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あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書―

保阪正康/著

924円(税込)

発売日:2005/07/15

  • 新書
  • 電子書籍あり

また巡ってくる8月――62年経って、本当に我々はその答えを見出したのだろうか? 新しい「昭和史の定番」。

戦後六十年の間、太平洋戦争は様々に語られ、記されてきた。だが、本当にその全体像を明確に捉えたものがあったといえるだろうか――。旧日本軍の構造から説き起こし、どうして戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした“真の黒幕”とは誰だったのか、なぜ無謀な戦いを続けざるをえなかったのか、その実態を炙り出す。単純な善悪二元論を排し、「あの戦争」を歴史の中に位置づける唯一無二の試み。

目次
はじめに
第一章 旧日本軍のメカニズム
1 職業軍人への道
陸軍士官の養成機関
「統帥」の教え
海軍の教育機関
2 一般兵を募る「徴兵制」の仕組み
「国民皆兵」の歴史
二年の兵役、五年の予備役
兵役免除、お目こぼし、徴兵逃れ……
3 帝国陸海軍の機構図
「大本営」とは何か
「統帥権の干犯を許さない!」
戦略単位としての「師団」と「艦隊」
第二章 開戦に至るまでのターニングポイント
1 発言せざる天皇が怒った「二・二六事件」
「天皇機関説」から「神権説」へ
「大善」をなした青年将校たち
もはや誰にも止められぬ「軍部」
2 坂を転げ落ちるように――「真珠湾」に至るまで
「皇紀二六〇〇年」という年
「北進」か「南進」か
逆転の発想「東條内閣」
真の“黒幕”の正体……
第三章 快進撃から泥沼へ
1 「この戦争はなぜ続けるのか」――二つの決定的敗戦
果して「真珠湾攻撃」は成功だったのか
“勝利”の思想なき戦争
完全に裏をかかれた「ミッドウェー海戦」
無為無策の戦場「ガダルカナル」
誰も発しなかった「問い」
2 曖昧な“真ん中”、昭和十八年
“狂言回し”としての山本五十六
アッツ島の「玉砕」はなぜ起きたか
大本営が作った空虚な作戦「絶対国防圏」
開き直る統帥部
“とりつくろおう”とした年
第四章 敗戦へ──「負け方」の研究
1 もはやレールに乗って走るだけ
「軍令」「軍政」の一線を超えた東條
無能指揮官が地獄を招いた「インパール作戦」
「あ号作戦」、サイパンの玉砕、東條の転落
軍令部の誤報が招いた“決戦”の崩壊
硫黄島、沖縄の玉砕
2 そして天皇が動いた
鈴木内閣の“奇妙な二面策”
「例の赤ん坊が生まれた」――
阿南泣くな、朕には自信がある
第五章 八月十五日は「終戦記念日」ではない──戦後の日本
「シベリア抑留」という刻印
太平洋戦争はいつ終ったか?
名もなき戦士たちの墓標

【基礎知識】
恩賜の軍刀
大東亜共栄圏、八紘一宇
軍人勅諭
大艦巨砲主義
マジック
軍神

書誌情報

読み仮名 アノセンソウハナンダッタノカオトナノタメノレキシキョウカショ
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-610125-0
C-CODE 0221
整理番号 125
ジャンル 日本史
定価 924円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2008/05/01

インタビュー/対談/エッセイ

波 2005年8月号より 【「特集 戦後60年を読む」 特別対談】 なぜ僕たちは、「昭和」を書くのか  佐野眞一『阿片王―満州の夜と霧―』、 保阪正康『あの戦争は何だったのか ―大人のための歴史教科書―』

保阪正康佐野眞一

戦後六十年という「意味」

保阪 今年は「戦後六十年」ということで方々から取材を受けるのですが、フランスの通信社の記者によると、今年の八月の日本の世論はヨーロッパ中が注目していると言う。日本がまた愚かな論を立てたりすると大笑いされるだろうと僕は心配しています。というのは、第二次世界大戦が終わった後で、日本人は失敗したことを自覚した。とんでもない戦争をしてしまったと俯くしかなく、何も主体的に表明出来なかった。そして六十年経った今、我々がどのような論理を提示出来るのか、再び試されている。
佐野 何の総括もしないまま、六十年が経ってしまいましたからね。しかも同時に日本はここまでの経済大国になっている。ヨーロッパが注目している理由のひとつはそこだと思います。高度成長というのは、世界史的に稀有な出来事でしょう。ところが日本はこんなに短期間で成功してしまったのですから。それにもかかわらず、あの戦争をタブー視してきた。そのことは僕たち団塊の世代にも責任がある。僕たちは戦争は知らないですが、戦後の余燼というか、その中で生きてきた。僕らの子供の頃は一時期のベトナムの少年ですよ。裸足で歩いていましたから。
保阪 僕は佐野さんより少し上だけど、小学校一年が昭和二十一年でした。戦後民主主義の出発点ですよ。前の時代よりひとまず良い点が多いけれども、やはりそこに落とし穴もあった。六十年経ったら実際、疲弊してきたじゃないですか。その疲弊化に抗するのに、教条的に右とか左とか分けて言っているような論理じゃ、もう通用しなくなっている。僕は六○年安保の世代だけれど、学生時代には「日帝は自立してるか」「アメ帝に従属しているか」という議論を朝までやっていた。今思えば、日帝って何なのか、アメ帝って何なのかと思いますよ。ゲーム化したような言語の使い方というのはおかしいですよね。同じように、軍国主義って何なのかということもきちんと定義しないといけない。具体的に言えば、軍国主義を担っていたのは軍部であり、その軍部とは参謀本部の作戦部であり、陸軍省の軍務局なんですね。そういうふうに史実を特定化していく視点が、今まで全く省みられなかった。
佐野 それを僕流に言えば、小文字で表現するということです。日帝もアメ帝も軍国主義も、すべて大文字じゃないですか。実はちっとも有効な言葉ではないのに、通りがいいからつい使ってしまう。そんなの六十年ももちっこない。六十年も使えば制度疲労起こしますよ。我々は戦後、それらの言葉にずいぶん騙されてきたんです。
保阪 同感です。だから僕は戦争体験世代はやっぱりずるいというか、つまりはケリをつけていないと思う。戦争だって自分たちでやったんだから、お前の世代でケリつけろと言いたいんです。
佐野 それは大いにあります。
保阪 自分のケツも拭けないで、コソコソ逃げてばかりいた面がある。南京虐殺があったかなかったか、そんな問題じゃなくてまず自分のケツ拭けよと。あなたたちの世代が歴史的に清算しないから、我々の世代で始末するよと。僕はそう考えました。それはどういうことかと言えば、史実を洗いざらい出すということです。
佐野 太平洋戦争を知らない日本人はいないんだけれども、じゃあ一体これはどうして起きてどうして負けたのか、そのことになるととたんに知識が弱くなる。しかし保阪さんが出された『あの戦争は何だったのか』では、その犯人までを名指しで挙げてみせています。例えば海軍なら、その軍人の具体的な名前を三人ぐらい挙げている。僕は彼らのした事を知り、何という質の悪い連中だろうと呆れましたね。
保阪 昭和十年代の軍事指導部は、近代日本の軍人の系譜を見ると最低だと思う。まともな軍人もいっぱいいたんですけどね。よく調べると、良識ある“市民”である軍人も実は多い。ただ問題はそういう軍人が一人たりとも指導部に入れなかったということです。指導部は「軍人勅諭」に妄信的な、“天皇の臣民”という意識を利用した人間ばかりが溢れていた。
佐野 もうひとつ保阪さんの本を拝見して驚いたのは、あの戦争は起こるべくして起こったと。もっときつい言葉で言えば、始めなければならなかったとまで書かれている。まさにそうだと思います。特にきっかけはテロとの関連ですよね。僕も「五・一五」の生き残りに何人か会ったことがありますが、あのトラウマは物凄いですね。
保阪 物凄い恐怖ですよ。「五・一五」の前の血盟団事件では財政専門家の井上準之助前蔵相や三井財閥の大番頭が殺されている。政治指導者ではないんです。政治のメカニズムを熟知した標的選びをしている。
佐野 「二・二六」では、残虐にも死体を切り刻むことまでしますしね。
保阪 あれは凄まじい憎悪からでしょう。憎悪という感情は「五・一五」まではまだ少ないんですね。ところが、「二・二六」は凄惨なその殺し方に特徴がある。
佐野 なるほど、様態にあると。そしてそういう形で戦争が始まったのなら、未熟な日本帝国主義が、日露戦争からずっと来る歴史が、そこでひとまず終わったということを敗戦の時に誰かがきちんと言わなければならなかったと書かれていますね。
保阪 太平洋戦争とて勝ち負けはどうでもいいから「アジアを解放するために」と言って戦っていたら、この戦争の意味は全く違ったでしょうね。「日本は西欧帝国主義と戦っている。許してくれるのならあなたの国に駐留しますよ」という奥ゆかしさがあったなら、歴史は変わっていたはずです。

「今だから書ける」ということ

佐野 さっき保阪さんがおっしゃったように、上の世代がケツ拭いてないじゃないかというのは、僕もすごく思う。僕は今回、満州という国をテーマにとったわけですけど、それはもう今までに万巻の書物で書かれている。でも結局は三つぐらいの分類しか出来ないと思うんです。左翼史観を力点とした偽満州論と非常にノスタルジックなもの、そしてもうひとつは「大地の物語」というか、悲惨な物語ですよね。どれももちろん真実は孕んでいると思います。でもその中でトータルに「じゃ、満州というのは俺たちにとって何なのか」ということを誰もやっていなかった。
保阪 一方で偽満州があって、もう一方で傀儡でしょう。すべて入り口がそこになってしまっている。それをことごとく解体して、全く違う形で検証する方法があった。それが出来なかったのは、やはり上の世代の方向性、視点、立脚点に僕らも愚直に乗っかっていたんだなという感じがしますね。
佐野 大胆な仮説を作ることが必要ですね。当然、反論もいっぱい予想されますけど。
保阪 きっと両方から来ますよ。僕が東條英機の評伝を書こうと思ったのは昭和五十年代でしたが、その頃は、「お前は右翼だろう」としきりに言われましたから(笑)。
佐野 「東條」と口にするだけでね(笑)。
保阪 だけど、そういう囲いというのかな、空間が僕らの世代では壊せなかった。僕らの側でも、骨の髄とまでは言わないけれど、ある種の価値観が頭に入っていましたし。今は薄れたけれど、社会主義、共産主義の知的な領域への食い込み方は物凄かった。
佐野 そう、あれは完全に侵略だね(笑)。
保阪 それが戦後日本の知性をかなり衰弱させましたね。これは逃げになっちゃうけど、その囲いを壊せなかったというのは、やはり錯誤の中に日本社会が六十年というかなりの期間いたことにもなる。それは僕らの責任でもあるわけだけど。本来ならノンフィクションという領域がそれを壊せたんでしょうね。今、三十代くらいの人で、我々には思いも付かないような大胆な視点を持っている書き手がいますよね。そういう人が昭和史の分野に入ってきて、ある時代の見方を解体していけばいいのになと思います。
佐野 やっぱり僕たちの世代じゃ、もう出来ない仕事ってあるわけですよ。
保阪 こんなこと言っちゃいけないんだけど、一番楽なのはスポーツの分野に逃げることですよ。そこには人の闘争心とか友情とか、戦争と同じ様々な要素がある。でもそれは擬似的なものでしょう。才能のある若い書き手が、なぜそっちのほうへ行ってしまうのかな。
佐野 「若貴騒動」とか見ていると、若いみそらであたら何でと思いますね(笑)。僕はこれからなんだと思います、あの時代を現代史として書く作業というのは。
保阪 六十年経って、ようやく書けるようになってきた事実も確かにあるし。
佐野 今回もずいぶん周りからは言われましたよ、「満州やるのなんて無理だよ」って。でも今だから書ける満州も、一方であるわけです。勇気づけられたのは、上海生まれのある老人の、少年時代の思い出話でした。近所の本屋、これは内山完造という日本人が経営していた書店なのですが、そこの帳場を訪ねてきては話し込んでいる小柄な爺さんがいたそうです。聞くと魯迅なんですよ。その老人は“生魯迅”を見ているんです。
保阪 直に目撃しているんですねえ。佐野さんのこの『阿片王』を読むと、実にいろんな人が、とにかくいろんな生き方をしていることがわかる。主役は里見甫ですよね。彼は阿片で稼いだ闇資金を使って、満州を裏側から支配していた。それは魅力ある男ですが、そのまわりに描かれている人物が主役以上に際立っているというのか、自由というのかな、非常に個性的で活き活きとしている。
佐野 阿片を吸うのも自由という(笑)。
保阪 しかも随所に何気なく出てくる人が実は「大物」だったり。そこが非常に新鮮でしたね。例えば影佐大佐。参謀本部で謀略を担当していたといわれるクールな参謀ですね。彼は昭和軍事史の中では特異な人物で、堂々の主人公になりえます。影佐だけで一冊の書が書けるほど日中関係の中で主要な人物です。それが思わぬ箇所でフッと登場する。脇役というか、添え物というか、そういう贅沢な扱い。
佐野 東條は喫茶店でコーヒー飲んでる、“町の親父”扱いしましたから(笑)。脇役はそれぞれ魅力的な男ですから、正直言えばもっと書きたくなる。
保阪 登場人物が僕らのような、戦後社会の“単原色”のような生き方ではないんですよね。一様ではないというのかな。中には最後まで虚構を作り上げて、そのまま逝った人もいますね。
佐野 レズビアンの梅村淳とかね。阿片王・里見と、戦中から戦後に到るまでずっと行動をともにしていた謎の女性ですね。
保阪 僕は戦争に向かう時と戦後復興する際の、日本人のエネルギーは一気に肥大化したと、今回書いたのだけれど、満州に賭けた日本人のそれも驚嘆に値しますね。
佐野 それが満州という国の面白さの源なんでしょうね。つまりは満州という存在自体がフィクションなんですよ。昭和七年に忽然と現れ、二十年に消えていく。
保阪 あの時代に生きた人の多様性と人間丸出しの生き方を見ていると、実は僕たちのこの時代のほうがそういう意味ではむしろ、閉塞しているのかなという感じはしますね。満州だから出来たのか、軍の力があったから出来たのか、そういう部分も確かにあるとは思うけれど、個人個人の生き方に実はそれほど入ってきていない。きっと、楽しかったでしょうね(笑)。
佐野 それはもう(笑)。
保阪 でも、心のどこかに「俺はこれでよかったのだろうか」という問いかけが、みんなあったように思いますね。それはたぶん、時代そのものの持つ空気を彼らが容認していないからでしょう。しかしだからといって否定して生きるわけにもいかなかった。その狭間から、好き勝手というか、自由に生きるタイプというのが生まれて来たんだと思うんです。こういう人たちがいたからこそ、その後、日本人のメンタリティの広さが出たんだという気がしますね。

ノンフィクションの可能性

保阪 僕が昭和史を書く時にいつも思うのは、五十年、百年先の人に読んで欲しいということです。昭和史というのは人類がそれまでに体験したことが大体入っているから、彼らの証言はとても大事なんですね。我々が明治維新の頃のことを一生懸命調べて興味を持ったように、五十年、百年経てば必ずや昭和という時代は新たな目で検証されるでしょう。その時、日本人はどう生きたか、何を考えていたのかを正確に理解してもらうために、我々は出来る限りの生のデータを出しておく。それがさしあたりの役目じゃないかと思う。
佐野 確かに僕自身も、立ち位置としては二十年後、三十年後を見据えた上で、絶対読まれるよという自負は持って書いてます。
保阪 例えば日中戦争が、それは確かに日本が華北全域に入っていくという軍事的な行為、いわゆる同時代史で言えば侵略だったわけですが、百年経った時、日本は中国を侵略しましたとは言わないと思う。大きな意味で言えば、国家統一・近代化のために中国には大きな外敵が必要だったという状況がある。でも同時代史的なところではそうは書けないんですよ。同時代の目、そして歴史の目という重層化を、僕らは次世代に投げかけていく必要がある。
佐野 確かに我々は時間と空間に制約されて生きているわけですから。変な言い方だけれど、「書かなかったところを読んでよ」という気持ちはありますね。
保阪 ただ、取材する立場からすれば、生き証人がもうぎりぎりのところで、どんどん減っていくという現実がある。
佐野 今回の取材での最高齢は九十五歳の男性でした。取材した後、まもなく亡くなられた方も多かったですね。阿片の取り引きの現場に立ち会った人とかね。
保阪 太平洋戦争のことを書こうと思ったら、すでに下級兵士の段階でしか話は出ませんよ。と言っても、彼らだって今や優に八十歳は超えている。大本営の参謀クラスが何をどう考えていたかという取材は、それはもう無理ですよ。
佐野 今後のひとつのやり方としては「オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)」ですよね。細かい事でも調べれば物凄く面白いと思います。
保阪 日本に関してもアメリカ保管の資料はまだまだ整理されていない。ただしこれは、英語が強くないとつらいですけどね。
佐野 IPS(アメリカ軍による審問調書)だって全文翻訳といったら、国家的な作業になりますね。
保阪 ワシントン詰めの特派員は、スクープが欲しい時はアメリカ公文書館へ行くそうです。何か発見がありますからね。
佐野 満州関連で言えば、例えば皇帝溥儀に対する尋問なんてドラマですよ。彼の著作『我が半生』より何百倍も面白い。
保阪 女房が言うんですよ、「人が死んだとか、殺したとか、何でそんなことにあんたは興味もっているの」って。でもそれはやっぱり代償行為なのかもしれない。僕は戦争を知らない世代だから、もし自分がこの時代に生きていたらどう生きるだろうかという設定を常に持っている。共産主義者にはならんだろうなとか、軍人にもなりたいと思わないだろうなとか。
佐野 僕のテーゼは大きく言えば「人間は阿片より“阿片”だ」ということです。阿片なんてものはどうってことないわけですよ。人間の想念ほど怖いものはない。それは戦争を起こすわけだし、原爆を落とす。そこに僕はたまらなく惹かれるわけです。それとの付き合いを一番ぎりぎりのところでやっている商売だから、言ってみれば僕らは凄まじく傲慢な商売ではあるのだけれど。
保阪 男女で違うのでしょうけど、女性作家は生理が表に出ますよね。僕だってもちろん嫌いな人はいっぱいいます。呆れるほどいいかげんな証言者にも会っている。誰に聞いても、悪口ばかり言われるようなね。昭和史をやっていると、そういう人物の方が多いくらいです。でも心の底から大嫌いでも、その人物を感情とは別に冷静に書かなければならない。
佐野 男のほうが欲深なんですよ、きっと。僕は惚れるどころか、たとえその人物を憎んでいても書きますね。僕はそれを「愛のサバ折り」と呼びますが(笑)。
保阪 どこか自分と通じているものを、嗅ぎ取ろうとするわけですね。だから好悪の感情を超えて、それでも人間的関心が勝るんですよ(笑)。

(ほさか・まさやす)
(さの・しんいち)

蘊蓄倉庫

開戦における真の“黒幕”

 歴史の教科書にも書かれている「ABCD包囲陣」なるものがある。アメリカ、イギリス、中国、オランダによって日本は輸入経路を閉ざされてしまい、石油がなくて仕方なく南部仏印に進出したということになっている。そして、それがやがて日米開戦へ決定的な引鉄になっていくと。
 しかし実は「ABCD包囲陣」なんてウソだったといったら、どうだろう? 本当は、その頃の日本には石油はあったのだ、と……。
 当時、企画院が行った調査では、石油の備蓄は「二年も持たない」とされていたが、実際にどれだけの備蓄がどこにあったか知っていた人物はほとんどいなかった。東條英機さえ知らなかったのだ。ここで、ある“黒幕”の存在が浮かんでくる。「石油がなく“ジリ貧”だ」と煽り立てた海軍内のある主戦論者たちである。
 ――海軍国防政策委員会の「第一委員会」。彼らが巧妙に対米英戦に持っていくように画策していたのだ。詳しくは本書にて。
掲載:2005年7月25日

著者プロフィール

保阪正康

ホサカ・マサヤス

1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『五・一五事件』『あの戦争は何だったのか』『昭和の怪物 七つの謎』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。

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