立ち読み:新潮 2021年2月号

川のほとり/筒井康隆

 晴れているのか曇天なのか、空は白濁した色をしているのでよく判断できない。明るいので彼方の川はよく見える。渡し船が出されそうな大きい川で、河原がそのままこちらに続いていて土手はない。おれはゆっくりと川の方へ歩いて行く。砂地だ。
 川の手前に誰かが立っている。それが誰だかおれはすでに知っている。息子だ。昨年の二月に食道癌で死んだ、五十一歳の息子に違いないのである。彼は浴衣のような白っぽい着物を着ていて、近づくにつれ、それがおれより背の高い息子によく似合っていることがわかる。
 死んだ息子がいるということは、ここがあの世であることを示している。それは確かである。とすると彼方に見える川は、いわゆる三途の川であろう。つまりおれは死んでいることになる。しかし死後の世界などというものをおれは否定している。実際そんな非合理な世界などある筈がないのだ。あるというロマンは理解できるが、現実には存在する筈がない。するとこれはおれの見ている夢なのであろう。三途の川はおれが否定する死後の世界の象徴なのであろう。
 数メートルの場所まで近づいた時、息子はおれに頷きかけた。「父さん」
「おう」おれも頷き返し、そんなことに答えられる筈がないことを知りながら、息子に訊ねて見た。「ここは冥途か。それともわしの見ている夢なのかね」
 息子は困った表情で苦笑した。息子がよくする表情だ。以前からそうだったのだが五十一歳にしては若く見える。子供時代から知っているためにその記憶によって若く見える、というものでもない。息子さんは若い、と、生前から周囲の誰かれから聞かされていたからでもある。「夢なんだろうねえ。だってここがあの世なら、父さんだって死んでいるってことになるから」と、息子は言う。
「そうだな」おれは頷く。「わしが死んでいるのなら、どこだかわからんがこんな場所にいるという意識だってない筈だからな。お前さんだって死んでいるんだから、こんな場所でわしを待っている筈がない」
 息子はいつもの、ちょっと悪戯っぽい笑顔で言う。「ああ。夢でなきゃ僕だってこんなところにはいないよ」
「なあ伸輔」とおれは息子に言う。「だとすると、今のお前の姿も表情も、そして言うことも、すべてわしの意識の産物ってことになるなあ。お前はしばしば面白いことを言ってわしを笑わせてくれたり、わしの知らないことを教えてくれたりしたが、ここではそういうことはないんだなあ。だとすると、つまらんなあ」
 息子はちょっと真顔になった。何か考えている時の癖だ。「そうでもないんじゃないかな。夢の中のこの僕に何か面白いことを言わせようとするなら、父さんは懸命に、どんなことを僕が言えば面白いかを考えるんじゃないの。そうすると、父さんが何か面白いギャグを考えついた時と同じように、それは突然父さんの無意識の底の方からやってくるわけでしょう。突然やってくるのでなければ、面白くもなんともないもんね」
 なるほどなあ、と、おれは思う。今息子が言ったことも、そもそもはおれの考えたことなのだ。考えてみれば夢だってそもそも、予想外のものを見せてくれたり、考えてもいないような意外な展開をするではないか。
「母さんは元気」と、伸輔が訊ねる。
「元気だよ」そう答えてから、そんなことはわかる筈なのに、と思う。何しろおれが返事しているんだからな。しかし夢の中の息子にしてみれば、あくまでそんなことを知らない息子であろうとしているのだろう。「お前が死んでしばらくしてからだが、母さんがわしに『伸輔、どこにいるのかしらね』と言ったことがあった。あれはずいぶんこたえた。怒ったふりで『何を言っている。どこにもおらん』と言ったら、しばらくめそめそしていたが、『夢の中だ』とでも言ってやればよかったかな。とにかく、泣いたのはその時ぐらいだ。『お前さん、あまり泣かないな』と言ってやると、『してやるべきことは全部してやったから』と言ったなあ。だから納得してるんだと。嘆き悲しんでいるわしに『あまり嘆き悲しまないで』と言ったこともある。あれは強い女だな」
「うん。母さんは強いよ」伸輔は頷いて言った。「だから安心だ」
 しばらく黙っていると、川の流れの音が急によく聞こえるようになった。風はないが、ひんやりとして涼しい。
「死んだあと、こんなに長いことわしと話してくれたのは初めてだな」と、おれは言う。「今までは端役みたいにちょっとだけ出てきたり、すぐほかの誰かと入れ替わったりだった。あれはやはり、お前があまり長いこと出ているとわしの感情が昂って夢から醒めてしまうからだろうなあ。夢には睡眠を持続させようとする機能があるからね」
「そうだろうね。だから今はもう、あまり気にしなくなっているんだよ。父さんは僕が死んだことに馴れたんだ」怒りもせずに息子はそう言った。

(続きは本誌でお楽しみください。)