立ち読み:新潮 2022年2月号

プレイバック/筒井康隆

 芳山和子は小柄だった。しかし昭和の少女としては平均的な体躯である。そう考えればでかい最近の女学生を見慣れているおれの眼に奇異ではない。
「時をかけて来たのかい」
 ベッドからそう訊ねたおれに彼女は、あきれたような顔をして見せた。「誰だって、どこからだって来られるんじゃあないでしょうか。先生の創造物なら」
 言葉遣いはともかく、時をかける少女にしては反抗的な物言いである。ただの見舞いではなく、何か言いたいことがあってこの病院へ来たに違いなかった。
「そうか。君にとって時間はないも同然。今は君がおれの無為な時間と君が言いたいことを言えるおれの年齢を考えて、この時を選んだってことだな。いいよ。言いたいことを言いなさい」
「言いたいことじゃなく、お訊ねしたいことがあって来たんです」芳山和子は真摯な眼をおれに向けた。「わたしが、男性に都合のいいような、控えめでおとなしく優しい女性として書かれていることに対して批判的な意見があるんですが、あれはなぜですか。先生はそういう女としてわたしを表現なさったんでしょうか」
「ひやあ。参ったなあ」おれは笑いながら頭を抱えて見せた。「そういやあ確かに、他の作家の評伝でおれと比較するためにそんなことを書いたものがあったなあ。でもなあ、わかってくれないかなあ。あの時代のジュヴナイルで男性が嫌うような、出しゃばりで我儘で荒っぽい女性をヒロインとして書くことはできないよ。そんな時代だったんだよ」
「それはわかりますけど、ではなぜそれが批判されるんですか」
 頭がいいのはおれの書いた通りだなと思いながらおれは言った。「それが、おれにもよくわからないんだよ」
「わたしには少しだけわかってきました」彼女は少し笑った。「先生を疲れさせたみたいですから、これで失礼します」
 あっ、という間に芳山和子は消えた。
 おれはベッドで寝返りをうった。入院しているからといって別段臨終が近いわけでもなんでもない。二日間でからだの状態を検査してもらうだけの、いわば老いらくの道楽に類する入院なのである。だから手をのばして細巻きのKENTを取り、一本吹かす。うまいからには、肺気腫の方はまだまださほどのこともないのであろう。
 誰か来るのだろうと予測はしていた。次に入って来たのは唯野教授だ。黒縁の眼鏡をかけた小柄な唯野君はウディ・アレンに似ていて相変わらずの饒舌であり、ほとんどおれに喋らせない。
「やあやあやあ。元気。うん。元気だよね。元気だ元気だ。それでさ、蓮實重彦と対談したでしょ。よくやるよねえ。おれみたいな早治大学なんてわけのわかんない勤め先じゃなくて東大のしかも先の総長。あっ、総長賭博やったの。やらないよね。書簡での対談だもんね。いやもう恐れ入谷の鬼子母神。蓮實さんをなんとかあんたの土俵に引きずり込んだりもして、たいしたもんだ。それでさ。あんたこの間、桐野夏生の『砂に埋もれる犬』っての読んだでしょ。ああおれ勿論読んだ読んだ。あれって凄いよねえ。その前の『日没』ってのも凄いんだけど、今度のはまあ、読み出したらやめられないよね。あの人女なのにまあ主人公の男の子の心理、よくわかってるんだよねちゃんと。それでさ、あれって昔のあんたみたいな不良少年の心理と地続きなんだよね。例えばあんたの場合はさ、お袋さんの着物持ち出して売り飛ばして、その金で映画見に行くんだけど、どれだけひどく叱責されるかってことわかってながらそれほとんど頭にないんだよね。頭にあるのはただもうこれから見る映画の楽しさだけ。不思議だよねえ。桐野さんその辺のことよく知ってて書いてる。凄い人ですよあの人。で、今何読んでるんだっけ。ああ、知ってる知ってる。知ってるの当り前だよね。そうそうそ、マリオ・バルガス=リョサの『ケルト人の夢』でしたよ。あんな分厚い本、よくまあ翻訳したもんだ。野谷文昭えらいっ。まったくもう人間の残虐性の極北だよね。あんまり分厚いからまだ読み切ってないんだけど、あんたもそうでしょ。あっそうそう、最近ジャズ聞いてる。聞いてるよね。ユーチューブってのがあるから、古いジャズも聞けるんだ。あんた古い日本の曲だとばかり思い込んでいた曲あるでしょ。実はあれレイ・ノーブルが書いてチャーリー・パーカーの演奏で有名になった「チェロキー」って曲でさ、モダンジャズの名曲だったんだよね。なんでそう思い込んでたのか、あれ不思議だよねえ。あっいけね。午後の授業だった。じゃおれ、失礼するね。元気でね。元気でね」
 唯野仁はあっという間に姿を消した。まあおれ自身の創作物なんだから、感想を言う分にはひとりで喋っていても同じなのだろう。そう思っていると彼はまた病室へ舞い戻ってきた。

(続きは本誌でお楽しみください。)