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オヤジギャグの華

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その12 デパ地下有機農法トラック野郎

オヤジギャグの華

「高島屋のデパ地下に寄りましょうよ、まだ開いてる!」フードライターのコジマが言う。
 私たちは新宿にいて、今日は早めに、東京タワー近くの滞在先に帰ろうとしている。
 けれど私たちはデパ地下が大好きなのだ。素晴らしい東京のデパートの、壮麗な地下食品売場!
 お洒落な食べ物のワンダーランドへ、二人でいそいそ下りていく。目にも鮮やかなご馳走が〈ティファニー〉の果てしないカウンターみたいに所狭しと並ぶ宇宙。マスクメロン(値段もティファニー並み!)、刺身が艶々と光る誘惑的なお弁当、アール=デコふうのピラミッド型に積んだグルメ・キットカット、卵焼きの毛布にくるまった白いテディベアをかたどったキュートなライス。
 いつもながら、ピエール・エルメの至高のマカロンに私は思いをはせる(あのマカロン、このそばのもう一軒のデパートにあるだろうか?)。思い起こせばいまも頬が緩む。十五年前、パリでグラン・パティシエその人に会い(コジマが記事を書いていたのだ)、パリ左岸にあるエルメの小さな「ブティック」を訪ねてからまもなく、初めて東京を訪れてみると、何とその絶品がこの街のデパ地下に、パリと同じ品質で売られていたのだ! 実際、エルメの「ブティック」第一号は、パリではなく東京でオープンしたのである。
「模倣と再現をやらせたら、日本人は世界一の目利きだねえ」私はコジマに叫ぶ。
「そうよねえ、カルメ・ルスカイェーダが言ったこと覚えてる?」とコジマも言う。「あのカタルーニャ出のシェフが、この街に支店を出した話」
 もちろん。日本の支店はもうとことん正確なレプリカで、カウンターの釘のひっかき傷まで真似てあって、見て怖くなるほどだと彼女は言ったのだ。オリジナルより本物!
 閉店間際の割引セールに突進しようと待ち構えている、年輩のご婦人二人をコジマは押しのけるように進んでいき、今夜のデザートにと、チーズやハムの代わりにチョコレートチップが入ったショコラバゲットを二本確保する。
 それから私たちは、景色を楽しみながらバゲットを味見しようと――美味しいものを味わうとなるとコジマはまるでこらえ性がないのだ――高島屋の屋上へ向かう。
 のぼってみると、空は華麗な黄昏。そばで淡く光るドコモタワーは、一九六〇年代の日本の怪獣映画で使われたエンパイア・ステートビルの安っぽい模型のよう。チョコレートたっぷりのバゲットをもぐもぐ味見しながら、私たちは屋上庭園をぶらつく。ほかには誰もいない。
 いや、あそこに誰か。
「変だな、あれ」と私は呟き、目を細くして、隅っこの方にぽつんと一軒あるフードスタンドを眺める。古めかしいカンテラが灯っている。私はさらに目を細める。「ベジタリアンかな?」
 二人で近づいていく。果たせるかな、メッシュの袋に誇らしげに入れたポテトを売る屋台である。けばけばしい手書き文字、日本語と英語両方で看板に「仁義あるオーガニック・ポテト! 農薬不使用!」と書いてある。そばにもうひとつ看板があって「義侠心の刺青ファーマー!」。
 年配の男が店をやっている。白髪頭に、お洒落な白いバンダナを巻いている。面長で四角い顎の、荒っぽいハンサムな顔が、私のなかの記憶を揺り動かす。男はちらちら揺れる――幽霊っぽく。
 戦慄が私の体を貫く。
菅原文太だ……」私は口から泡を吹く。
「誰――また幽霊?」コジマが冷たい顔で、齧ったバゲットを呑み込みながら言う。
「僕の映画アイドルの一人だよ! 『仁義なき戦い』の主演さ、あそこの看板もあの途方もないヤクザシリーズの題名に引っかけてるんだ――深作欣二監督の!」
「だぁれ?」
「菅原文太は晩年、有機野菜を作ってたってどこかで読んだよ。文太さん!」と私は叫びながら歩み出る。
 菅原文太は顔を上げ、片手を持ち上げる。「へいどうもイエッサリー!」と英語で答え、ニヤッと笑う。
「わぉ! 僕、あなたの映画の大ファンなんです!」と私は口走る。「あなたの初期の名作『現代やくざ 人斬り与太』、何年も前からDVD持っていて、大好きです、年中見てます!」
「ヘイ、じゃあ俺のポテト試してみなよ!」と文太は言い放ち、うしろに並べたジャガイモの袋を身ぶりで示す。「農薬不使用だよ。美しい山梨県の農場で作ったんだよ」
「で、なんでこんなとこにいるの?」コジマがうしろから寄ってくる。
「デパ地下売り場は争いが熾烈でさ。即ヒットしなけりゃ、あっさり追い出される。だったらここで、こっそり屋台やってる方がいいやね」なかば歯を剥くようにニタッと笑う。
 英語お上手ですねえ、と私が褒めると、ヤクザ俳優仲間の高倉健に教わったのさ、との答え。「あいつ、ハリウッドで仕事してたから」
「高倉健もここに?」
 私はあんぐり口をあけてあたりを見回す。
「いいや、どっかでロバート・ミッチャムとつるんでる」。またなかば歯を剥いてニタッ。「よう、あんた日本語読める? いいインタビュー載ってるんだぜ、俺のポテトサラダの話」。カウンターに載った雑誌と、かたわらにあるポテトサラダの小さなボウルを文太は指し示す。
 雑誌の表紙に床屋のサインポールを見て、私は目をパチクリさせる。
「ちょっと待って……何ていう雑誌です?」と私は息を殺して訊く。
 アホな名前だよ、と答えが返ってくる。「『オヤジギャグの華』。床屋の雑誌だよ」
「ちょっと待って、それ、ロシア風ポテトサラダ?」コジマが割り込んでくる。
「いいや、わが家代々の秘伝だよ」と文太は言う。そこに横になっていた、昔の台所を撮ったプロモーション写真をまっすぐ立ててみせる。
 コジマは写真をまじまじと見る。「だけどそれ、ニューヨークにあるあたしのママのキッチンじゃない! あたしたちロシアの出で、ママはあたしの書いたクックブックのレシピでポテトサラダ作るのよ――ママのキッチンで!」
「いいや、代々の秘伝だ」文太が怖い顔になる。顎が不穏に引きつる。「わが家の台所の写真だ!」
 コジマは無料のミニスプーンをさっと手に取り、一口味見する。「これ、あたしのレシピよ!」コジマも怖い顔になる。「あんたのじゃないわ! それにそこは、あたしのママのキッチンよ!」
「おい、やめないか」私は声をひそめてコジマに言う。「相手は本物の元ヤクザの口利きで映画に出た、カッとなったらただじゃ済まない男なんだぞ!」
「だってあたしのレシピよ、あたしのママの――」
それがどうした! それにこの人、僕に東京の話を書くよう依頼した床屋の幽霊見つけるの手伝ってくれるかもしれないんだぞ!」〔※連載第1回参照〕

その12 デパ地下有機農法トラック野郎

 コジマが地団駄を踏む。(文太に)「ざけんじゃねーよ! サラダも写真も勝手に盗め!」。「あんたもあんたよ、幽霊ばなしもいい加減にしな!」(これは私に)。「あたし、帰る! あんたら二人で勝手にやってな!」
 彼女はえらい剣幕で立ち去る。
 その背中を文太が睨み、卑猥な仕種を送る。「俺のこと、盗っ人だと?」
「いやいや違います」私は彼をなだめにかかる。「彼女、ちょっと動揺してるだけです。食べ物っていうのはロシア人にとってすごく大切で、母親とかキッチンとかもそうなんです。わかっていただけますよね。でもどうか、教えてください」私は真顔で頼み込む。「この雑誌、どこで出してるんです? 出版社の住所は?」
 文太は私をチラッと見る。そして歯を軋らせる。雑誌をパラパラ乱暴にめくって、住所を読み上げる。「何、あんたここに行きたいのか?」と怖い声で訊く。「神保町だよ。わかったわかった、連れてってやる。どっちみちもう何部か要るし」。耳障りなうなり声。「まったく、あの無礼なご婦人のおかげで、頭カッカしちまったぜ!」
 それから、一瞬で気分が変わって、文太はニヤッと笑う。白いバンダナを剥ぎ取る。「さ、ここから出ようぜ、今日はもう仕事はたくさんだ!」
 文太が屋台を畳んで、オーガニックジャガイモの袋と一緒に、そのへんの屋上藪のうしろに押し込むのを私は手伝う。それから二人で、従業員用エレベータに乗って地上に降り、薄暗い裏道に出る。大きなトラックが歩道に乗り上げて駐車している。車体にはド派手な竜の絵が描いてある。文太の目が輝く。「どうだ、すげえだろ?」
 私たちはトラックの座席によじのぼる。文太は嬉しそうな声を上げ、白髪の頭に青い手ぬぐいをワルっぽく巻く。「俺の『トラック野郎』シリーズ、知ってるか?」カラカラと笑い、不意に手のなかに出現したビール瓶からラッパ飲みする。「メチャクチャ笑えるコメディさ! あれが一番好きだな!」。トラックのエンジンがブルルンと息づく。クラクションがけたたましく鳴る。
「どけ、クズども!」文太は世界に向かってどなり、トラックは一気に走り出す。
 轟音を上げて、月並みな車を次々抜いていく。トラック野郎文太がそこらじゅうの車に向けて中指を突き立てる。ビールをガブ飲みし、お前も飲め、と私にも一本投げる。
 突然、トラックがキキーッと停まる。
「おぉっ!」文太は叫び、飢えたように舌なめずりして、歩道を歩く可愛い若い女を見る。
 トラックから飛び出し、すたすたと女を追いながらベルトのバックルを外しはじめる。女は悪態をついて速足で歩き去る。文太はあっさりあきらめて、ニタニタ笑って戻ってくる。青い手ぬぐいの下の顔が私にニッとウィンクし、トラックはふたたび轟音を立てて走り出す。
 なおも轟音を上げ、暗くなった神保町の古本屋街のあいだを抜けていく。昼間、私が安価な映画ポスターや風流な昔の雑誌を求めてうろつくあたりだ。と、トラックがキーッと停まる。
 文太が目をすぼめて外を見る。
 酔っ払った足どりのあとに私もついて行き、一軒の薄暗い店の前に出る。文太はドアをどんどん叩き、わめく。返事はない。文太は怖い顔でしげしげと見る。
「ケッ、間違えた!」
 文太が隣の戸口に向かうとともに、私は思わずあっと叫ぶ。あの小さな床屋のサインポールが、そこにあるではないか。文太はふたたびどんどん叩き、わめき、酔った手つきでビール瓶を振り回す。「開けろ、ボンクラども!」書店街の神聖な夜をけがすしぐさ。
 やっとのことでドアがわずかに開く。二人の若者が、呆然と私たちを見る。いまふうの見苦しい髪型、鼻リング、首には床屋の道具の刺青。一人は日本人で一人はガイジンだ。
もう閉店だよウィアー・クローズド、マン」ガイジンが英語で私と文太に告げる。
「俺が誰だか知らんのか、あほんだら!」文太がふらつく体でどなりつける。ドアを乱暴に押す。
「おいおい!」ガイジンが抗議する。
「文太さん?」日本人の男が認識する。「トラック野郎!」
 私たちは中に通される。
 目の前に広がる空間に、私の口があんぐり開く。
「何なんだ、これ!」
 それは私の、ニューヨークのアパートメントだ――私の、ささやかな仕事場。

「何なのよ、どこ行ってたの? あたしのメッセージに返事もしないで」とコジマが、東京タワーの下の心地よいレンタルマンションにやっとたどり着いた私に叫ぶ。
「携帯の電池が切れちゃってさ」私は息も切れぎれに言う。「何があったか、聞いても信じないだろうよ!」。こざっぱりしたカウチに私は倒れ込む。「あの雑誌の出版社のオフィス、ニューヨークの僕の仕事場そっくりのレプリカだったんだよ――ただしそれが床屋になってて。僕、発狂したのかって思ったぜ!」
「したんじゃないの、だからやたら幽霊を引き寄せるのよ」
「どうやら一時的な作り物なんだけどね」彼女の言葉を無視して私は続ける。「すべて紙張り子と段ボールで出来てる。著者の僕に敬意を表したってわけさ、たぶんあの連中、ネットで写真見たんだね。けど『オヤジギャグの華』はもうなかった。『波』しか残ってなかったよ」
「あの連中って?」
「いまふうの若い床屋二人さ。でも壁には、そもそも僕に物語を書かせるって言い出した、謎の老人床屋の写真が飾ってあるんだ。といってもそれが誰なのか、奴らもよく知らない。二人とも、まるっきり無知なフリーターなんだよ。たしか横浜がどうとか言ってたな。けどそこで――そこで――」
「そこでどうしたのよ? どうなったのよ?」コジマはすぐ短気を起こす。
「そこで、なぜだか、よくわかんないんだけど、日本人の方の床屋が、文太さんは東北の仙台出身だって言い出したんだ、あの恐ろしい津波に襲われた所だよ。すると、べろんべろんに酔っ払ってた文太が、急にものすごく悲しそうな顔になったんだ。で、なぜか、日本人床屋に侮辱されたと思い込んで、そいつに殴りかかったんだよ。それから仙台を想ってしくしく泣き出して、僕たちみんなひどく悲しくなってしくしく泣いて、それから文太がわあわあ泣きながらどなって、仙台に帰らなきゃ、愛しい傷ついた仙台に帰らなくちゃ、何だって俺デパ地下でイモなんか売ってるんだって言い出して、もうすっかり怒り狂って、床屋の店内あらかたぶっ壊しちゃって、床屋たちに襲いかかって、奴らが逃げ出して……そうして文太はトラックに飛んでいって、すごい勢いで走り去った。仙台に行ったんだね、きっと」
「わぉ」
「で、僕がここへ地下鉄で帰りつくのに一時間半かかったわけさ。お腹がペコペコだよ! ショコラバゲットは?」
「食べちゃった」
バゲット二本とも食べちゃったのか?」
ほんとに美味しかったんだもの!」。。笑い。「ハハ、あんたにもう一本買っといたわよ。はい――ちょっとぉ、ひったくらなくたっていいでしょ!」
 だがそんな言葉を聞いてる奴はいない。

つづく
FLOWERS OF OYAJI GYAGU by Barry Yourgrau
Copyright(C)2020 by Barry Yourgrau
波 2020年4月号より

著者紹介

バリー・ユアグローBarry Yourgrau

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。

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