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普天間よ

大城立裕/著

1,760円(税込)

発売日:2011/06/17

  • 書籍
  • 電子書籍あり

沖縄の戦闘は、ずっと続いている――いまこそ問われる、日本の未来。

在日米軍基地の約75%が集中する沖縄。いまも「日常のなかにいつも戦争がある」基地のある町に暮らす祖母、父、娘、三世代それぞれの「普天間」。轟音の中での日常を切実に描き出す書下ろし中篇「普天間よ」を収録、戦前戦後を生き抜いて沖縄文学を牽引し続ける作家が沖縄の魂を織り込んで、「沖縄と戦争」をあぶりだす7篇。

目次
夏草
幻影のゆくえ
あれが久米大通りか

荒磯
首里城下町線
普天間よ
あとがき

書誌情報

読み仮名 フテンマヨ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-374005-6
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,408円
電子書籍 配信開始日 2011/12/02

インタビュー/対談/エッセイ

沖縄の魂を知るために

大城立裕佐藤優

沖縄文化と大城文学/戦闘のなかの日常/沖縄人独自の文化世界/いまこそ読みたい大城文学

沖縄文化と大城文学

佐藤 『普天間よ』、いよいよ刊行ですね。
大城 この本と、組踊の本『真北風が吹けば――琉球組踊続十番』、文庫で「カクテル・パーティー」を収録する短編集が出ます。
佐藤 昨年は『小説 琉球処分』が文庫で出ましたしね。
大城 解説を書いていただいて。
佐藤 今度の組踊の本の解説も書きました。「カクテル・パーティー」は一九六七年の沖縄からの初の芥川賞受賞作ですが、これは衝撃的な小説で、拙著『功利主義者の読書術』でも取り上げました。
大城 ありがとうございます。
佐藤 私と沖縄との関係は、母親が久米島出身だということと、その母と父が沖縄で出会ったということがあります。大城さんとの関わりは、数年前に琉歌についてお手紙でご教示いただいたのが最初です。そのことを私が琉球新報の連載随筆に書いたことでおつきあいが始まり、沖縄人アイデンティティーの問題を語り合いました。それから大城さんの本を読むようになって、さらに私の関心は発展しまして、自分の中の一つのアイデンティティーである沖縄人意識を深めないといけないと。琉球語を勉強しなくては、と思いましてね、もともと語学アカデミーでチェコ語を勉強していたんですが、そこに琉球語の講座があって、そこで東京外語大名誉教授の半田一郎先生の個人教授で勉強を始めました。その目標は大城さんの組踊を読めるように、ということでした。まず金石文。次は『おもろさうし』という古代歌謡集。そして琉歌、古典組踊。そしてその先に大城さんの組踊がある。それは古典組踊の伝統を踏まえて民衆芝居になった沖縄語の言葉にも影響を受けている、と先生から教わりました。その大城組踊が二十番まで、出来たんですよね、これは偉業です。
大城 また書けると良いですね。
佐藤 琉球語というのが今後書き言葉として定着するときにその基礎となるのが大城組踊の言語である、と半田先生は強調していました。言語というのは書き言葉として定着すれば滅びずに遺って文化の基礎になる。それを読み取れるようになると、琉球語訳ができる。だから最終的に自作『国家の罠』の琉訳を、というカリキュラムでした。しかし昨夏、半田先生は突然の交通事故で亡くなられてしまったんです。その書斎の机には、大城さんの組踊の本『花の幻――琉球組踊十番』が開かれていたそうです。
大城 半田先生の死は残念なことでした。

戦闘のなかの日常

佐藤 今年の三月十一日、東日本大震災に遭遇して、われわれは日常生活が、突然、非日常的な空間に変わっていくという体験をしました。沖縄戦の戦記にはいろんな見方や論があるけれども、日常が非日常に変わっていくときにどのようになっていくのか、というテーマは、大城さん独自のものだと思うんですね。これは今の状況と非常にパラレルになっていると思うんです。
大城 他の誰とも違う自分なりの戦争を書きたいと考えて、そういう主題を選んだんです。自分の生活圏の中に戦争が来たらどうなるのか、ということ。そのテーマで初めて書いたのは「亀甲墓」という小説です。「戦争のときに葬式を出した家があったそうだ」という話が糸口になりました。こういうアプローチは、この『普天間よ』に収録した小説にも共通するものです。
佐藤 沖縄戦のなかで語られていない部分がある。この作品集にもそういうリアルなものが描かれていると思います。いわゆる沖縄戦ではなく、受け止め方が重層的ですよね。「夏草」という作品にも、そういうところがある。
大城 『日の果てから』を書いたときに、「戦時中に、刑務所はどうなっていたのか」というところから発想したんです。当時看守だった方がまだ生きていて、その方に取材しました。「夏草」は、そのときに聞いた実話がもとになっています。
佐藤 「夏草」と「幻影のゆくえ」は、時間を隔てて書かれていますけれど、テーマはつながっていますよね。戦後すぐには書けなかったと思います。沖縄戦下の性を書くのには、強い心理的抑制が働く。だから上手に書く才能が必要です。

沖縄人独自の文化世界

佐藤 大城さんに伺ってみたいと思っていたのは、沖縄人と日本人の違い、その独自の感覚のことなんです。それを知ることが相互理解の大前提だと思うので、沖縄人の特別な感覚というのを、お聞きしたいんです。たとえば大城さんは、「墓」のことをよく書いていますよね。さきほども亀甲墓の話が出ましたが。
大城 そう、沖縄の人はどうしてあんなに大きなお墓を創ったんだろうということですね。沖縄の墓を亀甲墓といいますが、中国の亀甲墓は土饅頭に亀甲の形を乗せただけなんですが、沖縄のお墓は洞窟墓なんです。洞窟墓というのは黄泉比良坂の伝承にもあるように、日本神話とつながるもので、あの世とこの世と繋がっている。戦争中も洞窟墓の中に先祖の骨がたくさん安置されている。それで、先祖に守られているんですよね。
佐藤 ウルトラマンっていうのは、沖縄の墓から発想しているんですよ。ガマ(洞窟)から現れるんですよね、あれは。
大城 ウルトラマンの作者は金城哲夫君といって沖縄出身ですからね。
佐藤 沖縄の感覚では、逆に、なぜ日本人は墓を簡単に考えているのかな、と。私は墓に対してのこだわりがわかります。
大城 本来は洞窟墓だという点で、本土の古墳と沖縄が共通している。本土ではそれが、いまの形に変化したんです。二十年くらい前ですが、あるジャーナリストの取材を受け、「沖縄の墓はなぜあんなに変わっているんですか」と言うので、「本土の墓はどうしてあんなに変わったんですか」と。取材者はストレンジ、というが、大和の墓はチェンジしてしまっている、と、駄洒落で返した訳です。
佐藤 沖縄人から見ると、日本人のあの世に対する感覚は、なんでこんなに弱くなってしまったのかと思うのですよね。
大城 だから沖縄にいわゆる原始民俗が残っていて、本土とはかなり違ってきた。「普天間よ」にも登場していますが、ユタのような女性霊力の世界なども沖縄ではいまも残っています。本土では天皇制とともに滅びてきた、ということがあるんじゃないかと思います。
佐藤 そう、今もユタが機能していることが重要です。ユタは、託宣をする巫女ですが、問題を解決するだけでなく、問題を作り出してしまうところもあるんですよね。ユタの話から問題を抱えてしまうこともある。両義性があるんです。これも沖縄的な考え方です。こういうことも沖縄人の死生観に関わっていると思うんです。
大城 そうですね。墓は重要です。

いまこそ読みたい大城文学

佐藤 大城先生の作品が読み継がれていまも古くならない、というのは、どういうことかというと、明治時代の琉球処分(廃藩置県)、そして現在に至るまで、日本と沖縄の関係が整理されないままで変わっていないという現実がある。でも、いま変わりつつあるんです。沖縄人が差別について語るようになったから。
大城 それは、佐藤さんの功績も大きいと思うんです。差別が構造的な差別に変わりつつあると、口を極めて何度でも言う、という姿勢でお書きになっているから、それを大衆もいつのまにか会得しているだろうと思うのです、
佐藤 沖縄の中にある内在的論理のキーワードが「差別」なんです。沖縄は確実に社会経済的、文化的な差別は基本的に克服されたが、政治的な差別だけが残ってしまっている。全国の0.6パーセントの土地に74パーセントの在日米軍基地があるという不平等。他の都道府県は「民意が反対しているから米海兵隊を受け入れられない」と言う。では、沖縄には民意はないのか。民主主義は沖縄には適用されないということか、これは政治的な差別です。こういう構造を変える努力をしないと日本の国家統合は崩れる、と私は思っているんです。その論陣を、文学の側からソフィスティケートされた形で張ってくださっているのが、大城さんです。
大城 論陣を張っているというほど威勢はよくないですけれど。私の文学の出発は一九四七年、戦争が済んで二年目、日本から切り離されて二年、天皇という価値からも切り離されて、これからどう生きて行くか、を考えるときに、沖縄の社会構造、政治、あるいは基地、それがどうしても関わってくる。私が沖縄を書くことは、「沖縄」の私小説を書いている、ということになるのかもしれない。
佐藤 この作品集のテーマは日常の中の非日常ですが、体にたとえれば、日本という国の生活習慣病。特定の部分に対して極度の負担をかけている。このままだといつか心筋梗塞を起こすような危ないことになる。病状を知ったら、そのまま放置してはおけない、ということです。
大城 私にはそこまでは書けませんでしたが、「普天間よ」で書いたのは、アイデンティティーの問題です。あの、今は基地になっている土地にあるはずの自分の櫛を取り返そうとしたおばあちゃんも、そういう自分を持っています。
佐藤 そう、だからあの櫛を他で買ってくればよいという話ではないんですよね。沖縄には一四〇万人の特別なアイデンティティーを持つ人びとがいるんですから、沖縄の今後は日本の国家統合にとって深刻な問題なんです。いまのように理解されないままだと、危険です。
大城 コザ暴動というのもありましたからね。そんなことになったら……。
佐藤 そういうときだからこそ、大城文学によって沖縄を知ることが大切なんです。「普天間」というのは、権現様の現れる場所です。沖縄の内在論理の顕現――沖縄の内在論理を明らかにするのが、大城さんの作品なんです。
大城 いま、ハワイ大学で「カクテル・パーティー」の舞台化の話が持ち上がっていて、秋に上演されるようです。その戯曲の日本語版を、小説と合わせて文庫に収録します。
佐藤 そう、「カクテル・パーティー」という小説は沖縄人の被害者意識だけでなく、加害者責任についても取り上げた画期的な作品でした。差別される者と差別する者の重層性、不正はどこまでも不正で、それを引き受けて異議申し立てをしていく、という懺悔の姿勢も顕われている。視座を変えて行動するということが示されている。沖縄にこだわるが故に普遍性を獲得する。
大城 私は沖縄のことしか書けない、普遍性がないと言われるのだけれど。
佐藤 普遍性というのは特定の個性を記述することから出てくるんだと思います。私自身も当事者手記だけを書いています。一つが、一つであると同時に全体である、ということですね。大城さんの独特の在り方は実務家として生きてきたことにも支えられていると思いますね。作家としての時間と並行して琉球政府という半国家の官僚をなさっていたことも大きいと思います。複眼で見る、ということを体得されていたのです。そして今回また、文庫が出るというのは、それは、やはり、作品が面白いからです。『小説 琉球処分』にも描かれていますが、沖縄に対して、力で何かを押し付けることはできないんです。「普天間よ」のおばあちゃんもそういう独自の存在なんですよね。
大城 「普天間よ」には、次の世代の娘も登場しますが、轟音の中で踊り続ける姿に、いまの世代のアイデンティティーを守りたい、という想いを反映させているつもりです。
佐藤 沖縄の力を侮ってはいけない、ということですよね。
大城 もう受け入れきれないのです。
佐藤 政治的な言語を読み解ける人がいなくなって、その背後の文化まで理解出来なくなった。沖縄の政治経済は文化に包摂されているんです。そこをきちんと見て行かなくてはいけない。この『普天間よ』を、政治家にきちんと読んで欲しいと思います。日本と沖縄の関係、そして沖縄の魂を知って欲しいですね。

(おおしろ・たつひろ 作家)
(さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)
波 2011年7月号より

著者プロフィール

大城立裕

オオシロ・タツヒロ

1925年、沖縄県中城村に生まれ、1943年、上海にあった東亜同文書院大学予科に入学したが、敗戦による大学閉鎖のため中退。戦後は、琉球政府通産局通商課長、県立博物館長などを務める一方、敗戦直後から青春の挫折と沖縄の運命を繋ぐ思想的な動機で文学を始め、1959年に『小説琉球処分』の新聞連載開始、1967年『カクテル・パーティー』で沖縄初の芥川賞作家となる。戦後の沖縄文学を牽引して、沖縄の歴史と文化を主題とした小説や戯曲、エッセイを書き続ける。小説『対馬丸』『日の果てから』『かがやける荒野』『恋を売る家』『普天間よ』のほか、『花の幻――琉球組踊十番』『真北風(まにし)が吹けば――琉球組踊続十番』などの著書がある。2002年には『大城立裕全集』(全13巻)が刊行された。2010年、日本演劇協会演劇功労者表彰、2015年、初の私小説「レールの向こう」で、川端康成文学賞を受賞。

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