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フィルムノワール/黒色影片

矢作俊彦/著

2,530円(税込)

発売日:2014/11/29

  • 書籍

二村シリーズ、十年ぶりに復活! 舞台は香港、長編ハードボイルド完成。

神奈川県警の嘱託・二村永爾は、1本の映画フィルムの行方を追い、香港へ飛んだ。ある殺し屋がモデルとなった映画だった。この幻の作品を巡って、次々と発生する殺人事件。そして二村の前に現われた気高き女優と、謎の映画プロデューサー。日本、中国、香港、複雑な過去と現在が交錯する。日活百年記念、宍戸錠も実名で登場!

書誌情報

読み仮名 フィルムノワール
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 576ページ
ISBN 978-4-10-377507-2
C-CODE 0093
ジャンル ミステリー・サスペンス・ハードボイルド
定価 2,530円

インタビュー/対談/エッセイ

波 2015年1月号より [矢作俊彦『フィルムノワール/黒色影片』刊行記念対談] エースのジョーとハードボイルド

宍戸錠矢作俊彦

十年ぶり復活の二村永爾シリーズには、宍戸錠さんが特別出演!
作者と出演者にたっぷりと語り合っていただきました。

宍戸 俺はね、矢作くんの小説はけなすことにしているんだけど(笑)、この作品はねえ……よく書けているよ。
矢作 (苦笑)
宍戸 矢作くんと最初に会ったのは、もう三十年以上前になるかな。
矢作 日活映画の七十周年記念の総集編の前に、誰かに紹介されて会いました。
宍戸 矢作くんは、裕次郎好きだったんだよね。
矢作 違いますよ!(笑) ぼくは「エースのジョー」好きなんですよ。いちばん最初にエースのジョーを見たのは、八つか九つのとき、一九五九年か六〇年です。横浜駅の西口に日活映画があって、そこの小屋主の倅が小学校の同級生だったから、ただで見ることができたんです。何の映画だったのかは覚えていませんが、錠さんがソフト帽をかぶって、スパッツに、コンビの靴を履いて、車から降りてくる。それがかっこよくて……。
宍戸 トニー、赤木圭一郎を相手にしたやつだな。
矢作 “コルトの銀”だ!
宍戸 あれもずいぶんやったもんな。
矢作 それでまだ小さかったから、「いつか映画俳優になろう」じゃなくて、「いつか殺し屋になろう」なんて思ってしまった。錠さんがやると、殺し屋が楽しそうなんだもの(笑)。人を殺す上での気持ちの澱とか、恐怖感とか、一切ない。とても楽しそうに、まるで子供がプラモデルをつくるように、人を殺す。
宍戸 見ている人が「どっちが早い?」とわくわくするように考えたんだ。だから「早射ち、世界第三位! 西部の男なみ〇・六五秒!」なんて謳い文句でね。一位はゲーリー・クーパーの〇・五秒で、二位がアラン・ラッドの〇・六秒だった。俺が本気でやれば、本当は〇・三五秒だったんだけどな。そのころの少年たちは、そういうものが見たかったんだね。
矢作 見たかった、うん。「早射ち野郎」という映画では、相手が持っている拳銃を、錠さんが靴でポンっと蹴り上げて、飛んだ銃を宙で受け取って、撃つシーンがありました。あれ、ワンカットでやってるんですよね。しかも一発OKなんでしょう?
宍戸 ああ、そうだな。

 宍戸錠が小説に登場する理由

矢作 錠さんと最初に仕事をしたのは、日活の総集編映画でしたね。その監督をぼくがやることになった。でも、ただ総集編をつくるだけではつまらないから、日活映画三十七本を切り刻んで、ひとつのストーリーになるようにしようと考えました。昔の殺し屋が、かつての好敵手を探すため、ちりぢりになった人殺したちを訪ねてまわる。旅の途中でいろんなことを思い出したりしながら、そして最後にライバルと会って、もう一回撃ちあいをしよう、と。
宍戸 「アゲイン」だな。あの作品はよかった。おもしろかった。
矢作 ただ、名画をつなぐといっても、もともとは他人の映画だし、限界があったんです。もう少しつなぎの絵が撮れれば、話をつくれたんですが、実写を撮る予算が数百万円しかなかった。錠さんに何カットか出てもらいましたが、でも全部は撮れなかった。今回の小説『フィルムノワール/黒色影片』は、そのリベンジみたいなものです。つまり、日活映画の名場面と名台詞を使い、それらを全部並べて、ひとつの小説をつくる、という作品。映画ではやりきれないものが、小説ならばできるだろう、と。それでこの作品には、錠さんに「宍戸錠」という名前で出演していただいています。
宍戸 まあ、久しぶりに、書けている作品だよ(笑)。
矢作 ぼくは昔から小説に錠さんを出してはいるんですよ。ただ、宍戸錠という名前で登場させていなかっただけで。殺し屋ではなく、映画俳優としては、何度もぼくの小説に出てきています。たとえば、二村シリーズの二作目(「陽のあたる大通り」)、ぼくがまだ二十七~八歳の頃に書いた小説ですが、これにもすでに登場している。映画のロケ現場に、ひとりで拳銃の練習をしている男がいるんです。ぼくにとっては、錠さんは、半分は宍戸錠だけど、半分はエースのジョーですから。

 ハジキを持って、町へ出ろ

宍戸 矢作くんの子供のころというのは、日活映画がいちばんだったんだな。
矢作 そうですね。
宍戸 東映よりも大映よりも松竹よりも、日活だった。裕次郎がいて、トニー(赤木圭一郎)がいて、小林旭が出てきて、そこで宍戸錠が……。
矢作 無茶苦茶やった(笑)。
宍戸 でも宍戸錠が、いちばんよかっただろう?
矢作 それはそうですよ。ずいぶん後になって、寺山修司が「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったけど、錠さんはその前に「ハジキを持って、町へ出ろ」と言ったんです(笑)、ぼくの人生の中ではね。しょうがないから、ハジキを持って、ついて行っちゃいました。ハメルーンの子供たちのように、この笛吹き男について行ってしまったんです。だからもう、その後の人生ははろくなもんじゃありませんでした(笑)。本当だったら、今ごろは東大を出て官僚になって、どこかに天下りをして、五回くらい退職金をもらって、悠々自適だったはずなのに……。
宍戸 それが、こんな売れない作家になっちまってなあ(笑)。
矢作 先日亡くなられた赤瀬川原平さんも、ぼくの師匠だったんです。といっても、そんなに会っていたわけではなくて、会ったのは全部で五~六回だと思いますが、高校二年生くらいのころのぼくにとっては、非常に重要な人でした。赤瀬川さんが教えてくれたのは、「遊ぼう、遊んでも暮らしていけるんだよ」ということでした。それに対して、錠さんは折にふれて、実際にずっと一緒に遊んでくれました。ただ、ひどいのは、家が焼けちゃって……。
宍戸 ああ、あれね、全部焼けちゃったから。
矢作 錠さんは、以前から「〇〇の映画のシナリオがあるんだ」「日活コルトを持っている」「アルマーニの白いタキシードがある」とか言って、それで「俺が死んだらお前にやる」と、ずっと言ってきましたよね。それでぼくのことを屈服させてきたくせに……。
宍戸 矢作くんにやるものが、何もなくなっちゃった。ものの見事に、全部焼けちゃったから(笑)。
矢作 ひどい。今まで三十年間、それを餌にして、ぼくを小僧扱いしてきたというのに……。

 男としての魅力

矢作 錠さんが、これはかっこいいなと思った殺し屋は誰だったんですか?
宍戸 俺がいちばん最初にすげえなと思ったのは、バート・ランカスターだな。
矢作 「ヴェラクルス」でしょう?
宍戸 そう。「ヴェラクルス」のバート・ランカスターだ。あれができるのは、日本では俺だけだと思ったんだよ。それからウエートトレーニングを始めたんだ。
矢作 日本の映画俳優というのは、当時、非常にシンプルな人たちが多かったですよね。つまり、かっこいいことしかしない。でも錠さんと勝新太郎さんだけは、汚いこと――いや汚いことというよりも、バカをやった。
宍戸 勝さんは、それを時代劇でおやりになった。俺は西部劇だ。まあ、西部劇も、時代劇といえば時代劇だけどね。
矢作 映画スターでありながら、頭のハエを追ってみたり、わざとあっかんべえしてみたりね。女に向かってあっかんべえをしちゃう映画スターなんて、あの頃はいませんでした。それがまたじつに楽しそうでした。
宍戸 映画はやっぱり絵空事。でも絵空事を本当のことに見せるのが映画俳優なんだ。だから、頬っぺたにアンコを入れたりしてね。で、そのうちアンコが邪魔になってきたから、取った(笑)。俳優はそのくらいのことはやるべきだと、それが俺の信念。まあ、アメリカ映画のおかげなんだよね。
矢作 敗戦後、アメリカ映画が解禁されて、多感な時期にアメリカの文化政策として、映画がばんばん来たわけですね。
宍戸 バート・ランカスター、ゲーリー・クーパー、リチャード・ウィドマーク、モンゴメリー・クリフト、アラン・ラッド……男としてのありとあらゆる魅力を持っている。俺は欧州の役者よりも、アメリカのハリウッドの俳優のほうが好きだ。西部劇もあるし、ギャング映画もあるしな。
矢作 錠さんのすごいところは、ふだんから宍戸錠とエースのジョーを行き来していることですね。普通の俳優じゃない。しかも、自分で勝手に行き来するからなあ。今、おいくつになられました?
宍戸 八十一。
矢作 そういえば、ゴダールももう八十四歳だけど、今度の3Dの新作映画はすごかったですよ。
宍戸 そうか。じゃあ、俺もやるか!
矢作 やるしかないですよ。〇・三秒で抜くしかないですよ(笑)。
宍戸 八十代の東映の巨匠ふたりが相次いで逝ったばかりだけど、俺は九十歳まで生きるよ(笑)。
矢作 九十歳までに、殺し屋の映画を撮りましょう。シナリオは、ぼくが書きますよ。

(ししど・じょう/やはぎ・としひこ)

著者プロフィール

矢作俊彦

ヤハギ・トシヒコ

1950(昭和25)年、神奈川県生れ。1972年「ミステリマガジン」に短編小説を発表、以後『マイク・ハマーへ伝言』『真夜中へもう一歩』で、注目を集める。一方、テレビ、ラジオ、映画など他分野でも活躍。大友克洋との合作コミック『気分はもう戦争』がミリオンセラーに。1998(平成10)年『あ・じゃ・ぱん!』でドゥ マゴ文学賞を受賞、2004年には、『ららら科學の子』で三島由紀夫賞を受賞。他の著書に『スズキさんの休息と遍歴』『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』『悲劇週間』『フィルムノワール/黒色影片』などがある。

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