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大竹伸朗/著

2,090円(税込)

発売日:2013/06/28

  • 書籍

ビとは何か? うつくしいとはどういうことか? 注目の美術家による最新エッセイ集。

唐突に何かに出会った瞬間、意味を超えた音が鳴り、制作衝動がガッと湧く。封筒ののりしろ、からっぽの駐車場、トイレの壁、鉄工所の廃棄鉄片……。従来の「美」の定義では捉えきれないうつくしさを日常の中に感じ、作品へと昇華する日々。直島からヴェネツィアへ、世界が注目する美術家が綴る、思索と創作と旅の軌跡。

目次
I 直島発、カッセル経由、ヴェネツィア行き
全裸島へ
海女を焼く
スモーク・オン・ザ・ホット・ウォーター
記憶磁石
夜港時計
光州電話
常滑のガウディ
小屋と自画像1
カッセル 小屋と自画像2
カッセル青春白書 小屋と自画像3
コンチキチンの森
島の海辺の蜘蛛の巣の気配
カッセルのクラフトワーク
独国蛙と女木島猫
ニューソウルな月夜
境界のグワッシュ
男と根の関係
II 日日のビ
ゴミ箱の背景音
ガラス貝の裏側
ジョンが貼った音
からっぽの世界
質と風
駅前宇宙物件
抽象水門
表面と表現
仏式靴底鑑賞法
双子鰐の気配
初心と鉄塔
テイスト・オブ・質
雪色の余白
言葉のヤレ
気配が鳴る
海中のスクラップブック
パリのL字形東洋
筆ペンとニコンF
愛蘭土大衆酒場(アイリッシュ・パブ)の教え
適当の色
スナック「日展」
世捨形
アフリ缶
ヘンな道標
ホーシャノーアンビエント
放射性音楽
夢の膜
紙々のいる場所
無私の域
冥土景
カラッ風絵画
ビジネスホテル・ペインティング
無音の前後
心に降る形
段差・イン・ザ・ダーク
あとがき
主要作品集

書誌情報

読み仮名
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-431003-6
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆、ノンフィクション
定価 2,090円

書評

波 2013年7月号より 誤解と勘違いと正解と深読みとの間

永江朗

たとえば、久方ぶりに立ち寄った店で、常連客の友達から、笑顔とともに手渡されるのは、タバコのカートンケース、つまりはパッケージ。パッケージのみで中身はない。ただしエジプト産。友達は新婚旅行で立ち寄ったカイロのタバコ屋で見つけて購入し、パッケージを捨てずに持ち帰って大竹伸朗に渡す。しかも「ダサくてよくないですかコレ、好きでしょこういうの、特別なものじゃ全然ないけどスクラップブックに貼るなり何か作品にでも使えるんじゃないかと思って……どうぞ」という言葉とともに。つまり大竹伸朗はエジプト産タバコのパッケージのようなものが好きだと思われているのであり、その友達はあきらかによかれと思って手渡すのである。本書のなかにある「ヘンな道標」という文章に出てくるエピソードだ。ぼくは読みながら、せめてパッケージだけでなく中身ありの状態で渡せなかったのかと思いつつも、このパッケージをニコニコ顔で手渡されたときの大竹伸朗の表情を想像して笑ってしまう。「いらない」とひらがなにすればたった四文字の言葉を発するタイミングを失い、エジプトからやってきた空の箱は大竹伸朗の掌にのる。「いらない」は「ありがとう」に変換され、ふつうだったらゴミ箱行きの紙が芸術家のものになる。渡したほうは、これがあのスクラップブックの一ページに残ればいいな、いや残るだろう、ぜったい残るに違いないと思い、自分が偉大な現代芸術に貢献した気持ちになって、晴れ晴れとした気分で酒場を立ち去ったに違いない。
ぼくがはじめて会った一九八〇年代初めのときすでに大竹伸朗は分厚いスクラップブックをつくっていた。ときどき見せてくれたそこには、日常のあらゆる紙のゴミが貼られて膨れ上がっていた。それはもう圧倒された。だからぼくは、カイロで見つけたタバコの箱を大竹伸朗に渡す人の気持ちがよく分かる。まあ、ぼくなら「箱がダサくてよかったので」といいながら中身つきで渡すけどね。
大竹の「好き」と他人が思う「大竹伸朗はこういうのが好きだろう」にはずいぶん隔たりがあり、このエッセイ集はその隔たりというか隙間についてのものである。大竹の好きな、つまり自主的に手に入れた「ヘンなもの」は、たとえば高さ十メートルあまりの鉄製ボウリングピンだったり、数メートルの海上用ブイであり、これらに一目ぼれするのだから、サザエをかたどったお銚子とお猪口とか、宇宙人顔の陶製貯金箱とか、十五年前の中国製カレンダーとか、発光式女体型ライターだのが好意と笑顔で手土産として手渡されたとしてもしかたない。渡すほうばかりを責められない。そして、その誤解と勘違いと正解と深読みとの間に、大竹伸朗の芸術はあるのだと、この『ビ』を読みながら思う。
あるいは「仏式靴底鑑賞法」という文章に出てくるエピソード。大竹伸朗は来る日も来る日も「便所壁」を描いていた。「便所壁」は何かの比喩ではなく便所の壁。〈南米あたりの誰も見向きもしない落書きだらけの便所には、茶室の壁をはるかに凌駕する「侘び寂び壁」が潜んでいると今でも確信している〉というほどなのだから。その「便所壁」が完成に近づいたある日、来日中だったフランス人美術評論家から連絡が入り、仕事場見学がてら新作を見たいといってきた。温厚そうな初老の美術評論家は仕事場中央に進み入り、壁に立てかけられた絵をゆっくりと眺める。その直前まで大竹伸朗が描いていた絵は、美術評論家の靴の下である。〈「すいません、あなたは今絵の上に立っています」「見ていただきたい絵はあなたの靴底の下です」「出来たら現在位置からちょっとこちらへ」いくつかのフレーズを切り出そうとしたが、予想外のシュールな展開のまま時間が過ぎた〉
これは笑うべき事態か、悲しむべき事件か。いや、このとき絵画は、初老の美術評論家が作品だと気づかないほどリアルに描かれ、作品である気配を消し、本物の「便所壁」(というかアトリエの床)になってしまったのである。いわば「侘び寂び壁」ならぬ「侘び寂び床」。そして無意識的に靴底で鑑賞して上機嫌で去っていった美術評論家。残された「便所壁」に理想の絵の在り方を大竹伸朗は見る。
本書は現代最高の芸術家による日記であり芸術論である。しかもかなり笑える。

(ながえ・あきら 書評家)

著者プロフィール

大竹伸朗

オオタケ・シンロウ

画家。1955年東京目黒区生まれ。1974年〜1980年にかけて北海道、英国、香港に滞在、1979年に初作品発表後、東京で制作活動を続ける。1988年、制作拠点を東京から愛媛県宇和島市に移す。2006年、初回顧展「大竹伸朗 全景1955―2006」展(東京都現代美術館)。以降は、東京、香川、ソウル、ロンドン、シンガポールにて個展、光州ビエンナーレ(韓国)、ドクメンタ(カッセル)、ヴェネチア・ビエンナーレ(ヴェネチア)、ヨコハマトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭はじめ国内外の企画展に参加。1986年、初作品集『《倫敦/香港》1980』(用美社/UCA)刊行後、作品集、著作物、CDを発表。総括的な作品集に『SO:大竹伸朗の仕事1955―91』(UCA)、『大竹伸朗 全景1955―2006』(グラムブックス)等。その他、主なエッセイ集に『見えない音、聴こえない絵』、『ビ』(共に新潮社)、『既にそこにあるもの』、『ネオンと絵具箱』(共にちくま文庫)、絵本に『ジャリおじさん』(福音館書店)がある。2004年より2018年11月現在月刊文芸誌「新潮」にエッセイ「見えない音、聴こえない絵」連載中。

大竹伸朗 | OHTAKE SHINRO - OFFICIAL WEBSITE (外部リンク)

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