立ち読み:新潮 2019年7月号

雛の春/古井由吉

 二月四日は立春にあたった。年末から空気は乾ききり、その日も風の冷たい晴天となったが、立春と聞けば心なしか、吹く風も芯がぬるんでいるように感じられた。午前の十時から、また入院の身となった。
 いつもの病院に家から近間なので歩いて来て見れば、人は皆、マスクをしている。インフルエンザの流行のため、院内ではマスクの着用が求められている。玄関口にマスクの販売機がある。病室への外来者の出入りは禁止になっているという。俺も入れないのかと、一瞬、おかしなことを思った。病人の家族は入院の送りと退院の迎えと、手術の立ち会いにかぎり、病室に入ることを許されるそうだ。
 馴れぬマスクを着けさせられて外来を通り抜け、病室に落着いて見まわすと、三年ばかり前に初めて手術のために入ったのと同じ部屋であるらしい。六階の高さから北へ、殺風景に建て込んだ見晴らしが遠い高台までひらけている。面会禁止の触れに気がひけて家の者を早々に返し、平服のままでは決まりがつかないので病衣に着換えてベッドに横になり、相も変わらず白い天井を眺めると、それがそのまま日常となった。幾度もの短期の入院に馴れて反復にも苦しまなくなった。月曜日になる。
 十日あまりも前の通院の際に入院の必要を告げられ、その手続きを済ませた後も、入院までの日数をろくに算えもせずにいた。その間に仕事で外出した日もあり、何人にも会い、入院のことは口にしなかった。ついでに夜の酒場に寄り、少々呑みもした。年寄りには昨日も今日も、今日も明日も、移りの感覚が薄くなりがちなものらしい。それにしても、この前の入院から一年半ほども間があいているのか、と意外なような気がした。
 翌火曜日も晴れて旧正月、旧暦の元日になり、この日に手術とは、こいつは春から縁起が、いや、まんざら悪くはないな、とおめでたいようなことを思った。手術は午後の早くから始まり、自分の足で手術室まで歩いて台の上に寝かされ、点滴の薬が熱いように腕に昇り、すぐそばで医師が超音波の画面を睨みながら事にあたるのも見えて、脇腹か肋骨の下あたりから針の刺しこまれるようなのを感じたが、痛みも疼きもなく、局所にはいつのまにか麻酔が回っているらしいと思ううちに正体をなくし、我に返ったのはもう病室のベッドの上で、医師と家の者が話すのを夢うつつに、言葉ではなくて口調ばかりを耳にしたところでは、順調に済んだらしい。
 手術そのものは毎度あなたまかせの事であり、本人はあずかり知らぬも同然だが、麻酔のなごりも引いた宵から翌朝までが、痛みがあるでなく、うなされるでもないのに、寝たきりの安静を強いられるばかりに長くなる。眠っては寝覚めして、時計をのぞくこともならないので、まだ夜半前とも、もう夜明のほうに近いともつかず、白い天井ばかりを眺めていると、時間が停まっているような息苦しさを覚えるところだが、これにも入院を重ねるにつれて馴れたか、時間は滞っているようでも、地獄の責め苦ではあるまいし、その間にもおのずと流れて、きれぎれの眠りもその流れに運ばれ、何事も過ぎるので助かると心得て、なるがままにまかせ、時のいよいよ傾きかかるその間際の、しばしの静止を、古人もつくづくながめたではないか、と懸け離れたことを手繰り寄せてきたりして、目をほぐしては眠り、さらに幾度も寝覚めして、やはり夜は待つとなるとなかなか明けようとしないものだと思わされる頃、またまどろんだようで、いきなり部屋の扉がひらき、看護婦が朝の検診に入ってきて、ついでに窓のカーテンを押し開けた。起床時間にしては窓が暗い。表は雨だという。
 朝の九時前には安静を解かれ、病棟の廊下を歩いていた。とりわけ改まった気分もしない。廊下の東はずれの窓に寄り、これも毎度のことで、ひと歩きほど先にある我が家の方へ目をやると、手前にあった団地がいつのまにか取り壊わされてさら地になり、冬枯れの樹々を通して、自身の住まうマンションがひときわ近く、あらわなほどにくっきりと立ち、あそこに五十年も棲息していたのかと面妖なように眺めさせられた。まもなく手術後のCT検査に呼び出され、地階まで一人で降りた。この検査もこれまでにくらべるとあっさりと終った。さしあたり問題はないらしい。検査医の沈黙をあれこれ忖度するようなことはもとよりしない。検査室を出て閑散とした廊下の奥の翳った窓からのぞくと、けぶるように降る雨にしっとりと濡れた枯木の幹が、表は寒いと聞いていたが、春めいて見えた。
 部屋にもどると、入院から手術の翌朝の検査までが仕事の内であったかのように、することがなくなった。水曜日になる。面会禁止のせいで病棟内は閑散としている。出勤を控えている人もあるのか、職員の数もすくないようだ。入院患者もおしなべて、一年半前にくらべてもさらに高齢になっているようで、廊下を歩く姿もあまり見かけない。することがなくなればベッドに寝そべって持参の、支える手に軽い文庫本か新書判を取り出すことになるが、読んでいるつもりがいつか本を胸の上に落としている。読むのがいささか佳境に入った心のままに、まどろんでいると、これにくらべれば平生、一時間も二時間もじっと机に向かっているのが、気の立った沙汰に思われる。小雨の降る日は、部屋の内の薄い光が変わらなくて、かえって過ごしやすいようだった。このお湿りで世の感冒もすこしはおさまるだろうと、これは六階の高みからの思いだった。
 しかし日が暮れて夕食も済ますと、また夜に向かう。床に寝そべって本を読むには、枕灯の向きをどう変えても、本をどう持ち変えてみても、紙面が暗がりに入り、眼に堪えがたくて、消灯時間よりも早くいっそ室内のあかりを消し、廊下から差す光を受けて白く浮かぶ天井を眺めるばかりになる。つい昨日の、手術後の安静を強いられた夜ともまた違った夜の長さだった。手術は無難に済んで、いつもの例だと明後日の退院となるはずであり、この夜が明けてしまえば、もう退院の前日になる。先を急ぐ心はとうにないつもりでも、家に帰るまでにまだ一日が間にはさまるという半端さに苦しむようだった。
 夜には病院のすぐ近くの環状道路の立体交差を渡る車の音がゴトンゴトンと、昔の夜汽車がレールの継ぎ目を踏む音のように伝わる。それにも入院の日のうちに馴れた。家にあって深夜に息を入れに出る南おもてのテラスから聞こえる音とそうも変わりがない。真冬の凍てついた夜にはこれよりも甲高いように冴えて響く。ただ風の渡るように聞こえる夜もある。去年の厳しかった寒の内にはとりわけ耳について、深夜の道を突っ走る人の心を思ったりしたものだ。
 消灯時間の後には静まった廊下から人の声も伝わる。頑是ない幼女が泣き叫ぶ。じつは幼女ではなく、宵の口に泣いているのを見かけたところでは車椅子の老女だった。深夜の路上でわめく酔漢の、世におのれ一人あるような声の奔放さに、生涯の意志も失せかけた寝床の中で気押けおされるという話を読んだことがあるが、女人の夜に泣き叫ぶ声もそれに劣らず、耳をあずけているとこたえてくる。老女の叫びと聞けばなおさらのことだ。
 かと思えば男の、塩辛い声が始まる。やはり年寄りらしく、しきりに説教するような、あるいは何事かの講釈でもするような、そんな口調が節々でじわりと尻さがりになる。相手に言いふくめて同意をうながすようでもあり、そこに揶揄やゆがまじるようでもある。似たような話し方をする噺家がたしか昔いた。大道の香具師やしの口上にもどこか通じる。そっくり同じ節まわしが繰り返されるところでは、じつは相手はいなくて、ひとり言なのかもしれない。
 人は一夜の内にも八億の事を思うというような言葉が、どういう文脈の内か知らないが、仏典のほうにあるそうだ。八億とまではいかなくても、人は一夜に千の事を、胸の内でつぶやいているとも考えられる。すべて由なき繰り言のようでも、千にひとつ、あるいは千全体でひとつ、おのれの生涯の実相に触れているのかもしれない。ほんとうのことは、それ自体埒もない言葉の、取りとめもないつぶやき返しによってしか、表わせないものなのか。本人はそれとも知らない。ましていたく老いて病めば、長年胸にしまっていたつぶやきが、眠れぬ夜にはひとりでに口からしまりもなく洩れる。聞いていると、いよいよ口説きつのる声が夜じゅう続きそうに思われたが、ふっと止んで、それきり途絶えた。やはり相手はいて、そっぽを向かれたのではないかと思った。
 その夜は人の声が止むといつか眠ったらしく、幾度かは寝覚めして天井の白さを眺めたようだが、待つということもなく朝を迎えた。退院の前日と決まった。表は薄曇りの空から陽が洩れるようで、窓の内から眺めるかぎり雨の後でひときわ春先めいて、長くなりそうな一日に見えたが、無為を惜しむような気持から、本も手に取らずにただ寝そべっていると、時間は造作もなく経った。夜にも病院の時間とようやく折り合ったように早目に寝ついたところが、夜半に寒さを覚えて、窓に北風の吹きつける音を聞き、念のため一枚着重ねるために起きたついでに、手洗いに立つことにした。

(続きは本誌でお楽しみください。)