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オープン・シティ

テジュ・コール/著 、小磯洋光/訳

2,090円(税込)

発売日:2017/07/31

  • 書籍
  • 電子書籍あり

街の風景とざわめきが、不意に祖国の記憶を揺り起こす。ナイジェリア系作家による傑作長篇。

マンハッタンを日ごと彷徨する、若き精神科医。彼が街路で目にした風景は、屈託に満ちたナイジェリアでの幼い日々、ブリュッセルで移民たちに聞いた苦難の物語と共鳴しながら、時代や場所を超えた大きな物語を描き始める――。PEN/ヘミングウェイ賞ほか数々の賞に輝き「ゼーバルトの再来」と讃えられたデビュー長篇。

書誌情報

読み仮名 オープンシティ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Ryuto Miyake/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-590138-7
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品
定価 2,090円
電子書籍 価格 2,090円
電子書籍 配信開始日 2017/09/08

書評

一人の声では語ることのできない現実

柴崎友香

 晩秋のマンハッタンを散歩する光景と、アパートから見上げていた渡り鳥が印象的に描かれ、小説は始まる。
 語り手は、作者のプロフィールと重なるナイジェリア系アメリカ人。アメリカで生まれ(つまりアメリカ国籍である)、少年時代はナイジェリアで過ごし、アメリカの大学に進学して以来アメリカで暮らし、文学の勉強をしたのちメディカルスクールに入り、マンハッタン北部の病院で精神科のフェローシップ中である。母親はドイツ人。アメリカにいれば「黒人」として扱われ、ナイジェリアでは「白い」と見られる。「ブラザー」と呼びかけてきた黒人男性に挨拶をしなかったことでなじられ、暴力にも遭遇する。隣人の死にさえ気づかない大都市の片隅で、広大な空を飛んでいく鳥たちの姿に「自然界における移住」を見いだそうとしている。
 病院の勤務帰り、所用の前後、彼は地下鉄に乗り、歩き、番号順に並ぶストリート、格子状の街区、公園内の蛇行した道を縦横に移動する。正確に描写される位置関係と繊細な風景は、クラシック音楽のエピソードと相まって、孤独で美しく、読み手の感覚も開かれていく。書物や美術館の絵から広がる想像は、示唆的だがどこかイメージの寄せ集めのようでもあり、世界随一の都市ニューヨークの実生活と虚構的な部分を浮かび上がらせている。
 南北に細長いマンハッタンの北端から南端まで、語り手は出会う人々の話を聞き、自分を取り巻く人々の記憶に思いを馳せる。文学部時代の教授は、年老いた日系人で戦時中強制収容所に抑留されていた。病院で担当するうつ病のデラウエア族の女性は、ネイティブアメリカンが虐殺された記録を調べて論文を出版した。名前を受け継いだ母とは、父親の急死後、疎遠になっている。母と仲違いしたその母(語り手の祖母)は、ロシア占領下のベルリンで母を産んだ。生まれた地、ルーツのある国とは別の場所で暮らす人々の語る声が、響き合い、記憶と歴史が連なっていく。
 生死すら知らない祖母を求めて向かったブリュッセルでは、多種多様な経緯でこの街に来た移民たちが、モロッコ人青年の店でそれぞれの国へ電話をかけている。哲学を学んだ大学での差別的な扱いに失望したモロッコ人青年は、差異が価値あるものとは認められていないと憤る。語り手は、移民たちに対する現地の人々の視線を感じ取ってしまう。
 ブリュッセルは、EUの本部が置かれている街である。この小説は2006年から7年にかけてを書いているが、その後の難民問題やEUの困難を見事に映し出している。移民の語りや彼らの過去の記憶をたぐっていく書き方はゼーバルトに共通するが、強く感じるのは、この小説で描かれているのは、紛れもなく現在の、それも進行形の世界だということだ。混沌という言葉では単純すぎる、どこから見るかでまったく違って、糸口さえわからないほど絡み合った、途方に暮れるような今の在り様だ。語り手が歩くあらゆる場所に、アメリカの歴史、ナイジェリアの歴史、帝国と植民地の、またそれぞれ国の中での、支配、被支配、戦争、暴力、抑圧が、積み重なっている。
 多忙な仕事や知人たちとの交流、少年時代のできごとや別れた恋人への想いといった厳しくはあるが日常的な生活の中にある、研ぎ澄まされた静謐な風景と思索を、じゅうぶんおもしろく読んでいたのだが、ときどき違和感を覚えてもいた。ダウンタウンのバーで声をかけてくる黒人男性。ブリュッセルでの見知らぬ東欧女性。語り手は覚えていないナイジェリア人同級生の姉。性的な視線、暴力の萌芽、行き違う感情。其処此処に潜んでいた亀裂が、思いも寄らぬ展開につながり、埋め合わせのできない傷があらわになる。そのとき、わたしは、自分たちがどれほど複雑に絡み合った世界(利害関係とも言えるかもしれない)を生きているか、それからは逃れられないのに、深く関わっている当事者なのに、自分にとって見たくないことを見えないことにしているか、見ないようにしているか、思わずにはいられなくなった。

(しばさき・ともか 作家)
波 2017年8月号より

短評

▼Shibasaki Tomoka 柴崎友香

マンハッタンの北から南まで縦横に歩きながら、語り手の見る日常は研ぎ澄まされ、出会う人々のルーツや体験が静かに響き合う。思考の探索は少年時代を過ごしたナイジェリア、祖母を探して訪れたブリュッセルへとつながり、自分たちが暮らす場所に積み重ねられた暴力や支配関係が見えてくる。異質な誰かとすれ違い、言葉を交わし、音楽や渡り鳥に思いを馳せる静謐なひととき。そこに潜む亀裂と違和感が、埋め合わすことのできない過去を浮かび上がらせるとき、わたしたちの世界の現在がどれほど複雑で、痛みに満ちているか、思わずにはいられなくなった。


▼Anthony Doerr アンソニー・ドーア

記憶とアイデンティティと歴史の痕跡をめぐる、華麗で澄み切った探求の結晶。力の漲るページの集積が、紛れもない大傑作として結実している。テジュ・コールは21世紀のW・G・ゼーバルトかも知れない。


▼Colm Toibin コルム・トビーン

歴史と文化についての、アイデンティティと孤独についての、瞑想のような作品である。穏やかで優美なリズムを持つ文体と繊細な感受性、明るく澄んだ知性が、この小説をじっくりと味わうべき特別な価値のあるものにしている。


▼The Guardian ガーディアン紙

写真家、美術史家でもあるテジュ・コールは、写真家のレンズを通してニューヨークの情景を見せてくれる。フェルメール、デ・ホーホ、ブリューゲルの、何度見ても見る喜びのある絵画のように、『オープン・シティ』は繰り返し読まれるべき本だ。読むたびごとに、さらなる洞察をもたらしてくれる。


▼The Independent インディペンデント紙

テジュ・コールは息をのむような知性と独創性で小説を作り上げ、形式や国家の境界に立ち向かう。9・11から10年、『オープン・シティ』はあの日の衝撃と向き合い、その先の道を示すことに成功している。


▼Aleksandar Hemon アレクサンダル・ヘモン

これはニューヨークについての偉大なる書物であり、空間と言語と記憶についての作品でもある。


▼The New Yorker ニューヨーカー誌

ジョセフ・オニールやゼイディー・スミスの読者を魅了し、W・G・ゼーバルトやJ・M・クッツェーを思い起こさせる作品である。

著者プロフィール

1975年、アメリカ・ミシガン州生まれ。ナイジェリアで幼少期を過ごし、高校卒業後にアメリカに戻る。ミシガン大学医学部中退後、ロンドン大学とコロンビア大学で美術史を学ぶ。2007年、初の著書となるEvery Day Is for the Thiefをナイジェリアで刊行。2011年アメリカでのデビュー長篇である『オープン・シティ』でPEN/へミングウェイ賞およびローゼンタール賞を受賞、全米批評家協会賞の最終候補に。写真家、美術批評家としても活躍し、ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーカー等に精力的に寄稿している。ブルックリン在住。

小磯洋光

コイソ・ヒロミツ

1979年、東京生まれ。翻訳家。イースト・アングリア大学大学院で文芸翻訳を学ぶ。英語圏の文学作品の翻訳のほか、日本文学の日英翻訳にも携わる。

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