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2,090円(税込)

発売日:2004/01/30

  • 書籍

カナダ東端の厳寒の島で、自然と動物と共に生き、人生の時を刻む人々を描く傑作短篇集。

役立たずで力持の金茶色の犬と少年の、猛吹雪の午後の苦い秘密を描く表題作。白頭鷲の巣近くに住む孤独な「ゲール語民謡最後の歌手」の物語。灰色の大きな犬の伝説を背負った一族の話。ただ一度だけ交わった亡き恋人を胸に、孤島の灯台を黙々と守る女の生涯。人生の美しさと哀しみ、短篇小説の気品と喜びに満ちた8篇。

書誌情報

読み仮名 フユノイヌ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 264ページ
ISBN 978-4-10-590037-3
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,090円

書評

波 2004年2月号より 人は一所懸命に生きる  アリステア・マクラウド『冬の犬』

池澤夏樹

 ここ数年、取材などで海外に行くことが多かった。
なぜかいつもばたばたと焦って出発することになる。行きの飛行機の中では到着地で待っている仕事のための資料を必死で読む。しかし帰りの便ではもう何の義務もない。閉鎖空間の自由時間だ。解放感に包まれて、好きなものが存分に読める。
だから空港に早めに行って本屋に寄ることにしている。機内で読むものを調達するわけだが、これがなかなかヒット率が高い。空港ターミナルの書店はだいたいどこでも品揃えがよろしい。
アリステア・マクラウドというカナダの作家を見つけたのはバンクーバーの空港だった。まるでパディントン駅で熊の縫いぐるみを見つけたような言いかただが、実際にことはパディントン・ベアの例に近かった。本の方が「ぼくを読んでください」と言っているようだった。
短篇集を機内で読み始めて、たちまち夢中になった。一九三六年生まれだからもうずいぶんな歳だけれど、本はこれを含めて二冊しか出ていない。それでいて、カナダでは第一級の作家として知られているらしい。つまり、おそろしく寡作なのだ。たった二冊で大作家とはどういうことか。
短篇という文学形式は完成されている。素材と技術だけで書けるし、実際それ以外の要素を盛り込むのはむずかしい。マクラウドの場合、技術は完璧。腕のよい指物師が丹精込めて作った文箱のように、細工が行き届いている。
機内で最初に読んだのは「島」だった。一人の女の生涯が、その人生の転機となる場面を一つずつ綴る形で辿られる。普通の読者から見ればずいぶん遠い世界の話だけれど、それでもこのヒロインの一生は読む者の腕の中にまちがいなく渡される。とても重い荷だから、しっかりと受け止めなければならない。本当に隙のない構成。
ではこの技術に対して、素材は何か。カナダのいちばん東の端、大西洋に面したケープ・ブレトンという島の生活。牧畜と漁業だけの荒涼とした土地で、冬はすごく寒い。若い者はみな都会に出てしまう。残った人々はここで家畜を飼い、海に出て漁に勤しみ、あるいは灯台を守って、暮らしている。アリステア・マクラウドはこの島のことしか書かない。いくら書いてもこの島のことは書ききれないと思っているかのよう。
人はみな一所懸命に生きている。つまり自分が住む土地という「一所」に「命を懸けて」生きている。なぜならば、他の地はないから。彼らは都会に出なかった人たちだから。
時には話は都会に出た者の視点から語られる。出てしまったことへの悔恨、残った老いた人たちへの思い、戻る時の逡巡。都会は遠くにあって若い者を誘うが、しかしそれだけのことだ。
「冬の犬」は子供時代のエピソードだが、そこへの導入がまずすばらしい。犬という主題を出すために、夜中に降り出した雪に気づいた子供たちが明け方早く起き出して庭で遊ぶ場面から始める。近隣に気を使って声をたてずにはしゃぐ子供たちの間に隣家の犬が混じる。月明かりの雪景色と遊ぶ子らと犬の光景は非現実的で「まるで民話の世界から躍り出てきた子供のようだ」と、窓辺で見ている父親は思う。
そして、自分が小さかった時に氷結した海で体験した危機のことを思い出す。助けてくれたのは犬だった。本当に九死に一生という事態だったのに、それを切り抜けて家に帰った彼は……。なんとうまい終わりかただろう、とぼくは飛行機の中で嘆息した。
ぼくは日本に帰ってすぐにこの本を新潮社に紹介した。その結果、アリステア・マクラウドのこの短篇集は『灰色の輝ける贈り物』と今回の『冬の犬』の二冊に分けて刊行されることになった。つまりぼくはこの本に関しては、自分の慧眼をちょっと自慢してもいい立場にあるわけだ。
ただし、いつもうまくいくわけではない。ヒースロー空港で買ったインド系の若い女性作家の短篇集に感心して、これも新潮社に売り込もうと思いつつ帰宅したところ、留守中に届いていた本の中にその翻訳『停電の夜に』があった。ジュンパ・ラヒリは既によく知られた人、ぼくは完全に後手に回ったのだった。

(いけざわ・なつき 作家)

短評

▼Ikezawa Natsuki 池澤夏樹

アリステア・マクラウドの小説の中では、人生の素材が違う。今のぼくたちの日々はアルミとプラスチックだが、彼の世界では人は鉄と針葉樹と岩に囲まれて生きている。風が騒ぎ、死とセックスと労働は強い匂いを放ち、家畜の吐息が耳にかかる。氷雪に閉ざされた冬の、ゆっくりと過ぎる時間。
すべての話に、今はいなくなった気丈な人々への哀惜がつきまとっている。
つい20年前まで、人はこんな風に生きることができたのだ。


▼Hugh MacLennan ヒュー・マクレナン

マクラウドは、現存する短編作家の、というより歴史上これまでに存在した短編作家の、最高峰のひとりである。


▼Toronto Star トロント・スター紙

これは宝物のような本だ。ここに収められたどの作品にも、読むほどに徐々に姿をあらわしてゆく豊かな層が横たわっており、何度も読み返す価値がある。最高の一冊だ。


▼San Francisco Chronicle サンフランシスコ・クロニクル紙

厳しい気候風土のケープ・ブレトン島は、読者の忘れられない場所となり、それを浮かびあがらせた作家の名は、いつまでも記憶されるだろう。


▼The New York Times ニューヨーク・タイムズ紙

すばらしい読書体験。マクラウドにはあきらかに独特の文学的表現がある。そのスタイルはなめらかで、ハイフェッツのCDや、シナトラやフィッツジェラルドの歌を聞いているようだ。

著者プロフィール

1936年、カナダ・サスカチェアン州生まれ。作品の主舞台であるノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島で育つ。きこり、坑夫、漁師などをして学資を稼ぎ、博士号を取得。2000年春まで、オンタリオ州ウインザー大学で英文学の教壇に立つ。傍らこつこつと短編小説を発表。1999年刊行の唯一の長編である『No Great Mischief』がカナダで大ベストセラーになったため、翌年1月、1976年と1986年に刊行された短編集2冊の計14篇にその後書かれた2篇を加え、全短編集『Island』が編まれた。31年間にわずか16篇という寡作であるが、短編の名手として知られる。*『Island』は、クレスト・ブックスより『灰色の輝ける贈り物』『冬の犬』の2冊に分けて刊行しました。

中野恵津子

ナカノ・エツコ

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