立ち読み:新潮 2022年3月号

【新発掘原稿】
[戯曲]善人たち/遠藤周作 解説・加藤宗哉

第一幕

第一場

日米戦争中の南太平洋の小さな島。午後。
銃声が時々、遠くで聞える。
従軍牧師(だが軍服姿の)トマス・ロジャースが日本兵のかくれている洞穴に向って話しかけている。

トマス(以下、トム)「上等兵。聞えるか。上等兵。もし私が間違っていなければ、君はアソ。アソ・コウキチではないのか。もしそうだったら、この声、よく聞いてくれ。私の声に記憶はないか」

トムは返事を待つが答えはない。

トム「心配しないでくれ。私は兵隊じゃない。牧師だ。君が少くとも昔、私と同じようにそうなりたいと考えていた牧師だ。わかったろう。トムだ。君をオールバニイの私の家にとめ神学校で私のように牧師にしようとしたトムだよ。君を射つ筈はない。顔を出してくれ。そして私が君と一緒に生活したトムだと確かめてくれ。君はその洞穴でたった一人だ。君たち四人のうち部下の三人は死んでるはずだ。別の洞穴の投降兵が君はその洞穴の指揮者で、名前はアソ・コウキチ、階級は上等兵だとしゃべったんだ。君の名を聞いた時、僕はびっくりしたよ。もしかしたら、それは僕の知っているコウキチのことではないかと思ったんだ。もし、そうなら、君はイエスか、ノオかの返事をしてくれ」

トム、更に返事を待つが、答えはない。砲声が時々、聞える。

トム「君は傷ついているのか。声も出せないのか……いいか。米国の中隊長はね、この私に、十分間の猶予だけをくれたんだ。彼はもしその十分の内に君が投降しないのなら、火炎放射器を使うと言っている。だから……出てきてくれ。我々の中隊が、君を殺したり、虐待したりしないことは、この私が誓うよ。本当にそうなんだ。信じてくれ。十分しか時間はないんだ」

返事はない。

トム「君は、これを、日本兵をだますためのトリックだと思っているのかい。私がトマス・ロジャースのにせ者だと思うのか。声に聞き憶えはないのか、それとも君はその洞穴のなかで誰かに監視されているのか。じゃあ、私が本当のトマス・ロジャースだと君に證明しよう。君は一九三九年、私の町、オールバニイにやってきた。郊外にある私の家に住んで、この私が昔、卒業したルーテル神学校に通うことになったんだ。私はまだ牧師補だった。あの家は父が死んでから、母と妹のキャサリン、それにニューヨークから戻ってきた姉のジェニファーが住んでいた。そう、そのほか、私の家には黒人の下男のコトンがいたっけ。庭には大きな楡の大木があった。母と妹とはその木の下で編物をしたり、お茶を飲むのが好きだった。君がオールバニイに来た最初の日のことはまだ憶えている。駅までコトンが迎えにいったのだから。晴れた、静かな秋の終りの日だった……わかったろう。コウキチ、さあ、返事をしてくれ」

返事なし。

トム「なぜ、わからないんだ、君は」

第二場

日米戦争がはじまる二年前、オールバニイの郊外、ロジャース家の居間。下男のコトンが窓をふいている。ロジャース夫人、入ってくる。

夫人「コトン、コトン、寝室の扉の閉め具合がどうもおかしいから、見てもらいたいんだけど」
コトン「私はもう出かけねばなりません。トマス様から迎えに行くようにって言われました。支那人の学生を」
夫人「支那人じゃないよ。日本人だわ」
コトン「支那人でも日本人でも私には同じようなものです」
夫人「本当だわ。サンフランシスコに行った時、わたしも、支那人と日本人とをたくさん見たけれど、みんな同じ平たい顔をしていたから。しかしね、コトン、日本人が来たら、そんなこと口にしちゃ駄目よ。トムがひどく、その点、気を使っているんだから」

コトン退場。夫人、椅子に坐り、卓上の煙草に火をつける。
キャサリンとフレッド登場。フレッドは中年にちかい頭の薄い男。両者とも教会からの帰りで、讃美歌の本など持っている。

フレッド「お早うございます。今日は教会にお見えになりませんでしたね」
夫人「お早う、フレッド。昨夜、また喘息に悩まされてねえ。とても今朝は起きられなかったわ。ブランデー牧師さまのお話はよかったこと?」
フレッド「何時もの調子ですよ。この世界は今や罪に汚れきっている。神は忍耐強いが、いつ、その忍耐をおよしになるかわからない。洗者ヨハネは言った。主の道に備えよ。その道筋を真すぐにせよ。荒野で呼ばわる者の声がする」
キャサリン「お母さま、フレッドを朝の珈琲にお誘いしたの。トムも間もなく教会から戻ってくるわ」
フレッド「トムは皆が教会を出たあと、半時間も祈っていますからね。(皮肉に)偉いもんだ」
夫人「母親の口から言うのも何だけど、あの子は子供の時からベースボールよりも本を読むほうが好きでねえ。そりゃ信仰が強いのはいいけど、時々、行き過ぎじゃないかと考えることもあるわ」

キャサリン、珈琲をフレッドにわたす。

フレッド「行き過ぎ? ……日本人がこの家に泊るって本当ですか」
夫人「そうなの。トムはその日本人のためにこの家の部屋を貸してやったの。彼が出た神学校に入る学生なら、そうしてやるべきだって……」
キャサリン「その日本人は、今日、着くんでしょう」
夫人「迎えに行ったわ。今コトンが、駅まで」
フレッド「トムのことを かく、言うつもりはないのですが、別にそこまでしなくても、第一、見知らぬ外国人にこの家にいられちゃあ、皆さん、気詰りでしょう」
キャサリン「あら、そうかしら。知らない国の話なんか聞けて面白いんじゃない?」
フレッド「しかし、キャサリン。白人じゃないんだよ、相手は。これがフランス人だとかカナダ人だとか言うなら、生活、習慣、そう違いはない。同じ考え方とまでは行かなくても、たがいに理解はできるさ。しかし日本人や支那人は……つまり黄色い連中は」
キャサリン「何を考えているか、わからないと言うの。でも人間同志じゃないの。わたしたち黒人のコトンとも一緒に住んでいるのよ」
フレッド「しかし、コトンはこの家で生れたし、彼の両親もこの家の召使いだった。はっきり言えば、ぼくたちの先祖がその昔、奴隷として使っていた連中の子孫だ。もちろん、ぼくは黒人や日本人に偏見は持っていないけど」
キャサリン(皮肉に)「でも、あなたは白人と黒人が平等であるという偏見は持っていないんでしょう」
夫人「まあ、まあ、口喧嘩はおよしなさいよ。でも、わたしもフレッドとはその点、気持が一致しているかもしれない。何しろ、わたしたち、日本や日本人について、ほとんど知らないんだものねえ」
キャサリン「でもお母さま、シスコで蝶々夫人のオペラを見たことがあったじゃない。ちいちゃな庭。紙と木とで作った家、竹の林」
夫人「どうして紙と木とで作った家が風に飛ばされないのかねえ。いつも、それがふしぎだよ。日本人ってわたしたちのようにベッドでは寝ず、床の上に寝るのかねえ。あれがふしぎだったけど」
フレッド「一寸、この百科辞典を拝借しますよ……ごらんなさい。こんな写真が載っている。リキシャ。人間が引く車ですよ」
キャサリン「きれいな花の下に可愛い娘が乗っている。まるで舞踏会に出かける灰かつぎの女の子みたい。蝶々夫人がそうだったわ」
フレッド「これは蝶々夫人じゃない。有名なゲイシャの写真ですよ」
キャサリン「ゲイシャ?」
フレッド「基督教徒の家庭なら口にすることのできない職業の女です。つまり、男たちを悦ばせる……」
キャサリン「でも、そんな女性なら、この米国にだって、たくさんいるわ。わたしは日本のこと知らないけど、何だかお伽話の国のように思えるの」
フレッド「お伽の国であるものか。日本はね、我々白人の文明の力を横取りしてアジアでのしあがると、すぐ隣国、支那を侵略しはじめた国なんですよ。現在もそうだ。我々の大統領はその日本が支那から撤退することを要求しているんです」
夫人(二人を仲裁するように)「あなたたち、結婚式のことはもう相談しあったの」
フレッド「ロジャース夫人。その点についてはゆっくりお話しようと思っていたのですがね。来年、私は銀行の貸付課長に昇進するかもしれません。その昇進の直後、キャサリンと式を挙げたいのですが」
夫人(あまり気のりなく)「そう、それはおめでとう。兎に角、あなたたちはあなたたちでよく相談しあってね。ただ、あまり長すぎる春は駄目よ」

トム、日曜の教会から戻ってくる。

キャサリン「トム、随分、長く教会に残っていらっしたのね」
トム「うん、牧師補としてブランデー牧師と色々、相談があってね」(母親にキスをして)「気分はどうです。お母さん」
夫人「有難う、トム。秋が近くなると喘息がまた起きるから」
トム「コトン、駅に迎えに行きましたか、日本人を」
夫人「もう、とっくに。本当に来るのかい、その日本人は」
トム「来ますよ。どうして? 昨日、彼から電報が来たことは知っているじゃありませんか。アスアサ一〇ジオールバニイニトウチャクって」
夫人「彼を何と呼んだらいいんだろう。憶えにくい名前じゃないんだろうねえ」
キャサリン「本当。何という名前なの。その日本人」
トム(ためらって)「アソオ」
夫人「何だって」
トム「アソオ。(うつむきながら)ぼくたちにとっては実に下品な意味だが、しかし、それは彼の責任じゃない」
フレッド「よりによって何故、そんな品のない名をもった日本人を呼んだんだね、トム」
トム「お母さん。キャサリン。フレッド。いい機会だから聞いてもらいたいんです。今、アソオという彼の名だけで、お母さんもキャサリンも黙ってしまったし、フレッドは笑いをこらえている。そうです。たしかに我々の言葉では日本人の名アソオは、口では言えない下品な意味があります。しかしそれはアソオが日本語の名で、英語じゃないだけにすぎない。おそらく彼が今日からこの家に来れば、同じように彼の責任でもないし、彼の関知しない失敗が次々と起るでしょう。でもそれは、習慣のちがい、生活のちがいにすぎません。だから彼がぼくたちの生活様式を知らないからと言って、馬鹿にしたり、侮ったりは絶対にしないでもらいたいんです」
夫人「わかっているわよ、トム」
トム「フレッド。君もやがてぼくらの家族の一員になるんだから、はっきり説明しておきたい。ぼくはこの日本人を自分の家に泊める決心をしたのは、彼が日本人なのにここの神学校に留学してくると聞いたからだ。ぼくと彼とは米国人、日本人という国や生活や習慣の違いを越えて共通の言葉を持てると信じたからだ」
フレッド「共通の言葉?」
トム「そうさ。同じ神を信じているという、共通の言葉。同じ宗教を持っているという共通の言葉」
フレッド「君の理想主義には頭をさげますがね、ぼくは現実主義の一銀行員ですのでね。質問をしてもいいですか」
トム「いいですとも、フレッド」
フレッド「ぼくらが使う金はドルです。ぼくらはドルを使う米国で生活している。だがドルは他の国では使えやしない。逆にもし、このドルの国に外国の人間がその国の貨幣で肉を買おう、煙草を買おうとしたって、店屋の者は困惑するでしょう。見知らぬそんな貨幣は一片の価値もありやしないんです」
トム「一体、何を言おうとしているんだ。フレッド」

(続きは本誌でお楽しみください。)