お知らせ

映画「泣くな赤鬼」公開記念
エッセイ&読書感想文コンクール 受賞者発表!

映画「泣くな赤鬼」の公開を記念して開催したエッセイ&読書感想文コンクールに多数のご応募をいただき、ありがとうございました。 重松清氏とコンクール事務局による選考の結果、以下の方々が、重松清賞(大賞)、優秀賞、佳作の受賞者に決定しました(敬称略)。

「忘れがたい生徒の思い出」
【教職員向けエッセイコンクール】

重松清賞(大賞) 山本千絵(福井県)
優秀賞 青木ゆかり(千葉県) 江原秀則(千葉県) 星野伸樹(群馬県)
佳作 安達涼子(愛知県) 出口陽子(長崎県) 川辺 靖(東京都) 小松崎美有(埼玉県) 下入佐宏美(鹿児島県) 鶴見久代(埼玉県) 手塚央子(東京都) 西村 健(新潟県) 藤田恭子(静岡県) 安田彩乃(東京都) 
重松清賞(大賞)

H君の思い出

福井県・山本千絵

 教員になって4半世紀が経つが、今やITで「いつでも世界とつながれる世の中」になった。私も最近Facebookを始めた。たまに「知り合いかも」と電脳くんが何人かの写真と名前を表示してくる。その中に、H君はいた。

 久しぶりに目にした珍しい姓、はにかんだ笑顔。三十五歳になっていた。私が新卒の頃、実家を遠く離れた北の大地で、初任中学校の生徒だったH君。廃部寸前だったS中学の吹奏楽部で唯一の男子部員。あの頃私は、なんとか部活を立て直そうと無我夢中だった。

 年々増え始めた新入部員の中に、背が低く色白でふっくら、マシュマロマンみたいなH君がいた。Jリーグやスラムダンク流行りし頃、文化部に入る男子はいなかった。不安げにやって来たH君に私自身が得意な楽器アルトサックスを割り当て、音の出し方から教えた。彼は不器用ながらも一生懸命ついてきた。

 コンクール出場費用捻出のため、日曜に体育館コンサートを開き「入場料はお志で」と箱を置いた。地区大会にも出られるようになった。異動が決まり、後ろ髪を引かれながらもH君とは1年だけの付き合いとなった。

 その後私は故郷に戻り高校教員となったが、進学指導や家事育児の渦にのまれ、生活は音楽から遠く離れていった。あの日々は、今や青春の一コマだ。勤務校の業務や七歳と九歳の子供の世話で毎日が慌ただしく過ぎていく。そんな中、突然スマホ画面に現れたH君は、サックスとソロコンテスト金賞の賞状を持って微笑んでいた。細身で爽やかな青年。昔の彼との違いに戸惑ったが、楽器を続けていること、看護師として働きながらも自ら市民バンドを作り活動をしていることがわかった。楽器を持った若い仲間たち。子供たちに教えている写真。ソプラノからバリトンサックスまでこなしているようだ。肺活量が必要だろうな。ああ、それで、マシュマロ君じゃなくなったのか。おそらく私を超える腕前になったH君は、今やセミプロとして活動していた。

 恐る恐るメッセージを送る。「H君、今もサックス続けてるようで、うれしいです」と。すぐに返信が来た。「先生! 懐かしい! 今度コンサートやるので来てください!」と。残念ながら遠く離れてしまったことを伝えると「先生の『アンフォゲッタブル』、忘れてません」と、二十年前、体育館で私がソロを吹いた曲を覚えていてくれた。瞬時にメロディーが記憶によみがえる。思い出話のやり取りになると「男一人で辛かったけど、S中学で吹奏楽始めてなかったら今の自分はありませんでした」「合宿や体育館のコンサート、全部今の自分の基礎基本です」「あの時のソロ、今ならもっとカッコよく吹けます」と。

 まっすぐで、熱くて、まぶしい。教師冥利に尽きる、とはこういうことか。画面の前で私は泣いていた。文字のやり取りだけで済む世の中でよかった。――「君は、サックスが合うと思う」まだ若く、自分の判断に自信がなかった頃。あの直観だけは正しかったらしい。

重松清 氏 選評

 SNSによる教え子との再会という、いかにも「いま」の時代らしい素敵なお話でした。中学時代の部活の様子が、活き活きと目に浮かんできます。しかも、思い出の曲が「アンフォゲッタブル」――忘れられない。偶然にしても最高の選曲でしたね! 山本先生はH君といつかリアルに再会するのでしょうか。それともSNSの同窓会で終えるところがミソなのでしょうか。どうするのが一番いいのか。その答えは永遠にわからない。わからないからこそ、出会いと別れと再会の物語は、いつも僕たちを惹きつけるのでしょう。


「重松清『せんせい。』を読んで」
【生徒向け読書感想文コンクール】

重松清賞(大賞) 野上愛生(京都府)
優秀賞 髙橋明香里(茨城県) 多田歩生(岩手県) 森山ひかる(千葉県)
佳作 小貫菜々美(茨城県) 勝山真莉生(東京都) 金澤隆美(京都府) 津田花音(東京都) 中重ひより(京都府) 二宮詩織(東京都) 福宮友樹(東京都) 八鍬凌雅(京都府) 安尾菜乃子(大阪府) 渡邊アカリ(千葉県) 
重松清賞(大賞)

「白髪のニール」

京都府・野上愛生

 この物語は、主人公が「四十五歳の僕」と「十七歳の僕」の両方の視点で書かれている。そしてこの「十七歳の僕」は、オトナという存在に疑問を抱き、早くもオトナになろうとしている友人のフクちゃんを見て、焦りを感じている。私は、この「十七歳の僕」と自分が少し似ているなと思った。将来の夢が決まっていない私は、他人と比べてはいつも焦りを感じてしまう。しかし、どうすれば良いのかという解決策を見出せないまま、ただ淡々と日々を過ごしている。それは私だけではなく、多くの高校生が抱えている悩みなのではないだろうか。だからこの物語は、「十七歳の僕」に自分自身を重ねながら読むことができると思う。

 十七歳の僕は、富田先生とギターのレッスンをしていた。先生は真剣に、下手くそながらも一生懸命に練習した。僕が「どうして、ニール・ヤングを弾きたいのですか。」と尋ねると、先生は子どもが生まれるからだと言った。それは、ニール・ヤングが年をとることを教えてくれるからだと言った。そして、ロックとはロールすることであり、キープ・オン・ローリングすることなのだと教えてくれた。しかし、私には十七歳の僕と同じように、先生の言うことの意味がよく分からなかった。最初は、父親になるという自覚をもたせてくれるという意味なのだろう、と思っていた。

 そして僕は四十五歳になった。六十一歳になった富田先生は、今もギターを弾き続けていた。一人で練習して、文化祭のステージにも立つほどになっていたという。先生はずっとロールしていたのだ。そのとき、私はようやく、富田先生の言う「ロール」の意味がわかった。ロールするとは、走り続けることなのだ。走り続けて、走り続けて、止まってしまっても、もう一度走り出す。つまり、自分の決めた自分の道をまっすぐ突き進むということだ。途中であきらめてしまっても、もう一度立ち直ればいいと先生は教えてくれたのだ。

 私は富田先生のこの言葉を、自分の状況に置き換えて解釈した。「今は焦らずに、少しずつ前に進んでいこう。他人と自分を比較するのではなく、私は私なりに頑張ればいい。」と。そしてこの言葉は、多くの高校生に勇気を与えてくれるだろう。立ち止まって悩むことよりも、悩みながらも前に進み続けることが大切なのだ。それがロールなのであり、キープ・オン・ローリングなのである。

重松清 氏 選評

 おとなと子ども(高校生も含む)のお話を書くとき、僕は好んで「お互いにいままでわからなかったことが、なんとなくわかるようになる物語」をつくります。おとなは子どもを、子どもはおとなを「わからない」からこそ、少しでもわかりたい――『せんせい。』収録のすべてのお話にその思いは息づいているはずで、野上さんはそこをみごとに読み取ってくれました。作文にあった〈ロールするとは、走り続けることなのだ〉という一節は、五十代後半の僕にも勇気をくれました。ありがとう!

 

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著者紹介

重松清シゲマツ・キヨシ

1963(昭和38)年、岡山県生れ。出版社勤務を経て執筆活動に入る。1991(平成3)年『ビフォア・ラン』でデビュー。1999年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。2001年『ビタミンF』で直木賞、2010年『十字架』で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表している。著書は他に、『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』『ひこばえ』『ハレルヤ!』『おくることば』など多数。

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