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アコーディオン弾きの息子

ベルナルド・アチャガ/著 、金子奈美/訳

3,300円(税込)

発売日:2020/05/27

  • 書籍

僕の父はファシストとして人を殺したのか。現代バスク語文学を代表する巨編。

カリフォルニアで死んだ幼なじみが書いていた「アコーディオン弾きの息子」と題された私家版の回想録。親友はどんな思いで故郷バスクを去ったのか。作家は遺された言葉を元に、少年時代からの二人の物語を紡ぐ。スペイン内戦から民族解放運動まで、波乱の近現代史を描き、美食だけではないバスクの真の姿を伝える長篇小説。

目次
言葉の死と生
始まり
名前
リズ、サラ
フアン
メアリー・アン
ルビスとほかの友人たち
内部の献辞
炭のかけら
オババで最初のアメリカ帰りの男
殺し屋ピルポとチャンベルライン
木の燃えかす
蝶のトランプ
八月の日々
バスク解放運動とトシロー
三つの告白
謝辞
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 アコーディオンヒキノムスコ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Takeo Chikatsu/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 576ページ
ISBN 978-4-10-590166-0
C-CODE 0397
ジャンル 評論・文学研究
定価 3,300円

書評

幸せになるために必要なすべて

東山彰良

 スペインはバスク地方出身のベルナルド・アチャガの手になる、バスク語によって書かれた小説である。手元の資料によれば、1951年生まれの著者は、話者数が百万人にも満たない母語で創作をしながら世界的な高評を博している稀有な作家だ。浅学非才の私はアチャガという作家はおろか、バスク地方についてもほとんどなにも知らなかった。ネットで検索にかけてみると、予測変換のトップには「バスクチーズケーキ」と出てくるので、おそらく読者諸賢にもあまり馴染みのない土地柄なのではないかと思う。ざっくり言えば、バスク地方とはスペインとフランスにまたがる、歴史的にバスク人が暮らしている地域のことを指す。そこでは文化も言語も独自の発展を遂げ(もしくは停滞し)、バスクの人々は前世紀においても国境に縛られることなく両国を自由に行き来していた。今作の舞台となっているのは、著者の故国でもあるスペイン側のバスク地方、オババという名の架空の山村である。
 1999年、ダビの墓碑のまえに友人のヨシェバが立っている。場所はカリフォルニア。墓所はダビが伯父から受け継いだ心地よい牧場のなかにある。故人が生前に書き記した墓碑銘は三カ国語で彫られている。英語、スペイン語、そしてバスク語だ。「この牧場で過ごした日々ほど楽園に近づいたことはなかった」スペインからアメリカへやってきたヨシェバは、ダビの未亡人から亡き夫が書いた回想録を託される。作家のヨシェバはスペインへ帰国したあとで、この回想録を小説に仕立てる。私たちが読むのは、そう、親友のダビを主人公にしたヨシェバの小説なのだ。
 1964年、十五歳のダビは故郷のオババでなに不自由なく暮らしていた。幼馴染みのヨシェバを含むまわりの友達は、在郷の名士たちの子息令嬢ばかり。貧しい農村とは明らかに一線を画した社会に属しているものの、人情に厚い「幸福な農夫たち」は屈託がなく、なにより誰もがバスク人という絆で結ばれている。アコーディオン奏者として名を馳せている父親のおかげで、ダビ自身もかなりの音楽的才能の持ち主だ。教会でオルガンを弾き、祭りではアコーディオンを弾く。親友の農民たちといっしょに野山を駆け、憧れの女の子に胸をときめかせる日々。しかし、牧歌的だった少年時代に突如として亀裂が走る。二十五年前のスペイン内戦のときに、村で起こった虐殺にどうやら父親が関わっているらしいと気づいてしまうのだ。そこからダビの目は少しずつ真実に向けて開かれていく。誰もが知っているのに自分だけ知らない事実がある。アコーディオン弾きの父親は民族の裏切者かもしれない。大好きな仲間たちの親を、自分の父親が殺したかもしれない……。
 良い小説は往々にしてひとつのメッセージを反復する。この作品のなかで、それはときに流行歌というかたちをとり、ときに病気に罹った女友達が引用するヘッセの小説の一節に託される。「なぜ、幸せになるために必要なすべては、私から遠く離れてあるのだろう?」そのような単純な問いと気づきの繰り返しが収斂していくのは、けっきょくのところ、幸せとはなんなのかという根源的にして永劫不変のテーマなのだ。アコーディオン弾きの父親に対する反発から苛烈な民族闘争へと身を投じ、大きな代償を払ったダビだからこそ、死の間際に訪れた気づきを回想録というかたちで書き残さずにはいられなかった。彼の心を端的に言い表しているのが、たぶん、あの墓碑銘なのだ。
 アメリカの牧場は故郷の代替品にすぎないのかもしれない。だけど、そこには愛する妻と娘たちとの満ち足りた単純な生活、つまりダビにとって「幸せになるために必要なすべて」があった。無理解な父親との和解は、さらりと書かれているにすぎない。そのことに物足りなさを覚える読者もいるかもしれない。だけど、忘れてはいけない。この作品はダビの回想録を元に、彼の親友のヨシェバが創作した小説なのだ。ダビ自身はもちろん父親との確執にもっと紙幅を割きたかった(と思われる)。けれど、ヨシェバの関心事はもっと別のところにある。ダビとともに駆け抜けた過激派組織時代の後悔を彼もまた彼なりに総括し、小説というかたちで告白し、そして許される必要があったのだ。
 単純な真実ほど、幾多の困難と挫折と苦痛を舐めたあとでしか気づけない。「人生こそがもっとも素晴らしいもの」という真実を、ダビとヨシェバはようやく理解した。この物語をとおして、私たちもまた彼らが掴み取ったものに触れる。誰もが真に大切なものに気づかされるだろう。

(ひがしやま・あきら 小説家)
波 2020年6月号より
単行本刊行時掲載

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短評

▼Higashiyama Akira 東山彰良

台湾出身の私はバスクのことなどなにひとつ知らない。しかし、アチャガの描くディアスポラの悲哀と故国に対する憧憬はよくわかる。想い焦がれている粗野で幸福な世界から切り離され、その反動で過激な祖国愛に走らずにはいられない主人公のダビ。あがけばあがくほど、その理想郷から遠ざかってしまう。挫折と苦痛の果てに彼が掴み取った真実はごくありふれたものだけど、それは唯一無二で、こんなにも力強い。ダビの心は少年のころの無垢なる世界を目指す。それこそが著者の描く、美しくも単純な人生の真実なのだ。


▼Ibon Egana イボン・エガニャ

『アコーディオン弾きの息子』は深く息づいたヒューマニズムに満ちている。人生、死、そして愛。そうした文学の古典的で永遠のテーマは、本書においても軸となり、羅針盤となっている。『アコーディオン弾きの息子』は、文学と人生を信じ続けるための理由を私たちにあらたに思い出させ、確認させてくれる。


▼The Independent インディペンデント

『アコーディオン弾きの息子』はアチャガのもっとも優れた小説であり、また1936年から1999年までのバスクの歴史を含み込む、彼のもっとも野心的な作品である。


二人の主人公の子ども時代へと読者を導いてゆくみごとな語り口、感情について語るときの直截さ。死と子ども時代をめぐる繊細な感情が、シンプルかつ優雅な言葉で表現されている。


▼La Vanguardia バングアルディア

それぞれの登場人物がひとつの世界、ひとつの物語であり、全体へと見事に統合されている。巧みな語り手が、現実の素晴らしい記録者となる。『アコーディオン弾きの息子』は我々を魅了し、心動かす。

著者プロフィール

1951年スペイン・バスク地方のギプスコア県生れ。ビルバオ大学(現バスク大学)とバルセロナ大学で経済学と哲学を学び、1970年代からバスク語文壇で頭角を現す。1988年刊行の連作短編集『オババコアック』でスペイン国民小説賞を受賞、一躍国際的な注目を集め、世界各地の26言語に翻訳される。1999年には英オブザーバー紙の「21世紀に活躍が期待される書き手」の一人に選ばれた。2003年に出版された『アコーディオン弾きの息子』は、これまで16言語に翻訳されたほか、舞台化、映画化されている。

金子奈美

カネコ・ナミ

1984年秋田県生れ。東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程単位取得満期退学。2020年5月現在、福岡大学共通教育研究センター専任講師。専門はバスク文学、スペイン語圏現代文学、翻訳研究。訳書にキルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』(第2回日本翻訳大賞受賞、第2回エチェパレ=ラボラルクチャ翻訳賞受賞)、同『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』(いずれも白水社刊)。

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