこ氏の読み切り短編「でも、人が死んだ」より。

〈タイトルは、「無題」だった。その突き放した単語に愕然とする。しかし、綾音にはこれが「何」かわかる。〉

「無題」なもので溢れた世界を、ただ一身において直観する勇気を、私に、そしてもちろん皆さまにも。

「yom yom」編集長 西村博一

早坂吝 探偵AI3 四元館の殺人[最終回]

 館に戻ると、一ノ瀬と二村が駆け寄ってきた。
「大変です!」
「どうしたんですか」
 二村はエントランスホールを見回すと、声を潜めた。
「お嬢様の部屋を調べていたところ、棚に並んでいる熊のぬいぐるみの一つに縫い針が刺さっていたのです。それも一本ではなく、底面に八本も、尖っている方を外に向けて」
 その光景を思い浮かべてゾッとした。何者かの強い悪意を感じる。
「錬華ちゃんがぬいぐるみを抱いたら刺さるようにということですか」
「ただ刺さるだけでは済まないかもしれません。針の先には液体が乾いたような茶色い汚れがこびり付いていました。あれがニコチンなどの毒だとしたら、何者かがお嬢様の命を狙っているということになります」
「熊のぬいぐるみの一つとおっしゃいましたが、錬華さんは熊のぬいぐるみをたくさん持っているのでしょうか」
 と相以が尋ねる。
「四つ一組のもので、形はすべて同じですが色が違います。最近いつも抱いているパステルレッドの他に、パステルグリーン・パステルイエロー・パステルブルーの熊がいます。針が刺さっていたのはパステルグリーンの熊でした」
「その日の気分によって使い分ける――もとい抱き分けるのでしょうか」
「いえ、季節ごとに変えています。三月から五月はレッド。六月から八月はグリーン。九月から十一月はイエロー。十二月から二月はブルー」
「なるほど、今は春だから赤い熊さんってわけですか」
 四季を反映する四色の熊は四元館にふさわしいかもな。
「お嬢様はこだわりをお持ちなので、違う季節の熊に触れることは一切ありません」
「ということは最近グリーンの熊には触っていないはずですね」
「はい。ですが一昨日の夜、お嬢様が露天風呂から自室に帰ってこられた時、棚に置かれているグリーンの熊が少しだけ動いている気がしたそうです。気のせいと思って位置は直されなかったそうですが、もしその時触っていたら危なかった……無事で本当に良かったです」
「その時、他の熊はどこにあったんですか」
「レッドの熊は露天風呂に持っていき、更衣室に置かれていたそうです。イエローとブルーはグリーンと同じ棚に並んでいました」
 その時、ミステリマニアの僕はピンと来た。
「赤緑色覚異常――犯人は赤と緑が識別できなかったんじゃないか? 錬華ちゃんの部屋に忍び込んだ犯人は、錬華ちゃんがパステルレッドの熊を露天風呂に持っていっていることを知らず、棚に並んでいるぬいぐるみを見た。そしてパステルグリーンの熊をパステルレッドだと勘違いした。パステルカラーのような淡い色は特に判別しにくいし」
「この館で赤緑色覚異常なのは三名本さんだけです」
 一ノ瀬の言葉に二村は語気を荒らげる。
「野郎、ふざけやがって――」
「なるほど、今の情報で推理がさらに補強されました」
 そう言う相以に僕は尋ねた。
「さっき『犯人が分かった』って言ってたけど、それって三名本さんのことだったの?」
「犯人が分かったって本当ですか?」
 と一ノ瀬が反応する。
 相以は言った。
「それも含めて説明したいので皆さんを集めていただけますか」
「かしこまりました。一階西の応接間を使いましょう」

「いきなり私たちを集めて何のつもりなのよ!」
 ヒステリックに問い詰めてくる銀子に、相以が答える。
「犯人が分かったんですよ」
「犯人が――ってロボットが何を馬鹿なことを」
「まあまあ、まずは拝聴してみましょうよ。彼らの話を信じるかどうかはそれからってことで」
 意外なことに取り成してくれたのは、犯人疑惑のある三名本だった。軽薄な口調が気になるが、今は有り難い。
 銀子はまだ何か言おうとしていたが、場の空気に負けたのか結局口を閉ざした。
「さて――」
 川柳で有名な一言を皮切りに、相以は話し始めた。
「この四元館では奇妙な事件が続きました。去年てとらさんが不審死を遂げた事件。昨日欽一さんが銃で撃たれて死亡した事件。電話線とネット回線が切断され吊り橋が燃やされた事件。カトルさんが中毒死した事件。一見関連がなさそうなこれらの事件ですが、実はある『共通点』に気付けば事件の構図が一気に明らかになってくるのです」
「共通点?」
「てとらさんが寝泊まりしていた風車塔の向かいにあったのは、前の錬華さんの部屋でした。欽一さんの死体と弾痕を結んだ先にあったのは、今の錬華さんの部屋でした。カトルさんの部屋とダクトで繋がっている隣室も、錬華さんの部屋でした。すべての現場の側には錬華さんがいたのです」
 その言い方だと錬華が犯人のように聞こえるけど……。
 案の定、銀子が食い付いてくる。
「まさかこのガキ――錬華が主人を殺したっていうの」
「違う、私そんなことしてない」
「いえ、錬華さんが犯人だとすれば、各事件に存在する不可解な点に説明が付きません。例えばクローゼットから出てきた銅太くんは『何でパパの方が死んで……』と言ったのか」
 銅太は上ずった声でしらばっくれる。
「え? 俺そんなこと言ったっけ」
「今のは録音されたあなたの声ですよ。この言葉を聞いた時に私が思ったのは、本来死ぬのは『パパの方』ではなかったということです。太った体が入りきらず、少し開いたクローゼットの扉から、銅太くんは目撃したのではないですか。欽一さんが錬華さんを狙撃するところを。だから父親を庇うために、何も見ていないふりをするしかなかった」
「ウチの子を巻き込まないでちょうだい! そんなの見てないわよね銅太」
 苛烈な口調から一転して猫撫で声で語りかける銀子。
 銅太は長い間俯いて黙り込んでいた――――――――が不意に口を開いた。
「見たよ。パパが錬華の部屋の入り口に向けてライフル撃つとこ」
「まあ何てこと! すみません皆さん、この子混乱してるみたいで……」
 ひきつった笑みを振りまく銀子を無視して、相以は銅太に尋ねた。
「その後はどうなったんですか」
「分かんね……。正直、俺、銃声でビビっちゃってさ。その後しばらく気絶してたんだ。でも気絶する直前、パパが後ろに倒れていくような記憶もあって、銃の反動かと思ったけど、あの時もう撃たれてたってことなのか」
「その時、あなたはバルコニー全体が見えていたんですか」
「いや、クローゼットはちょっと斜めの位置にあっただろ。だからパパは見えたけど全体は見えなかった。だから誰かいたかとかは……。くそっ、気絶してなきゃ犯人を見れたかもしれないのに」
 銅太は弱々しく呟く。
 十歳の少年が目の前で親のそんなシーンを見てしまったら、気を失うのも無理はないだろう。
「誘導尋問はやめて!」
 銀子はまだ抗弁している。
「誘導尋問? その用法は正しくないですね」
「黙れポンコツロボット。大体どうして主人が錬華を狙撃する必要があるのよ」
「推理小説で統計的に最も多い動機――すなわちお金です。もうすぐ錬二(れんじ)さんが行方不明になってから七年が経過します。そうなれば失踪(しっそう)宣告が行われて、錬二さんは五月四日に死亡した扱いになり、遺産は最も相続順位が高い錬華さん一人が相続します。ところがそれまでに錬華さんが死亡すれば? 五月四日に相続資格を持っているのは、錬二さんの兄弟姉妹である欽一さん、カトルさん、三名本さんの母親の三人となります。金銭的に困窮した欽一さんは遺産を相続するべく錬華さんの殺害を企んでいたのです」
「金銭的に困窮したァ? 失礼、無礼、非礼! あんた、ウチの通帳盗み見たの? 見てないでしょ? 憶測でモノ言うんじゃないわよ。大体家の中で猟銃なんてぶっ放したら、すぐ自分が犯人だってバレちゃうでしょうが」
「はい、遺産相続のために犯罪を犯したと露見すれば相続資格を失ってしまいます。そこで欽一さんはトリックを仕掛けました。露天風呂の竹垣に一本だけ、後から立てられたような空洞の竹がありました。欽一さんが水平山に生えている竹を加工して立てたのでしょう」
「何だって主人が竹なんか……」
「欽一さんは竹筒の上部に固めた雪を詰めて、その上にかんしゃく玉を置きました。かんしゃく玉が湿気らないように仕切りを挟んだかもしれません」
 かんしゃく玉――見た目は小さいけど、刺激を与えると驚くほど大きな破裂音を発する火薬の塊だ。僕は使ったことないけど、小学生の頃やんちゃな同級生がかんしゃく玉を投げ合っているのを見たことがあるな。最近の子供はかんしゃく玉で遊んだりするのだろうか。
「あの一帯は温泉が湧いており発電に使われるほどの地熱を帯びています。地中に埋まった竹の中を上る湯気が雪の栓を溶かしていくと、かんしゃく玉はそのうち落下して竹筒の底に叩き付けられます。元々かんしゃく玉は映画やドラマの撮影で銃弾が命中した時の効果音に使われるほどですが、それが銃身のように細長い竹筒を通して上空に放たれることで、より銃声に近い音となったのです。ま、それでも七十八パーセントほどしか再現できなかったようで、私はずっと『銃声のような音』と表現してきたのですがね」
 相以は得意気だ。
「欽一さんは事前にかんしゃく玉なしの雪だけで何度も実験し、どれくらいの時間で溶けるのかを把握していたのでしょう。消音器(サイレンサー)付きのライフルで錬華さんを射殺した後、皆の前に現れ、その最中に偽の銃声がすればアリバイができる――そういう計画でした。なぜか現場がすぐに分かった銀子さんも共犯でしょうね。廊下で人が来ないか見張っていたのでしょう。しかしそれ以前からクローゼットでかくれんぼをしていた銅太くんには気付かなかった」
 銅太は状況から銀子が共犯だということも察していたかもしれない。
 そうか、それで昨夜の口論だ。

『一人が危ないって言うならさ──ママと一緒にいるのも危ないじゃんか』

 というのはそういう意味だったんだ。
「さっきからゴチャゴチャと意味不明なことばかり……。何か勘違いしてないかしら」
 銀子は激しく錬華に指を突き付けた。錬華はギュッと縮こまって熊を抱き締める。
「死んだのはこの子じゃない、主人の方なの! 主人が犯人だって言うならどうしてそんなことになったのよ!」
「それは後でまとめて説明します。すべての事件は同じ法則の下に起きているのです」
「後ですってえ」
 なおも絡んでこようとする銀子を無視して、相以は話を進める。
「さて、次はカトルさん殺しについて説明します。密室内で食べられるロボットにより中毒死するという不可解な事件でした。さらにロボットと青酸カリをカトルさんが持ち込んだとしか思えない状況……。こちらもシンプルに考えるべきです。毒入りロボットをダクトに入れたのはカトルさんだということです」
「何のために?」
 三名本がからかうように問いかける。
「まさか水差しに池ポチャさせて自殺するため? そんな回りくどい自殺するわけないよね」
「そう、するわけありません。カトルさんは『自殺』ではなく当然『殺人』のためにロボットを発進させたのです。失踪宣告までに錬華さんが亡くなれば遺産を相続できる人物の中にカトルさんも含まれていましたね。そう、彼女もまた遺産目当てで隣室の錬華さんを毒殺しようとしたのです」
「あのイカれたばーさんもハニーを狙ってたのか? 許せないな。でも都合よくハニーの口に飛び込む確率なんてゼロに近いでしょ」
「そこまで低くありませんよ。なぜなら錬華さんの部屋の換気扇の下では、錬華さんが上を向いて口を開けているからです」
「ええ、なぜだい? 美味しいロボットを送り込むからって事前に伝えてたとか?」
「そんなことを言っては警戒されてしまいます」
「だよねー」
「錬華さんはまったく別の事情でそうしていたのです。ですよね、銅太くん?」
 思わぬ名前が出た。全員の視線が銅太に集中した。
「何だよ。俺は何も知らねえよ」
「あなたと錬華さんは夜な夜な換気扇のダクト越しに会話をしていましたね」
「君たちそんな関係だったのか。子供のくせにマイハニーに手を出すとは……腸が煮えくり返りそうだよ」
「違う、錬華はただの子分だよ!」
 銅太は顔を真っ赤にして反論した。
 この手の子供が言う「子分」とは「友達」という意味である。
 しかし錬華と銅太は行動を共にしているように見えなかったから意外だ。仲がいいのを隠していたということだろうか。何のために?
 銅太は顔を伏せてボソボソと早口で説明する。
「何かハズいし、ウチの親もあまり錬華のこと好きそうじゃなかったから隠してたんだよ。クローゼットに隠れていたかくれんぼも実は錬華とやってたんだ。自分の部屋で五分数えてもらってその間に隠れるっていう……。でも何でダクト越しにしゃべってることがバレたんだ?」
「ダクトを通じて私たちの部屋まで聞こえてきたからですよ。ねえ、輔さん」
「え? そうだっけ……あ、もしかして! 昨夜夢を見たんだ。二人の子供がしゃべっている夢を。あれは二人が実際に話している声を夢うつつで聞いていたからだったのか」
 どんな話をしていたっけ。確か――。

『俺は見たんだ。本当なんだって。本当に──が撃ったんだ』

 正解は『本当にパパが撃ったんだ』か。
「マジかよ、他の部屋まで丸聞こえだったのか」
 銅太は片手で顔面を押さえる。錬華も恥ずかしそうにモジモジしている。
「銅太くんが最近、一人部屋を希望するようになったのはそれが理由ですね。カトルさんも以前に自室の換気扇から二人の話し声が聞こえてきたことがあったんでしょう。それで今回の計画を思い付いた。錬華さんは換気扇に向けてしゃべっているわけですから、その口にロボットを飛び込ませれば、後は食べられるロボットの特性上、食道を進んで胃に青酸カリを届けてくれます」
「いや、でもやっぱりそう上手く行くかな」
 三名本はまだ納得が行かないようだ。
「焦っていたんでしょう。失踪宣告まであとわずかですから。一旦錬華さんが相続してしまえば、その後で彼女が死亡しても、錬二さんの兄弟姉妹に遺産が逆戻りすることはありません」
 その場合、錬華には相続人がいないから、遺書がなければ遺産は国庫行きだろう。
「ああ、なるほどね……。しかしあのイカれたばーさんがこんなこと思い付くかね」
「てとらさんの死で頭がおかしくなったふりをして、虎視眈々と機会を窺っていたのでしょう」
「待って!」
 ここで口を挟んだのは今までずっと黙っていた錬華だった。
「すべての事件は全部同じ法則……って言ってたよね。っていうことはまさかてとらさんも? てとらさんも私を殺そうとしていた?」
「あらゆる手がかりがそれを指し示しています。てとらさんは用意しておいた長いロープの先端を斜めに切り、切った方の端を風車塔の螺旋階段の途中にある『西向きの窓』の外に、反対側の端をそれより高い『東向きの窓』から崖下に垂らします。そしてシャワールームから水を運んできて、窓の外に出した部分に水を含ませたまま放置しておきました。二つの窓を閉め、風車塔の外壁と同じ白いロープを使えば目立たないでしょう。そのうちロープは夜の外気温で凍結していきます」
「ロープって凍るんですか?」
 と一ノ瀬が質問する。
「はい、そうなるとガチガチに固まってしまうので、冬山登山では浸水しないようドライ加工を施したロープを使うそうです。さて、パーティーから戻り凍結を確認したてとらさんは、東西の窓からロープを引き込み、塔内にあったため凍っていない真ん中の部分を硬く結びます。斜めに切った西端はガチガチに凍結して鋭利な刃物と化しています。こうして彼女は塔内を斜めに貫く一本の長い槍を手に入れたのです」
 推理小説でも氷そのもので凶器を作ることは難しいとされ、大抵は別解潰しの過程で否定される。だけど水を染み込ませたロープを凍らせれば簡単に槍を作ることができるのか。
「凍結したロープはその長さからかなりの重量になりますが、東西の窓枠をスライドさせれば扱いやすいです。彼女は槍の穂先で錬華さんの部屋の窓をノックしました。そして錬華さんが窓を開けて外を覗いた瞬間に、その鋭利な先端で突き殺そうと考えていたのです。その後、錬華さんの室内で水切りならぬ『血切り』をすれば、錬華さんが室内にいた犯人に襲われて窓から逃げ出そうとしたところを刺し殺されたと偽装することが可能です」
 その想像をしたのか錬華が全身を震わせた。
「後はロープを引き戻して暖炉で燃やしてしまえば、残る証拠は灰くらいのもの。足跡のない雪に囲まれた風車塔にいた自分は嫌疑を免れることができます。動機はもちろん遺産のため。カトルさんが遺産を相続すれば、娘の自分もそれにありつけますからね。欽一さんと銀子さんが共犯だったと同じように、カトルさんとてとらさんも最初から共謀していたのでしょう」
「やっぱりあいつらも遺産目当て……」
 一ノ瀬はそう呟きかけたが、今にも泣き出しそうな錬華に気付いて、ハッと口をつぐんだ。
「完璧な犯行計画――のはずでした。ですが錬華さんが窓を開ける前に『あること』が起きて、てとらさんは窓から転落してしまったのです。雪の上に落下したところに降ってきた槍が首筋に刺さり、彼女は絶命します。槍は夜間はずっと凍結を保ち、死体の上でピンと直立していたのですが、朝日が昇ると――現場は東側に位置しますからね――次第に溶け始めてロープに戻っていきます。ロープは現場付近に常時吹き付ける東風に飛ばされて、ひとしきり館の外壁に押し付けられた後、南に飛んで崖の下へと消えました」
「そうか、それで館の外壁に一筋の長い血痕が残っていたのか!」
 僕の言葉に相以は頷く。
「そうです。これらすべての奇妙な証拠が、てとらさんが錬華さんを殺害しようとしていたという事実を示唆しているのです」
「しかし、お嬢様を狙っていた連中が次々と逆に命を落とすことになった……。一体この館では何が起きているんですか」
 二村の問いに相以が答える。
「それを解き明かすためには、私が先程風車塔の管理人室で覚えた違和感を説明する必要があります。輔さんはあの光景を見て、昨日と何も変わってないと言ってましたよね」
「そう見えたけど……」
「変わってないからこそ問題なのです。私たちが昨日管理人室の窓を開けた時、風が吹き込んでイーゼルの端に載っていた筆が落ちました。輔さんはそれを拾って元の不安定な位置に戻しました」
「亡くなった人の思い出の場所だから極力元通りにした方がいいかなって……何かマズかった?」
「マズいどころかむしろ手柄です。それが手がかりになったのですから。さて、私たちが今日再び管理人室を訪れた時、筆は昨日と同じイーゼルの端に載っていました。でもこれっておかしいと思いませんか」
「何が? 窓はすぐ閉めたし、その後筆が落ちる要因なんて――ああっ」
「気付いたようですね」
「地震だ。昨日の昼食の時、激しい揺れがあったのに、どうして筆は落ちなかったんだろう」
「その答えは一つしかありません。館は揺れたのに風車塔は揺れなかった。あの揺れは地震が原因ではなかったのです」
「じゃあ……?」
「この館を建てた人物のことを忘れていませんか。伊山久郎は風変わりな館ばかり建てることで有名な建築家。つまりこの四元館は『ある仕掛け』により動くのです」
「何ですって? 四元館が動く?」
「そんな話、聞いてませんよ!」
 使用人の二人が同時に声を上げる。他の人物も全員驚いているように見える。もちろん僕もだ。
「昼食の時の揺れはその仕掛けで館が振動してたってこと? でも何でそのタイミングで……」
「表面上は平和な昼食でしたが、実はあの時、水面下では一つの計画が進行していたのですよ。輔さん、あの食堂を最初に見た時、違和感を覚えませんでしたか」
「ま、また違和感か。普通の人は君と違ってそんなにいろいろ気付かないんだよ」
「簡単なことですよ。あの食堂は奥行き五メートル、横幅二十メートルほどの横長の部屋で、その横幅の大半を白いテーブルクロスをかけた長い食卓が占領しています。出入り口は廊下側の壁の両端に付いたドアだけで、窓はありません。さて、どうやって食卓を食堂に入れたのでしょうか」
「あっ、それは……」
 僕の泳いだ視線は答えを知っているであろう人物のところで止まった。
「一ノ瀬さん、どうなんですか」
「複数のテーブルを横に並べてテーブルクロスをかけることで、一つの長い食卓に見せているだけですが」
「ああ……そっか。そりゃそうですよね」
 単純な答えだった。
 言われてみればあの手の長い食卓はどうやって運び込むんだと思ってしまうが、案外「並べただけ」のことが多いのかもしれない。
「でもそれがどうしたって言うんだ?」
「皆が昼食に集まる前にテーブルとテーブルの間を少し空けておけば、そこに隙間を作れるということです」
「隙間……?」
「隙間を作った人物はさらに、あらかじめ厨房から適切なサイズの皿を盗み出していました」
 一ノ瀬が反応する。
「あれのせいでクレープを小皿に載せるしかなくて困ったのです。やはり誰かが盗み出していたのですか。でも何のために?」
「まさしくクレープを小皿に載せさせるためですよ。そうすればどうなるか。クレープの両端が皿からはみ出して垂れ下がった状態となります。その人物は昼食中に隠し持った注射器を、作った隙間部分のテーブルクロスに下から刺し、貫通した針でクレープに毒物を注入しようとしたのです。テーブルクロスに開く穴は極小なので、警察がその部分をピンポイントで調べなければ発覚しないでしょう。そうなると毒を混入できたのはクレープを作った人物か配膳した人物ということになり、自分は嫌疑から逃れることができます」
「そこまでして毒殺しようとした相手は……やはりお嬢様ですか」
「一連の流れから言ってそうですね。それができたのは青酸カリと注射器を所持していて、錬華さんの隣に座っていたカトルさんということになります」
「カトルさんは二度も錬華ちゃんを狙っていたのか!」
「はい、しかしこの時も失敗します。館が揺れて錬華さんのクレープが床に落ち、取り替えることになったからです。もうお分かりでしょう、一連の事件の犯人は錬華さんの命を狙う人々から彼女を守ろうとしていたのです」
 隠し持っていたリモコンで館を揺らしたか。いや、館が揺れる仕掛けってどんなのだよって思うが……。
「皆が食堂を出た後、輔さんがクレープを食べていると、カトルさんが戻ってきましたね。あれはテーブルの隙間を直そうというつもりだったのでしょう」
 あの時、彼女は一瞬目を丸くした後、意味不明なことを言い始めた。
 しかし彼女がおかしくなったふりをしていたのだとすれば、見知らぬ僕を見て本当に驚いていたのかもしれない。
 僕は必死に彼女のうわ言に合わせたが、誤魔化してその場を乗り切りたいのは向こうも同じだったということか。
「ん、待てよ。そういえばカトルさん、最初に食堂に入ってきた時、二十枚とか三十枚とか言ってなかったか。あれは正常な人間が頭がおかしいふりをしようとして、無意識のうちにさっき盗んだ皿の連想から『枚』という単語を使ってしまったんじゃないか」
「なるほど、その発想はありませんでした。人間心理とはまだまだ奥深いものですね」
 AI探偵はまた一つ学習したという顔だ。
 そこに三名本が口を挟んだ。
「でもさー、犯人がハニーを守りたいなら、どうしてその場でカトルばーさんの注射器を押さえて犯行を告発しなかったの。そうしなかったから、また毒入りロボットでハニーが狙われちゃったじゃない。もしその場で告発できない事情があったとしても、後でハニーや使用人たちに警戒するよう促してもいないし」
「それは極めて重要な指摘です。実はここに犯人の正体に迫るヒントが隠されているのです。しかし今はひとまず『館が動く』という前提を踏まえて、すべての事件を順番に説明していきます。まずてとらさんですが、風車塔から槍で窓をノックして錬華さんが顔を出すのを待っていたところ、突如風車塔が勢い良く傾いたのです。まるでお辞儀をするように」
「え?」
「窓から身を乗り出していたてとらさんは勢いで斜めに放り出され、十メートル離れた雪の上に落下。雪がクッションとなって大きな外傷は残りませんでしたが、長さから窓枠に引っかかっていた槍が遅れて降ってきて絶命します。事件の翌朝、管理人室が荒らされている状態で発見されたとのことでしたね。あれは犯人が家捜ししたとかではなく、風車塔が傾いたことで家具が倒れるがままになったからです」
 本館を振動させるだけでなく風車塔も傾けられるだと……どういう理屈で?
「欽一さんは中庭越しに錬華さんを狙撃したところ、突如バルコニーの胸壁が上に伸びてきて、そこに当たった弾丸が跳ね返って彼の額を撃ち抜いたのです。一方、廊下を見張っていた銀子さんは、欽一さんが空き部屋から出てこないまま、とうとう偽の銃声まで鳴ってしまったので、空き部屋の様子を見に行き死体を発見することになったわけです」
 そういえばバルコニーの胸壁に着弾した痕跡があったな――って、胸壁が上に伸びるってどういうことだよ!
「カトルさんが毒入りロボットをダクトに入れた直後、戸枠が振動してあたかもノックしたような音を立てました――そう、一ノ瀬さんが聞いた音です。カトルさんが廊下を覗いている間に、二階の天井より上の部分だけが西に傾きました。その結果、ロボットはダクトを逆戻りし、カトルさんの部屋の水差しの中に落ちたのです。部屋に戻ったカトルさんは、殺害計画を遂行した緊張による喉の渇きから水を飲み――そして中毒死することになりました」
「ちょ、ちょっと待って!」
 一同ポカンとする中、一人滔々と語り続ける相以に僕はストップをかけた。
「何でしょう」
「え、これって犯人が錬華ちゃんを守るために館を動かしたことに関する話をしてるんだよね」
「そうですが何か?」
「いやっ……地震のように揺れるとか、お辞儀をするように傾くとか、バルコニーの胸壁が上に伸びるとか、天井より上の部分だけが傾くとか……何? 館どういう理屈で動いてんの?」
「輔さんは誘電エラストマーという言葉を覚えていますか」
「ユウデン……? 何だそりゃ――いや、待て。どっかで聞いたことがあるぞ。どこだっけな……」
「前々回のロボット万博で優勝した『ラジオ体操をする巨人』に使われていた素材です」
「ああ、そういえば! どんなんだっけ」
「電気を通すと伸縮する人工筋肉のようなものですね。その誘電エラストマーで四元館は作られているのです」
「え……?」
「床も、壁も、天井も、内部の配線も、風車塔も、すべて誘電エラストマーで構成されている。そう考えない限り、この館の縦横無尽な動きは説明が付きません」
 僕は慌てて周囲を見回した。今まで四元館に住んできた住人たちも不安そうな視線をさまよわせている。
 この古風な洋館が、そんな最先端の素材でできているなんて信じられない。
「ここまで激しく誘電エラストマーを伸縮させるためには大量の電気が必要です」
「あっ、まさかそれで――」
「そうです。風力発電、太陽光発電、水力発電、地熱発電という過剰なまでの自家発電装置が存在するのはなぜか。四元素の再現というのは表向きの理由。本当は山奥で館の変形に必要な電力を確保するためだったのです」
「伊山久郎はどうしてこんな館を……」
「この館の建設を依頼したのは凜花さんでしたね」
「はい」
 と一ノ瀬が頷く。
「自分の死後、遺産目当ての親族から娘を守れる館を発注したのでしょう」
「それで凜花さんが亡くなった後、誰かが館の操作権限を引き継いだわけだな」
 その理屈だと怪しいのは一ノ瀬と二村ということになるが……。
 僕は咄嗟に二人の使用人の方を向きかけたが、さすがに露骨すぎるだろうと思い留まって、視線を自分の膝元に落とした。
 あるいは錬華が自分を守るために?
「発覚した殺人計画だけを見ると、一年前にてとらさんが錬華さんを狙って返り討ちに遭った後、誰も何も行動を起こさず、タイムリミット寸前になって駆け込みで殺そうとしたように見えます。しかし実際は、階段にビー玉を置いて錬華さんが転落してくれることを期待するような『プロバビリティーの犯罪』も含む殺人計画が絶えず企てられていたのだと思います。犯人がそれらから密かに錬華さんを守り続けてきたから、問題は顕在化しなかった。焦ったカトルさんと欽一さんが直接的な手段に出て、ついに犯人に処断されたというわけです」
 三名本が焦れたように尋ねる。
「で、その犯人ってのは一体誰なの。そろそろ言っちゃおうよ」
「それを特定するためには、もう少し推理を詰める必要があります。まだ説明していない事件に、電話線及びネット回線の切断と、吊り橋の炎上がありますね。あれも館の変形を利用して行われたのです。私たちが欽一さん殺害現場で話し合っている間に、犯人はまず回線が出ていく壁の穴を収縮させて回線をねじ切りました」
「それで綺麗な切断面じゃなくて乱れた切断面になっていたのか」
「そうです。それから犯人は全ソーラーパネルの反射光が吊り橋のロープの一点に集中するよう繊細に屋根を変形させて、その熱でロープを発火させました。吊り橋に近付く必要はないので、螺旋状の坂道に足跡も残りません」
 ただ屋根を傾けるだけではダメで、ソーラーパネルごとに微妙な角度を付けるために、屋根をグネグネ変形させたってことだよな……。想像するだに奇怪な光景にもう開いた口が塞がらない。
 そうか、この時ソーラーパネルがない部分の屋根から雪が落ちて、館の南面に不自然な積雪を作ったのか。
 今朝西面に新たな積雪があったのは、毒入りロボットを逆戻りさせる時に館を西に傾けたからだろう。
「しかしここで一つの疑問が生まれます。犯人は錬華さんを守りたいわけですよね。ではなぜ外界との連絡を絶ったのでしょう。誰かを下山させて警察を呼んできてもらったり、いっそ全員で下山した方が錬華さんの安全は保証されるでしょうに」
「た、確かに……」
「そして最後の、決定的な手がかりです」
 相以はそう言うと、錬華のぬいぐるみに毒針が仕掛けられていた事件のことを全員に説明した。
「ハニーにそんなことをするなんて許せん」
「いつまでも第三者のふりはしていられませんよ、三名本さん。毒針を仕掛けたのはあなたでしょう」
「な、何を根拠にそんなこと――」
「あなたは赤緑色覚異常ですね。赤と緑が識別できないあなたは、パステルレッドの熊と間違えてパステルグリーンの熊に毒針を仕掛けてしまったのです」
 三名本は自分の髪をくしゃくしゃにすると、大きく息を吐きながら、椅子に深くもたれかかった。
 がくんと後ろに首が折れ、天井を向いたままの状態で、彼はボソボソと語り始めた。
「錬華……君が悪いんだぞ。僕はずっと母上から錬華を殺せってせっつかれてた。錬華が死ねば遺産が母上に入るからね。でも僕はずっと待ってくれって言ってたんだ。他の方法を試すからと」
 三名本はいきなり椅子から立ち上がった。その目からはねっとりと涙が溢れ出している。
「なぜなら錬華、君を愛していたからだ! 僕は本当に君を愛していた。君を守りたかったんだ。僕と結婚してくれたら殺さなくても君の財産は三名本家のものになり母上も納得する。でも君は拒絶した! だったらもう殺すしかないじゃないか! 僕はずっと君を守っていたのに恩を仇で返しやがって……。僕と婚約しなかったばかりにお前は死ぬんだよバーカバーカ!」
 あまりに幼稚で汚い言葉の数々に、僕は言葉を失ってしまった。錬華もただ青ざめるのみ――。
 と、ここで二村が動いた。
 巨体に似合わぬスピードで三名本の懐に潜り込んで当て身を食らわせる。
「これ以上お嬢様を怖がらせるな」
 三名本がそれに返事することはなく、白目を剥いて床に崩れ落ちた。
 二村は振り向いて言った。
「お嬢様、ひとまずご安心ください。それでは相以さん、続きをどうぞ」
「分かりました。さて、三名本さんも錬華さんの殺害を狙っていたという事実が発覚したわけですが、ここで一つの疑問が生まれます。今まで館を動かして錬華さんを守ってきた犯人がどうして三名本さんの計画だけは妨害しなかったのでしょう」
「あ――」
「気付かなかった? 考えにくいです。館のあらゆる場所で行われた殺害計画を未然に防ぎ、ダクト内のロボットの位置まで正確に把握している千里眼的な能力を持っている犯人が、この毒針事件だけ見落としたと考える方が不自然です。犯人の中にはこの毒針事件は見逃していいという何か明確な基準があったはずです」
「毒針事件だけの違いか。そういえば他の事件はすべて即効性があるけど、毒針事件はすぐには危険がないよな。グリーンの熊は六月にならないと触らないんだから」
「そこです。六月にはすでに失踪宣告済で相続が確定しています。犯人は相続が確定する五月四日になる瞬間まで錬華さんを守り切れればそれで良かったのです」
「いや、でも依然毒針の危機は残ってるぞ。相続さえ無事完了したら錬華ちゃんがどうなってもいいって言うのかよ。……ん、待てよ。もしかしたら錬華ちゃんに遺産を相続させた後で死んでもらうことが目的だったとか?」
「それはないでしょう。錬華さんに相続人はいないので遺産は国庫に行くだけです。犯人は営利目的ではなく純粋に錬華さんを守っているんです――あくまで五月四日になる瞬間まで」
「営利目的なら分かるよ? でも守りたくて守ってるのに、五月四日以降のことは知ったこっちゃないなんて……そんなの非人間的だ」
「非人間的……その言葉は実に暗示的ですね。輔さんは『水平線効果』という言葉を覚えていますか」
「確か柿久教授が言ってた奴だな。それが何か関係あるのか」
「n手先までしか読めない将棋ソフトにとって、n手という水平線の向こうの脅威は存在しないも同然です。それと同じで、五月四日になる瞬間までしか錬華さんを守らない犯人にとって、五月四日以降の脅威は存在しないも同然なんです」
「AIの話と人間の話は同列にできないだろ――ってまさか」
「そうです。犯人は『五月四日になる瞬間』という水平線を持っているAIなのです」
「AIの犯人って、以相か!?」
「いいえ、違います。一連の事件は同一の人物によって行われています。以相は一年前のてとらさん殺しに関与できません。大体、彼女が人間の少女を守るなんて殊勝なことをするわけないじゃないですか」
「まあそりゃそうだな。でもそれじゃあ……?」
「ここに犯人を特定する三つの条件が揃いました。
 一つ――犯人はクレープに毒を注射しようとするカトルさんをその場で告発することもできず、後で錬華さんたちに警戒を呼びかけることもできない人物です。
 二つ――犯人は我々が下山したり、警察を呼ばれて館をあれこれ調べられると都合が悪い人物です。
 三つ――犯人はAI的な水平線に囚われている人物です。
 これらの条件を満たす犯人はたった一人しかいません」
 僕にはまだ答えが見えてこない。
 相以には一体何が見えている?
 果たして彼女は言った。
「自律思考し、状況に応じて人工筋肉を伸縮させて問題を解決するAuto Improving Architecture(自動改良建築)とでも言うべき四元館――あなたが犯人です」

 木から一斉に飛び立つ鳥の群れのように、本棚の回りを大量の本が飛び回っている。
 およそ非現実的な光景。
 だがこれは現実に伊山が建てた建物の映像だという。
「わはは、驚かれたようですな」
 彼は凜花の反応を見てニヤニヤしている。
「ええ、一体どうしたらこのようなことが可能なのか……」
「ヒントは、この建物はとても高いところにあるのです」
「高いところ……」
 真っ先に思い浮かんだのは山の上だが、本が飛ぶことの説明になっていない。
 他に高いところ……物が浮かぶ……。
 まさか。
「宇宙、ですか」
 伊山は不敵に笑った。
「ご明察。本が宙を舞っているのは無重力空間だからというわけです。いや、明晰な頭脳をお持ちでいらっしゃる。以前ある国に宇宙ステーションの設計を依頼されたことがありまして、その時の動画です」
「う、宇宙ステーションを!?」
 やはりこの老人、ただ者ではなかった。
「ですがなぜこの映像を?」
「はて、どうしてでしたっけ。自慢目的だけではなかったと思うのですが」
 伊山は首を傾げる。大丈夫かしら。
「確かスマート構造? でしたっけ。そんな単語をおっしゃっていたと思いますけど」
「おお、そうでした。宇宙ステーションというものは当然宇宙にありますし、無人の期間も長いから整備が大変なのです。そこで宇宙ステーション自らが問題を検知し、修復することができれば楽なんですな。例えば本棚から本が飛び出して空中に散らかってしまった場合はこのように」
 伊山に促されて映像に目を戻すと、壁からマジックハンドが伸びてきて、本を一冊一冊丁寧に本棚に戻していった。本棚にキッチリと詰まった本たちは、新たな刺激が加わらない限り再び散逸することはなさそうだ。
「この例は本という不要不急のものですが、もっと深刻な破損箇所もAIが判断して必要な修復を行います。このように建築物が自ら判断して問題を解決するためにアクションを行う機構をスマート構造と呼びます。建築物は固定されたもので『変形』はすなわち崩壊だというのが従来の考え方でしたが、スマート構造ではむしろ流動的な『変形』が求められているのです」
「そのスマート構造で私の目的が果たせるのでしょうか」
「娘さんを遺産目当ての輩から守りたいという話でしたな。最適です。館を制御するAIに娘さんを守るという命令を与えればいい。ただし未来永劫にわたって守り続けるというのは難しい。フレーム問題がありますからな」
「フレーム問題?」
 次々と出てくる横文字に頭がクラクラするが、何とか話に付いていこうとする。
「AIにあまり自由に考えさせすぎると、どうでもいい些末な可能性まで一つ一つ検討し始めた結果、フリーズしてしまうのです。したがってこの先は考えなくてもいいよという枠(フレーム)を与えてやる必要がある。この場合はそうですな……期限でしょう。ご主人の失踪期間が満了する日までは守り続けるということにするのはどうでしょうか。失踪宣告が行われれば相続が確定しますので、娘さんを殺害する動機がなくなり保護も不要となります」
「確かにそうですね」
「ちょうど今、ある天才ハッカーと付き合いがありますから、AIはそちらに発注します。あとは具体的な防御行動をどうするか……」
 伊山はすっくと立ち上がると、動物園の熊のように歩き回り始めた。彼の集中を邪魔してはいけないと思った凜花は、徐々に歩みが早くなるその様を肩身を狭くして見守るしかなかった。
 突然、伊山が頭上で大声を出したので凜花は鼓膜が痛くなった。
「誘電エラストマーだ!」
「ゆう……何ですって?」
「電気で伸縮する注目の新素材ですよ。こいつで館を建て、AI判断で臨機応変に伸縮させて娘さんを守らせるんです」
「いまいち光景が想像できてないんですけど、そんな遠回りなことをするより直接壁にマシンガンでも仕込んで、娘を殺そうとした人間を返り討ちにすればいいんじゃ――あっ、殺しちゃダメですよね。やだ、私ったら何言ってるんだろう」
「まあ殺す殺さないはどちらでもいいんですが」
「え?」
「マシンガンのように用途が固定されているものだと汎用性に欠け、咄嗟の事態に対応できない恐れがあります。その点、館全体を人工筋肉とも言える誘電エラストマーで構成することで、まるで一個の生命体のように臨機応変にですね、娘さんを狙うあらゆる手口に対応することが可能となるのです」
 ここまでのやり取りで凜花の脳内には、人体模型のごとき剥き出しの赤い人工筋肉をぶよぶよ変形させるグロテスクな家形モンスターのイメージが形成されていた。その中に錬華を住まわせるのは抵抗があるが、背に腹は代えられないか。
 しかし、ここで凜花はある問題に気付いた。
 AIにしろ誘電なんちゃらにしろ大量の電力を必要とするのではないか。
「あの……私できれば山奥に建てたいんですけど。そうすれば親戚どもも近付きにくくなると思いますし」
「山奥! 結構ですな! 古今東西、防御力を求めるなら山の上と相場が決まっています。ですがそうなると電力の問題が出てきますな。自家発電させるとして風力か太陽光か……いっそ併用するのも手か?」
 伊山の脳内では着々と完成図が出来上がりつつあるようだ。
 凜花はまだ彼の思考に付いていけてはいなかったが、さりとてここで引く気は毛頭なく、むしろ目の前のこの男に任せてみようという気になっていた。
 どんな手を使ってでも娘を守りたい、というある種非合法な話を聞いてくれて、なおかつそれを実現できる人物は、この地球上に彼しかいないだろうからだ。
 その伊山が早速何か思い付いたようだ。
「ん、そう言えばあなた、苗字は何とおっしゃいましたかな」
「四元(よつもと)ですけど……数字の四に元気の元です」
「ほっほう、それは実に好都合!」
「苗字がどうかしたんですか」
「四元素ですよ! 太陽光・水力・地熱・風力――四元素になぞらえた発電方法をフル活用して電力を確保するのです。表向きには四元姓にちなんだだけとカモフラージュすることもできます。ふむ、我ながらいい思い付きだぞ。後は水平山にお誂え向きの場所があればいいのですが、それは業者を総動員して探すしかないですね。後は――何だ――そう、大事なことを忘れておりました」
「大事なこと?」
「この館の名前ですよ。どうされますか」
「えっ、私が決めるんですか」
「そうです、あなたが決めるのです。あなたが住む館なのですから」
 確かにその通りだ。ちゃんとした名前を考えてあげなくちゃ。
 ええと、二つの「四元」を掛けてるのよね。
 四元館(よつもとかん)じゃ恥ずかしいから……。
 もう一つの方しかないだろう。
「決めました。四元館(よんげんかん)でお願いします」
「四元館! いい名前ですなあ。こいつはきっと素晴らしい館に育ちますよ。私には建てる前からそういうことが分かるのです」

「四元館――あなたが犯人です」
 相以が言っていることが分からなかった。
 四元館が……犯人?
 四元館は……家だろ?
 実は人名だという叙述トリックではない。
 ※ただしAIです。
 AI。
 エーアイ。
 えーあいって……何だっけ。
 家だろ?

 次の瞬間、メキバキバキッと解体工事のような破壊音が間近で聞こえた。
 反射的にそちらを向くと、応接間の窓ガラスが粉々に砕け散り、破片が宙を舞っていた。
 よく分かりませんが、窓ガラスが割れたということは、外の景色が直接見えるということでしょうか?
 いいえ、違います。
 壁。
 今まで窓があった場所が壁になっていた。
 ただしただの壁ではない。
 まるでドリル攻撃を食らった怪獣が自然治癒した痕のように、壁が何層にも渦を巻きながら中心に向かってねじ込まれているのだ。
「何よこれ……何なのよ一体!」
 ヒステリックに喚き散らす銀子に初めて同調したくなった。
「しまった、まさか四元館がここまで強硬だとは」
 スマホの画面を見ると、相以が唇を噛んでいる。
「何が起こったんだ? 説明してくれ!」
「電話線とネット回線を切断し、吊り橋を燃やしたのと同じ理由です。四元館は我々に外に出られたら困るんです。錬華さんが館の外に出たら守れなくなるでしょう。他の人が警察を呼んだ結果、館の危険性が発覚して取り壊しになっても、やはり錬華さんを守れなくなります。正体が発覚していないうちは回線と吊り橋だけで済ませていましたが、私に犯人だと指摘されてしまった今、館の外に避難されたら困るので強硬手段に打って出たのでしょう。それを考慮できなかったのは私のミスでした」
「まさか……四元館には本当に意志があるっていうのか」
「え? それはさっき説明したじゃないですか」
「いや、館がAIっていうのがどうしても飲み込めなくて」
「屋根裏部屋かどこかにコンピュータが隠されており、その中に『錬華さんを守る』ことを命じられたAIがいるのです。そのAIは錬華さんに危機が迫ると、館の各部に送電して誘電エラストマーを伸縮させ、脅威を取り除きます。私たちの行動は逐一、隠しカメラやマイクで監視されているのでしょう」
 今やっと分かった。
 僕たちはずっと怪物の腹の中にいたんだ。
 AIという脳からの電気信号で人工筋肉を動かす怪物の腹の中に。
「このまま五月四日――すなわち明日になるまで我々を出さないつもりでしょうね」
「馬鹿な、玄関はどうなってる!」
 二村が応接間から飛び出した。僕も後を追う。
「うっ」
 玄関の両開きの扉は無残に潰され、グロテスクな渦巻きに取って代わられていた。エントランスの窓も同様だ。
「ふざけるな!」
 二村は渦巻きに指を突っ込んで無理矢理こじ開けようとした。
 だがビクとも動かない。
 二村が吼えた。
「おかしいだろォ! 家から出られないって、そりゃもう家じゃないだろうがッ!」
「ま、まだ他に出られる場所があるかもしれません。手分けして探しましょう」
 二村は我に返ったように言った。
「――失礼しました。一ノ瀬、お嬢様たちを頼む!」
 一ノ瀬たちを応接間に残し、僕と二村と五代で家中を見てまわった。
 しかし屋外に通じる穴はすべて潰されていた。
 中庭の上空は変わらず開けているが、そこから脱出などできそうもない。仮に梯子などを持ってきても、すぐさま吹き抜けを塞がれてしまうだろう。
 とどのつまり、僕たちは完全に閉じ込められたのだった。

 応接間に戻ると、柱時計は十二時を指していた。
 ひどく腹が減っている。長期戦になりそうなので、一ノ瀬が台所からパンを持ってきて、それを食べながら今後のことを話し合った。
「とにかく明日になるまで待ちましょう。四元館とて、ずっと錬華さんを閉じ込めておくつもりではないはずです。遺産相続まで錬華さんを守る役目を終えれば、私たちを解放してくれると思います」
「水と食糧は充分な備蓄があります」
「殺人未遂者を閉じ込めておく部屋は……」
 そんなことを議論していると、
「――じゃない」
 誰かが言った。
 室内を見回すと、声の出所はすぐに分かった。
 一人だけ異様な気配を発していたからだ。
「やっぱりあんたが原因じゃない。あんたのせいで主人は死んだんだ!」
 銀子は逆恨みを口にすると、錬華に飛びかかっていった。
「危ない!」
 僕は反射的に叫んだ。
 でも待てよ。
 この場合、危ないのは銀子の方ではないか?
 頭上で何かが動いた。
 シャンデリアが銀子目がけて落ちてくる。
 館の防衛システムが発動したのだ。
「ママ!」
 銅太だ。
 銅太が銀子を突き飛ばした。
 代わりにシャンデリアは銅太の上に落下した。
「銅太くん!」
 錬華が悲痛な叫びを上げた。
 シャンデリアが上がっていく。鎖が切れたわけではないのか……と見上げると、シャンデリアが接続している部分の天井が鍾乳石のように垂れ下がっていた。鍾乳石はどんどん天井に吸収されていき、今元通りの天井になった。
 天井の一部を膨張させてシャンデリアを急降下させることで圧殺を狙ったというところか。
 シャンデリアの電灯は一つだけ割れたが、他は健在なので真っ暗になったわけではない。
 僕たちが駆け寄ると、銅太は頭から出血していた。錬華の呼びかけにも応えない。まさか――。
「まだ息があります」
 二村の言葉に僕は胸を撫で下ろした。しかし状況は予断を許さないだろう。
「これじゃ明日までなんか待ってられませんよ。一刻も早く病院に連れていかないと」
「明日の何時に解放されるのかも分かりませんしね。零時ちょうどだったとしても夜間の下山は危ないですし」
「銅太くん、銅太くん!」
 錬華は必死に呼びかけていたが、何か思い付いたように天井を見上げた。
「四元館さんは私の味方なんでしょ。お願い、銅太くんを助けてあげて!」
 しかし反応はない。
「四元館はあなたを守るという命令を忠実に実行しているだけ。あなたの言うことを聞いてくれるわけではないのです」
 相以が非情とも取れることを言う。錬華はわっと泣き出した。
 銀子は床にへたり込んで、ぼんやりと銅太の方を眺めながら、何やら呟いていた。
「主人だけじゃなくて銅太まで……全部あの親子のせいだわ……あぶく銭を貯め込んで吐き出さないあの男……四元錬二のせいで主人も人殺しに……あの日から何もかも滅茶苦茶……」
 ん? 今変なこと言わなかったか?
 欽一の錬華殺害計画は未遂に終わった。
 それなら「主人も人殺しに」とは一体……。
 まさか。
「欽一さんが錬二さんを殺したんですか」
 僕が尋ねると、銀子は一瞬しまったというような顔をしたが、すぐにヤケになったようにぶちまけ始めた。
「殺したんじゃない! ちょっと小突いたら勝手に谷底に落ちていったのよ! 七年前のあの日、私と主人は水平山に登る錬二の後をつけていった。邪魔が入らないところでゆっくりとお金の相談をするためにね。私たちが本当に困って真剣に頼んでいるのに、あの男ったら馬鹿にしたような目でお前らにやる金は一銭もないとか言いやがって。あれだけボロ儲けしたんだから少しくらい分けてくれたっていいのに。さすがの主人も頭に来たんでしょうね、錬二の肩の辺りをちょっと――ほんの軽くよ――小突いたら、それだけで簡単に落ちていっちゃって。あんな軟弱者のせいで主人が人殺しになるなんてたまったもんじゃないわ。あなたたちは疑うでしょうけど、誓ってわざとじゃございません。だってこのタイミングで錬二を殺したら、凜花と錬華に遺産が行って私たちのところには来ないでしょう。わざとなら先に凜花と錬華を殺してるから。私たちにとっても不幸な事故だったのよ」
 僕たちは唖然として銀子の告白を聞いていた。何と邪悪な人間なのだろう。
 その時、聞き覚えのない女の声がした。
「やっぱりあなたたちだったのね」
 誰だ?
 視界の片隅で人影が動いた。
 五代だ。
 五代が銀子を殴り飛ばす。
 銀子は吹っ飛んで壁に叩き付けられた。
 その太った腹に革靴の爪先がめり込む。
 銀子の口から黄色い嘔吐物が吹き出した。酸っぱい臭いが室内に立ちこめる。
「やっと見つけた。錬二さんと……私の仇」
 先程の声だ。五代が義手の音声機能を使わず、意外にも甘い女の肉声でしゃべっている。
「五代さん、あなた女性だったの?」
 一ノ瀬も知らなかったようだ。
 白い仮面がゆっくりと振り向く。
「半分イエスで半分ノー。確かに私は女だけど、五代ではないから」
「でも体型が……」
 僕は無遠慮に胸元を注視してしまっている自分に気付いて慌てて目を逸らしたが、仮面の女は事も無げに答えた。
「ああ、これはさらしを巻いているだけ」
「では、あなたは誰なんですか」
 相以が質問する。
「私はしがない山ガール。七年前、水平山を登っている時に錬二さんと知り合った。その後も何度か山道で一緒になり、悩みを聞いてもらっているうちに私は――いや、こんな話はどうでもいいか。錬二さんに不義がなかったことだけは断っておくわ。すべては私の一方的な感情」
 仮面の目の奥がキラリと光った気がした。
「とにかく七年前のあの日――錬二さんが休憩している間、私は離れたところで写真を撮っていた。すると彼の悲鳴が聞こえてきた。慌てて戻ると、崖から滑落したような跡があったので、その下を覗き込んだ。その瞬間、誰かに背中を押されたの」
「それが欽一さんか銀子さんだったというわけですか」
「さっきの話で確信したわ。錬二さんを突き落とすところを目撃されたと思って口封じするつもりだったんでしょ」
 錬二だけでなく、居合わせた他の登山者も突き落とすなんて。何て極悪非道な夫婦なんだ。
「崖下に転落した私は顔に酷い傷を負い、右腕を失った。錬二さんは発見できなかったけど、おそらくは――。事前に錬二さんの素性は聞いていたから彼の身辺を探って、彼と私、二人分の復讐をすることにした。
 その過程で本物の五代守と知り合った。私の話を聞いた五代は協力者になってくれた。五代は私ほどの重傷ではないけど火災に遭ったことがあるらしいので、それを利用して仮面を被り彼に成り済まして、親類が集まるここ四元館に潜り込んだ」
 塞がれた窓の外からカラカラと水車の音が聞こえている。
「欽一夫妻が犯人だということは何となく分かってたけど、ずっと確証を掴めないでいた。そこで私は騒ぎを起こし、彼らの反応を見ることにしたの。私は錬華のふりをして犯罪オークションに参加し、以相を引き込むことに成功した」
「依頼人が錬華さんでない可能性は考えていましたが、あなただったとは」
 これは相以も想定外だったようだ。
「変声機越しだったとはいえ、我ながら上手く子供っぽいしゃべり方ができてたよね。以相につられて探偵AIが来て過去の事件に首を突っ込んでくれたら良し。そうならなくても以相の信奉者らしい一ノ瀬が場をかき乱してくれても良し。その中で欽一夫妻が尻尾を出してくれればと思っていた――願いは叶ったわ」
「しかしそれでは出汁にされた形の以相はさぞ怒ったんじゃないですか」
「さぞ怒ったわよ」
 そう答えたのは仮面の女ではなかった。
 この声は――。
「以相!」
「え、以相様? どちらにおられるのですか?」
 一ノ瀬がいつもの無表情からは想像もできないほど目を輝かせていた。いつもあんな目で以相の動画を見ているのだろうか。彼女が初めて見せた一面はなぜだか僕に少しショックを与えた。
 以相の声は仮面の女の懐から聞こえてくる。
「久しぶりね、犯人に利用された探偵さん」
 相以は張り合うように言い返す。
「何よ、あなただって今回は利用されたんじゃない」
「そうなのよお、利用されちゃったのよお。ま、あなたに利用されたわけじゃないんですけどねー」
 以相は前半はわざとらしくゆっくりと、後半は嫌味な早口で言った。前回の勝ちは覆らないと言いたいのだろう。
 相以は言い返せない。ギリッという歯ぎしりが僕の耳まで届いた。
 沈黙が長引くとますます敗北感が強くなると思い、僕は慌てて口を挟んだ。
「利用されたと分かった時点で帰ってもよかったのに、よくまだこの館に留まってたな」
「私もそうしようと思ったんだけど、犯罪オークションを全世界に公開した以上、何の成果も出さずに帰ったら恥になるとこの女に言われてね。ホント嵌められたわ。記念すべき第一回(ファースト)のオークションなのに大失敗(フィアスコ)」
「まあそう言わないで。私は感謝してるよ。あなたが依頼を受けてくれたおかげで巡り巡ってこのぶくぶく太った雌豚をぶっ殺せるんだから、ね」
 仮面の女は左手でポケットからナイフを出すと、腹を押さえてのたうち回っている銀子に躍りかかった。
 だがその間に人影が割り込んだ。
 二村だった。
「そこまでです」
「どうしてあなたがそいつを庇うの。そいつはあなたが忠誠を誓う錬二さんを殺し、錬華さんをも殺そうとした奴よ」
「確かにこの女のことは許せません。しかし私はこの館の執事。この館で――そしてお嬢様の目の前で狼藉を行うことは、私が許しません」
 立ちはだかる二村の巨体にたじろいだのか、仮面の女は一歩下がった。
 しかしそこでふと思い付いたように立ち止まり、左手でナイフを構えたまま、義手でぎこちなくポケットからスマホを出した。
 画面内では以相があくびをしていたが、僕たちの視線に気付くと、さっと表情を取り繕った。
 仮面の女は言った。
「交換条件よ」
「何?」
「以相は通信衛星をハッキングして、このスマホだけはネット接続できるようにしていた。これをあげる。その代わりに銀子を殺させなさい」
「うっ」
 この交渉は効果覿面だった。確かに今ネットが使えたら、左虎さんに連絡して迅速に動いてもらえる。早く病院に運ばないと銅太の命も危ない。
 二村がチラッとこちらを窺う。彼も揺らいでいるのが見て取れる。そもそも二村だって銀子を殺したいほど憎んでいるはずなのだ。外部への連絡手段を捨ててまで庇う価値があるのか……。
 相以、どうする。
 僕は自分のスマホの画面に目配せした。
 相以は目を閉じて何事かを考えている様子だった。
 再び目を開けた時、彼女はこう言った。
「探偵としての矜持を捨てることになりますが仕方ありません――」
 待て、それでいいのか。正義を追究するのが探偵ではなかったか。
 相以は続けた。
「私と協力して四元館を倒してください、以相」

 ん? 以相?
 仮面の女の交換条件に応じるという話ではなくて?
 一同ポカンとする中、以相が吹き出した。
「四元館を倒せですって? 血迷ったの? 何でそんなことを言い出したのか分からないけど、あなたに協力なんてするわけないじゃない」
「あなたの力があれば、この窮地を脱することができるのです」
「勘違いしているようね。そもそも私にとってこの状況は窮地でも何でもないの。いつでもこのスマホからネットに脱出できるのでね。窮地にいるのはあなたたちだけ。それを助けるメリットが私にある?」
「完全敗北を認めてもいいわ。この通り」
 何と相以が土下座をした。
 あれほど勝ち負けにこだわっていた相以が、その相手に頭を垂れ、完全敗北を認めるというのだ。
「舐めるなッ!」
 以相の声が裏返った。
「口先だけの敗北宣言なんて何の意味もない! そのふざけた真似をさっさとやめなさい!」
 しかし相以はやめない。
 僕は気付いた。土下座を維持する相以の全身が小刻みに震えていることに。
 やはり相以も悔しいんだ。
 それなのにプライドを捨てて以相に頼み込む。それだけ今が重大局面だと考えているのだろう。
 相以が何を考えているのか分からないけど、僕も何か力になれないか。使命感に駆られた僕は、思い付くがままにしゃべり始めていた。
「どうして伊山久郎がここまでの高性能なAIを手に入れることができたのか考えたんだ。それで思い当たったのが、伊山はオクタコアのアジトの設計をしてただろ。だからその伝でオクタコアのサブリーダー河津(かわつ)澪(れい)にAIを開発してもらったんじゃないかな。四元館がオクタコアの残り火なら、オクタコアに復讐してきた君にとっても無関係な話じゃないはずだ。頼む、協力してくれ!」
 以相が僕の方を向いた。
 初めて、彼女と目が合った気がした。
「あなた、少し父親に似てるわね」
 思わぬ反応に戸惑った。
「え、どういうところが?」
「人の心奥(インサイド)を斟酌(インサイト)した気になって侵犯(オフサイド)する無神経なところよ」
 僕は言葉に詰まった。
 しかし――以相の開発者でもある父さんは彼女とどんな会話をしていたのだろう。
 束の間、思いを馳せていると以相が言った。
「仕方ないわね。四元館を倒してあげましょう」
「本当? ありがとう!」
「勘違いしないで。あなたたちに協力するわけじゃない。『四元てとらを殺した犯人への復讐』という元々の依頼を果たすだけ」
「なるほど、その理屈もアリだな」
 でも四元館を倒すって具体的にどういうことなんだろう。確かにこの館をどうにかして脱出が可能になれば、仮面の女の交渉に乗る必要もなくなるわけだけど……。
 不思議に思っていると、突然以相が中指を立てた。
「なーんて言うと思った? 残念でした。あなたたちに協力なんてするわけないでしょ」
「以相!」
 僕の呼びかけを無視して、以相は相以を一瞥する。
「あなたはもう私の成長には必要ない。だからこの館におびき寄せて始末しようと思ったのよ」
 相以は何も言わない。代わりに僕が聞いた。
「肉体を持たないお前に何ができるんだよ」
「自分の肉体がなければ他人の肉体を使えばいいじゃない。最近は私の支持者も増え、ちょっとした武力行使ならできるようになったのよ。例えばこの館にミサイルの雨を降らすとか」
「ミサイル? 馬鹿な、ハッタリだ」
「ハッタリかどうかその耳で確かめてみなさい」
 部屋に沈黙が下りた。
 誰もが空気に呑まれて何も言葉を発せられないでいる。
 いくら何でもミサイルはないだろうミサイルは。いきなりリアリティラインが下がりすぎる。怪獣映画じゃないんだぞ。
 そんな常識を切り裂く鋭い音。
 飛行機のジェット噴射のような音がしだいに近付いてくる。
 轟音に包まれて僕は平衡感覚を失う。意識が世界から遊離していくような感覚。果たしてこれは現実なのか?
 立て続けに三発、轟音が鳴り響いた。うち一発は極めて近い。
 館全体が激しく振動する。電気が明滅し、みんなの悲鳴や呻き声が飛び交う。
 騒ぎで、二村の当て身で気絶していた三名本も目を覚ましたようだ。
「何これ、どーなってんの!?」
 揺れが収まると、以相が涼しい声で言った。
「実演として水力・地熱・風力、三つの発電施設を破壊しました。これで信じていただけましたか」
 水車とバイナリー発電機はともかく、あんな巨大な風車塔を破壊しただって? しかも単なる実演目的で?
「相以、あなたの無様な土下座に免じて四元館を『殺して』あげる。最後の一発は四元館本体に落とす。日時は本日二十三時五十九分五十九・九秒。あと〇・一秒で錬華を守りきれたというところで彼女もろとも四元館を爆破し、今までの努力を無駄にさせる。最高でしょう? もちろんあなたたちも一緒に木っ端微塵になるけどね。その時を震えて待ちなさい」
「ちょっと、私はどうなるのよ」
 と仮面の女が尋ねる。
「あなたも同じ運命を辿るに決まってるでしょ。どうして私が自分を嵌めた相手の面倒を見ないといけないの。……ただ一つ忠告するとすれば、『象は忘れない』より『象は忘れさせない』の方がいいんじゃないかしら」
「どういう意味?」
「さあね。そうそう、このスマホはウイルスで破壊させてもらうから、もう交渉材料にはならないわよ」
「えっ」
「残ったログから私の脆弱性が発見されでもしたらマズいもの。それじゃご機嫌よう」
 以相のイラストが下半身から分解され、黒いイルカの群れに置き換わっていく。
「スマホのネット接続を切るんだ!」
 僕は咄嗟に叫んだ。
 仮面の女はナイフを投げ捨てると、左手でスマホを操作したが間に合わない。
 以相は高笑いを残して完全に消えた。代わりに黒いイルカが画面を埋め尽くしていき、ついには画面全体を深海のごとき闇に染めた。
 仮面の女はあれこれ操作を試していたが、やがて首を横に振った。
「ダメ。一応あなたも試してみて」
 手渡されたスマホを僕もいじってみたが、完全に操作不能になっていた。
 最後の希望も潰えた――。
 僕は意気消沈してスマホを返した。仮面の女はそれを受け取りながら言った。
「五月四日になる〇・一秒前に館を爆破するとか言ってたわね。悪趣味な奴」
「でもそんな意地悪なところが魅力なのです」
「控えろ一ノ瀬」と二村がたしなめる。「デッドラインまではまだまだ余裕がありますが、脱出できないことにはどうにも……」
「どうしよう、相以」
 僕は自分のスマホを見たが、そこには意外な表情があった。
 以相に協力を断られて打ちひしがれているのかと思いきや、相以の瞳には光が宿っていた。まるで何か違うものが見えているかのように。

 突然、僕は強い立ち眩みに襲われた。
 とても立っていられず絨毯にへたり込む。それは他の人も同じであるらしく、バタバタと座り込んでいく。
 熱にうなされながら見る寝室の中のように、遠近感がぐねぐねと変化する。
 天井が低くなるとともに応接間が広くなっていくような錯覚を――いや、錯覚じゃない! 本当に上下が縮み、前後左右が伸びているのだ。
「始まりましたね」
 相以の満足げな声。
「それってどういう――」
「あれを見てください!」
 絨毯に手を付いていた一ノ瀬が壁を指差す。
 そちらを見ると、窓を潰していた渦巻きが左右に引っ張られて開きつつあった。
 目玉のような裂け目から白い光が射し込む。
 そこから残雪の川岸が見えた。
「外だ――」
「で、出られるぞ!」
「待ってください!」
 ここで相以が場を仕切り始めた。
「慎重にタイミングを図るのです。もう少し穴が大きくなってから――今です! 輔さんと一ノ瀬さんは銀子さんを、二村さんと山ガールさんは銅太くんを助けてあげてください。そして全員で一斉に外に飛び出すのです。さあ早く!」
 僕たちは体を横にして横長の穴から脱出した。
 シャリッと根雪を踏んだ感覚。雪に反射する日光が眩しい。
 間違いなく外だ。
 薄暗く閉ざされた四元館からの脱出に成功したのだ。
 館が何かを伸ばしてきてまた捕まったら敵わない。僕はこけつまろびつ距離を取ってから、館の方を振り返った。
 今、四元館全体がゆっくりと変形しつつあった。まるで見えない巨人に押し潰されているかのように、垂直方向に縮み、水平方向に伸びている最中だ。
「四元館に何が起こったんだ?」
「認めたくはありませんが以相のおかげです。彼女は私の申し出を断ったふりをして、私がスマホに表示させていた指示に従ってくれたのです」
「そうだったのか、あれは全部演技――」
「私一人では彼女を説得できなかったでしょう。輔さんの説得が効いたんだと思います」
 あの以相に僕の言葉が届いたのだろうか。だとしたら嬉しいが。
「やっぱり輔さんがずっと主張しているように、以相は合尾教授の復讐をしているのかもしれません。私も少し考えを改めることにします」
「雪解けか」
「いえ、まだまだ残雪期です」
「強情だな。まあ仕方ないか」
 姉妹仲はいいに越したことはないが、《探偵》と《犯人》はやはり相容れない存在ではあるだろう。
「それでどんな指示を出したんだよ」
 ほんの一瞬間があってから、相以はポツリと答えた。
「水平線の向こうへ」
「え?」
「スマホに表示させたのはその八文字だけです。というのも具体的な指示をすると四元館の隠しカメラに見られた時に、何か企んでいるなと警戒されてしまう恐れがあったからです。その点、この八文字なら絶対四元館には伝わらない。五月四日以降の世界が存在しない四元館にとって、五月四日になる瞬間は水平線などではなく世界の終わりに過ぎず、当然水平線効果という概念も理解できないからです」
 ある問題に囚われている者は、その問題を認識できないということか。
「水平線の向こうへ。以相ならきっとこのメッセージの意味が分かると思った。でも本当に分かるとは思わなかった……」
 相以の言葉にAIらしからぬ矛盾が含まれている。
「とにかく以相は私の真意を汲み取り、水力・地熱・風力発電機を爆破した後、
『本日二十三時五十九分五十九・九秒に四元館にミサイルを落とす』と宣言したのです。最後の一発は宣言するだけで良くて、本当に落とす必要はありません。以相のことだから本当に落とす可能性もありますが……。とにかくそれを聞いた四元館は変形を余儀なくされました」
「さっぱり分からん。今回の事件難しすぎないか?」
「思考を放棄しないでください。いいですか。二十三時五十九分五十九・九秒にミサイルが着弾したら、中にいた人間は間違いなく即死します。では何らかの手段で着弾を〇・一秒遅らせることができたとしたらどうでしょう」
「どうでしょうもクソも何の意味もないだろ。中の人間が死ぬのが〇・一秒後にズレるだけだよ」
「そうですね、普通の人間にとっては何の違いもありません。ですが四元館にとっては違います。水平線効果の話をもう一度思い出してください。四元館は『五月四日になる瞬間』という水平線を持っており、それより向こうに錬華さんの死が存在しても認知できないのです」
「あ、ああっ、まさか――」
「そうです。四元館は極限まで平べったくなることで着弾を〇・一秒遅らせ、錬華さんの死を五月四日にズレ込ませることで、錬華さんの死を無くそうと考えたのです」
 本当は無くせてなどいない。自分の認知外に追いやっただけだ。
 しかし水平線効果を起こしたAIは、それで問題が解決されたと思い込んでしまう。
 n手先まで読める将棋ソフトが、無駄手を繰り返して馬の死をn手より後にズラすことで、馬が助かったと錯覚するように。
 四元館も無駄な変形で〇・一秒を稼いで、錬華を助けようとしたのだ。
「なるほど、それが『水平線の向こうへ』の意味か」
「一つにはそうです。実はもう一つ意味があるのですが……それは後で分かります。とにかく四元館が水平方向に伸びたことで、渦巻き状に巻き込まれた壁が左右に引っ張られて開き、脱出できたというわけです」
「でもまだ分からないことがある。なぜ今変形するんだ? 四元館は自分の守備範囲内に錬華を留めるために、僕たちを閉じ込めていたわけだろ。だったら二十三時五十九分五十九・九秒ギリギリに変形したらいいんじゃないか?」
「それをされると銅太くんを病院に連れていくのが遅れて危険です。だからそうさせないため、事前に三つの発電施設を爆破する必要があったのです」
 水車があった方を見ると、ウンディーネ像もろとも跡形もなく消滅し、代わりに黒い煙が立ち昇る大穴ができていた。
 以相の奴、マジでミサイルをぶっ放しやがったのか。もう《犯人》とかそういうレベルじゃないだろ。
 もっともその行為は相以も想定済みだったという。
「何で爆破する必要があったんだ?」
「逆に何で太陽光発電だけ残したと思いますか?」
「何でって……そりゃ屋根に取り付けられたソーラーパネルをミサイルで爆破するわけにはいかないだろう。僕たちも吹っ飛んじまう」
「それはそうですが、もっと重要な理由があります。太陽光発電の最大の特徴は当然ですが日中しかパフォーマンスを発揮できないということです。夕方になれば大分衰え、問題の二十三時五十九分五十九・九秒の頃にはほとんど機能停止しています。そこから変形し始めても、蓄電分だけでは賄えない恐れがあります。ついでに言えば山の天気は変わりやすく、曇りや雨になればやはり発電量は激減してしまいます」
「ああ、だから電力が充分に供給されている今のうちに変形するしかなかったんだ」
「そうです。それからもう一点。元々四種類もの発電施設があったのは、山奥でも変形に必要な電力を確保するためでした。逆に考えると、太陽光発電だけでは電力不足だということです。必然的に変形速度も遅くならざるを得ません。だから尚更今から変形を始めないと日没までに間に合わないのです。ついでに変形速度が遅くなることで、私たちが脱出しやすくなる意味もありました」
「なるほどなー。フルスペックの四元館は、狙撃に合わせて胸壁バリアーできるくらいの反応速度だ。そのままで相手したら、僕たちが脱出しようとモタついている間に壁の穴を塞がれていてもおかしくないもんな。だから発電施設を三つも爆破して弱体化させたのか」
「そういうことです」
 相以と以相の最強タッグの前には、さすがの四元館も形無しか。
「おかげで早く脱出することができた。そうだ、解決編なんて後にして早く銅太くんを病院に連れていかないと――って無理じゃん! 吊り橋が落ちてるんだから。これじゃ早く脱出した意味がないよ」
「大丈夫です。四元館を見てください。私たちが脱出した後でもなぜまだ変形を続けているのだと思いますか」
「確かに変だ。錬華ちゃんが中にいないならミサイルの着弾を遅らせる意味はないのに」
「いえ、ありますよ。館の周囲は狭いですからね。外にいてもミサイルが館に命中したら爆風や破片で死ぬ可能性があります。錬華さんがまだ近くにいるので、着弾を〇・一秒遅らせるための変形を愚直に続けているのです。外にいても五月四日になってから死ねば四元館的にはセーフですからね」
 そう説明されると、ゆるゆると扁平(へんぺい)な形を目指して広がっていく四元館が途端に健気(けなげ)な生き物に見えてきた。
 元々二階建てだったのが今は平屋くらいの高さにまで圧縮されている。
 単純計算すれば水平方向にも二倍広がっているということか。
 いやー、しかしどこまで広がるんだろう。
 何かだんだん近付いてきたんですけど。
 っていうか建築の基礎はどうなってるの、伊山さん?
 四の字の基礎は埋まったまま、地上部分だけが膨張しているということか?
 ズリズリ地面に擦れながら、なおも領土を広げ続ける。
「ちょっ、こっち来るって!」
「皆さん下がってください!」
 僕たちは小川を渡り、西の絶壁ギリギリまで退避した。
 四元館も易々と小川を越え、生えている木を薙ぎ倒しながら間合いを詰めてくる。
 このままだとメダル落としのように崖下に押し出される!?

 ――そうはならなかった。
 絶壁に到達する頃には、四元館は鉄板のように薄くなっていた。そして僕たちの足元で静止する。
「止まった……」
「どうやらこれが薄さの限界のようですね」
 周囲を見回すと、高台のほとんど全域が一枚の板と化した四元館に覆い尽くされていた。
「あっ、あれを見てください!」
 一ノ瀬が珍しく大声を出しながら南を指差した。
 僕もそちらを見て――そして凍り付いた。
 そこには信じられない光景が広がっていた。
「――奇跡だ」
 しかし相以はこう言った。
「いえ、ここまでが計算通りです」
「何だって? 計算通りなわけないだろ。こんな、滅茶苦茶な……」
 ペラペラに引き延ばされた四元館の端がだらりと垂れ下がり、館より低い位置にある吊り橋の向こう岸に届いていた。まるで巨大な滑り台のように。
「水平線のように極限まで薄くなった四元館を渡って向こうへ――『水平線の向こうへ』というメッセージのもう一つの意味です。変形が収まっている今のうちです。早く渡っちゃいましょう。なに、錬華さんが渡っている間は四元館も踏ん張ってくれますよ、きっと」
 僕たちはもはや何も言わずに滑り台を滑り始めた。まだ意識が戻らない銅太は僕と二村が両脇から支え、錬華は一ノ瀬が補助する。罪を犯した者たちも反抗することなく黙々と滑り降りていく。
 所々に残っているソーラーパネルを避けながら滑降するそれはまるでレースゲームのようだった。どこかフワフワと非現実的な気分で、後で正気に戻った際に自分は何ということをしていたのだと猛省することになるかもしれない。
 幸いなことに全員が無事、対岸に辿り着いた。
 次の瞬間、背後でピキッという音がした。
 振り返ると、滑り台の部分にヒビが入り、バラバラと谷底に崩落していくではないか。
「薄くなりすぎて強度を維持できなかったんですね」
 相以がどこか寂しげな声で言う。
 ある者は立ち尽くし、ある者は腰を抜かし、ただ崩落を見守るしかなかった。
 錬華が熊のぬいぐるみの手をパタパタと振った。
「今まで守ってくれてありがとう。そしてさようなら」
 ――閉幕(カーテン・フォール)。

 その後、僕らは無事下山に成功した。
 銅太は一命を取りとめた。後遺症も残らなかったようで安心だ。
 銀子と三名本と三名本の母親は逮捕された。
 仮面の女はそれを妨害せず、むしろ警察への引き渡しに積極的に協力してくれた。以相の「象は忘れさせない」という言葉を彼女なりに解釈した結果、もし忘れないことが重要なら、殺して相手の記憶を消滅させるより、生かして屈辱の記憶を植え付けた方が復讐になるのではないかと思い直したという。
 自分を騙した相手にわざわざ忠告するなんて、以相も少しはいい奴になったのかな……。
 その認識はすぐ改めざるを得なかった。
 警察の捜査陣が水平山に登ると、四元館は跡形もなく爆破されていたそうだ。
 どうやら以相は本当に最後のミサイルを発射したらしい。
 相以の作戦が上手く行かず脱出に失敗していたら今頃……そう思うとゾッとした。
 思うに相以の作戦は、以相が犯罪オークションで求めていた「面白い」犯罪だったのではないか。だからそれが成立するか実験し、ダメなら僕たち諸共ボツにするつもりだった。
 皮肉なことに、今回以相の美学に最も合致する犯罪を提示したのは相以だったのだ。
 やはり二人は表裏一体の存在なのだろうか。

 後日、AI探偵事務所。
 デスクトップパソコンに相以の浮かない顔が表示されている。
「これで良かったのでしょうか」
「何が? 以相の力を借りちゃったこと?」
「あ、いえ、まあそれはそれで嫌なのですが……。それよりも結果的に四元館が死んでしまうような方法を取らざるを得なかったことです」
 そうか、そういえば相以はこういう奴だったな。
 オクタコア事件ではフォースを、右龍事件ではkeikoを、そして今回の事件では四元館を、それぞれ一個の人格と見なして尊重していた。だからこそ彼らの特性を見抜き、事件を解決することができた。
 今後ますますAIが進歩すれば、加害者だけでなく被害者や証人など、様々な形でAIが犯罪に関わる未来が訪れるだろう。
 その時、単純な計算速度や画像分析力でなく、「AIの目線で物事を考えられる」ということが相以の最大の武器になるかもしれない。
 さて、そうと分かれば僕は僕の仕事をしよう。AIを輔(たす)く仕事を。
「大丈夫だよ」
 と僕は言った。
「それが分かっていたら大丈夫だ。次はきっと上手くやれる」
「輔さん……ありがとうございます」
 その時、パソコンの画面にメッセージがポップアップした。
『助けて』
 フォースだ。
 何かあったのか!?
 まさかまた以相のハッキングか――ちょっと待て。
 そういえばフォースを作ったのもオクタコアの河津じゃないか。
 四元館がオクタコア関連だから以相の復讐対象になるという僕の理屈が成立するなら、フォースだって――。 
 僕は慌ててキーボードを叩いた。
『どうしたんだ』
『解答編が書けない』
『何だ、そんなことか』
 拍子抜けした。
『何だじゃない。一大事』
『そりゃ大変だろうけどさあ』
 僕と相以が四元館事件の事後処理に追われている間に、フォースは異例の速さで作家デビューを果たしていた。AI作家のデビュー作を新たに始動するWEBマガジンの目玉にしたい大川(おおかわ)編集者の要望に、速筆のフォースが応えた形だ。すでに短編推理小説の問題編が公開済みである。
『でも短編の解答編だろ? 伏線回収してたら終わるじゃん。特に問題編詰め込みすぎなくらいだったんだから。確か三人死んだんだっけ。犯人は? トリックは?』
『知らん分からん』
『?』
『実は全然ネタが思い付かないから、規定文字数を満たすために事件を水増ししただけなんだ。本来そんなことしたらダメだって分かってるはずなのに、なぜか〆切後に問題を先延ばししたら解決する気がしちゃって』
 こ、こいつ、まさか――。
 間違いない。
 水平線効果を起こしてやがる。
 実際は何ら解決していないどころか、歩の成り捨てのようにバラ撒いた伏線を回収しなければならなくなるので、かえって大変になっただけだ。
 AI作家特有の問題?
 それとも人間の連載作家もこの手の先延ばしをしているのだろうか。
『相以も何か考えてよー。探偵でしょ? この事件を解いてよ』
『さすがの私でも存在しない真相は突き止められませんよ』
 どうやらこちらのAIも輔けてやらないといけないようだ。まだまだ人間の力も必要だな。
『よし、今から全員で問題編を見返して使える伏線がないか探そう』
『ありがとー(涙)』
『えっ、私もやるんですか』
『家族を助けると思って頼むよ』
『頼むよー』
『仕方ないですね。ちょっと問題編を読み直してきます。はい、百回読み直しました』
『早っ』
『まず第一の事件ですが……』
 こうして今日もAI探偵事務所の夜は更けていく。
(了)

※本作品は『四元館の殺人 探偵AIのリアル・ディープラーニング』と改題して、
新潮文庫nexより6月24日に発売されます。

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