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通訳ダニエル・シュタイン(下)

リュドミラ・ウリツカヤ/著 、前田和泉/訳

2,420円(税込)

発売日:2009/09/30

  • 書籍

ここには、20世紀の歴史に秘められたドラマがあり、愛と驚きと感動がある!

奇跡的にホロコーストを逃れ、ゲシュタポの通訳として働きながら300人のユダヤ人を逃亡させた若者は、カトリック神父となってイスラエルへ渡った。すべての人に惜しみない愛情を注ぎ、命を賭けて寛容と共存の理想のために闘った一生。実在のユダヤ人カトリック神父をモデルにし、21世紀を生きる勇気と希望を与える長編小説。

目次
第三部
1 一九七六年、ヴィリニュス
   KGB地区支部公文書館のファイル
  一九七七年、ヴィリニュス
   ペレヴェゼンツェフ少佐よりチェルヌィフ中佐宛報告書

2 一九七八年一月、ヴィリニュス
   テレーザ・ベンダがワレンチナ・フェルディナンドヴナ・リンツェに宛てた書簡より

3 一九七八年五月、ヴィリニュス
   テレーザがワレンチナ・フェルディナンドヴナに宛てた書簡より

4 一九七八年七月、ヴィリニュス
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

5 一九七八年十月、ヴィリニュス
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

6 一九七八年十二月、ヴィリニュス
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

7 一九七八年十二月、ヴィリニュス
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

8 一九七九年、ヴィリニュス
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

9 一九八四年、ハイファ
   「ハイファ・ニュース」紙「読者の手紙」欄より

10 一九九〇年十一月、フライブルク
   ダニエル・シュタインと小学生たちとの対話より

11 一九七〇年
   ヒルダの日記より

12 一九七〇年、ハイファ
   ヒルダより母親宛書簡

13 一九七二年、ハイファ
   ヒルダより母親宛書簡

14 一九七三年、ハイファ
   ヒルダより母親宛書簡

15 一九七二年、ハイファ
   〈泉のほとりのエリヤ教会〉の信者カーシャ・コーゲンより、アメリカ在住の夫エイタン宛書簡

16 一九七三年、ハイファ
   ダニエル・シュタインより、トゥールーズのエマヌエル・ルルー宛書簡

17 一九七三年、トゥールーズ
   エマヌエル・ルルーより、ダニエル・シュタイン宛書簡

18 一九七三年、ハイファ
   〈泉のほとりのエリヤ教会〉の掲示板

19 一九七三年、トゥールーズ
   カーシャ・コーゲンより、エイタン・コーゲン宛書簡

20 一九七六年、リオデジャネイロ
   ディーナより、ダニエル・シュタイン宛書簡

21 一九七八年、ジフロン・ヤアコヴ
   オリガ・イサアコヴナより、ダニエル・シュタイン宛書簡

22 一九八九年三月、バークレー
   エヴァ・マヌキャンより、エステル・ハントマン宛書簡

23 一九八九年、バークレー
   エヴァ・マヌキャンより、エステル・ハントマン宛書簡

24 一九八九年、バークレー
   アレックスより、エヴァ・マヌキャン宛書簡

25 一九八九年、エルサレム
   修復士ヨセフより、エステル・ハントマン宛書簡

26 一九五九―八三年、ボストン
   イサーク・ハントマンの手記より

27 一九七二年、エルサレム
   ノイハウス教授より、ハントマン教授宛書簡

28 一九九〇年三月、バークレー
   エヴァ・マヌキャンより、エステル・ハントマン宛書簡

29 一九九〇年一月、ハイファ
   リタ・コヴァチより、エヴァ・マヌキャン宛書簡

30 一九九〇年、ハイファ
   リタ・コヴァチ

31 一九九〇年、ハイファ
   リタ・コヴァチがエルサレムのアグネッサ・ウィドウに宛てた書簡より

32 一九七〇年、ハイファ
   ダニエル・シュタインより、姪のルート宛書簡

33 一九八一年、クファル・サバ
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

34 一九八一年、エルサレム
   マザー・ヨアンナより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

35 一九八一年
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

36 一九八二年四月、エルサレム
   マザー・ヨアンナより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

37 一九八二年六月、チシュキノ村
   ミハイル神父より、マザー・ヨアンナ宛書簡

38 一九八三年一月、エルサレム
   フョードル・クリフツォフより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

39 一九八二年、クファル・サバ
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

40 一九八二年、ハイファ
   ダニエルとエフィム・ドヴィタスとの会話

41 一九八三年、クファル・サバ
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

42 一九八三年、モスクワ
   ワレンチナ・フェルディナンドヴナより、テレーザ宛書簡

43 一九八四年、ハイファ
   ヒルダより母親宛書簡

44 一九八四年
   報告メモ

45 一九八四年
   エルサレム総大司教秘書より、〈ステラ・マリス〉修道院長宛書簡
   エルサレム総大司教より、カルメル会管区長宛書簡

46 一九八四年
   跣足カルメル修道会会長ラウレニス神父より、ローマ教皇庁教育省長官ロックハウス枢機卿宛書簡

47 一九八四年、ハイファ
   ダニエルとヒルダの会話より

48 教皇ヨハネ・パウロ二世のバイオグラフィーより

49 一九八四年、ハイファ
   ヒルダの日記より

50 一九九六年、ガリラヤ、〈ノフ・ア・ハリル〉
   エヴァとアヴィグドルの会話より

二〇〇六年六月八日
   リュドミラ・ウリツカヤより、エレーナ・コスチュコヴィチ宛書簡
第四部
1 一九八四年、クファル・サバ
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡
  一九八四年、ベエル・シェバ
   テレーザからワレンチナ・フェルディナンドヴナに宛てた書簡より
  一九八四年、ベエル・シェバ
   テレーザからワレンチナ・フェルディナンドヴナに宛てた書簡より

2 一九八五年二月、ベエル・シェバ
   エフィム・ドヴィタスより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛電報

3 一九八五年三月、ベエル・シェバ
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

4 一九八五年
   「ロシアの道」紙(パリ、ニューヨーク発行)より

5 一九八五年、エルサレム
   マザー・ヨアンナより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

6 一九八五年四月
   エフィム・ドヴィタスからニコライ・イワーノヴィチ・ライコに宛てたメモより

7 一九八五年四月一日
   書類番号一〇七-M

8 一九八四年、ヘブロン
   ゲルション・シメスが母ジナイーダ・ゲンリホヴナに宛てた書簡より

9 一九八四年、モスクワ
   ジナイーダ・ゲンリホヴナより、息子ゲルション宛書簡
  一九八四年、モスクワ
   ジナイーダ・ゲンリホヴナより、息子ゲルション宛書簡

10 一九八五年、ヘブロン
   ゲルション・シメスより、ジナイーダ・ゲンリホヴナ宛書簡

11 一九八七年、モスクワ
   ジナイーダ・ゲンリホヴナより、息子ゲルション宛書簡

12 一九八七年、ヘブロン
   ゲルション・シメスより、ジナイーダ・ゲンリホヴナ宛書簡

13 一九八九年、モスクワ
   ジナイーダ・ゲンリホヴナより、息子ゲルション宛書簡

14 一九九〇年、ヘブロン
   ゲルションより、モスクワのジナイーダ・ゲンリホヴナ宛書簡

15 一九八七年十二月、ハイファ
   ヒルダの日記より

16 一九八八年、ハイファ
   ヒルダの日記より

17 一九九一年、バークレー
   エヴァ・マヌキャンより、エステル・ハントマン宛書簡

18 一九九一年十二月、ハイファ
   リタ・コヴァチより、パヴェル・コチンスキ宛書簡

19 一九九二年一月、エルサレム
   エヴァ・マヌキャンより、エステル・ハントマン宛書簡

20 一九九一年十一月、エルサレム
   ルヴィム・ラヒシュより、ダニエル・シュタイン宛書簡

21 一九八四年、エルサレム
   フョードル・クリフツォフより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

22 一九八八年、エルサレム
   マザー・ヨアンナより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

23 一九八八年
   マザー・ヨアンナより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

24 一九九二年八月一日、エルサレム
   マザー・ヨアンナより、チシュキノのミハイル神父宛書簡

25 一九九二年、エルサレム
   ナジェージダ・クリヴォシェイナより、チシュキノのミハイル神父宛電報

26 一九九二年、エルサレム
   ラヒシュより、参加者全員宛お知らせ

27 一九九二年八月四日、ハイファ
   ヒルダの日記より

28 一九九二年七月、バークレー
   エヴァ・マヌキャンより、エステル・ハントマン宛書簡

29 一九九二年九月、ハイファ
   教区施設の壁新聞
  一九九二年八月
   ハイム・ズスマノヴィチ師の演説

30 一九九二年八月、フランクフルト発ボストン行きの飛行機内
   エヴァとエステルの会話より

31 一九九二年八月、バークレー
   エヴァより、エステル宛書簡

32 一九九二年八月、レッドフォード、イギリス
   ベアタ・セミョーノヴィチより、マリーシャ・ヴァレヴィチ宛書簡

33 一九九二年九月、テル・アヴィヴ
   ナフタリより、エステル宛書簡

34 一九九四年、ベエル・シェバ
   テレーザより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

35 一九九四年、モスクワ
   ワレンチナ・フェルディナンドヴナより、テレーザとエフィム宛書簡

36 一九九五年、ベエル・シェバ
   エフィム・ドヴィタスより、ワレンチナ・フェルディナンドヴナ宛書簡

37 一九九五年、ベエル・シェバ
   エフィム・ドヴィタスより、ラテン・エルサレム総大司教宛書簡

38 ブラザー・ダニエル・シュタインの編纂による、ハイファのユダヤ・キリスト教会のいわゆる「記念の晩餐」(典礼)テクスト

39 一九九〇年十一月、フライブルク
   ダニエル・シュタインと小学生たちの最後の対話

40 一九九四年、ハイファ
   ヒルダの日記より

二〇〇六年六月、モスクワ
   リュドミラ・ウリツカヤより、エレーナ・コスチュコヴィチ宛書簡
第五部
1 一九九四年、イスラエル
   新聞より

2 一九九四年二月二五日、ヘブロン
   ゲルション・シメスの尋問調書より
  一九九四年二月二五日
   ビニオミン・シメスの尋問調書より

3 一九九四年三月、クファル・シャウル
   精神科病院。デボラ・シメスとフレイディン医師との会話より

4 精神科医の診察結果

5 精神科医の診察結果

6 一九九四年、クファル・シャウル
   精神科病院の内部通告より

7 一九九四年、クファル・シャウル
   クファル・シャウル精神科病院より警察当局捜索課宛通知

8 一九九四年
   ヒルダの日記より

9 一九九四年
   ビニオミン・シメスより、母デボラ宛書簡

10 一九九四年、ハイファ
   ダニエルとヒルダの会話より

11 一九九四年
   電話での会話より

12 一九九五年
   教区施設の掲示板

13 一九九六年、ガリラヤ、モシャブ〈ノフ・ア・ハリル〉
   エヴァ・マヌキャンとアヴィグドル・シュタインの会話より

14 一九九五年、ヘブロン、警察署
   ビニオミン自殺後のデボラ・シメス事情聴取記録

15 一九九五年、ヘブロン、警察署
   ビニオミン自殺後のゲルション・シメス事情聴取記録

16 一九九五年十一月、ハイファ
   ヒルダが母親に宛てた書簡より

17 一九九五年十二月一日、エルサレム
   「ハダショット・ハ=エレヴ」紙より

18 一九九六年、ハイファ
   ヒルダとエヴァ・マヌキャンの会話より

二〇〇六年六月
   リュドミラ・ウリツカヤより、エレーナ・コスチュコヴィチ宛書簡

19 一九九五年十二月、エルサレムからハイファへ

20 一九九五年十二月、ハイファ、〈泉のほとりのエリヤ教会〉
   ブラザー・ダニエル・シュタイン宛に届いた通知より

21 一九九五年十二月十四日
   クムラン近郊から〈泉のほとりのエリヤ教会〉へ

二〇〇六年七月、モスクワ
   リュドミラ・ウリツカヤより、エレーナ・コスチュコヴィチ宛書簡
あとがき
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 ツウヤクダニエルシュタイン2
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 384ページ
ISBN 978-4-10-590078-6
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究、通訳
定価 2,420円

インタビュー/対談/エッセイ

私を支え続けてくれた、クレスト・ブックスの作家たち。

西加奈子

2023年4月、乳がん発覚から治療を終えるまでを綴ったノンフィクション『くもをさがす』(河出書房新社)を刊行した西加奈子さん。そこには辛い治療の日々の中で、新潮クレスト・ブックスを含む、数々の海外文学作品の一節が引用され、心の糧となっていた。

――まずは西さんと新潮クレスト・ブックスとの出会いについて教えていただけますか。

 私は17歳の時にトニ・モリスンの『青い眼がほしい』(早川書房)を読んで強い感銘を受けて、それ以来、海外文学の棚によく行くようになったんです。それで、確か『来たるべき作家たち』(1998年刊)というムック本でクレストが創刊することを知ったんだと思います。最初に読んだのは、ゼイディー・スミスホワイト・ティース』(2001年刊・品切れ)で、とても衝撃を受けました。今は中公文庫に入っていて、その帯推薦文を書くときに再読しましたが、衝撃が薄れていなくて。本が出た当時はまだ9・11も起きておらず、宗教や人種の違いによる分断を今ほどは意識せずに済んだ時代でしたが、どんな宗教、人種であっても人間であることに変わりはないという著者のスタンスに心を掴まれました。
 次に夢中になったのは、ジュンパ・ラヒリでした。『停電の夜に』(2000年刊)を読んで、それ以降の作品はすべて読んでいます。とりわけ、『その名にちなんで』(2004年刊・品切れ)、『低地』(2014年刊)は素晴らしく、私の中でクレスト・ブックスへの絶対的な信頼感が生まれたのもラヒリのおかげです。
 彼女はカルカッタ出身の親世代と、アメリカで育った世代との違いをベースに描いていて、それは移民ならではという面もありますが、考えてみれば私たち日本人にだって世代間のギャップはあるじゃないですか。翻訳小説が好きというと、「日本とは違う遠い世界を知ることができるからですか」とよく訊かれますが、もちろんそういう面もありますけど、ベンガル出身の登場人物の中に、自分と同じ感情を見ることがある。私はそこに希望を感じるんです。スミスのように、ラヒリの筆にも静かなユーモアがあるので、悲劇も残酷なことも、人間の愚かさとして、とても身近に感じられる。

私とクレスト・ブックス❶
ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』(上・下)
ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』『その名にちなんで』『低地』

『ホワイト・ティース』は衝撃的で、20代でこの作品に出会えてよかった。今読み直しても本当に面白い。ラヒリの筆にも静かなユーモアがあるので、悲劇も残酷なことも、人間の愚かさとして、とても身近に感じられる。
ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』(上・下) ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』『その名にちなんで』『低地』

――彼女は世界中の古典文学をすごく勉強されていて、文学的な土壌が豊かで、翻訳がいかに大切かを常におっしゃっていますよね。

 彼女はロンドン生まれ、アメリカ育ちで、ずっと英語で教育されてきたんですよね。海外の本を読むことがすごく大きな経験だったんだろうなと想像します。でも少し前までのアメリカでは一般的にはあまり海外文学を読む習慣がなかったと聞きました。ナイジェリア出身の作家アディーチェは、大学留学で渡米したときにクラスメイトに「ナイジェリアの小説を読んだけど、夫が妻にDVする話で、とても残念な国なのね」ということを言われたそうなんですね。でも彼女は茶目っ気たっぷりに「私は『アメリカン・サイコ』を読んだけど、アメリカ人が全員サイコパスとは思わなかったわ」と返したそうです。一冊の本がその国の文化を代表できるわけもなく、私もいろんな国の翻訳小説をもっともっとたくさん読みたいと思います。

――クレスト創刊20周年の小冊子アンケートでは、ナム・リー『ボート』(2010年刊・品切れ)を「わたしの3冊」に挙げられていました。

 オーシャン・ヴオン地上で僕らはつかの間きらめく』(2021年刊)では推薦文を書かせていただきましたし、移民文学で強烈な印象が残っているのは、どちらもベトナム系ですね。ナム・リーは「難民」をアイデンティティにして作品を描くことを冒頭では避けて、アイオワ、テヘラン、ヒロシマと、できるだけ違う世界を書いていますよね。それは逆に言うと、彼がどれだけ難民であることをアイデンティティにさせられてきたかの証左ではないかと思います。でもオーシャン・ヴオンは、難民という自分のアイデンティティを書くことに惑いがないように感じます。それは彼の母、祖母がストーリーの骨子であることを隠さない。自分について書く、ということはヴオンが詩人であることも大きいのかもしれませんが、とにかくパーソナルな事柄が、アーティスティックな世界へと跳躍することに繋がっている作家だと思います。同じベトナム系でも、時代の変化を感じますね。

私とクレスト・ブックス❷
ナム・リー『ボート』
オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』

難民をアイデンティティにしたくなかったナム・リー。自身が難民で、セクシャル・マイノリティであることを積極的に書くオーシャン・ヴオン。この10年で時代は変わった。
ナム・リー『ボート』 オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』

――では、この近年ではどのような作品をお読みになっていますか。

 最近はアリ・スミスに夢中です。最初に『両方になる』(2018年刊)を読んだとき、「なんやこれ?」と驚きました。手当たり次第友人に「アリ・スミス読んだ?」と聞きまくるぐらいの衝撃でした。ゼイディー・スミスとおなじスミスで、どこか作風にも共通するところがあって、ユーモアと皮肉と優しさを感じます。登場人物を絶対に駒として扱っていないし、とても驚いたのは、実在する15世紀の画家の存在を描き直す、そのやり方です。時代を再考証する作品は過去にもあったと思うのですが、それが全く新しいものとして、現実とリンクしているのが本当に衝撃的でした。
』(2020年刊)から始まる四季四部作(『』2021年刊、『』『』2022年刊)は、「思想信条の違いがあるなかで、どうやって人びとが共に生きていくか」ということがテーマになっていると思います。いま世界中で分断が起きていて、自分は作家としてその分断を止めようとする側にいるつもりですけれど、と同時に一読者の立場からすれば、「アリ・スミスがいてくれるから大丈夫、希望はある」と思うぐらいの頼もしい存在です。彼女が出演するチェルトナム文学祭を観に行ったことがあるのですが、本当に素敵な方でした。正直私はあまり聞き取れていなかったのですが、通訳してくれていた方が感激して涙を流していました。言葉はわからなくても、愛にあふれる人だということが伝わってきて、忘れられません。

私とクレスト・ブックス❸
アリ・スミス『両方になる』『秋』『冬』『春』『夏』
いま世界中で分断が起きていて、自分もその分断を止めようとする側にいるつもりですけれど、一読者の立場からすれば、「小説家はアリ・スミスがいてくれるから大丈夫」と思う。
アリ・スミス『両方になる』『秋』『冬』『春』『夏』

――シェイクスピアの妻を新しい視点で描いた、マギー・オファーレルハムネット』(2021年刊)もお読みくださっていますよね。

 もし、『両方になる』を読んでいなかったら、『ハムネット』はもっと驚いたと思いますけど、本当に素敵な小説ですよね。小説は、人間の尊厳をこんな鮮やかなやり方で取り戻すこともできるんですよね。歴史は正しいものだと鵜呑みにされがちですが、誰がどう語るかによって歴史上の人物の見え方はいくらでも変わります。悪妻と呼ばれたシェイクスピアの妻しかり、アリ・スミスが描く女性アーティストしかり、歴史というものがいかに男性によって都合よく伝えられてきたかに、改めて気付かされました。

私とクレスト・ブックス❹
マギー・オファーレル『ハムネット』
リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』

オファーレルの小説を読んで、小説は歴史上の人物の尊厳を取り戻すこともできるんだと驚いた。遠いロシアの話だと思っていたことが、決して遠い出来事ではないと思わせてくれるのが、ウリツカヤの小説。
マギー・オファーレル『ハムネット』 リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』

――リュドミラ・ウリツカヤもお読みいただいているようですね。

 はい。ウリツカヤも大好きな作家で、私はとくに『通訳ダニエル・シュタイン』(2009年刊・品切れ)が好きです。昨年、ウクライナ戦争が始まって、ロシアのことを知りたいという気持ちになりましたが、戦場からのルポルタージュや、プーチンについて書かれた本を読めば、それなりの情報は知ることができるのかもしれません。でも私は、そこで物語という形式を選びたいんです。
 ソナーリ・デラニヤガラ』(2019年刊)は、2004年のスマトラ沖大地震による津波で家族を失った女性の回想録です。スリランカで津波が起きて、私たちはニュースで何人の方が亡くなったという事実を知ることはできますが、日々の中でその事実はつい忘れてしまうんですよね。でもこうやって、『波』の場合は小説ではなく回想録ですが、被害に遭われた個々の生活の話にしてくれることで、100人亡くなれば、100人それぞれの人生があったことを、具体的にイメージすることができます。
 ロシアに話を戻すと、ウリツカヤの大作『緑の天幕』(2021年刊)は、ソビエト連邦で生まれた3人の主人公を軸に、厳しい抑圧の中で生きるロシア人の姿を描いています。彼らの心情に寄り添うことで、ニュースだけではわからないことが見えてくるし、遠いロシアの話だと思っていたことが、自分の人生でも「ありえたかもしれない」と思えるようになる。それが物語の果たす大きな役割の一つではないかと思うのです。

――最後に、西さんにとって小説を読むということは、どのような意味を持つとお考えですか。

 自分がピンチになったとき、寂しいとき、しんどいときに、「待てよ、この感情はなんか知っているな」と思うことがよくあります。それはだいたい、どこかの小説で読んだ、主人公や登場人物が感じたことであることが多いんです。
 例えば私は以前がんを宣告されて、このまま死んでしまうかもしれないと思ったのですが、これまで数限りない小説の中で、「死ぬかも」「怖い」という気持ちをすでに疑似体験してきたんですよね。逆もそうです。シーグリッド・ヌーネス友だち』(2020年刊)は、初老の主人公女性が親しくしていた男友だちを喪う話ですが、この本の中で、彼女はいわば私よりも先に孤独になってくれていた。死んだ人にもう会えないことのつらさ寂しさを、私よりも先に「体験してくれて」いたんです。
 他にも、自分が意地悪な気持ちになったときや、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまったときにも、「ああ、これはジュリアン・バーンズ終わりの感覚』(2012年刊・品切れ)に出てきた、あの感じかな」とか。ものすごく単純な言い方をすると、「私はひとりじゃない」と思えることが、私にとって小説を読むことの意味の一つにはなっています。

私とクレスト・ブックス❺
ソナーリ・デラニヤガラ『波』
シーグリッド・ヌーネス『友だち』

この回想録は、100人が津波で亡くなれば、100の人生があったことをイメージさせる。『友だち』の主人公女性は、いわば私よりも先に孤独になってくれていたのです。
ソナーリ・デラニヤガラ『波』 シーグリッド・ヌーネス『友だち』

 小説は法律ではなく、拘束力も命令する力もない。ただ誰かに選ばれるのを待っている一冊の本に過ぎない。そして選ばれ、読まれたとしても、そこから何を得るかは読者に圧倒的にゆだねられている。小説があることで生きてゆける、という私の気持ちも、私が小説から「得たもの」で、小説が「与えてくれた」ものではない。この、小説との距離感というか関係性を、私はとても信頼しています。

(2023.6.28)

(にし・かなこ)
波 2023年9月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼Horie Toshiyuki 堀江敏幸

久しぶりに総合小説と呼べる作品を読んだ気がした。ストーリー、人物、歴史的な重層性、どれをとっても特別な手ごたえがある。著者は、人種も宗教もばらばらな人々が、そのまま共存して生きていくことを強く肯定している。主人公ダニエル・シュタインは、言葉と言葉の通訳であるだけではなく、宗教と宗教の橋渡しをする通訳でもあるのだ。神父である彼が、人々を好きになっていくエピソードは宗教的とも言えるが、恋愛小説を読んでいるような魅力もある。登場人物たちの個々の物語にも、それぞれが短篇小説のような面白さがあった。


▼Итоги イトーギ誌

この本の持つ意義と影響力は果てしなく大きい。〔中略〕『通訳ダニエル・シュタイン』は、自分と違うことを信じている者に対する寛容と忍耐についての本だ。だがもちろん、考える力を持つ読者がもっと注意深く読めば、より高いレベルでの理解に達するだろう。多くのエピソードは矛盾をはらみ、反感すら呼び起こすこともあるが、それが最終的には心に平安と秩序をもたらしてくれるのである。


▼Газета по-киевски ガゼータ・ポ・キエフスキ紙

本書の執筆にあたって、ウリツカヤは大量の資料を集め、たくさんの証言者に聞き取り調査を行った。後に彼女は正直にこう告白している。「書いていて涙が止まりません。私は本物の作家ではないのです。本物の作家というのは泣いたりしません」。だが、この言葉には嘘がある。もはや作家としてのウリツカヤが「本物」であることに疑いを持つ者はない。この本が出た後ならなおさらである。


▼Metro France メトロ・フランス紙

実に濃密でスケールの大きい、くらくらするほどの小説。

著者プロフィール

1943年生れ。モスクワ大学(遺伝学専攻)卒業。『ソーネチカ』で一躍脚光を浴び、1996年、フランスのメディシス賞とイタリアのジュゼッペ・アツェルビ賞を受賞、2001年には『クコツキイの症例』でロシア・ブッカー賞、『通訳ダニエル・シュタイン』でボリシャヤ・クニーガ賞(2007年)とドイツのアレクサンドル・メーニ賞(2008年)を受賞。他に『子供時代』『それぞれの少女時代』『女が嘘をつくとき』など。2011年、シモーヌ・ド・ボーヴォワール賞を受賞し、ロシアで最も活躍する人気作家である。

前田和泉

マエダ・イズミ

1969年神奈川県生まれ。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。2021年12月現在、東京外国語大学教授。著書に『マリーナ・ツヴェターエワ』、訳書にリュドミラ・ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン(上・下)』、アンドレイ・クルコフ『大統領の最後の恋』、アンドレイ・タルコフスキー『ホフマニアーナ』などがある。

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