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絶滅魚クニマスの発見―私たちは「この種」から何を学ぶか―

中坊徹次/著

1,870円(税込)

発売日:2021/04/21

  • 書籍
  • 電子書籍あり

70年の時を超え、再び姿を現した魚「クニマス」が語り始めた。

1940年、秋田県田沢湖だけに生息した魚が環境改変で絶滅した――。だが、生きていた。遠く離れた山梨県西湖で。なぜ西湖に? なぜ誰も気づかなかったのか? クニマスという魚の驚くべき生態から生まれた疑問が発見を導き、分類学、ダーウィン進化論、そして絶滅に向きあった人々の歴史へと広がってゆく。「種」を巡る壮大な物語。

目次
プロローグ――京都大学の魚類標本室から
第I部 どのような魚か
第1章 発見への道のり
見てわかる魚ではない/幻の魚を探す/顔を見せた過去/クニマス探しキャンペーン/どうしてクニマスは見つからなかったのか/私とクニマスの出会い/深い湖底での産卵、驚きの生態を知る/小さな「黒いヒメマス」の出現/山梨県西湖へ
第2章 西湖クロマスはクニマスか
仮説を立てる/西湖クロマスの研究/クニマス発見論文/発見か再発見か/伝説から抜け出す第一歩/自然科学の論文が導く新しい展開
第3章 伝説から科学へ
西湖のクロマスとシロマス/新しいクニマス研究の始まり/銀色のクニマスがいた!/湖底を泳ぐクニマス/西湖におけるクニマス研究/周年産卵の片鱗/失われていた海に出る能力/伝説から科学へ
第4章 原型としてのヒメマス
ベニザケとコカニー/カバチェッポ/カバチェッポからヒメマスへ/十和田湖のヒメマス/ヒメマスの生物学的特性/ベニザケに戻ったヒメマス/日本各地のヒメマスの由来/移植後の湖で見られた変化/原型としてのヒメマス
第5章 田沢湖でクニマスになる
クニマスのふるさと田沢湖/氷期に来たベニザケ/ヒメマス的特性からクニマス的特性へ/自然選択説/クニマスを囲んでいた生物群集/自然の経済における場所/黒い体色、黄色い成熟卵、白っぽい筋肉/多い鰓耙と少ない幽門垂/ゆっくりとした遊泳行動/痕跡的な特徴としての冬産卵/有用でも有害でもない周年産卵/謎の冬産卵
第6章 種の輪郭
噂の「黒いマス」/由来不明のハプロタイプ/本栖湖の黒いマスの正体/クニマスとヒメマスの分離/種か亜種か/生物学的種概念/ダーウィンの種/分化程度のいろいろな種/分類学の役割/種の輪郭の視点
第7章 記録の検証
過去の記録/田沢湖にいたもうひとつのマス/クチグロマスの正体/クニマスはクチグロマスという和名になっていた?
第II部 絶滅と復活
第8章 消えゆくクニマス
こまち号の車窓から/御堰――新田開墾/田沢疏水/電力源としての田沢湖・玉川水系/玉川河水統制計画/毒水の功罪/江戸時代の毒水対策事業/地下溶透法/毒水導入の環境アセスメント/玉川水の導入/魚たちはどうなったのか/消えたクニマス/滅びゆくクニマスへの挽歌
第9章 田沢湖の昔
辰子伝説/クニマス漁/日々の暮らしとクニマス/『北家御日記』/人々をとりまく湖畔の生物風景/田沢湖周辺の河川と魚類
第10章 漁業組合の結成と終焉
ヒメマス移植事業/区画漁業と槎湖漁業組合/回帰してこないヒメマス/日本最深を測る/三浦政吉の悩み/中野治房の意見/孵化場の移転――潟尻から春山へ/田沢湖へ産卵回帰したヒメマス/クニマスの人工孵化/槎湖漁業組合の終焉
第11章 見えない魚の行方
絶滅回避という誤解/クニマス卵の各地への分譲/長野県野尻湖/山梨県西湖と本栖湖/西湖と本栖湖におけるヒメマス移植の歴史/見えない魚/絶滅回避の移植放流はあったのか/行方不明の魚を探す
第12章 発見から保全へ
クニマス発見の発表前/西湖と田沢湖からの訪問/発見後の歩み/レッドデータブック/野生絶滅/ヒメマス釣りと保全/クニマス産卵場の保全/奇跡の魚 クニマス展示館
第13章 保全と里帰りのための研究
保全と里帰りの基礎/人工増殖試験/飼育下での成長/クニマスとヒメマスの交雑実験/代理親魚試験/西湖にクニマスはどれだけいるのか/西湖クニマスの遺伝的多様性/クニマス卵の食害/基礎的な研究の大切さ
第14章 里帰り――現在から未来へ
田沢湖の今/1965年の田沢湖調査/玉川酸性水中和処理施設/里帰りの歩み/田沢湖クニマス未来館/生きているクニマスは何を語るのか
エピローグ
謝辞
クニマス関連年表
参考文献

書誌情報

読み仮名 ゼツメツギョクニマスノハッケンワタシタチハコノシュカラナニヲマナブカ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 332ページ
ISBN 978-4-10-603864-8
C-CODE 0345
ジャンル 生物・バイオテクノロジー
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,870円
電子書籍 配信開始日 2021/04/21

書評

光差す故郷の湖を語り継ぐ

西木正明

 世に魚や釣り関連の書物は少なからずあるが、このような表題の本は稀だろう。
 そもそもこの表題を見て「これは何だ」と問われても、正しく答えられる人はわずかではないか。
 かくいう私も、かつてクニマスが生存していた秋田県の田沢湖近くで育ったのに、この魚がいかなる魚なのか知ったのは、四十歳を越えて物書きになってからだった。
 知るきっかけとなったのは、たまたま直木賞を頂戴して多少世間に知られるようになって、地元のドヤク(秋田弁で親友の意)たちから、
「おみゃ(お前)もひとりまえの作家になったのだから、クニマスを田沢湖さ戻すことにかたれ(加われ)」
 と言われて、田沢湖にクニマスを呼び戻すことをめざして、一生懸命がんばっているドヤクたちの末席に座らせてもらったことだった。
 あらためてクニマスとは何か。それは、かつて田沢湖に棲んだ固有種の鱒のことで、今から八十年前に絶滅したとされていたが、平成二十二年、戦前期に移植されたまま忘れられていた山梨県の西湖で生き残りが発見された。ドヤクたちとともに発見の報を喜んだことを今でも思い出す。
 田沢湖には中学生当時から、夏休みになるとほぼ毎日のように泳ぎに行ったので、なじんでいた。水中眼鏡をかけて潜ると、水面越しに太陽がきれいに見えるほど透明なのに、魚らしい生き物がまったくいなかったのが不思議だった。田沢湖で命を育むことの難しさは、そのころから理解していた。
 田沢湖は元々、大きな流入河川がなく、私の故郷西明寺村潟尻から潟尻川として流出し、五キロほど下流で檜木内川と合流する。そして下流の角館近くで玉川と合流したあと、大曲で本流の雄物川と合わさり、秋田市郊外で日本海に流れ込むのが本来の形だった。
 それが昭和十五年、灌漑用水や水力発電に利用しようと、国策として毒水と呼ばれる強酸性の玉川の水を中和するために田沢湖に取り込んでしまったのが最大の問題だった。
 以来、田沢湖からはクニマスはもちろん、ほとんどの生き物の姿が消えた。
 玉川からの導水が始まった昭和十五年は私が生まれた年でもある。だから私はクニマスが泳ぐ田沢湖を知らない。だが、かつて母親がひとかかえもあるマスがよく捕れて食べていたと教えてくれたように、湖は近くに暮らす人たちの糧であった。
 また戦争が終わって大陸から復員してきた叔父は真っ先に湖に向かい、「日本が残っている」と言ったくらいに、みんなに親しまれていた。私もまたかけがえのないふるさととして、今も足しげく通い続けている。
 一昨年はスキューバダイビングを行った。これまで何度も潜ってきたが、少年時代に泳いだ浅瀬とは違い、三、四十メートルの深さである。しかし、それでも太陽の光を感じるくらいに湖は澄んでいて、「昔の田沢湖なんだな」と思った。
 ただ、川の水が流れ込むあたりに移ると、少し様子は違っていた。なんとなく靄がかかったように、水が白く濁っている。酸性になった水を戻すための石灰のせいだという。
 もはや昔の田沢湖を知る人はほとんどいなくなり、こんなちょっとした違いに気付くこともだんだんと難しくなってきている。それゆえ、ドヤクたちの活動も急がれるが、何よりも次世代に継ぐべき資料がなかった。そんなところに今回の本が出版されたのだ。これは本当にありがたい。
 西湖に残ったクニマスを発見した第一線の魚類学者ならではの厳しい視点がクニマスの知られざる生態を明らかにするのはもちろんのこと、古い文献を取り上げつつ当時の漁師たちの子孫にも会い、完璧を期して書かれている。クニマスだけではない、田沢湖に暮らした人々の生きざま、そして未来もここには記されている。
 日本では一番、世界では十七番目の深さとそれに見合う水の透明度。そこにしかいなかったクニマスがもたらした、田沢湖と人々が関わるさまざまなエピソードは、今も地元のみならず、日本人の心を把握する。

(にしき・まさあき 作家)
波 2021年5月号より

著者プロフィール

中坊徹次

ナカボウ・テツジ

1949年京都府生まれ。京都大学名誉教授。京都大学大学院農学研究科博士課程修了(農学博士)。専門は魚類学。著書に『日本産魚類検索 全種の同定 初版、第2版、英文版、第3版』(編著、東海大学出版会)、『日本産魚類全種の学名 語源と解説』(共著、東海大学出版部)、『日本魚類館』(編・監修・著、小学館)などがある。

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