女による女のためのR-18文学賞

新潮社

選評

第19回R-18文学賞 
選評―辻村深月氏

結末と主題を巡って

辻村深月

 選考の最中、その結末を巡って特に盛り上がった作品が二作ありました。
 一作目は『何言ってんだ、今ごろ』。母とともに田舎に引っ越し、同じ年のイトコ同士というだけで何かを一緒にさせられてしまうような親密すぎるコミュニティーの中で暮らすことになった主人公。彼女が抱えている事情とは何なのかが閉塞感漂う日々の中で明らかになっていく過程に読み応えがあり、イトコのトウカのキャラクターも魅力的。主人公の母が晒される理不尽や、トウカへの問答無用の暴力に、私も主人公とともに憤り、最後まで一気に読ませられました。大きな熱量に満ちた小説だと感じます。
 しかし、ラスト、主人公がいきなり自分の髪の毛を切り始める展開に違和感がありました。物語として大きな動きがほしかったのかもしれないのですが、この小説にふさわしい結末はもっと別にあるのではないか、という気がしてなりません。
 もう一作は『カラダカシの家にはカッコウが鳴く』です。体のどこか一部分を人に貸すというカラダカシの設定が面白く、その助手としてやってきた主人公にも何か思惑がありそうで、その緊張感の出し方もとてもいい。やってくる依頼人たちもそれぞれに個性があり、特に、腕を借りて行われた心中のエピソードが、ラストに向かって不穏さを高めるのに、抜群に効いています。
「子宮を貸す」という行為が、欺瞞と隣り合わせの善意から一転、自分の子どもを押しつけた流れに向かう展開は、まるで何かの寓話のようでした。「産みたい」「産めない」にまつわる、女同士であっても一枚岩になれない「産む性」であることのままならなさを見事に表現した作品だと思います。
 ただ、こちらの作品についても、娘の陽向をどうしてカラダカシに会わせてしまったのか、無理に親しくさせようとするのか、という謎が残りました。本当の娘ではない陽向を、主人公が心のどこかで忌避している描写が目立つのですが、だとしたら、もっと別の形のラストがあるのかもしれない、と思いを馳せました。
 そして、三浦さんと二人、選考の場を通じて結末に別の可能性を考えるこのやりとりが今回とても白熱し、楽しかったです。話すうちに、それは、このラストだからダメということではなく、二作品とも著者が描きたい枠組みが短編の枠組みを超えて大きいからではないか、と気が付きました。
『何言ってんだ〜』の場合は、主人公以外の登場人物にもそれぞれ背景があるように思え、彼らのドラマも気になる。主人公にしても、「髪を切る」という急なやり方で成長を見せるのではなく、他の人物それぞれの心情も踏まえた上で、急かすことなく、ゆっくりと彼女なりの心の成長を見せてほしい、と感じました。
『カラダカシ〜』は、魅力的な設定であるがゆえに、おそらく、著者が思いついたアイデアが余すところなく詰め込まれたと感じ、そうしたい気持ちは同じ作家として痛いほどわかるのですが、それでもやはり、物語の主軸に沿って、時には思い切ってアイデアをそぎ落とすことも大事なのだと思います。そうすれば、この小説で著者が真に描きたかった着地点が、より際立つ形で見えてくる気がしました。
 作品に奥行きがあればこそ、選考会ではさまざまに意見が出て、盛り上がります。結果、それぞれの作品が大賞と読者賞に選ばれました。おめでとうございます。
『夜をめくる』。作中の描写や流れがやや雑な感じを受けました。冒頭、事実婚の夫と別れてやってきた珠子について「きっと面目なさそうな顔でやってくるに違いない」と描写する部分は、実際にやってきてからそう描写した方が効果的です。著者の気持ちが先走って、読者が想像する楽しみを奪ってしまっていると感じます。また、作中で初登場となる朔也についても、彼の服装や表情の描写が何もない。たとえば「皺が寄ったシャツ」や「どこかうつろな目」など、そういう細部を少しずつ書くことで、彼が今どんな気持ちなのかを語らずして語ることができるはずなのに、あまりにもったいない。また、「自分の体を大切に保つ」ことに固執する主人公であることも、この小説の大きなテーマの一つだと思うのですが、その気を遣いすぎて自らの楽しみを放棄してしまうほどの切実さや苦しさがあまり伝わってきませんでした。本人にもどうにもならない苦しみ、周りを苛立たせても尚変われない悲しみのようなものがより伝わってきたなら、読後感も変わったかもしれないと残念です。
『スタンプ』。ところどころに挟まれるユーモアが利いていて、「あのとき声をかけたのはいっちゃんで六人目だった」という一文が入ってくる間合いなどもすごくよかった。しかし、主人公がアキを幻滅させるために披露したと思われる「出会い系に走った」エピソードに猛烈な違和感を覚えました。唐突なうえに、「年上で既婚者」という一点だけで主人公が彼女たちを蔑んでいるように思え、何より彼自身がその点に無自覚なまま進む物語に、最後まで気持ちがついていきませんでした。
『海馬の子』。雰囲気はいいのですが、語りたい切実な主題があるように感じられませんでした。タツノオトシゴの「『挿し込む側』がメス」のエピソードがせっかく光っているので、あと一歩、痛切な「挿し込まれる側」の苦しみや思いが具体的な重さを伴って伝わってくる話が読みたかった。また、ビリーさんが女性である必然性を感じませんでした。彼女がしていることも、性別が女性というだけの「挿し込む側」の身勝手さなのではないかと思えてしまい、それがかえってこの話の主題を薄めてしまった印象です。