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進化論はいかに進化したか

更科功/著

1,815円(税込)

発売日:2019/01/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

ダーウィンのどこが正しく、何が間違いだったのか?

『種の起源』が出版されたのは160年前、日本では幕末のことである。ダーウィンが進化論の礎を築いたことは間違いないが、今でも通用することと、誤りとがある。それゆえ、進化論の歩みを誤解している人は意外に多い。生物進化に詳しい気鋭の古生物学者が、改めてダーウィンの説を整理し、進化論の発展を明らかにする。

目次
まえがき
第1部 ダーウィンと進化学
第1章 ダーウィンは正しいか
第2章 ダーウィンは理解されたか
第3章 進化は進歩という錯覚
第4章 ダーウィニズムのたそがれ
第5章 自然選択説の復活
第6章 漸進説とは何か
第7章 進化が止まるとき
第8章 断続平衡説をめぐる風景
第9章 発生と獲得形質の遺伝
第10章 偶然による進化
第11章 中立説
第12章 今西進化論
第2部 生物の歩んできた道
第13章 死ぬ生物と死なない生物
第14章 肺は水中で進化した
第15章 肢の進化と外適応
第16章 恐竜の絶滅について
第17章 車輪のある生物
第18章 なぜ直立二足歩行が進化したか(I)直立二足歩行の欠点
第19章 なぜ直立二足歩行が進化したか(II)人類は平和な生物
第20章 なぜ直立二足歩行が進化したか(III)一夫一婦制が人類を立ち上がらせた
あとがき
主要参考文献

書誌情報

読み仮名 シンカロンハイカニシンカシタカ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-603836-5
C-CODE 0345
ジャンル 生物・バイオテクノロジー
定価 1,815円
電子書籍 価格 1,430円
電子書籍 配信開始日 2019/07/12

書評

ダーウィンだって間違えていた?

仲野徹

 ダーウィンがこの本を読めば、自ら蒔いた種がここまで育ったことを喜ぶはずだ。同時に、もしかしたら、時代的に難しかったとはいえ、どうして論をもう一歩進められなかったかと悔やむかもしれない。いずれであっても、『種の起源』出版以来160年あまりにわたる「進化論の進化」に驚嘆するであろうことは間違いない。
「進歩」という意味で「進化」という言葉が使われることがよくある。テレビニュースなどで耳にすると、「それは進化じゃなくて進歩やろ」とツッコミをいれたくなってしまう。今は隠居の身だが、現役時代は生命科学者だった。我ながら小うるさいおっさんだとは思うが、そこだけは譲れない。進化は必ずしも望ましい方向へ一直線に進むわけではない。ダーウィンが意味した「進化」にも「進歩」といった方向性はまったく含まれておらず、生物の「変化」を意味するにすぎない。
 1859年に出版された『種の起源』での主張は、(1)多くの証拠を挙げて、生物が進化することを示したこと、(2)進化のメカニズムとして自然選択を提唱したこと、(3)進化のプロセスとして分岐進化を提唱したことの三つにまとめることができるという。なんとわかりやすいんだ。なかでも最重要視されるのは自然選択説、「ランダムに生じた変異の中から、生存力や繁殖力を高める変異が、自然選択によって残る」という考えである。
 だが、この考えは20世紀の初めまで受け入れられなかった。ダーウィンの進化論とほぼ同時期に発表されたメンデルの遺伝学説では説明が困難であったことも理由のひとつだ。しかし、現在では言うまでもなく自然選択説が広く受け入れられている。これは科学の進歩――進化ではなくて進歩――によるものである。かといって、自然選択だけで進化は説明しきれない。日本の遺伝学者・木村資生が提唱した「分子進化の中立説」も必要なのだ。
 昔は、動物や植物の形といった「形質」でしか進化を調べられなかったが、そこへ、蛋白質のアミノ酸配列やDNAの塩基配列といった新しい「道具」が入り込んできた。そのような微視的なレベルで解析すると、自然選択では説明できない猛烈な速度で進化がおきていたことがわかったのである。科学・技術の進歩――進化ではなくて進歩だ――は、かくも素晴らしい。これを説明する独創的アイデアが木村の中立説で、理解するには「遺伝的浮動」という考えが必要なのだが、この本ではそういった概念も非常にわかりやすく説明されている。
 日本での進化論といえば、ある年齢以上の人は、自然選択説を否定し続けた今西錦司の名を思い浮かべるかもしれない。生物は、自然選択のような競争よりも「棲み分け」を好むもので、種は変わるべき時が来たら変わる、という説だった。誤った考えなのだが、「競争の原理」ではなく「共存の原理」であることなどから、日本人に受け入れられやすかったのではないかと読み解かれている。さらには、今西進化論は学説というよりはむしろ思想であったと喝破する。確かにその通りだろう。今西進化論は、生物の進化において絶滅する種があるのと同じように、進化論の進化において絶滅した思想に喩えることができそうだ。
 他にも、ダーウィンが考えていたような漸進説と、今は亡き人気古生物学者スティーブン・ジェイ・グールドでおなじみだった断続平衡説との違いや、発生と獲得形質の遺伝など、進化論における面白いテーマがさまざまに論じられていて飽きさせない。なによりも、その説明のわかりやすさには舌を巻く。ここまでが第1部「ダーウィンと進化学」と題された「進化論の進化」についての理論的解説だ。第2部「生物の歩んできた道」は分岐進化のプロセスについての具体例を挙げながらの説明である。
「死ぬ生物と死なない生物」、「恐竜の絶滅について」、「車輪のある生物」、「なぜ直立二足歩行が進化したか」など、そそられるトピックスがとりあげられている。どうしてそのようなことがおきたのか、あるいは、おきなかったのかが、進化の観点から解説されていく。第1部での学びを活かすことができて、読みながらうれしくなってくることうけあいだ。
 進化論についてある程度は理解していると考えている人にはぜひ読んでもらいたい。おそらく、私がそうであったように、知らないことがいくつも書かれているはずだ。進化論ってよう知らんわという人にはもっと読んでもらいたい。このコンパクトな一冊で、現代の進化論とそこへいたる“進化”を楽しく理解できるのだから。

(なかの・とおる 生命科学研究者)
波 2023年6月号より

目からウロコが17枚ぐらいはがれた快著

佐倉統

 進化論は昔から誤解されてきた。生物の進化はとても長い時間かかって進行する現象なので、人間の直観に反する部分が多い。そのため、それを説明する理論の方がおかしいと思ってしまう人が後を絶たないのである。
 一方で、そんな誤解を解こうという試みは、古今東西、あれこれと工夫して続けられてきた。この本も、そういう一冊だ。だが、稀代の語り上手・更科功の手になるだけに、あちこちに工夫がこらされている。ぼくがいちばん感心したのは、チャールズ・ダーウィンの考えていた理論と、現在の進化生物学とを結びつけていることだ。《進化論=ダーウィン》ではない。だけど、《進化論≠ダーウィン》でもない。この両者のはざまで、どこが「=」でどこが「≠」なのか、丹念に、読みやすく、そしておもしろく語ってくれる。
 進化論についてハナから誤解している人――たとえば、神が生物を創ったと主張する創造論の信奉者たち――がこの本を読んで回心するとは思わない。だが、なんとなく進化論について誤解している人たちにとっては、目からウロコが17枚ぐらいはがれる快著である。それだけでなく、この本は進化の専門家にも有益だ。進化の理論と事実を少し高いところから俯瞰したときに見える風景は、専門家が普段見ているものとはだいぶ異なるはずだ。そこから得るところはたくさんある。
 第1部は「ダーウィンと進化学」と題して、ダーウィンその人が書いたこと、考えていたことを復元しつつ、現在の進化生物学ではどこがそのまま受け継がれていてどこが捨てられているのか、ひとつひとつ再確認していく。いわばおさらい編。
 おもしろいのは、ダーウィンの論敵たちが、かなりきちんとダーウィンの説を理解していたことだ。「キリスト教界の中にも『種の起源』を正確に理解していた人々がおり、(中略)それらの建設的な意見がダーウィンの思索を深め、進化論の発展に寄与した」(38頁)のである。健全な批判が科学の発展に不可欠であることを、端的に示している。むしろ、ウォレスやスペンサーなど、ダーウィンの支持者たちの方が後の世でのダーウィンへの誤解を増幅させたようだ。皮肉なことである。
 第2部「生物の歩んできた道」は、第1部理論編に対する実証編。いろいろな生物の具体的な進化史が、これまた活き活きと描かれる。《ダーウィンが来た! 〜古生物学編〜》といった感じ。
 恐竜と現在の鳥の関係についての説明が、更科節全開である。鳥が恐竜の子孫であることは広く知られるようになってきたが、さて、昔の恐竜と鳥類の区別はどこにあったのだろうかと考えた後で、彼はこう述べる。
「もしもタイムマシンで白亜紀にワープして、ティラノサウルスの周りを飛び回る恐竜を見たら、鳥と呼ぶか呼ばないかなんて、きっとどうでもよくなる。恐竜の多くは、もともと鳥みたいな生物なのだ。その鳥が、今も生きているのだ」(203頁)
 そう、鳥が恐竜の子孫だという説の是非や真偽ということではなくて、恐竜を目の前に見たときのワクワク感、ドキドキ感が大事なんだ。鳥は恐竜の子孫だという科学的な成果を知ることで、このワクワク感、ドキドキ感が倍増する。
 そしてこう続く。
「たいていの人は毎日のように、カラスやスズメなどを見ていることだろう。それは、恐竜が飛び回っているのを、毎日のように見ているということだ」(203頁)
 視点が一気に現在の日常に呼び戻される。はるか昔の恐竜の世界が、ぼくたちが暮らしている日々の生活の場と直結する。この、視点の瞬間移動をもたらしてくれるのは、やっぱり科学的知識だ。
 そう、科学は、ぼくたちの毎日を楽しく、ワクワクするものに変えてくれる。日々の生活を活き活きとしたものにしてくれる。それは、とても役に立つことではないか。基礎科学は役に立たないというのは、なんと心の貧しい物言いであることか。
 この本を読めば、進化論や古生物学や発生生物学が、どれだけぼくたちのものの見方を豊かにしてくれるか、一目瞭然だ。

(さくら・おさむ 東京大学大学院情報学環教授)
波 2019年2月号より

著者プロフィール

更科功

サラシナ・イサオ

1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。2022年5月現在、武蔵野美術大学教授、東京大学非常勤講師。『化石の分子生物学――生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に『宇宙からいかにヒトは生まれたか――偶然と必然の138億年史』『進化論はいかに進化したか』(共に新潮選書)、『絶滅の人類史――なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書)、『若い読者に贈る美しい生物学講義――感動する生命のはなし』(ダイヤモンド社)など。

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