オヤジギャグの華

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その2 有楽町焼き鳥

オヤジギャグの華

「今夜は焼き鳥に行くのよ――ガード下の!」と、ガールフレンドのフードライター、コジマが言う。「あんたのエージェントのタケシの、あの素敵な同僚、ジュンゾーからいまショートメールが来たの。連れてってくれるって」
「そりゃあいい!」と私は答える。「たださ、その、こないだ行ったときは……」
 前回東京を訪れて、ガード下の焼き鳥屋にくり出したときは、テーブルにいた荒っぽい酔っ払い連中が、外国人観光客が来たと見て、妙に赤い刺身を勧め、私たちをさんざん笑い物にしたのだ――それは馬肉だったのである。それに焼酎もひどい味だった。
「だけどあれは午後の上野だったでしょ」とコジマが言う。「今夜は有楽町、仕事帰りのサラリーマンの天国よ」
 ああ、サラリーマンのシタマチ!
 そう、料亭の懐石料理は素晴らしい。もちろん高級な寿司も(他人が払ってくれるなら)。だが、サラリーマン=シタマチ流に食べる、これは格別なのだ。
「それに有楽町って、ここから簡単に行けそうだね」と私は言う。「日比谷駅まで一駅乗って、ちょっと歩いてジュンゾーと落ちあう」
 だがここは東京であり、当然のごとく私は道に迷ってしまう。スマホのグーグルマップは断固使いたくないし、壁に貼ってある東京メトロの地図は、外国人の目と脳には逆さまである。
 さんざん言い争った末に、コジマのスマホの青い点に導かれて有楽町に着くと、ジュンゾーが待っている。髪は薄く、頬は丸いジュンゾーは、さながらロイド眼鏡をかけた仏陀だ。
「嬉しいですよ、焼き鳥に興味を持ってもらえて」とジュンゾーは言いながら、高架線路を支える柱に囲まれた、赤提灯の灯る屋台が連なる一画に私たちを導いていく。えらく賑わっている。頭上を山手線がゴロゴロと通り過ぎていく。
「ええ、あたしたちサラリーマンやOLと一緒に食べるの大好き」とコジマが声を張り上げる。「シタマチ、大好き!」
「ま、サラリーマンになりたいわけじゃないけどね」と私は笑って言う。
 低いアーチが掛かったトンネルのようなところにジュンゾーは入っていき、ビールケースに囲まれた小さなテーブルの、危なっかしい低い丸椅子に私たちはどうにか座る。「昔の東京の映画セットみたいだねえ」と私は上機嫌であたりを見回しながら言う。
「映画と言えば、ゴジラは有楽町を破壊したんですよね……」とジュンゾーが私に言い、ニヤッと笑う。
「そして今度はきっとオリンピックが、こういう場所をたくさん破壊するんだろうねえ」と私はため息をつく。焼き鳥の煙で霞んだ赤提灯の光の向こうの、上の動きに合わせて揺れる影を私は見やる。人々が通り過ぎ、光と闇から出たり入ったりしている。
 例の謎の床屋事件を、私はジュンゾーに向かって語り終える。
「そんなに面白い床屋がいるとはねえ」とジュンゾーは言う。そして髪の薄い頭を撫でる。「ま、私には関係ありませんけどね」と彼はふざけて言う。
「僕もだよ!」と、同じく薄い頭の私も返す。「ねえ、あの人たちが飲んでるのは?」。そばのテーブルを囲んだ若いサラリーマンたちが、茶色い瓶から何かを注いだジョッキを持ち上げる。「Hoppyって何?」
不味い!」と、この「サラリーマンの酒」を試した私は口から泡を吹く。そばのテーブルの連中がこっちを見てケラケラ笑う。私は日本酒に切り替える。一方コジマとジュンゾーはハイボールで満足している。ハイボールもジョッキに入っている。これは外国人の私の目には何とも奇妙だ。ここでも、どこでも、外国人はだいたいそればかりやっている――ちょっとした違い、奇妙な細部を、しじゅう目にとめているのだ。

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 さて、私たちのテーブルに小皿が矢継ぎ早に届けられるが、満腹にしちゃいけませんよ、とジュンゾーが釘を刺す。
「次はすごく特別なところへ行くんですからね」
「ああ、楽しみ!」とコジマが、もぐもぐむしゃむしゃやりながら言う。
 そう、店員が次々どんと置いていく串刺しの御馳走を食べ過ぎないのは至難の業。銀杏、つくね、レバー、軟骨、焼きとん(馬刺しはナシ!)。そして、美味い酒を飲み過ぎないのも。
「どうです、気に入りましたか、山手線の下で飲み食いするのは?」とジュンゾーが訊く。
「うん、ブラボー、有楽町!」私たちは答える。「線路の下で食べるのって最高だよ」
山手線の下です!」とジュンゾーは訂正する。「サラリーマン・グルメの中でも、特別に特別なんです、ここは!」。茶目っ気たっぷりにニヤッと笑う。「さ、いよいよここからですよ」
 そう言って彼は私たちを従えトンネルから出る。そばのサラリーマンたちが、立ち去る私たちに向けてジョッキを持ち上げる。私たちも連帯のしるしに親指をつき上げる。
 赤提灯の灯るテーブルがさらに続いて、店員が忙しく働き、スーツ姿のビジネス侍たちが茶色い瓶と小皿を前に去りがたく残っている。列車が轟音とともに頭上を過ぎていく。混みあった、忙しい商売を列車は飽くことなく続ける。やっとジュンゾーが、また別の低いアーチ、煙に霞むトンネルに入っていく。真ん中あたりに、暖簾のれんの掛かった、何の変哲もない、ほとんど影に隠れた出入口がある。
 中は小さなガレージみたいな場所で、テーブルがいくつかと、狭苦しい調理スペースと焼き鳥用の炭火。空気は煙っていて、そして、ものすごく油っぽい
「ムムム」とコジマが叫ぶ。「オイシイ!」
「何ですここ、電車の修理場ですか?」と私は面喰らって訊く。
「いいえ!」とジュンゾーが目を輝かせて答える。「特別に特別な居酒屋焼き鳥です!」
 隅の狭苦しいテーブルにジュンゾーは身を押し込む。だいぶ晩も進んだベテランのサラリーマンたち――油をたっぷり差した、と言えばいいか――が私たちを見て目をパチクリさせる。更なるニタニタ笑いが花開く。
 電車の車掌の帽子をかぶり、「山手線>神戸、OK?」と書いたTシャツを着た店員がメニューを持って現われる。
「渋いなあ」と私は声を上げる。「料理の記号に、電車の部品の絵を使ってるね」
違います!」とジュンゾーはさも嬉しそうに、勝ち誇って叫ぶ。「この絵はみんな、食べる物の絵です! 山手線現役のストックの、とびきり上等なネタです! 神戸牛より上等なんです!」
 店員はうなずき、指でTシャツの言葉を突く。
わお!」とコジマが言う。「わお!」
「山手線が、食べられる……」私は呆然として、ごくりと唾を呑む。
「はっは! 注文していいですかな?」とジュンゾーが言う。
「お願いします!――ねえ、これも美味しそうね」とコジマが勢い込んで言う。
「ええ、それはね、台車の緩衝器のバネの、一番美味しいところです」とジュンゾーが言う。「何日かマリネして、炭火でさっとあぶるんです」。身を乗り出して、声をひそめる。「山手線の操車場とね、内緒の契約を結んでるんですよ。全部品が最高級、保証書付きE237車両。工場直送、中古スクラップいっさいなし!」
 ジュンゾーは私たちに「有楽町スペシャル」盛り合わせと、「サラリーマンの夢」なるこれまた盛り合わせを注文してくれる。私たちは程なく、くさび形に切った、汁気たっぷりの赤いヘッドライトをもぐもぐ噛んでいる(「ソーセージみたい!」とコジマが言う)。それと、甘だれ醤油をかけた(「鰻みたいね」とコジマ)プラスチックの客車屋根材と雨樋あまどいが、ビネガーっぽいドレッシングに浸した、細かく刻んだ明るい青の山手線の座席カバー(「ワカメみたいだ!」と私)の上に載っている。
 コジマは有頂天である。今度はガーリックで味付けした、焼いて焦げ目をつけたステンレスの荷物棚のかたまりを騒々しく噛んでいる。サラリーマンたちがよしよしという目で見ている。みんなニタニタ笑っている彼らは、ジョッキに注いだ、ホッピーに似た「当店限定ブレンド 無濾過特選潤滑油」のおかげですっかり出来上がっている(私も同じ酒を勧められるが、断ってしまう――ひょっとしたら失礼だっただろうか)。
 私は日本酒の入ったコップ――これで三杯目だ――を、油を飲んでいる連中に向けて持ち上げる。「山手線に乾杯! 有楽町のサラリーマンに乾杯!」
「山手線に!」元気一杯の反応が返ってくる。「有楽町のサラリーマンに!」。みんなネクタイも外し、襟が開いて垂れている。
 やがて、さすがに腹が一杯になってくる。私たちはいとまを告げ、油のしみだらけのエプロンを着けた、菜箸さいばしとレンチで車軸のかたまりを操っている大将のところへ行って礼を言う。そして飲み仲間たちに敬礼!
 満足の吐息とともに、ふたたびトンネルに戻っていく。頭上からはたえず、電車が勢いよく行き来する音が聞こえている。さしずめ牛たちが牧草地ですくすく育っているというところか。通路をはさんで並ぶテーブルは、見れば少しいてきたが、ごちゃごちゃの皿やジョッキが赤提灯と影とに包まれて、さっきよりむしろ雰囲気はある。煙った夜には、どこか幽霊が取り憑いたような気配がある。が、やかましくもある――もっと先の方で、いまだ残ったサラリーマンの一団がジョッキを振りまわし、彼らの前で歌い、ぶざまに踊っている奇妙な二つの人影にあわせて声を張り上げているのだ。
「ほう! 見に行きましょう」とジュンゾーが言う。
 私たちは彼にくっついて行く。みんなを楽しませている二人のうち一方は、だぶだぶの古風なサラリーマンスーツに蝶ネクタイという格好で、歯をむき出し満面の笑みを浮かべている。相棒は貧乏くさい和服を着て、その憂い顔は悲しみに沈む気高い道化の風情。彼らの姿は幽霊のごとく明滅し、二人とも奇声を上げ、不細工なタップダンスをやっている。
「なんだか飲み過ぎた幽霊みたい」とコジマが言う。
「幽霊なんですよ!」とジュンゾーが嬉しそうに叫ぶ。「一緒にあちこち回ってるらしいですよ。あっちが植木等、二人で歌ってるのも『スーダラ節』です」
「わかっちゃいるけど やめられねぇ!」と二人組がわめく。
「で、着物の方は、太宰治です」
「太宰治? そりゃすごい!」と私は叫ぶ。「訊いてみましょう、例の床屋を知ってるか!」
 私たちはそろそろと寄っていく。歌と踊りが終わり、芸人二人組は酔っ払いのだらしなさでたがいの腕の中に倒れ込む。サラリーマンたちが拍手喝采する。
 ジュンゾーが歩み出て、私とコジマが何者かを説明してくれる。
「アメーリカ!」と植木の幽霊が叫ぶ。「アイ・ワナ・ゴー・トゥ・ラスベガス!(ラスベガスに行きたい!)」と素っ頓狂な声。
「(これも英語で)あなたはミスター・ブルールを知っていますか? 私の英語の先生なのです」と太宰治の幽霊が訊く。
「この人の着物、臭うわ」と、おそろしく鼻の敏感なコジマがささやく。
「(英語で)いいえ、私はミスター・ブルールを知りません」と私は太宰に答えながら、コジマを黙らせようと肱でつつく。「もしかしてあなたは、幽霊の棲む地で、文学好きの床屋に会ったことはありませんか?」
 太宰は目をパチクリさせて私を見る。そして彼は笑う。グラッとよろける。誰かが彼に酒を注ぐ。彼はそれを押しやる。「(日本語で)俺は桜桃が欲しい」と彼は叫ぶ。「(日本語で)桜桃! (英語で)アイ・ウォント・チェリーズ!」。足を踏みならす。「(日本語で)桜桃――」彼はしくしく泣き出す。
 私たちはみな、顔を見合わせる。
「私、サクラ風味のキットカットまだ持ってるわ」とコジマが私にささやく。そしてハンドバッグの中を探る。キットカットを取り出し、太宰に渡すよう私に渡そうとする――が、その前に太宰が奪いとる。
「(日本語で)なんていい匂いだ!」と彼は甘い声で言いながらくんくんと嗅ぐ。「(英語で)おお麗しいご婦人、あなたの可愛い腕に接吻させてください!」
 彼はコジマの手の方に腕をのばす。だがコジマはさっと手を引っ込める。
「げっ、この人、臭い!」
「いいじゃないかよ、手にキスくらいさせてやれよ!」と私は声を押し殺して言う。
「(英語で)おお、ご婦人! 麗しいご婦人!」と太宰が訴える。
 だがコジマはますます後ろに下がる。
「(英語で)すいませんね」と私は太宰に向かってしどろもどろに言う。
 突然彼が、ひどくみじめな表情に変わる。「(日本語で)ああ、俺はみじめだ!」と彼は叫ぶ。そしてキットカットの包みを破って、貪り食う。「(日本語で)美味い! だが俺はまだ底なしに不幸だ!」と嘆き、キットカットのピンクのかけらが口から飛び出す。
「(日本語で)まあまあ、落ち着けって、太宰居士!」と、寄ってきた植木がなだめる。
「(日本語で)落ち着けって、落ち着けって!」周りのサラリーマンたちが唱える。
 だが太宰の嘆きはおさまらない。「(日本語で)俺は自殺するぞ!」と彼は叫ぶ。くるっと踵を返す姿が狂おしく明滅する。鉄道の柱の向こうまで、まっしぐらに駆けていく。
 去っていく姿に向かって皆が口々に叫ぶ。植木がよたよたと後を追う。
「何とも情けないことです」とジュンゾーが言う。
 だが幸い、逃げる相棒に植木が追いつく。少しすると、幽霊二人組は腕を組み、よたよたと夜の街へ消えていきながら、「(日本語で)おれたちゃこの世で一番 無責任と言われた男!」と叫ぶ。
 かくして私たちの晩もお開きとなる。私たちはジュンゾーに助けられて日比谷に戻る。
「悪いけど、あの人ほんとに臭ったのよ」とコジマがなおも言う。

つづく
FLOWERS OF OYAJI GYAGU by Barry Yourgrau
Copyright(C)2019 by Barry Yourgrau
波 2019年6月号より

著者紹介

バリー・ユアグローBarry Yourgrau

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。

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