ホーム > 新潮文庫 > 新潮文庫メール アーカイブス > 物語を紡ぐことの咎(とが)(新潮文庫編集部H・S)
新潮文庫メールマガジン アーカイブス
物語を紡ぐことの咎(とが)(新潮文庫編集部H・S)



 Yonda?Mail購読者の皆さん、こんにちは。

 このたび刊行された宮部みゆきさんの新潮文庫『英雄の書』は、アニメでもおなじみの『ブレイブ・ストーリー』に連なる壮大なダーク・ファンタジーです。『ブレイブ・ストーリー』では男の子が主人公でしたが、こちらは小学5年生の女の子・森崎友理子が主人公。

 ある日、兄の大樹が同級生を殺傷し、行方をくらましてしまう。あの人気者のお兄ちゃんが人を刺すなんて……信じられない現実に直面し、友理子は途方に暮れる。そんな矢先、彼女は兄の部屋で赤い本の囁き声を聞いたのです。
 死んだ大叔父の別荘から、兄によって持ち出されたその本は言う。あらゆる物語の源泉である〈無名の地〉に封印されていた〈英雄〉を、兄・大樹が召還してしまった。そして、もっとも美しく尊い物語である〈英雄〉と表裏一体をなす、〈黄衣の王〉に大樹は取り憑かれ、そのせいで事件を起こしたと。

 こう書いてしまうと、何やら難しい用語が多くて読みにくい本のような気がするかもしれませんが、決してそんなことはありません。絶妙のストーリーテリングに導かれ物語の世界へ入り込むと、いつの間にかページを繰る手が止まらなくなっているのです。

 その後、額に施された〈印〉のおかげで魔力を得た友理子は、新たに「ユーリ」と名乗り、兄を捜す冒険の旅へ出発します。最初に訪れた〈無名の地〉では、物語を循環させる〈咎の大輪〉を見出します。東京ドームよりも大きいその車輪を、無数の“無名僧”たちが回しているのです。次に訪れた〈ヘイトランド〉の王都では、陥没した城の地下に造られた、卍型の通路をつなぎあわせた大迷宮を彷徨います。
 スペクタクルに次ぐスペクタクル。手に汗握るユーリの冒険行は速度を緩めることなく一気呵成に進み、ラストには想像もできない驚愕の結末が! 

 こうした物語の面白さは言うまでもなく、数ある宮部作品の中でも『英雄の書』で特筆すべきは、そのメッセージ性の強さではないでしょうか。たとえば以下のような一節。

「時に人間は、“輪”を循環する物語のなかから、己の目に眩しく映るものを選び取り、その物語を先にたてて、それをなぞって生きようとする愚に陥る。〈あるべき物語〉を真似ようとするのだよ」

 まさしく兄・大樹は〈英雄〉という〈あるべき物語〉を生きてしまったがゆえに、同級生を殺傷する羽目に陥ったのです。物語を紡ぐことを生業とする作家が、物語自体の罪悪を問うところにこの作品の持つ重み、これを書いた作家の覚悟があるように思いました。

 さて、〈英雄〉の暗黒面に当たる〈黄衣の王〉を、著者は「あとがき」でこう記しています。「読む者を破滅に導く恐るべき戯曲『黄衣の王』は、いわゆる〈クトゥルフ神話〉のなかの呪物のひとつです」
〈クトゥルフ神話〉とは、1920年代に活躍した怪奇幻想小説家H・P・ラブクラフトと、彼を信奉する一派が作り上げた架空の神話体系。この前世紀の〈神話体系〉が、いまちょっとした注目を集めているのです。

〈クトゥルフ神話〉から世界観を借りた人気ラノベ・シリーズ(作・逢空万太)と、それを原作とするアニメ「這いよれ!ニャル子さん」が一部で熱狂的なファンを獲得しています。「ニャル子さん」の第一話が放映された直後、『ラブクラフト全集1』(創元推理文庫)のアマゾン・ランキングが急上昇したというエピソードがあるほどです。
 その他にも〈クトゥルフ神話〉を独自に解釈するラノベや漫画、TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)作品が数多く生まれています。『英雄の書』を読んで興味を持った方は、〈クトゥルフ神話〉の深く暗い森へ迷いこんでみるのも一興かもしれません。

 なお『英雄の書』の続篇『悲嘆の門』が、この7月から「サンデー毎日」誌上で連載開始されます。残念ながらユーリは登場しませんが、こちらも乞うご期待です!


(新潮文庫編集部H・S)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2012年07月10日   今月の1冊
  •    
  •