こざわたまこ『負け逃げ』

発売前の短篇 全文公開!「美しく、輝く」
[書評]窪美澄「けもの道を全力で走り出す」
目次

目次

Ⅰ 僕の災い
Ⅱ 美しく、輝く
Ⅲ 蠅
Ⅳ 兄帰らず
Ⅴ けもの道
Ⅵ ふるさとの春はいつも少し遅い

「野口は、この村いちばんのヤリマンだ。  けれど僕は、野口とセックスしたことがない」 という書き出しで選考委員の度胆を抜いた、 第 11 回「R-18文学賞」読者賞受賞作「僕の災い」。 その世界観をぐぐっと広げた小説『負け逃げ』が、この 9 月に発売になります。 舞台は、巨大なスーパーマーケットと国道沿いのラブホテルが夜を照らす小さな村。 街中みんなが知り合い、という場所で生まれ育った高校生と大人たちは それぞれ閉塞感とやりきれない思いを抱えながら暮らしています。 彼らの鬱屈した思いは、家族に、クラスメートに、 そして時にセックスに向かっていきます。 たとえば 2 章「美しく、輝く」の主人公は、高校 2 年生の真理子。 漫画家志望ですが、作品を描ききったことはありません。 同級生で、やはり漫画家志望の美輝ちゃんとの出会いにより 真理子の心が少しずつざわめき始めます。 クライマックスの橋の上のシーンは鳥肌ものです。 編集部で読んだ人間が全員「面白い!」と手放しで褒める 小説『負け逃げ』。 その2章を無料で全文公開いたします。

II 美しく、輝く

 子供の頃、閉じ込められたものを見るのが好きだった。

 例えば水槽とか、虫カゴとか。テニスやバスケ、サッカーのコートとか。四角の枠の中で、枠をはみ出さずに動いているものが好きだった。特にお気に入りだったのは、通信教育の理科の教材についてきた、蟻(あり)の観察キット。透明で四角い箱の中に、ジェルと蟻を入れると、巣ができていく過程が見られるというものだ。少しずつトンネルが作られ、それが網目状に広がって、複雑な模様が描かれていくのを、いつまでも見ていることができた。

 蟻は、自分の描いている模様を知らない。そして、絶対にその枠の中からはみ出さない。けど人間だって、蟻が箱の中に描いた模様を描き直すことはできない。いじりたいなら箱を壊すしかない。でも、それじゃあ四角の枠じゃなくなる。そうこうしているうちに、元気に動き回っていた蟻は動きを止めて、箱の中で死んでしまう。次第に、枠の中のものには手出しできないというその状況が、物足りなくなっていった。

 そんなある日、父親が酔っ払って買ってきた漫画雑誌を、何の気なしにめくってみた。するとそこには、たくさんの四角があった。枠の中には、絵が描かれている。絵の人物は台詞をしゃべって動いては、物語を進めていた。それが、枠の中でうごめいてるみたいに見えた。

 熱心にページをめくる私に、父は呂律の回っていない口で、真理子は漫画が好きなのか、じゃあいっぱい漫画を描いて漫画家になりなさい、と言った。それを聞いた母は父をたしなめ、酔っ払いの言うことなんて本気にするんじゃないわよ、と言ったけど、もう遅かった。

 その日から、私のいちばん好きな四角は漫画になった。これを描いている人がいる。しかもその人は、このたくさんの四角の枠の中を自由にしていいのだ。そう思ったら、幼心に胸がはずんだ。私は、自由帳やチラシの裏に、雑誌の見様見真似で漫画を描き始めた。



「ていうか、このクラス最悪じゃない?」
 ゆきりんはそう言うと、ポーチから鏡を取り出した。ハラエリがゆきりんの言葉に大きく頷く。教室の窓から降り注ぐやわらかな春の光が鏡に反射して、私は思わず目を細めた。

 ついこの間まで降り積もっていた雪も、校庭の隅に追いやられて、消えてなくなるのを待つばかり。桜よりたんぽぽより、道の端っこで泥にまみれた雪のとけ残りを見ると、ああ、今年も春が来るんだなあと思う。

 二年生のクラス替えで、私達はめでたく同じクラスになれた。私とハラエリは素直にそれを喜んだけど、ゆきりんはこの教室の面子が気に食わないらしい。新クラスになってからというもの、私達の昼休みは毎度、ゆきりんのこんな愚痴からスタートする。

 男子はなんかレベル低いし、担任は生理的に受け付けないし。ていうか今こっち見てるよね、ヒデジ。ほら見てるよ、もう無理まじ無理。生理的にって意味わかるでしょ。なんかあの視線、納豆っぽいじゃん、べたーって。ね、ぽいよねえ、あはは。

 ここまで聞いて、心の中でゆきりんの顔にばってんをつける。その隣で爆笑してるハラエリには、もっと大きくばってん。漫画のネタにしようと思ったけど、やっぱり却下だ。なんて個性のない台詞だろう。自分のクラスが嫌とか、全国どの高校に行ったって誰かが言ってるし、それ以前に何そのたとえ。納豆って。よりにもよって納豆って。発酵食品とか生活感溢れすぎ。

 私の失望を知るよしもなく、ゆきりんは鏡を覗いて、切る前も切った後もたいして変わらない前髪の長さを気にしてる。昨日美容院に行って、憧れの雑誌モデルと同じ髪型にしてもらったんだそうだ。眉下ギリギリのパッツンに、黒髪ロングストレート。

 でも、小悪魔系を自称するそのモデルの髪型は、小悪魔、っていうより馬っぽいゆきりんの顔立ちには正直あんまり似合ってない。ハラエリは今日の朝、ゆきりんが髪型を変えたと認識するやいなや、脊髄反射かよってスピードで、「かわいい」「似合う」を連発してたけど。

「ここだけの話、女子も微妙だよね。オタクっぽい子多いじゃん」
 そう言うゆきりんの視線の先には、同人誌を広げてきゃあきゃあ騒ぐ、女の子達の姿があった。あれ漫画? 高校生にもなって漫画とか、終わってるね。ゆきりんの言葉を受けて、私は曖昧に頷いた。私は二人には、漫画を描いてるってことは隠してる。

 やっぱ最悪、と私の肩越しに投げかけられた視線につられて、そっと教室を盗み見る。そこには、野口さんを中心とした優等生グループや、高校デビューに失敗したにわかギャルグループがいた。

 後は、ゆきりんが一蹴した男子達。頭はあんまりよくないけど、ノリと要領の良さだけでここまでやってきましたというような、小林君達のグループ。学力は小林君達と同程度、でもノリと要領の良さを持ち合わせていませんでした、のオタクグループ。いるんだかいないんだか、生きてるんだか死んでるんだかよくわからない、シュレーディンガーの猫状態の男の子が何人か。

 こんな風に、一度できたグループはおいそれとその構成員を変えることはない。この部屋では小さな四角がたくさん集まって、やっぱりクラスという枠の中に詰め込まれている。

 観察キットの蟻も人間も、大して変わらない。家や、学校や、ひいては私が住んでいるこの村は、どれだけその枠が大きくなったとしても結局四方を囲まれている。私は、その中にいる蟻だ。しかもどちらかというと働き蟻の器なので、女王蟻のご機嫌をとって、同じ趣味の携帯ストラップを買ったり、スカートを同じくらいの丈に合わせたりする。私以外の働き蟻達もみんなそうだ。
 けど私には他の蟻とは違う所もあって、この四角の枠の中の出来事は原稿用紙に自由に描きとめられるってことを知っている。

PAGE TOP