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怯えの時代

内山節/著

1,210円(税込)

発売日:2009/02/20

  • 書籍

誰も勝ち残ることができない時代、私たちはどう生きればいいのか?

吸い込まれるように「先の見えない時代」へと移行している。かつて、これほどまでに人間が無力なことはなかった。問題の所在はわかっていても、「現代」を支えるシステムが複雑かつ巨大過ぎて、解決手段をもてなくなってしまったのだ。いつから私たちは「明るい未来」をなくしてしまったのか。気鋭の哲学者が「崩れゆく社会」を看破する。

目次
 プロローグ
第一章 「悪」の時代
第二章 経済と諒解
第三章 不安と怯え
第四章 冷たい貨幣か、温かい貨幣か
 エピローグ

書誌情報

読み仮名 オビエノジダイ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 192ページ
ISBN 978-4-10-603629-3
C-CODE 0395
ジャンル 哲学・思想、ノンフィクション
定価 1,210円

書評

「温かい貨幣」が資本主義を救う

西成活裕

「妻が死んだ」で始まる本書は、いきなり強いインパクトで私に迫ってきた。そして、瞬く間に著者の世界に吸い込まれていった。
 まず、「悪とは何か」という記述を読んで気づいたことがある。「悪」の定義は一つの社会の中で人々に共有された規範でしかなく、異なる集まりでは「悪」もまた異なってくる。これは昨年、私が著した『無駄学』(新潮選書)の中での「無駄とは何か」と同じことである。「悪」を「無駄」に置きかえるとそのまま当てはまる。現代は善悪の定義が共有できないまま浮遊する時代だと著者はいう。無駄も同じで、何が無駄かが組織内で共有できていないと無駄を排除することもできず、無駄を生み続けてしまうのだ。
 かつて農村社会では、人々はみな同じような労働と暮らし方をしていたため、善悪の共有もたやすかった。しかし現代では生活様式が多様になり、時間的にも空間的にも人々は分裂している。つまり「つながり」が失われているのだ。一年の半分を農村で暮らしている著者は、このことに警鐘を鳴らす。共有規範がない状態でも集団が成立するためには、私たちは自己防衛のために主導権ある者に従うようになる。そうなると共同社会といっても、実は多数派を形成した人々の共同幻想に過ぎない。この幻想に同調することでのみ、自由に生きることができるのが今の社会なのだ。
 例えば、携帯電話を使えばコミュニケーションの自由と便利さを得ることができる。が一方で、これを「悪」と感じる人もいる。脳科学者の川島隆太氏は指摘するのだが、母親が授乳の際、携帯電話の操作に夢中になり赤ん坊とアイコンタクトをしないと、子供の人格形成に深刻な悪影響を及ぼす可能性があるという。
 人と人だけでなく、人と自然のつながりの大切さを説く著者は、現代の諸問題のさらに根本へと迫っていく。いま行き詰まりを見せている金融資本主義という社会システムである。
 実体のある資源の有限性を忘れてしまった社会、そして当然のごとく直面する拡大と成長の行き詰まり。このような社会の行く末に明るい希望を持てず、将来に怯える人々の姿を著者ははっきりと捉えている。資本主義は常に発展を続けなくてはならず、それはこぎ続けなければ倒れてしまう自転車に似ている。しかし、永遠に発展し続けることが無理なのは自明である。証券化という手法により、これまで何とか増殖システムを作り上げてきたが、この実体なき拡大路線も昨年夏以降、崩壊している。現代社会は、こうした根本に欠陥を抱えるシステムを土台にして作られているのである。
 それではどうすればよいのか? 著者は、人と人、人と自然のつながりを復活させることから始めようと説く。もちろんそこにはさまざまな対立の構造があるが、うまく折り合いをつけ、互恵的関係を築くことこそ今われわれがなすべきことなのだ、と。
 無駄の原因を突き詰めていくと現代の資本主義に行き当たると私は拙著で書いた。そしてその解消のためには、人々が利他行動と長期的視野を持つことが重要であるとも述べた。今まさに短期的な利益の増大(善)が、長期的には不利益(悪)をもたらすことが起きている。例えば、企業も短期的な利益追求のため、派遣社員を雇うことで人件費を圧縮した。そして正社員は派遣社員の管理が仕事の中心になり、実際の業務は彼らにまかせるようになった。景気が悪くなると、経営効率化のため「派遣切り」をする。が、モノづくりなどの現場のノウハウを身につけているのは派遣社員たちである。経験は一朝一夕では身に付かないため、正社員だけでは対応できず、結果として企業に大きな無駄をもたらしてしまう。
 鎌倉時代には、すでに無尽講があった。本書にも拙著にも登場するが、「講」はまさに利他的なシステムである。これは困っている人に対して皆が「かわりばんこ」に助け合う互助制度で、著者の言葉を借りて言えば、「温かい貨幣」の集まりである。ポスト資本主義は、案外このような人々の素朴な連帯から「創発」されていくのではないかと、私も思っている。

(にしなり・かつひろ 渋滞学者・東京大学准教授)
波 2009年3月号より

担当編集者のひとこと

誰もが得体の知れない怯えに包まれている理由

 何年か前、知り合いがテレビ局を訪れた時、組合がボーナス交渉のための集会を開いていた場面に出くわしたという。その時たまたま、正社員の集会と外部社員の集会が、それぞれ同時に開かれていた。時間があったので耳を傾けていると、要求している額の桁が、ひと桁ちがっていたという。一方は数千円で、他方は数万円だった。でも、知り合いが驚いたのは、その額の開きではなかった。正社員、非正社員のそれぞれが、要求する額のちがい(つまりはサラリーのちがい)に、何の疑問もないかのように、別々に集会を開いていたことだと私に言った。
 同じ仕事をしているのだから、非正社員も正社員並みにボーナスをもらうべきだと経営者側に訴えようとする者は一人としていなかった。つまり、双方のサラリーのちがいは、お日様が東の空から昇るくらいに、どちらの側にとっても当たり前の前提なのであった。
 そのテレビ局も含めてテレビ・メディアが去年の師走、「派遣切り」をことあるごとに報道していた(もちろん、紙媒体もだが)。「切られた人たちは弱者であり、被害者である。助けなければならない」と、彼らは熱く訴えた。「“彼ら”を助けるって、どういうことなんだろう」と、冒頭の友人の話を頭に浮かべながら、私は思った。
 そうした報道を見ていた、とりあえずは安穏な暮らしができる人たちは、「非正規」「派遣」「期間」社員たち(の首切り)に支えられている。私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、そうしたシステムを作り上げ、その上に、現代の暮らし(高度資本主義社会)という城は建っているのである。
 そして今、多くの人が得体の知れない怯えを感じる理由は、その城の土台が朽ちはじめ、建物自体が揺らぎはじめているからなのだ。勝ち組も負け組も、すべての人の暮らしが入っている建物自体が崩れはじめている。
 本書は、そういう内容の本である。ただし、解決策のヒントも最後には提示されている。それは、「温かい貨幣」を、私たちの手で取り戻せるかどうかにかかっているのだ、と。「温かさ」が何を意味するかは、本書をお読みください。もちろん、今、私たちが手にしているお金のほとんどは、温かみのない「ひんやりとした貨幣」なのである。

2009/02/20

著者プロフィール

内山節

ウチヤマ・タカシ

哲学者。1950年、東京生まれ。群馬県上野村と東京を往復しながら暮らしている。著書に『「里」という思想』(新潮選書)、『文明の災禍』(新潮新書)、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)、『いのちの場所』(岩波書店)など。

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