新潮社

大使とその妻水村美苗

[第三回 1/3]

第三回

 朝コーヒーを飲んでいると、キーンキーンというチェーンソーの音が聞こえてくる。東京よりだいぶ早く、ここでは八時にはもう工事の音が聞こえてくる。切り倒した大木を手で運べる大きさに切っているのだろう。生木が悲鳴を上げているようで、私はこのチェーンソーの音が一番嫌いである。
 コーヒーを飲み終わったところで、裏庭へ回り、朝露で濡れた藪を掻き分け、小川にかかっていた板の橋をはずした。橋は藪の緑のなかに投げこんだとたんに一枚の長い黒ずんだ板と化した。小川の向こうも藪だらけなので、こんな橋がかかっていたとはまだ誰も気がついていないであろう。
 建築現場に向かったのはそれからである。
 昨日と同じように、白い軽トラックやらおもちゃのような重機やらが見える。今日は大きなバンのようなものも二台ほど混じり、ヘルメットを被り作業服を着た多くの職人が動いている。やはり大がかりな工事である。動いている人たちをあまりじろじろと見るのもはばかられ、初めて見るような顔をしてもう一度白い看板の前に立った。建設される建物が一階建てなのを確認し、それだけでもよかったと再び自分に言い聞かせながらその場を去った。半時間ほどゆるい坂道を登ったあと、引き返し、「ほそ道」と平行した道から南に戻り、かろうじて歩ける小川のほとりを通って自分の小屋に戻った。本当は工事の進み具合を見ていたいのだが、私のような外国人があまり頻繁に現場の横を通ると目立つであろう。
 夕方の散歩は日が暮れる一寸前に出る。
 この別荘地は、冬は地面が凍るうえに、夏は七月の末から八月いっぱい工事自粛期間になるせいで、工事ができる時期が限られている。その限られたあいだは闇がせまっても現場は忙しい。「蓬生の宿」でもまだ当然作業は続いていた。目立たぬよう、しかしながらゆっくりと歩いていた私がふと足を止めたのは、無残に切り倒された大木を避けて、珍しい大きな石がいくつか運びこまれているのが眼に入ったからであった。この辺によくあるのは浅間石と呼ばれるごつごつとした黒っぽい石で、浅間山が十八世紀末に大噴火したときの溶岩が固まってできた石である。軽く、しかもふんだんにあるので、この辺りでは低い石垣や門柱などによく使われる。だが、眼に入ったのが浅間石ではないのは、私のような者にもわかった。表面がなめらかだし、色が薄いし、なかには、赤みを帯びた石、さらには青みを帯びた石もある。こんなに大きい重たい石をわざわざ運んだとは……。
 と、そう思ったとき、私は初めて二台のバンに挟まれるようにして背の低い乗用車が駐車してあること、そのナンバープレートに「京都」と書いてあることに気がついた。よく見れば両側の二台のバンも京都ナンバーであった。眼に見えるものは私たちの主観によって刻々と姿を変えて存在する。「京都」という漢字を見たとたんに、それまではたんなる腹立たしい建築現場の一つとしてしか存在していなかった場所が、別の意味をもって存在し始めた。巨大ないくつもの石も別の意味をもって存在し始めた。
 京都ナンバーの乗用車。どこかから運ばれてきたらしい巨大な庭石――巨大な庭石を使うとすれば日本庭園……。
 私はまだ性懲りもなく日本の現実からありえないものを期待しているのか。
 乗用車の主を探そうと見回せば、ヘルメットは被っているが、作業服の代わりにポロシャツを着た都会風の男の姿があった。図面を広げ、図面と建物と土地と三方を首を動かして見ながら立っている。
 そのポロシャツ姿の男が立ち止まっている私に目を留めた。色白で苦労知らずのつるりとした丸顔をしている。日本人の常で大学生ぐらいにしか見えないが全体の感じから四十を過ぎているような気がする。
 私は勇気をふるって笑顔を作った。
 男も少しぎこちなく笑い返した。丸顔にえくぼがあった。
 人見知りがひどい私は自分から人に話しかけようとふつうは思わないし、ましてや建築現場で忙しく働く人に話しかけようとは思わない。それが、そのときは「蓬生の宿」の運命を知りたい気持の方が先立った。いつものことで、最初の一言を日本語にするか、英語にするか一瞬迷っただけであった。日本語をやたらに良く話す外国人は増えてきているが、それでも私のように見るからに西洋人の顔をした人間が突然日本語を使い、「コンニチハ」、「アリガトウ」、「スミマセン」など、誰でも言える以上のことを言おうとすると、相手が戸惑うことがある。私の発音がそううまくないのでなおさらである。場合によっては日本語を話しているというのに「ノー・イングリッシュ」などと言われて逃げられてしまうことさえいまだにあるぐらいである。
 私は最初の一言は英語でいくのを決め、運びこまれたらしい大きな石を指しながら訊いた。
「Japanese garden?」
「Garden」という発音の「r」を控えめにして、少し日本人の英語に近づけた。
 男は私の言ったことが理解できたのでほっとしたらしく、もっと自然な笑いを浮かべて応えた。
「イエース、ジャパニーズ・ガーデン」
 そのあと、彼は離れのほうを指で指すと、「ジャパニーズ・ハウス」と続けた。
「Oh…」
 私はそう英語の感嘆詞で応えてから、今度は日本語で「なあるほど」とゆっくり言い、なるべく明瞭な発音で日本語で続けた。
「それは、ずいぶんと、珍しいですね」
 私が話しているのが日本語であることを彼は認知した。
「はあ、そうかもしれません、ことに軽井沢じゃあ」
 私がどれぐらい日本語がわかるかまだ見当がつかないので、簡単な応答に留めているらしい。京風の抑揚が標準語の裏に見え隠れしていた。
 日本語を話しているのを認知された次の段階で、私は自分の日本語を少し複雑なものにすることに決めている。「ジャパニーズ・ハウス」だと聞いて身体をめぐった興奮を悟られないよう、私はわざと淡泊に言った。
「最近は昔ながらの日本建築を建てる人なんてほとんどいませんけど、ほんとうに伝統的なものになるんですか?」
「昔ながらの」などという表現が少し古風だったせいか、彼は思わず驚いた顔を見せ、それをひっこめてから、ハア、とうなずいた。この西洋人は日本語がかなりできるという予想外の展開に面し、西洋人と英語で話すという緊張から解放された安堵感と、自分の日常に戻ってしまったつまらなさとがそこにはあった。
 平屋ですよね? と私は念のために訊いた。
「はあ、そうです。一応伝統建築ですので、やっぱり平屋建てが一番ですわ」
 木の柱が透けて建っているだけの増築現場に彼は首を向けた。彼の目には出来上がった建物が見えているのだろう。
 彼は続けた。
「でも、この辺は土地が傾斜してるんで、床を少し高くしておかないとあかんのです」
 両方の掌を上に上げて床を高くした様子を示している。私は京風の抑揚と言い回しに促されるようにして、彼のものだと思われる車のナンバープレートにわざと眼をやった。
「京都からいらしたんですか?」
「あ、ナンバープレートでわかられたんですね」
 そう応えるとえくぼを作って自分の車を嬉しそうに見た。そのときまでその車がポルシェだったのに気づかなかったのは、キリアンの最期のせいだけでなく、生まれつき多くの男のようには車に興味をもてなかったのもあったのかもしれない。四十代でポルシェに乗るからにはやり手なのかもしれないが、そういう感じはまったく伝わってこず、子どもがそのまま大人になったような呑気な顔をしている。質問したいことが次々と胸に湧いてきたが、自分の後ろで日が傾いていっているのが梢を透して射す光で感じられるので、遠慮すべきだと思った。私は最後の質問として訊いた。
「建築家ですか?」
「うーん」
 日本人のよくやる動作で、彼は首を傾げて言葉を探した。
「別に一級建築士とか、そんな資格はもっていないんですけど……。まあ頼まれたんで」
 もっと続けたそうな顔をしているが、作業服の男が一人彼に近づいてきた。私はもう一度笑顔でうなずくと、その日はそこまでにしてその場を去った。
 その散歩の帰りも建築現場を再び通るのを避け小川沿いの道とも言えない道をつたって小屋に戻ったが、ピアノの練習をしているときも、夕食を食べているときも、夜、仕事関係の調べ物をしているときも、私はいつにないほど興奮していた。
 あの山荘の横に鮮やかなピンクのマックマンションが建たないというだけではない。スペイン瓦の家もログキャビンもチューダー風の家も、いや、二階家さえも建たない。よりによって日本建築が建つという。日本庭園も造園されるという。しかもわざわざ京都から人がきて。
 この日本の現実から今の今になって何かを期待することが私に許されるのだろうか……。
 だが――と、夜更けになって、ベッドに入りいつもの通り天井を見ているうちに、あまり期待してはいけないという思いが舞い戻ってきた。彼の言っていた、「一応伝統建築」という表現の一応が気になってくる。イケアの家具、いや、現代のイタリア高級家具が似合いそうな、すっきりとしたモダンな日本建築の建物が建つのかもしれない。
 最近ますます眼につくようになったある現象を私は「a belated awakening=遅ればせながらの目覚め」と呼んでいるが、ひょっとしてその現象の一環としての建物が建つだけなのか。
 天井を見ながら私は軽井沢にしばらく前に現れたハルニレテラスという、モダン和風の木造建物を並べた緑に囲まれた商業施設――すぐそばに森で隠すように建った地下三階建ての巨大な山荘はビル・ゲイツのものだと噂されている――を思い起こしていた。

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