立ち読み:新潮 2020年9月号

滅私/羽田圭介

 ある物が、視界の中で僕の気にさわっている。
 玄米に焼き鮭、味噌汁の朝食をとったあと、ワンルーム内のシングルベッドに座り歯を磨きながら、それを見てしまう。
 空気清浄機能を備えた、羽根のないサーキュレーターだ。数ヶ月前にじゅうぶんコンパクトな物を吟味し買ったつもりだが、空調の必要がない春という季節柄、日ごとにその存在の意義を、己の目が問うてしまう。物自体が不要に思えるし、なにより、それが目に入る度に要か不要か意識がいってしまうことに関しては、間違いなく不要だ。冷静に判断すると、夏に扇風機代わりに使うこともあるため、気にしないまま春を乗り切るべきだろう。
 海外展開もしているシンプルデザインの既製ブランド「禅品質」の名作リュックととてもよく似てしまっている、僕自身が監修した「MUJOU」ブランドの軽量ナイロンリュックに、同ブランドの小型革財布、一三インチMacBook Pro、iPhone、SONYの小型ミラーレス一眼カメラを入れ、玄関へ数歩歩いた。
 家に二足だけある靴のうち、ナイキの黒いローカットのエアフォース1を履くと、八階建てマンションの内廊下に出る。三階ということもありエレベーターは使わず、運動を兼ね非常階段から一階へ下りた。
 出勤ラッシュが終わった時刻だからか、道行く人々の姿は多くない。道路を走る車の量は多かった。僕は徒歩一〇分ほどのところにある最寄り駅へは向かわず、住宅地の奥へ歩いて行く。一軒家や小規模マンション、アパートが密集している渋谷区内のその道は、日が差さず暗い。やがてコインパーキングに着いた。
 ホンダのコンパクトカー、フィットの前に置かれたポールを端にどかし、運転席近くに寄る。スマートフォンからカーシェアアプリの操作を行い、オンラインで開錠させた。ETCカードを挿入口に入れカーナビに目的地の住所を入力し、出発する。
 東京都心だと、コインパーキング自体が狭く不人気な土地に設置されている場合が多く、その中でも、車の出し入れがしにくいレーンがカーシェア用途に割り当てられる。クリープ状態で何度もハンドルを切り返しようやく敷地の外に出てからも、一方通行の狭い道をしばらく徐行速度で進んだ。
 一八平米ワンルームの狭さと引き替えに、公共交通機関網が張り巡らされた都心に住んでいるのだから、普段の移動は電車やバスでじゅうぶんだ。会う相手が車でないと行きづらい場所にいる場合は別だ。ガソリン代や高速料金を除き、一二時間以内の利用料自体が七〇〇〇円以内で済むのであれば、カーシェアも高くはない。それに、普段は道の両端を歩く歩行者の視点でしか見ていない自宅近くの道を、道のほぼ真ん中の視点から見るのも、新鮮な風景に見えて好きだ。
 幡ヶ谷から首都高速に入り、湾岸方面へ向かう。地下から上へ向かいぐるぐる回るジャンクションを通りしばらくすると、真っ直ぐな東京湾アクアラインに入った。
 僕と年齢の近い紺野夫妻は半年ほど前、千葉県内陸にわずか六坪のログハウスを建て、東京から移住した。タイニーハウスと呼ばれるもので、維持に金のかかる広い家よりも、狭いが維持費も安く居心地の良い家を選ぶという、リーマンショック以降のアメリカで流行りだした文化の影響を受けている。紺野夫妻とのつきあいは、僕が自身のサイト運営をしながらも編集プロダクションにいた頃に取材で出会って以来だから、二年ほどになる。
 海中の高速道路を走っていると前方に白い明かりが見えてきて、目を細めながら外界に出る時、産道から出るような心地にも陥った。海に開いた口のようになっている海ほたるから、海上をわたるまっすぐな道を千葉方面へ進む。離陸した飛行機の窓から見ると、東京湾をはさみ位置する東京と千葉の両岸の近さには、毎度のようにわずかながら距離感の狂いを感じたものだ。商社時代に見慣れた風景が、今も脳裏に焼きついている。

(続きは本誌でお楽しみください。)