女による女のためのR-18文学賞

新潮社

選評

第1回R-18文学賞 
選評―光野桃氏

光野桃

 この賞の「女性にしか書けない官能を」という意図が、充分に理解された最終候補6作品だったと思います。
 どの作品も、オリジナルな視点で官能を描ききろうとする気概に富み、読んでいてとても心打たれました。

「楽園の乙女」は、男性の肌を異様なまでに嫌悪する思春期の少女の心情を理解できなくはありませんが、私にはレディス・コミックのシノプシスのように感じられました。その理由のひとつが、繰り返しの多い主人公の絶叫型の会話で、コミックの吹き出しが連想されてしまいました。うまくすれば不気味な魅力をたたえていたかもしれない作品世界が「コメディ」に感じられてしまい、残念です。
 わずかでも、少女を客観的に知ることができるような一文を入れることで、読者は少女に共感できるのではないでしょうか。
 毛虫が蛾に変わる部分のくだりの筆致が最も生き生きしています。それはなぜかを考えることで、何が描きたかったのかが見えてくると思います。

「マゼンタ100」は大阪弁の会話がしびれる、実にうまい作品でした。会話のリズム感、「将ちゃん理論」「恋愛進捗報告会」といった言葉が血肉をもって立ち上がってくるのは見事としか言いようがありません。性描写も、迫力がありながら清潔で、かつかなしみを湛えている。30枚なのに二人の男女の長い歴史がきちんと描かれていることに驚きました。
 ただ、最初に読んだとき、『ぼぎちん』を思い出してしまい、それだけが残念な点でした。

「青空チェリー」は実は1番に推したい作品でした。読み終わったあと、すぐもう一度読み返したくなりました。作品の、まさに青空のようなさわやかさと、19歳という年齢にしては驚くべき「人間を見る目の温かさ」に浸りたいと思ったのです。本橋君の「いや、悪い意味じゃなく。人って重いよなって」という言葉に打たれました。マスターベーションや覗きが、わくわくするような楽しいことである、ということを思い出させてくれ、何かから解放される感じを味わいました。小説が魂を解放するものであるならば、この作品はまさに一級の骨子を持っていると思います。
 しかしながら、友達に語りかけるような文体の、時に筆が滑りすぎる粗雑な面が大変気になったことも事実です。たとえば、一度声に出して推敲するなどで、過剰な語り言葉と、必要不可欠で効果的な言葉との違いが見えてくるのではないでしょうか。
 今後に大きく期待したいと思います。

「残像」は文章がうまく、多くの読者から共感を得られるだろう、と思わせる作品でした。
 しかし、読後感は平凡さが際立ち、言いたいこともよく伝わってきませんでした。
 男性が主人公の裸体を掌と指先で油絵に描く、というモチーフはとてもよかったのに、その後肉体関係を持つことが、むしろ不自然に感じられました。もしかしたら、「R-18」ということで無理やりそのシーンを入れてしまったのでは?
 性描写に引きずられずに書いたら、まったく違った良い作品になっていたかもしれません。

「なつの感触」は3番目に推しました。肉体を楽器にして歌う、また肉体で音楽を体感するといった、ぞくりとする官能性とスケール感がとても斬新なアイディアだと思いました。海岸でスイカを食べるところや、主人公が歌う真理子を描くシーンなど、きれいな描写が随所にあり、女性の読者をひきつけるだろうと感じました。
 しかし、全体に無駄も多く、その無駄のためにキーパーソンの真理子という女性の輪郭が見えにくくなっています。
 二人が疎遠になった理由がまったく書かれていないのも、読んでいていらいらさせられてしまう。
 推敲を重ね、描きたいことを絞り込んで書き続けていけば、良い作品を書ける方だと思います。

「under my skin」は、構成がばらばらな印象があり、全体が掴めない作品でした。
 特に、美容室での最後のセックスシーンが妄想なのか現実なのかわからず、何度読み返しても、わかりませんでした。
 体毛というテーマはとても面白く、共感できました。
 洗濯機の上に乗せられて恋人に陰毛をそられるシーンなど、可愛らしい部分もあるのに、最後のセックスシーンで全体が気持ちの悪い読後感に陥ってしまった。また、ラスト11行は、まったく不要です。
 オリジナルな感覚はあるのですから、よく推敲し、独りよがりでない構成を練っていくことが今後の課題と思われます。