続けて通えば
会津若松に滞在しているときのことだった。
二日目は会津若松から
会津若松を出たのは昼前だったが、帰るのは夕方遅くになってしまった。その理由は、駅から少し離れた美術館に行くまでに思わぬ道草を食ってしまったこともあり、また、帰りの只見線の列車が三時間に一本しかなかったからでもあった。
だが、いずれにしても、すっかり暗くなった会津若松駅に着くと、駅前に停まっているタクシーに乗り込み、繁華街のある七日町方面に向かってもらうことにした。私は、そのはずれにある一軒の居酒屋に行くつもりだったのだ。そして、その居酒屋といえば、前日の夜にも行った店だった。
せっかく初めての土地に来ているのにどうしてもっといろいろな店に行かないのか、と思われるかもしれない。
しかし、私は「あえて」同じ店に行こうとしていたのだ。
私は同業の作家との付き合いがほとんどないが、それでも年長の作家の何人かとはささやかな交流を持った。
そのひとりに、いまはもう亡くなってずいぶんになる山口
銀座の小さな酒場で知り合った山口さんとは、何度か酒席を共にすることもあったし、その酒場の
対談の内容は、それがスポーツ雑誌だということもあって、プロ野球や競馬の話が中心だったが、途中で、ふと思いついて、山口さんに質問してみることにした。
紀行文を書くための
山口さんは、主として小説雑誌に連載するというかたちで国内旅行を中心に多くの紀行文を書きつづけていらした。
私のその質問に対して、山口さんはこう答えた。
第一 相棒を誰にするかをよく考える
第二 滞在中ひとつの店に何回も行く
第三 書く枚数を長く用意してもらう
第四 とりわけ枕の部分を長く書く
第五 書く媒体を選ぶ
このうち、第一のどんな相棒にするかは確かに大事なことだが、私のように一人旅を好む人間にはあまり重要ではない。第三と第四と第五はプロの書き手向けの要諦かもしれない。
しかし、第二の、ひとつの店に何回も行くというのは、単に紀行文を書くための要諦というだけでなく、旅をする人にとって極めて有効な旅の「技術」であるように思われる。
私も、山口さんからそれを聞いて以来、二日以上同じ場所に滞在する場合は、意識的に同じ店に通うようになった。すると、その土地との親密度がぐっと増すということに気がついた。
会津若松駅からタクシーに乗ると、私は目的の居酒屋に電話を入れた。すると、店はもう一杯で、空いている席も予約が入っているが、短時間でいいならいらっしゃい、ということになった。
入っていくと、居酒屋としては早い時間と思われるのに、すでに大勢の客がいて、カウンターも二席しか空いていない。
その一席に案内され、座ると、女将が常連を迎えるような笑顔を向けてくれた。
その笑顔に勇気を得て、お飲み物はと訊ねられた私は、たぶん常連でなくては頼めないような注文の仕方をした。
この日は、朝から歩きまわっていたため昼に何も食べていない。そんな胃の状態で酒を飲むと酔っ払いかねない。そこで、と私は女将に頼んだのだ。昨夜、締めに特製カレーというのを食べている人がいたが、とてもおいしそうだった。飲む前に、それを食べさせてもらえないだろうか。女将は、私のその頼みを聞くと、それは大変でしたね、飲む前に少し食べ物を胃に入れておいてもらいましょう、と愛想よくカレーの用意をしてくれた。
居酒屋で、酒を飲む前にカレーを注文するというわがままを許してもらった私は、それをきれいに平らげてから、おもむろに会津の酒に向かうことができたのだ。
そして、調理人の御主人が勧めてくれる、受け皿にたっぷりとこぼれるグラスの酒を三杯も飲むころには、もうこの店には二日ではなく二年は通っているような気分になり、隣の一席に座った初来店の客には、この店のおいしい料理について講釈しているという状態になっていた。
山口さんの第二の要諦は、こういう幸せな夜を用意してくれるものであったのだ。