新潮社

三島由紀夫 Yukio Mishima

(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

装幀カバーを一新します!

これまで、新潮文庫の三島由紀夫カバーは、白地にオレンジ色の文字を配したおなじみのデザインと、写真を使ったデザイン、そして絵を使ったタイプが混在していました。
没後50年を機に、著者名に金銀箔押しをほどこし、写真を使ったタイプを基本デザインとしました。デザインは新潮社装幀室のデザイナー。金銀箔も各書名にふさわしい色味と輝きを吟味し、華やかでノーブルな装幀に仕上げました。

11点に新解説が追加されます!

当代の現代文学を代表する作家や研究者の方々に、新解説を執筆いただきました。いずれも個性的で、深い読みが冴える力作ばかりです。既存の巻末解説に追加することにより、過去の解説も貴重な記録として残しつつ、21世紀の読者に三島作品を継承するガイド役になっていただきました。

新解説者

石井遊佳(作家) 愛の渇き
恩田陸(作家) 金閣寺
小池真理子(作家) 春の雪―豊饒の海・第一巻―
佐藤秀明(日本近代文学研究者) 花ざかりの森・憂国
重松清(作家) 潮騒
辻原登(作家) 宴のあと
津村記久子(作家) 真夏の死
中村文則(作家) 仮面の告白
久間十義(作家) 午後の曳航
平野啓一郎(作家) サド侯爵夫人・わが友ヒットラー
森井良(フランス文学者) 禁色

三島の作品をエンタメ的に分けてみた!

  • 犯罪小説 愛の渇き

    愛の渇き

    ラスト10頁の展開で息を呑む。

  • 犯罪小説 金閣寺

    金閣寺

    放火青年の「告白」。
    つまり傑作クライムノベル。

  • ミステリー 獣の戯れ

    獣の戯れ

    3人の若者は、なぜ三つ並びの墓標になったのか。
    人間の謎が凄い。

  • 企業小説 絹と明察

    絹と明察

    会社とは、社員とは、家族とは。
    三島が描いた日本的経営。

  • 政治小説 宴のあと

    宴のあと

    三島が描いた都知事選挙。
    女のしたたかさを描いた三島のベストワン。

  • サスペンス 音楽

    音楽

    美しい女と精神科医。
    深みにはまっていくヤバいストーリー。

  • SF 美しい星

    美しい星

    一家族全員宇宙人というぶっ飛び設定。
    ドスト好きはハマるはず!

  • エロス 花ざかりの森・憂国

    花ざかりの森・憂国

    「憂国」は2・26事件という作品背景より、
    言葉の生々しさがすさまじい。

  • ライト系 永すぎた春

    永すぎた春

    背徳とか暗さが苦手な人には、ぜひオススメ。

三島写真
 

『金閣寺』『潮騒』から読まなくてもいいんです!

 ご存じのように、三島由紀夫は東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺しました。作家の最期としては、異例であり偏見を持たれやすい亡くなり方でした。
 にもかかわらず、新潮文庫の三島作品の総累計部数は、2500万部超。驚異的な数字を誇ります。これは、政治的思想的行動とは別に、三島の遺した文学作品が時を経ても輝きを失わずに、読まれ続けている証です。
 とはいえ……。
 学生時代に挑戦した『金閣寺』で挫折した人や、そもそも全然読んだことがない人だっているはず。
 実は、それは無理もないのです。
 独断を承知で言ってしまうと、『金閣寺』『潮騒』よりも読みやすい作品はたくさんあります。正直、この二作品の面白さは結構難しいんですね。
 というわけでこの際、『金閣寺』から読まなくてもいいというコンセプトで、「新しい三島由紀夫」をオススメしたい!!

なぜなら三島こそ、
純文学に極上のエンタメ性を
融合させた〈物語作家〉だから!!

三島写真

三島由紀夫最後の日

 1970年11月25日。三島自決のニュースは日本中を駆けめぐった。ラジオ・テレビは速報で報じ、号外が配られた。ノーベル文学賞の候補として評価が高く、一方で破天荒な作家の異様な死に、人々は衝撃をうけた。
「驚きのあまり言葉を失った」横尾忠則、「いったいこの作家は何をしようとしたのだろう」と思った18歳の村上龍。まだデビュー前で16歳のユーミンは偶然市ヶ谷にいて、総監室のバルコニーに立つ三島を見、「これで時代が変わるなあ」と思った。
(参考『昭和45年11月25日』中川右介・幻冬舎新書)

【その時、新潮社も揺れた】

 この日の朝、『天人五衰』の原稿を受け取るために三島邸を訪問したのは、「新潮」の女性編集者小島喜久江だった。前日に三島から電話があり午前十時半に約束していた。

 いつものように手渡されると思っていたが、奇妙なことに三島はすでに外出してしまったあとだった。どこか釈然としない思いで、お手伝いさんから渡された原稿をかかえて、小島は社に戻った。原稿はふだんと違って、厳重に封印されていたため、途中で中を見ることはできなかった。
「新潮」の編集部は当時、新潮社本館4階にあった。(写真は新潮社本館)。デスクで原稿をあらためると、〈「豊饒の海」完。昭和四十五年十一月二十五日〉とあるではないか。今回の原稿で終るとは聞いていなかった。寝耳に水だった。何かの間違いかもしれない。小島は、狐につままれたようだった。
 そのとき、にわかに社内が騒がしくなった。入り乱れる足音、慌ただしく交わされる声。社員がテレビのある3階になだれ込んでいく。3階は書籍編集部の出版部と「週刊新潮」の部屋がある。あとを追い、社員の頭ごしにテレビを見た。目に飛び込んできたのは、「自決をはかる」の文字だった。
 1階にある営業部でも異常なざわめきが立った。若手の営業部員だった鈴木藤男は当時のことを鮮明に記憶している。またたく間にフロア全体に「三島割腹自殺」の情報が伝わる。事実を確かめようと、編集者や営業部員が、地下の食堂にあるテレビ前に殺到した。テレビ画面に映像はなく、アナウンサーが事件を淡々と報じている。集まった社員たちは、何かを押し殺すように、黙ってニュースを見つづけていた。
(参考:『三島由紀夫と檀一雄』小島千加子・ちくま文庫、「会報矢来会」38)

三島由紀夫 全作品試し読みできます。

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