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街の少年と山の少年二人の人生があの山で再び交差する。

帰れない山

パオロ・コニェッティ/著 、関口英子/訳

2,255円(税込)

本の仕様

発売日:2018/10/31

読み仮名 カエレナイヤマ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Takumi Sugiyama/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 271ページ
ISBN 978-4-10-590153-0
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品
定価 2,255円

山がすべてを教えてくれた。牛飼い少年との出会い、冒険、父の孤独と遺志、心地よい沈黙と信頼、友との別れ――。北イタリア、モンテ・ローザ山麓を舞台に、本当の居場所を求めて彷徨う二人の男の葛藤と友情を描く。イタリア文学の最高峰「ストレーガ賞」を受賞し、世界39言語に翻訳された国際的ベストセラー。

著者プロフィール

パオロ・コニェッティ Cognetti,Paolo

1978年ミラノ生まれ。大学で数学を学ぶも中退、ミラノ市立映画学校で学び、映像制作の仕事に携わる。2004年、短篇集『成功する女子のためのマニュアル』で作家デビュー。2012年短篇集『ソフィアはいつも黒い服を着る』でイタリア文学界の最高峰「ストレーガ賞」の最終候補となる。初の本格的な長篇小説となる『帰れない山』で、「ストレーガ賞」と同賞ヤング部門をダブル受賞した。幼い頃から父親と登山に親しみ、2018年10月現在は1年の半分をアルプス山麓で、残りをミラノで過ごしながら執筆活動に専念する。

関口英子 セキグチ・エイコ

埼玉県生まれ。翻訳家。訳書にディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』、プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』、イタロ・カルヴィーノ『マルコヴァルドさんの四季』、カルミネ・アバーテ『風の丘』『ふたつの海のあいだで』など。『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』で第1回須賀敦子翻訳賞受賞。

書評

死んだ父が動かす

松家仁之

 イタリアの自伝的な文学ではこの手の父、、、、、に何度かお目にかかってきた。
 人の話を聞かない。すぐに悪態をつく。山や自然が好き。
 須賀敦子がのちに自伝的エッセイを書くおおきなきっかけとなったナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』には、タウンシューズで山登りをしようとしたり、外国語が苦手だったり、「何かにつけておどおどする」人を「ニグロ沙汰」だとののしる山好きの父が出てくる。
 ガヴィーノ・レッダ『父――パードレ・パドローネ』の父は、羊飼いに学校はいらないと怒鳴り散らしたあげく、幼い息子を教室から連れ出し、驢馬に乗せ、山あいの牧草地へ連れ去ってしまう。息子=レッダはのちに父の意に反してローマ大学で言語学を学び、方言学の研究者になる。
 本書に登場するアクの強い父は、北イタリアのヴェネト州生まれ。農村育ちの戦争孤児だ。草花の好きな五歳年上の看護師と結婚し(山好きのふたりはアノラック姿で山上の結婚式を挙げる)、新生活のためミラノに転居する。翌年、ひとり息子「僕」が誕生する。主人公である「僕」は著者自身がモデルだと考えていいだろう。
 父の山登りは「誰よりも早く」が信条だ。お腹が空いた、疲れた、寒いといった泣き言は厳禁、頂上にたどりついたら憑きものが落ちたようにさっさと下山する。自然をゆったり愉しむ余裕のカケラもない、直線的な登山だ。
「僕」がまだ少年の頃、山あいの過疎の村に別荘がわりの家を借りることにした父は、ここを拠点に、氷河におおわれる三、四千メートル級の高山を狙うようになる。もちろん「僕」を連れて。この山麓の村の子どもが「僕」と同い年の野生児、ブルーノである。彼の父は季節労働者でほとんど家にいない。伯父の経営する牧場の牛番として、ブルーノは学校にも行かずに働いている。
 干し草や薪の煙にいぶされた匂いをまとったブルーノと、都会育ちの内気な「僕」とでは境遇も性格もまるでちがう。だからこそなのだろう、山や渓流や廃屋を遊び場に、ふたりは急速に親しくなってゆく。
「僕」の両親はブルーノをいたく気に入る。教育を受けさせるためにミラノに連れていき面倒をみたい、とまで申し出る。前のめりの両親に「僕」は複雑な感情を抱く。この感情は十年後、二十年後の「僕」の行動にまで、細く長くつながってゆくことになる。
 自然の描写がすばらしい。人はなぜ山に登るのか。その根本的な理由、説明ではない答えがここに書かれてある。そればかりではない。高原育ちの牛の手搾りの牛乳を原料にした、北イタリアの伝統的なトーマ・チーズ。ブルーノが伯父の手伝いをしてつくるこれを、手に入れて食べてみないではいられなくなる。休眠中の感覚が目覚め、懐しさが溢れてくるようになり、なんということのない描写に泣けてくるのだ。
 十代の半ばを過ぎた「僕」は、父との山行きの習慣を自ら絶ってしまう。父と息子が離れてゆくのはいわば自然のなりゆきだが、この疎遠のもたらした空白が小説の後半をおおきく深く動かす力を持つ。人間は現在より過去により動かされることがある。変わった生きものだとおもう。
 父はやがて死ぬ。その遺言がきっかけとなり、「僕」は疎遠だった父の知られざる行動、ブルーノと父とのあいだの特別なつながりを知る。父と息子を結ぶものとはなにか――一度でも考えたことがある人には身につまされる場面だ。
 つまり男の世界? と思われるだろうか。いやそうではないのだ。「僕」の母の、人を強いて動かそうとしない態度が、いつのまにか相手を動かすことになる、そのようなパッシブな力はどこで身につけるのか。小説が終わりに近づくなか、いちばん考えたのはそのことだった。自己啓発書のような指針とは無縁のところで人が動かされる。文学とはつまりそういうものではないか。
 日陰で育つ樅は材質が柔らかく梁には適さない。カラマツは日当たりのいい場所で育つから梁に向く。材木を硬くするのは太陽の光だ、とこの小説で知った。

(まついえ・まさし 小説家/編集者)
波 2018年11月号より
単行本刊行時掲載

目次

第一部 子ども時代の山
第二部 和解の家
第三部 友の冬

訳者あとがき

イベント/書店情報

短評

▼Matsuie Masashi 松家仁之
山の色、雪の匂い、渓流の音。仕留めたカモシカの味。北イタリアの山岳地帯に生まれ育った野性的な少年と、ミラノで育った内向的な少年が友情を結び、山道を踏みしめ、渓流をわたりながら、五官のすべてをともにはたらかせた日々。父との葛藤はそれぞれ長く尾をひいて、その死後もなお、ふたりを突き動かしてゆく。彼らの「いかに生くべきか」は、とうてい人ごととは思えない。電気も水道もない石積みの家は、いまも私のなかでしんと静まりかえり、埋み火のように残っている。揺さぶられるほどに懐かしく、せつない読書体験だった。

▼La Stampa ラ・スタンパ
山は、定められた時を超えて父から子への教えの舞台となり、その思いを消すことなく大切に保管し、映しだし、乗り越える場となる。あたかも静寂のなかを掘り起こすように父子の関係や男同士の友情を語るその語り口には、どこか野性的で、クラシカルで、むき出しなところがある。言葉にはせず、単に交わしただけの視線にこそ、傷つきやすい心がより鮮烈に表われるのだ。

▼La Repubblica ラ・レプッブリカ
生まれながらにして古典にふさわしい息の長さを持つ本書は、えてして深いテーマを避けがちな現代の文学界において、別の時代から落ちてきた隕石さながらの存在感を放っている。

▼Corriere della Sera コッリエーレ・デッラ・セーラ
精緻で澄み切った文体、人間味あふれる人物描写、とりわけ各々の登場人物の性格を形成し、運命を決定づける「山」というテーマの力強さ。これらすべてが奇跡だと批評家たちを沸かせた。

訳者あとがき

 四千メートル級の名峰が連なる北イタリアのモンテ・ローザ。都会の少年ピエトロは、毎年夏になると、両親とともにその山麓で休暇を過ごしていた。山登りをこよなく愛する気難しい父と、周囲の人々との関係を育む才能に恵まれた母、そして内向的で繊細な一人っ子のピエトロ。物語は、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』を彷彿させる家族の描写から始まる。マーク・トウェインの小説を読んで川に強い憧れを抱いていたピエトロにとって、グラーナ村にある山の家の前を流れる沢は、まるごと一本の川に匹敵するほど豊かな発見の場だった。そこで、おなじ年頃の、村の少年ブルーノと友達になる。互いに持っているものが異なるからこそ、陽イオンと陰イオンのように引きつけ合う二人は、沢登りや廃屋探険、森の散策をしながら、かけがえのない時間を共有し、ピエトロの父に連れられて氷河の残る頂にも挑む。知と冒険の宝庫である山には、人生哲学が凝縮されていた……。
「僕は、この小説を子どもの頃からずっと書きつづけてきたのかもしれない。というのも、僕の記憶とおなじくらい深く、僕のなかに住みついている物語だからだ。ここ数年、どんな小説を書いているのかと訊かれるたびに、二人の友情と山についてだと答えていた。そう、これはほかでもなく、二人の男と山の物語なのだ」
 著者のパオロ・コニェッティは、本書について語るとき、そんなごくシンプルな言葉を用いることを好む。
 物語のとりわけ前半には、作家の自伝的要素が色濃く反映されている。彼自身も、ピエトロとおなじミラノ生まれの都会っ子で、夏の休暇を両親と山で過ごし、多くの四千メートル峰を父と一緒に踏破したという。そして、マーク・トウェインを愛読し、ハックのような野生児の友を持つことが夢だった。ただし、ピエトロとは異なり、山で過ごすあいだ地元の少年たちに強烈に惹かれたものの、話しかける勇気がなく、一度も友達になることはなかった。それが彼の少年時代の最大の心残りだという。
「男どうしの友情は、なかなか得がたいものだ。僕と同年代の男たちは、恋人や妻、家族といった生活の基盤を持つ者も、そうでない者も、それぞれに孤独を抱えている。身体を使った作業――木を切り倒したり、干し草を集めたり、薪を割ったり――を共にすることによって、人は、心地よい沈黙からなる、真の信頼関係を築くことができるが、都会では、そのように濃密な時間を分かち合うことは難しい」
 本書の登場人物の数は限られ、おしなべて無口だ。それにより、もう一人の主人公とも呼べる「山」とのあいだに深い対話が生まれ、各々の生き方の違いが浮き彫りにされていく。与えられた生という時間を超えて人々の思いを大切に保管し、次世代へとつないでいく山は、ピエトロにとって、ブルーノという友が待つ場であると同時に、うまく関係を築けなかった父の思いと向き合い、自らを再発見する場でもあった。

〈それぞれの土地によって、しまわれている物語は異なる。そこへ帰るたびに、自分の物語を再読できる。そんな山は人生においてひとつしか存在せず、その山の前ではほかのどんな名峰も霞んでしまうのだ。たとえそれがヒマラヤ山脈であろうとも〉

 私たちの誰もが、そんな原風景を胸の内に秘めながらも、孤独を持てあまし、居場所を求めてさまよいつづける。だからこそ、多くの読者がピエトロとブルーノの物語に自らの姿を投影し、本書を「自分の物語」として受けとめたのではないだろうか。「ときに僕は、自分よりもはるかに大きな物語の媒介者なのかもしれないと思うことがある」と著者に言わしめるほどに。

 本書『帰れない山』(原題Le otto montagne)は、それまで短篇小説の書き手として着実に読者からの支持を得てきたパオロ・コニェッティが、二〇一六年、満を持して発表した初の長篇小説である。刊行直前のフランクフルト・ブックフェアで、各国の出版社が抱える目利きの本読みをうならせ、三十か国以上に版権が売れ、出版界の話題をさらった。同年十一月にイタリアで発売されるや、前評判に違わず広い層の読者から感動の声が次々に寄せられ、たちまちベストセラーの仲間入りを果たし、三十万部を超えるヒットとなった。批評家たちからも絶賛され、翌二〇一七年には、イタリア文学界の最高峰《ストレーガ賞》と、同賞ヤング部門とのダブル受賞という快挙を成し遂げた(ヤング部門とは、イタリア各地の高校・専門学校生の投票によって選ばれるもので、コニェッティは、各出版社の力関係とは無関係のベクトルで投票してくれる彼らからの支持を得たことが、本賞の受賞より嬉しかったと述べている)。二〇一八年の夏にはミラノで舞台化されたほか、イタリアの映画制作会社Wildsideより映画化も決まっている。
 快進撃はイタリア国内にとどまらず、フランスの《メディシス賞》外国小説部門、イギリスの《英国PEN翻訳小説賞》を獲得するなど、国際的にも高い評価を得ている。最終的には、三十九の言語に翻訳されることが決まっているそうだ。
 なお、原題のLe otto montagneは、「八つの山」という意味で、中央に最も高い須弥スメール 山がそびえ、そのまわりを八つの山がとり囲んでいるという、古代インドの世界観からとられている。

 パオロ・コニェッティは、一九七八年、イタリアのミラノに生まれた。大学で数学を専攻するも、中退。この頃からアメリカ、とくにニューヨークの文学・文化に傾倒し、自らも執筆を始める。大学中退後はミラノ市立映画学校で学び、映像制作の仕事に携わっていた。二〇〇四年、二十六歳のときに発表した処女短篇集『成功する女子のためのマニュアルManuale per ragazze di successo』で《ベルガモ賞》のファイナリストとなり、注目される。二〇〇七年には、生きづらさを抱えたティーンたちの繊細な心の揺れを優しくすくいあげた『爆発寸前の小さなものUna cosa piccola che sta per esplodere』で、優れた短篇集に贈られる《キアーラ賞》のファイナリストに残り、短篇小説作家として名を知られるようになる。二〇一二年に発表した、主人公の女性ソフィアの成長を、生まれたときから三十年にわたって、それぞれ別の語り手の視点から追いかけた十の物語からなる連作短篇集『ソフィアはいつも黒い服を着るSofia si veste sempre di nero』では、《ストレーガ賞》のファイナリストとなった。
 デビュー以来、おもに女性を主人公とする短篇を好んで発表し、一生短篇だけを書くつもりだと公言していたコニェッティは、エッセイ『いちばん深い井戸で釣りをしてみるA pesca nelle pozze piu profonde』(二〇一四年)で、往々にして長大な小説が重んじられる傾向のあるイタリア文学界における疎外感を、こんなふうに綴っている。
「文学を宗教に喩えるとしたら、僕ら短篇の愛読者は、一宗派の信徒だ。少数派であり、迫害され、身を潜めることを強いられている。僕らの約束の土地は大西洋の向こうにあり、その父祖はホーソーンであり、ポーなのだ。僕らには、大河と並行して流れる、もう一つの川がある。すなわち二十世紀のアメリカ文学だ」
 最初はチャールズ・ブコウスキーやジョン・ファンテに憧れ、やがてレイモンド・カーヴァーに傾倒し、そのルーツをたどるかたちで、ヘミングウェイサリンジャーシャーウッド・アンダーソンらを読み漁り、多大な影響を受けたという。同時代の作家で敬愛するのは、カナダのアリス・マンロー。いずれも短篇の名手と評される作家ばかりだ。
 そんなコニェッティに、三十歳のとき転機が訪れた。仕事にも恋愛にも人間関係にも行き詰まり、「なにより書くことをやめてしまった。僕にとってそれは、眠らない、あるいは食べないというのとほぼ同義であり、かつて経験したことのない空虚だった」そのときに読んだジョン・クラカワーの『荒野へ』の主人公、クリス・マッカンドレスに心を揺さぶられ、ミラノを離れ、ヴァッレ・ダオスタ州の山麓にある小さな村、ブリュソンに山小屋を借り、一人で暮らす決意をしたのだ。
 山で暮らしながら、学校で無理やり読まされて以来、ずっと敬遠してきたイタリアの文豪と向き合う。古典的な作家ももちろんだが、とりわけ山を舞台にした小説を愛読したという。北に雄大なアルプス山脈を背負い、中央をアペニン山脈が縦に貫くイタリアには、豊かな山岳小説の伝統がある。アジアーゴの山中で暮らしながら、『テンレの物語』をはじめとする数々の名著を遺したマリオ・リゴーニ・ステルン、多くの登山記を執筆した南チロル出身の偉大なアルピニスト、ラインホルト・メスナー、残念ながら日本ではいまのところまだ紹介されていないものの、彫刻家としても知られるマウロ・コローナも、おなじ系譜に連なるだろう。また、コニェッティ自身が短篇の傑作と評するプリーモ・レーヴィの「鉄」(短篇集『周期律』所収)も、山を愛した二人の男の友情の物語だ。 
 孤独のなかで自然との対話を重ね、自己を掘り下げる過程で、コニェッティのなかでじわじわと発酵するようにふくらんできた物語が、『帰れない山』だった。細部にリアリティーを持たせるために、グラーナ村のモデルとなった村に何度も通い、実際に山や森を探索しながら、情景を描写していったという。登場人物の名前は、付近の墓碑銘から選ぶという念の入れようだった。
 こうしたコニェッティの歩みをたどってみると、「なにより、美しいイタリア語で描写される壮大な自然に魅了される。彼と同世代で、ここまで見事なイタリア語を書ける作家はそれほど多くはない。パオロ・コニェッティが、膨大な量のアメリカ文学を読みながら作家としての素地を固めたことは、これまでの著作からもうかがえる。その一方で、彼は非常にクラシカルなイタリア語を使いこなす。透明感のある筆致と卓越した描写力、それでいて技巧に陥ることはなく、表情豊かで、音楽的で、精緻なのだ。一つひとつの言葉が丁寧に選ばれたものであることが感じられる」といった評も、行き着くべくして極めた頂であることがわかる。

 私は二十年ほど前から奥武蔵のやまあいの集落で暮らしている。標高ではグラーナ村の足もとにも及ばないけれど、「限界集落」という意味では、そこそこ近いものがあるように思う。我が家のすぐ裏には沢蟹や蛍の棲む沢が流れ、日が暮れると鹿たちが水を飲みに山から下りてくる。都会から越してきたばかりの頃、七歳だった息子は、山も川も知りつくしていた一つ年下の隣家の子どものあとを必死で追いかけ、全身ずぶ濡れになりながら、毎日のように沢を登っていた。初めて本書を読んだとき、ブルーノのあとをどこまでもついていこうと決めて森を駆けずりまわり、沢登りをするピエトロの姿が、そんな当時の息子たちの思い出と重なり、私はたちまちこの物語の世界の虜になった。
 そもそも、話題になっている小説があるから読んでみませんかと声を掛けてくださったのは、タトル・モリ エイジェンシーの川地麻子さんだった。送っていただいたPDFを読んで魅了され、新潮社の須貝利恵子さんに概要をお話ししたところ、ぜひ「街の少年と山の少年」の物語を読んでみたいとおっしゃってくださった。素晴らしい作品との出会いをくださったお二人に、あらためてお礼を申しあげる。
 また、編集の労をとっていただいた前田誠一さん、イタリア語の読解における疑問を丁寧にほぐしてくれたマルコ・ズバラッリ、そのほか様々な形で訳者の至らない知識を補ってくださった方々に心より感謝する。
 なお、著者のパオロ・コニェッティは、二〇一八年十一月末に来日し、第二回ヨーロッパ文芸フェスティバルに参加の予定だ。読者の皆さんとの交流からなにが生まれるのか、いまから楽しみでならない。その際にはおそらく、十一月に刊行予定だという新刊についても話を聞けることだろう。
 これまでクレスト・ブックスからは、イタリアの最南端カラブリア生まれの作家、カルミネ・アバーテによる、海辺の村の物語を二冊続けてご紹介させていただいたので(『風の丘』『ふたつの海のあいだで』)、今回、こうして最北端の山間の村の物語をお届けできることを嬉しく思う。二つの異なる土地に根差した物語は、これが本当におなじ国なのかと思うほど、人々の気質や関係性、それを包み込む空気、リズム、あたりに漂うにおいや音といったものまでとことん対照的だ。そんなイタリア文学の多彩な姿も、併せて感じとっていただけたら幸いだ。

二〇一八年 晩夏

関口英子

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