立ち読み:新潮 2021年10月号

So You Think This Is It?/舞城王太郎

 クリスティアン・ゲレロは九歳で、父親と母親と二人の妹と共にトラックのコンテナに積み込まれた家具の隙間に隠れていた。他にも十二組の家族が同じ空間に詰め込まれていて、そのとき与えられていた場所でじっとしている他なかったし、運転席のモニターにつながれてるカメラの映像を確認する限り休憩なしで十三時間も窓もない荷台にいて、誰にも生気らしい顔色はなかった。そして十三時間と十六分後、突然トラックが停車する。爆発音と銃声が聞こえる。待ち伏せしていた何者かに襲撃に遭ったのだ。運転席の三人は最初の十秒で絶命している。荷台の家族たちがトラック最後部の扉にパニックを起こしながらモゾモゾと接近している中でクリスティアンは内側からロックをかけた。ただの家具の運搬に、あるいは不法移民の移送に使うだけなら必要のない内鍵だが、そのトラックは様々なものを運んでいた。そしておそらくそのせいで、襲撃者に間違われた。
 外から近づいてきた男は扉が内側から施錠されてることに気づく。不明瞭な罵り声をあげてからライフルで扉を撃つ。
「おい!中にいる奴!開けろ!」
 ダダダダダ!
「俺らはそこに積んである荷物に用事があるだけだ!今大人しくこれを開けるんだったら命だけは助けてやるよ!」
 ダダダダダダダ!
 ライフルの銃弾がコンテナに穴を開け、それで中から子供や女性の悲鳴が漏れ聞こえたらしい。マスクとサングラスの男たちがお互いの、人相不明な顔を見る。
「ここには金目のものはありません!」と声をあげたのはクリスティアンだった。「薬などもありません!ここには三軒分の家具と、武器を持たない家族がいるだけです!」
 男が怒鳴る。
「じゃあそれを確かめるからここを開けろ!」
「できません!扉を開けてあなたたちを見たら、あなたたちは僕らを殺さなくてはならなくなるでしょう!」
「いいからここを開けろ!」
 ダダダダ!
「撃たないで!このコンテナの中は家具と家電でいっぱいであなたたちの弾は、絶対ってわけじゃないけれどなかなか僕たちに届かないし、あなたたちはその弾丸が必要なはずです!……あなたたちが本来襲うべきトラックはこれからここにやってくるんじゃないですか?」
 銃を構えた男たちがまたマスクとサングラスの顔を見合わせる。
「僕たちはただ、アメリカに行って暮らしたいだけです!お金だってもうドライバーの方々に支払ってしまってほとんどありません!手間に見合わないはずです!ポルファボール!僕たちは生き延びたいだけなんです!」
 男たちの判断は早い。クリスティアンの悲痛な叫びを聞きながら行動を起こしている。運転席の死体を脇にどけてモニターで荷台の中身が確かに怯えた移民にすぎないと見ると一人がハンドルを握り、トラックを移動させる。別の男が自分たちの乗ってきた車に乗り込んでトラックを追う。残った人間は薬莢を拾い、道に残ったブレーキ痕に砂をかけている。
 トラックは道を外れて砂漠を二百メートルほど行った先の岩陰に隠される。運転席から降りてきた男とすれ違うようにして、自分たちの車で追ってきた男がトランクからホイルナット用のレンチを出してきてコンテナの扉の取っ手に渡し、結束バンドで結びつけつつ、言う。
「良いニュースと悪いニュースがある!」
 と英語で、演技がかった調子で。
「良いニュースは、おめでとう!お前らはすでにアメリカ合衆国の中にいる!悪いニュースは、残念ながらその地面をお前らが踏むことはないってことだ!ウェルカムトゥアメリカ!アディオス!」
 男はそれで仲間の待つ車に戻り、もう一度待ち伏せをし直して、二十三分後にやってきたトラックを襲う。それは成功し、目的の荷物は持ち去られ、生きた人間は残らなかった。
 襲撃の事実は人を運んでいた組織と別の荷物を運んでいた組織の両方に伝わり、それぞれがルートを変えたので、その日からそのガタガタ道は誰も通らなくなった。
 不幸なのは、そこ、ニューメキシコ州ルナ郡の季節が春先で気温が十分に上がらず、コンテナの中で蒸し焼かれずに済んだこと。水と食料をある程度持ち込んでいたこと。雨が時々降って、斜めにコンテナを貫いた銃弾の穴から雨水が摂取できたこと。つまり恵があったことだった。それらのせいで地獄は深まった。
 十二日を過ぎると父親たちが自分の子供たちのために立ち上がった。十三人の父親のうち九人が死亡し、四人が重傷を負った。それから母親たちが決断を下し、九組の食事が用意され、それぞれの家族の命を延長させた。その様子を見て、残りの四人の父親が許しを出した。それから九日が経ち、母親たちは子供たちがゆっくりと死ぬのを見守るのに耐えきれずに、手を下した。抵抗はほとんどなかった。それから母親たちはしばらく生きる気力を失ったようだったが、かつて身内だった肉を啄み、しかし衰えていき、やがて動かなくなった。
 クリスティアンはその全ての時間を洗濯機のなかでじっとしたままやり過ごしていた。ニュースを二つ聞いた瞬間にひっつかんだ水と食料を抱え込んで。
 トータルで三十五日が経ち、一台のパトカーが気まぐれにパトロールのコースを変えてやってきてトラックを発見する。虫と蛇が大量にへばりつき、銃弾の空けた穴を出入りしていて、異様な姿になっている。
 警察官たちは中を確かめるためにレンチを外し、扉を開けて、中の惨状を確認し、ゲロを吐きまくっているところにクリスティアンが洗濯機の扉を開けて出てくる。クリスティアンの全身は強張り、足もふらついていたが、しかし警察官たちが見た彼の目は喜びと希望に満ち溢れている。が、家族と共に故郷を捨てて、大金を払い、苛烈な運命を切り抜けてようやく辿り着いたアメリカの土地を一歩踏んだその瞬間、クリスティアンは地面に倒れ込み、そのまま息絶えてしまった。駆けつけた救急隊員が検分を行い、死亡を確認し、クリスティアンは病院に運ばれることがなかった。
 そしてその悲しい九歳の男の子の話を十二歳のセシリア・ダラスが持ち出して、俺に訊く。
「ねえスポンジ、安堵が人を殺すってありえると思う?」
「安堵?ホッとするってこと?どうだろう」
 俺は携帯を耳と右肩で挟んだまま飯の用意をしつつ言う。
「つまりさ、すっごくきつい状況の中で頑張り続けて、もう命のギリギリの果ての果てで、不意にもう見えないと思ってたゴールに辿り着くことがわかって、張り詰めてた緊張がふっととけたときに自分が必死で支えてた命をポロリと落っことしちゃったみたいな?」
「ああ、なるほど。つまり、遊びに出かけて帰る途中に小便を漏らしそうになって慌てて帰ってきたけれど、家を見た瞬間ああもう少しだ、で気が緩んでジョべ~~みたいなことか」
「あはは!そういうこと!……ごめんねスポンジにお漏らしの話なんてさせちゃって」
「ヘイヘイヘイ!口に気をつけろよな!おねしょとお漏らしは全然違うんだぜ!?五歳以上になってもおねしょしてしまうことを夜尿症っていうんだけど理由は膀胱がいっぱいになっても目を覚ますことができない覚醒障害やら膀胱が人より小さいとか夜間に作られる尿が人より多いとかいろんな理由が複合的に絡まって起こる、その子自身にはどうしようもできない、辛い、可哀想な症状なんだぜ!」
「あはははは!カームダウン、スポンジ!ごめんごめん!ちょっとからかっただけだよ」
「フフ。わかってくれればいいんだよ」
「でもマジで。すっごく頑張って生き延びてきたのに、ようやく救けの手が伸びたときにそれを取れないなんて……」
「うん。クリスティアンに起こったことの全てが本当に悲劇的だけど、それでも最期の記憶が希望と安堵に満ち溢れてたことはひょっとしたら救いじゃないかな?」
「……?え?どういう意味?そこから人生が良くなったはずなのに?ひたすら残念なだけじゃない?」
「良くなるったって、そのコンテナの中での三十五日間よりはそりゃどんな人生もマシだっただろうけれど、それは暗く、苦痛の長引いたものになったんじゃないかな。現実問題、無事警察官に保護されたとしてもそのあとは福祉施設に収容されて、でも可哀想だからって自動的に市民権が与えられるわけじゃないから結局元の土地の近親者を探してそっちに戻されたんじゃないかな。家族で逃げ出した土地に、親兄弟を失って、とんでもなく深い傷を抱えて戻ることになったかもしれない。もちろんアメリカのどこかの家族に迎え入れられたかもしれないけど、元々の親族と言葉の通じない新しい家族と、どっちが生き易かっただろうね。どちらにせよともかく生きてれば幸せを感じたり何かの意味を見出したりする可能性だってあるから、そうなって欲しかったもんだけどね。でも、そこで保護されて以降は人生上り調子って保証されてたわけじゃないって話だよ」
「まあ、そうかもしれないけど……」
「で、俺がさっき言ってたのは、もし安堵がクリスティアンの命を奪ったとしたら、そのときつまり苦しみから解放された喜びにその小さな魂が包まれてたはずで、病院で苦痛と悲しみと無念に喘ぎながら死んでいく大勢の人間の普通の死よりは良かっただろう?ってことだよ。犯罪に巻き込まれて絶望の中で死んでく子供たちはたくさんいる。その子たちよりは、まあ最後の瞬間だけはってことだけど、マシだったんじゃないかってね」
「じゃあ、結局のところスポンジはその男の子の死が安堵によってもたらされたと思う?」
「そう願うね。実際のところはわからないし、知りようがないけど」
「そうか」
「……?どうしてこんな話してんの?」
「あ、うん。私はね、その男の子もその警察官に助けられて、おうちに連れてってもらって、綺麗なお風呂にゆっくり入って、それからちゃんとした学校に通わせてもらったり普通のレストランに連れてってもらったり、まともな暮らしができるようになってたらな、って一瞬だけ思ったの。でも、そんなのってありえなかったよね?」
「クリスティアンに?心優しい里親はありえない?」
「そんなことが起こるのって奇跡だと思うの」
「……そんなことないさ。この世に善意はありふれてる」
「そうかな?そんなふうには感じられないけど。私、その可哀想な男の子に罪悪感を感じるの」
「どうして?」
「わかんない。その子に何もできなかったから?」
「君、自分が十二歳だってわかってる?」
「もちろん。具体的にその子にできることなんて何もないってね」
「違う違う。できることはいろいろあるよ」
「え?何?お祈りとか?」
「それもそうだけどね。でもクリスティアンが君にやってほしいことは、このことを教訓にして、ちゃんと真っ当な暮らしを続けて、ちゃんと子供らしく過ごしながら、ルールを守ることの大事さを学び、学校で教えてくれることを勉強することだと思うよ」
「ええ?」
「クリスティアンの、……と言うと残酷だな、クリスティアンの親の失敗は、まず無知だったことだよ。まあそこを悪い奴らにつけ込まれたんだろうけどね。アメリカとメキシコの国境の壁はまだ未完成だから、国境を渡って難民申請をしてしまえば収容所に入れられるけど、家族といるなら扱いはそれなりにまともになっただろう。難民として認められればさらにまともな道が拓けたはずだ。でも親は無知だったのか、国境を越える自信がなかったのか、ともかく犯罪組織に密入国をお願いしてしまった。そのせいで襲撃に巻き込まれてしまったし、それがなくとも犯罪組織がそのままその家族を解放するなんてはずはない。どこかの暗い地下工場かどこかに連れてかれて、そのまま命が果てるまで搾り取られたって可能性が大きかっただろうな。つまり犯罪組織に力を借りようとした時点でろくな運命はなかったんだ。辛い環境、苦しい状況ってのは世界中のどこにでもある。でもそのときにルールを守らなかったり、悪い人間に近づいたりすることが最大の悪手なんだ。セスも絶対にそんなことをしないよう、普通の子供として暮らすんだ。学校で勉強して、まともな本を読んで、常識とマナーを身につけるんだ。それをクリスティアンは君に実行してほしいはずだよ。そしてそうすることが、君がクリスティアンにできることなんだ」
「スポンジ、怖がらせないで」
「セスは大丈夫って話だよ。可哀想な子供たちのことは大人に任せておきな」
「でも、子供って、親の選択のせいで人生がガラッと変わるでしょ?そういう話だったよね?今の」
「うん。でも君らは新しい名字になって、新しい家に移り住み、新しい学校に通ってる。まともな土地のまともなご近所さんを確認したからね。スクールバスに乗って楽しく暮らしてればいいのさ」
「でも、……私たちのパパは、……普通の人じゃないよね?犯罪者かどうかはわからないけど、悪い人じゃない?」
 バッチリ犯罪者だけど、俺は言う。

(続きは本誌でお楽しみください。)