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学生を戦地へ送るには―田辺元「悪魔の京大講義」を読む―

佐藤優/著

1,760円(税込)

発売日:2017/07/31

  • 書籍
  • 電子書籍あり

彼らはこの書を胸に戦地へ赴いた! 戦争そして特攻を正当化した悪魔の論理を徹底解析。

日米開戦前夜、京都大学の哲学教授・田辺元は学生たちに「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」と熱く語りかけ、その講義録『歴史的現実』はエリート学生のバイブルとされた。若者たちを死に至らしめた巧妙なロジックとは? 田辺の矛盾と欺瞞を暴き、〈戦前回帰〉の進む現代に警鐘を鳴らす、佐藤優渾身の合宿講座全記録。

目次
まえがき
1 金曜夜 歴史という制約
2 土曜朝 過去の必然性と未来の可能性
3 土曜午後I 国策映画『敵機空襲』を観る
4 士曜午後II 個人・種族・人類
5 土曜夕方 歴史的人間になれ
6 土曜夜 「死に於て生きる」
7 日曜朝 亜周辺の帝国で
あとがき

書誌情報

読み仮名 ガクセイヲセンチヘオクルニハタナベハジメアクマノキョウダイコウギヲヨム
装幀 田邊元『歴史的現實』(昭和十五年刊 岩波書店版)挿図より/カバー図、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 368ページ
ISBN 978-4-10-475213-3
C-CODE 0095
ジャンル 日本史
価格 1,760円
電子書籍 価格 1,408円
電子書籍 配信開始日 2018/01/05

書評

田辺元の思想的転回と「懺悔道」

山折哲雄

 戦争協力に手をかし、やがて反省、懺悔の生活に転じた2人の知識人に、私はこれまで関心を抱いてきた。詩人の高村光太郎と哲学者の田辺元だ。
 光太郎は宮沢賢治の発見者の1人だが、敗戦の直前、自己の錯誤に気づいて賢治のふるさと花巻に隠棲し、独居7年の生活をはじめた。そのころ旧制中学2年だった私は、街中で光太郎の姿をみつけ、その跡を追ったことがある。
 もう一人の田辺元には面識がなかった。だがのちに教師になってから、京大哲学の長谷正當氏の招きで集中講義に出かけ、田辺も出入していたであろう研究室の匂いを嗅ぐことがあった。
 本書は、その田辺元が昭和15年に刊行した論文『歴史的現実』をとりあげ、徹底した解説を通して、当時の田辺がなぜ若者たちにむかい、国家のため戦場に赴き、大義のため死につくべしと説くにいたったかを論じている。面白いのは、公募講座の形で集った30名ほどの参加者と箱根の宿に合宿し、2泊3日の過密スケジュールでおこなった講義録になっていることである。一対一の活発な自由討議の様子も盛られている。
 田辺元は国家と個人を両軸にして、その否定的媒介にもとづくユニークな「種(=民族)の論理」を提唱したことで知られる。否定的媒介というのは端的にいって「無」の媒介ということだ。その結果この論理はやがて、個人の国家にたいする無私の献身(個の否定)という隘路に田辺自身を追いこんでいく。やがてその過誤の大きさに彼は気づき、昭和19年になって京大生を前に「懺悔道の哲学」を講義するにいたるのである。敗戦の直前、彼は時いたれば身の運命を決する覚悟をすでにかためていたと思われる。やがて田辺もまた、高村光太郎と同じように軽井沢に隠遁する。
 この田辺元における戦争中の思想的転回について、著者の佐藤優氏は硬軟とりまぜた、豊かな知識情報をくり出して批判し、田辺哲学の心臓部を衝いている。その語りは、いつも諧謔と皮肉のレトリックにくるんで楽しませてくれるが、しかしさきの「懺悔道」の問題についてだけはあまり言及することがない。田辺はそのことを親鸞から学んだと告白しているが、その点についても佐藤氏は一切ふれていない。したがって親鸞のいう人間の「悪」がそこに顔をのぞかせることもないのである。
 だがこれは、もしかすると無いものねだりの繰り言かもしれない。なぜなら氏は同志社大学の神学部で本場仕込みの「弁証法神学」を学んだ人だからである。仏教の宿業論に発する親鸞のいう「悪」の問題には、もともと違和感があったのかもしれない。それで田辺元のいう「懺悔」をパスしてしまったのだろう。もう一つつけ加えると、佐藤氏は周知のように、『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』を書いて世に出た人だ。国家権力に単身で立ち向い、獄中で「国家の悪」を凝視しつづけようとした人だった。それにくらべるとき、仏教に発する「人間の悪」のリアリティーはどこか迂遠のものに映っていたのかもしれない。
 それにしても佐藤氏の舌鋒の鋭さは相変らずであるが、それにもまして率直な物言い、単刀直入の切り込み方には本当に驚かされる。たとえば田辺はしばしば、人間は過去に縛られ制約される存在であるが、だからこそ未来への希望をもち、自由を手にすることができる、という。ところがそれがそのままの文脈で、「個人のなしうるところは、種族(民族)のために死ぬことである」という言明につづいていく。これはつまり「無」を媒介にする哲学のギマン性そのものをあらわしているといい、「田辺は頭はいい、だが人間は悪い」と皮肉り、会場に哄笑の渦を巻きおこす。田辺のいう「歴史的現実」の屋台骨を揺るがすのである。
 かねて私は「京都学派」の哲学には、無(否定)を媒介にした対立物の統一という思考のトリックが内蔵されており、したがって善と悪の対立もこの「無」に媒介されて相対化されてしまうのだろう、と考えてきた。西田幾多郎が「善の研究」からスタートしながら、ついに「悪の研究」につき進むことができなかった原因もそこにあるのだろうと思ってきた。しかし田辺元はもしかすると、その最晩年の「懺悔道」のテーマを引っさげて、西田哲学の不動の壁を打ち破ろうとしたのではないか。佐藤氏のいう「田辺さんは人間が悪い」は、無意識のうちにではあれ、そのことを指し示しているようにもみえる。日本列島の弁証法には、「皮を切らして肉を切る、肉を切らして骨を切る」という、いってみれば捨て身のディアレクティークが大昔から存在していたのである。

(やまおり・てつお 宗教学者)
波 2017年8月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

佐藤優

サトウ・マサル

1960年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、1995年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、東京拘置所に512日間勾留。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年6月に最高裁で上告棄却、執行猶予付き有罪確定で外務省を失職。2013年6月に執行猶予期間を満了、刑の言い渡しが効力を失った。2005年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。主な単著は『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『獄中記』『私のマルクス』『交渉術』『紳士協定―私のイギリス物語』『先生と私』『いま生きる「資本論」』『神学の思考―キリスト教とは何か』『君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話』『十五の夏』(梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)、『それからの帝国』など膨大で、共著も数多い。2020年、その旺盛で広範な執筆活動に対し菊池寛賞を贈られた。

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