新潮新書

松井秀喜 『不動心』




はじめに

 シーズンオフになって帰国してから、もう何人の方に聞かれたでしょうか。「松井さん、骨折した左手首は大丈夫ですか」と。
 僕は「ええ、大丈夫ですよ」と答えます。すると、相手の方は、骨折の痛みを想像するように顔をしかめ、「大変な年になってしまいましたね。頑張ってください」となぐさめてくれます。
 色々な方に心配してもらえる僕は、幸せだと思います。手首の状態を心配してくれるファンの方々に、いつも心の中で御礼を言っています。そして、御礼の後には必ず「そんなに心配しないでください。僕は大丈夫ですよ」と付け加えています。
 非常に大変な1年だったことは間違いありません。正直言って、手首の状態は完璧ではないし、これからのことを考えると不安にもなります。
 しかし、難しいことを言うようですが、その苦しみやつらさこそが、生きている証ではないでしょうか。僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます。
 一度のミスも、スランプもない野球選手などいるでしょうか。絶対にいません。プロ野球選手として成功してきた人々は、才能だけではなく、失敗を乗り越える力があるのだと思います。僕も、そんな力を身につけたいと考えています。どんな技術やパワーよりも、逆境に強い力を持った選手になりたいと願っています。
 これまでの僕は、プロ野球選手として順風満帆でした。多少のスランプや怪我はありましたが、周囲の人や環境のお陰で、恵まれた選手生活を送ってきました。
 今回の左手首の骨折は、これまで体験したことがないほどのアクシデントです。肉体的にも精神的にも、これを乗り越えられるかどうかが、今後の僕の選手生活を左右すると言ってもいいでしょう。
 乗り越えてやろうと思っています。乗り越えてみせると、自分自身に誓っています。
 そのためには、いま自分がすべきことは何なのかを正確に受け入れ、それを補う努力をしていくしかないと思っています。

 今、世の中には暗いニュースが多くあります。シーズンが終わってアメリカから戻ると、いじめによる自殺が相次いでおり、心を痛めました。問題の解決は簡単ではありませんが、絶対に死んではいけません。どんな方法であるにせよ、何とか乗り越えてほしいと願います。
 生きていくことと「悩み」は切っても切り離せません。仕事に悩み、受験に悩み、対人関係に悩み、容姿に悩み……いくらでも、悩みや苦しみは生まれてきます。
 僕はプロ野球選手として、多くの人に勇気や希望を与えたいと願っています。悩み苦しんでいる人が、僕のプレーを見て勇気を持ってくれれば、これほど幸せなことはありません。選手にとっては、プレーこそがファンの方へのメッセージです。プレー以上のメッセージはありません。
 その考えに変わりはありませんが、骨折してバットを振れない時期、ファンの皆さんから頂いた手紙やメールが、どれほど僕の励みになったか分かりません。言葉には大きな力があることを、痛感しました。そして、御礼の気持ちを表すべく、拙いながら、僕も言葉を送りたいと考えました。
 これまで、巨人にいた時も、ニューヨーク・ヤンキースに来てからも、毎日のようにメディアの方の取材に応えてきました。僕としては、彼らを通じて自分の状態をお伝えしていたつもりですが、いい子すぎてつまらない、などとも言われてきました。本音を言ってない、と思われているところもあるようです。
 ならば、本当はどんなことを考えているのか。また、そう思われてしまうのはなぜなのか。本書では、そうしたところも素直にお伝えできたらと思っています。
 2005年末に石川県の実家にオープンした「松井秀喜ベースボールミュージアム」に、僕はこんな言葉を掲げています。
〈日本海のような広く深い心と
 白山のような強く動じない心
 僕の原点はここにあります〉
「広く深い心」と「強く動じない心」――すなわち「不動心」を持った人間でありたいといつも思っています。
 もちろん僕も人並みに悩みます。苦しみます。失敗します。けれども、そこで挫けたり、逃げ出したりはしない。悩みや苦しみ、失敗や逆境をどう糧にしていくか。マイナスをどうプラスに変えていくか。いつもそんなことを考えています。
 僕はあくまで一野球選手に過ぎません。人生経験も決して多いとはいえません。でも、アメリカで一人で戦いながら僕が掴んだものは、少しはお役に立てるのではないかとも思っています。
 僕の考え方や気の持ち方、メンタルな部分での自己コントロール法を紹介することで、悩みを抱えている方が壁を乗り越えるためのヒントになれば、こんなに嬉しいことはありません。




792 円(定価)

購入




ページの先頭へ戻る