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屋根裏の仏さま

ジュリー・オオツカ/著 、岩本正恵/訳 、小竹由美子/訳

1,870円(税込)

発売日:2016/03/28

  • 書籍

20世紀初頭、写真だけを頼りに、アメリカに嫁いでいった娘たち――。その静かな声を甦らせる中篇小説。

百年前、「写真花嫁」として渡米した娘たちは、何を夢みていたのか。厳しい労働を強いられながら、子を産み育て、あるいは喪い、懸命に築いた平穏な暮らし。だが、日米開戦とともにすべてが潰え、町を追われて日系人収容所へ――。女たちの静かなささやきが圧倒的な声となって立ち上がる、全米図書賞最終候補作。

目次
来たれ、日本人!
初夜
白人
赤ん坊
子どもら
裏切り者
最後の日
いなくなった
謝辞
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 ヤネウラノホトケサマ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-590125-7
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 1,870円

書評

「わたしたち」の影

朝吹真理子

 わたしたちは海を渡る。何度も継ぎを当て染め直したぼろぼろの着物すがたで、船のなかにいる。わたしたちは写真しかみたことのない男と結婚をする。好きになれるかどうか、波止場にいる人が写真の人だとわかるのかも曖昧なまま、初夜のための白い絹衣をたずさえて、考える。わたしたちはアメリカに向かっている。乗船しているわたしたちの境遇はまるで違う。出身も、年齢も、まだ誰とも肌を重ねたことのない娘もいれば夫を置いて船に乗り込んでいる女性もいる。わたしたちは嘔気をこらえる。甲板から、黒く滑らかな鯨の脇腹が海面に浮かぶ一瞬をみる。「仏さまの目をのぞきこんだようだったわ」とわたしたちの誰かが話す。ほとんどのわたしたちは、貧乏神から逃れるように船に乗ったが、アメリカの畑にまで貧乏はぴたりとついてくる。

 二十世紀初頭にアメリカに渡った「写真花嫁」の声が、淡々と書かれている。この物語には明確な「わたし」は不在で、すべてが「わたしたち」のことになっている。それが心地良くて、かえって哀しい。翻訳だったことを忘れ、書かれた文字であることも忘れかけて、気づけば「わたしたち」の声をそのまま自分の身体にとりこみたくなって、音読をはじめていた。くちびるから「わたしたち」の声がのぼる。「写真花嫁」という歴史としてしか知らなかったすがたが、自分の身体のなかを通り過ぎてゆく。
 着いたばかりの夜、わたしたちはそれぞれの男に奪われる。リンゴ農園の干し草を寝床にするわたしたちが空をみる。牽牛星と織姫星が、ふるさとの空とおなじようにみえる。緯度が同じだからだと、なったばかりの夫が言う。わたしたちは、生け花も正座も得意だが、それはここでは何の役にも立たないのだとすぐに知る。英語と言えばABCくらいしか知らないまま、わたしたちは暮らし始める。はじめに覚えた言葉は「水」。その単語を知らないと畑でたちどころに死んでしまうからだった。わたしたちは、女中としても働き始める。オートミールを焦がしたり、ご夫人の白髪を彼女に気づかれぬ素早さで抜いたり、夫がありながらご主人と恋に落ちたりする。
 個人の輪郭ははっきりしない影のようなのに、影だけをみているほうが「わたしたち」の実体を感じられる。事実しか書かれない。美しい言葉によって書かれてある。だから余計に苦しく、むごい。たしかに生きていた、誰かの感情と吐息が始終きこえる。
 若かったわたしたちも、人の親になっている。かつて教えた日本語を、子たちは成長するにつれて忘れてゆく。そして、久しく震わせないうちに、わたしたちもまたいくつもの言葉を忘れてしまう。母語さえ忘れかけていたのに、戦争が始まると、わたしたちは、集団移動を迫られる。
〈わたしたちは自分で収穫することのできない作物を詰めるための木箱を、釘を打って作った。わたしたちは自分たちが出発したあとでなくては熟れないブドウの摘芽をやった。土を返して、わたしたちがもういなくなっている晩夏に成長するトマトの苗を植えた〉
 すでに退去が命じられ、畑から離れないといけないとわかっていても、日々の労働をつづける、わたしたち。自分たちのいない未来の時間にむかって手を動かす。未来を祈るような手にみえるが、それは未来を考えないように動かすしかない手で、考えないことでしか生きられなくなるむごさが、強烈だった。

(あさぶき・まりこ 作家)
波 2016年4月号より

短評

▼Asabuki Mariko 朝吹真理子

わたしたちは海を渡る。わたしたちは写真しかみたことのない男と結婚する。わたしたちがはじめて覚えた英語は「水」。わたしたちは新しい名前をつけられる。一人称複数の語りから浮かび上がるアメリカに渡った「写真花嫁」である「わたしたち」。音楽のようにくりかえされる「わたしたち」という無数の声が、読む人の身体を通りぬけてゆく。事実しか書かれていないのに、たしかに生きていた誰かの感情と吐息が静かにきこえる。美しく、むごい。


▼Oprah Magazine オプラ・マガジン

オオツカは、つつましい日系移民の娘たちが、二度と会うことのない愛する人たちへ綴った手紙の筆跡のような、精微な絵画を描きだしている。


▼San Francisco Chronicle サンフランシスコ・クロニクル

ギリシャ悲劇のコロスが持つ劇的な力と打ち明け話の親密な雰囲気とを結びあわせた。日系アメリカ人女性たちの失われた声を聞かせてくれる。


▼Seattle Times シアトル・タイムズ

本書は興味深いパラドックスだ。切れ切れでいながら交響曲のような広がりがあり、あらゆるものを網羅していながらそれぞれの詳細は鮮明だ。点描画家の絵のように、鮮やかな色彩の点が集まって形づくられている。一、二行のなかに生活のすべてを浮き上がらせる寸描が合わさって、いきいきとした集団的ポートレートとなっているのだ。


▼The Guardian ガーディアン紙 アーシュラ・K・ル=グウィン

本書は数々の歴史的事実を詳細かつ入念に検証して書かれている。小説的な生々しい人々の顔や情景、まなざしや声は、いずれもほんの一瞬現われるだけなので、読者はどこにも、誰のところにもとどまってはいられない。情報はたっぷりと、じつに優雅にひっそりと提示され、歴史が語られてゆく。……しばしば詠唱のように響くこの語り口は、入り組んだところがなく直裁で、メタファーもほとんど使われていないにもかかわらず、その真の、またとない美点は、わたしたちが詩と呼ぶ説明しがたい資質にあるのではないか。

著者プロフィール

1962年、戦後アメリカに移住した航空宇宙エンジニアである父と、日系二世の母とのあいだにカリフォルニア州に生まれる。イェール大学で絵画を学び、コロンビア大学大学院で美術学修士号取得。2002年小説『天皇が神だったころ』を発表、高評を博す。2011年刊行の『屋根裏の仏さま』は、PEN/フォークナー賞、フランスのフェミナ賞外国小説賞ほかを受賞。全米図書賞最終候補作となった。

岩本正恵

イワモト・マサエ

(1964-2014)東京生れ。東京外国語大学英米語学科卒。翻訳家。主な訳書に、キャスリン・ハリソン『キス』、アンソニー・ドーア『シェル・コレクター』、ウィリアム・プルーイット『極北の動物誌』、アレクサンダル・ヘモン『ノーホエア・マン』など。

小竹由美子

コタケ・ユミコ

1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。訳書にマギー・オファーレル『ハムネット』、アリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』『ディア・ライフ』『善き女の愛』『ジュリエット』『ピアノ・レッスン』、ジョン・アーヴィング『神秘大通り』、ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』、カリ・ファハルド=アンスタイン『サブリナとコリーナ』、ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』(共訳)、ディーマ・アルザヤット『マナートの娘たち』ほか多数。

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