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夜景座生まれ

最果タヒ/著

1,430円(税込)

発売日:2020/11/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

これが、リリカルの最前線。最果タヒが革新する待望の新詩集。

中原中也賞、現代詩花椿賞の受賞を経て、詩の映画化、詩の個展、詩と建築のコラボレーションなど、詩人という枠を超え、存在が加速し続ける最果タヒ。現代のその先を切り開く、運命の第8詩集。

目次
流れ星
約束
傷痕
36℃
墓標
母国語
2020年生まれ

ブレーカーの詩
宇宙戦隊
21歳
ピアニカみたいな欲望
築20年1LDK
天国手前
美しい人
底of海of夜of夏

土の匂い
喪服
緑の匂い
loved
5月
ポニーテール
マッチの詩
2020年2月
ときめき狂
おそようございます
北極星の詩
海み
友達
静寂の詩
激愛
彗星
夏の一部
衛星
経営方針2019
氷の詩
超愛
ヨーグルトの詩
秒針
天文台
軽音部国歌
海の詩
あとがき

書誌情報

読み仮名 ヤケイザウマレ
装幀 佐々木俊/ブックデザイン
雑誌から生まれた本 yom yomから生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 96ページ
ISBN 978-4-10-353811-0
C-CODE 0092
ジャンル 詩歌
定価 1,430円
電子書籍 価格 1,320円
電子書籍 配信開始日 2020/12/02

書評

こっちを広辞苑に載せてくれ

峰なゆか

 十数年前の文学フリマ会場にて、私は最果タヒという人を探していた。絶対に最果タヒさんに会って、お話しなくてはいけない。なぜかというと文学フリマにB級映画レビュー同人誌を出すという友人に「ぜひ来て!!」と言われて「行けたら行く」と返事して受け取ったあと存在を忘れてバッグの中でくしゃくしゃになっていた文学フリマのチラシをたまたま目にした当時の彼氏が「あ、最果タヒさん今も書いてるんだ」とぽそりと言ったからだ。私は初耳の名前だったし、その当時に最果タヒの名前を知ってる人はかなり少なかったと思う。彼は学生時代、まだインターネット使用中は電話がピーヒョロロ〜〜〜と鳴る感じの時代に、自作の詩を掲載するサイトに参加していて、その中には最果タヒさんもいて、当時から最果さんはそのサイト内で一目置かれる存在であり、自分の載せた詩を最果さんが褒めてくれたことは思い出に残っているそうで、私は爆笑した。「詩を書いてたの!? 詩を!?(笑) プッ……アーハハハハ!! ちょっと待って!? どんなの書いてたの!?」そこまで言ったところで当時の彼は怒って口をきいてくれなくなってしまったので、私は一人で文学フリマ会場にやってきた。最果タヒさんという人に会って、「詩の交流サイトの過去ログ漁って彼氏の投稿を特定して読み上げてさらに嘲笑いたいのでサイト名とか教えてください!」と聞くために。当然だがこの時点で最果タヒの作品は一切読んだことがない。
 こうして改めて当時の私の行動を文章にしてみるとあらゆる方面に失礼な自覚はあるのだが、懺悔をするつもりはない。だって十数年前ってみんなそういう感じだったじゃん? 「詩ってさあ、やたら『ぼく』とか『きみ』とか『愛』とか書いてあるヤツのことでしょ?(笑)」みたいな。「ぽえむ(笑)」みたいな。
 文学フリマには売り子の人しかいなかったので、私の彼氏を嘲笑う計画は頓挫した。「え〜!! 最果タヒさんいないんですか!? え〜!! 会ってお話したかったのに〜!!」と心底悔しそうに言う私を、売り子の人は最果タヒ大ファンだと思ったようで何も買わずに立ち去るのは気まずい雰囲気になってしまったので、私は生まれて初めて詩というものを自腹で買ってみて、読んでみて、そしてその詩は果たして「ぼく」「きみ」「愛」とか書いてあるヤツだった。そこから最果タヒは一貫して「ぼく」で「きみ」で「愛」を書き続け、最新作の『夜景座生まれ』ではいよいよ「ぼく」で「きみ」で「愛」が極まっている。
 広辞苑が「愛」のことを「(男女間の)相手を慕う情」とか「愛蘭アイルランドの略」とか説明しているとき、最果タヒは「愛という言葉の意味を知らないが、/使い続け使われ続けていつの間にか、/手を伸ばせばそこにある言葉になった。/あなたはそれを詭弁と言うが、ぼくは神様がこの世界を作るとき、/同じ感覚だったに違いないと、思っているんだよ」だ。これだろ。こっちを広辞苑に載せてくれ。愛という言葉は使い続け使われ続けて手垢が主成分の巨大な塊になって、私が生まれる前からもうずっとその状態で、でもこの手垢の中には世界で一番大切なものがあるのだと力説する人たちの目の輝きが怖かったし、手垢の中になんて何もないよと冷笑決め込むのもなんだか寒い気がしていてどっちに転んでもダサいので、もう手垢とはなるべく関わらずに生きていきたい、でも本を読んでも映画を観ても恋人との静かな夜でも容赦なく私の眼前に手垢手垢手垢が現われて、いよいよどちらかに転がる必要を迫られたとき、どこにも転がらないまま「手を伸ばせばそこにある」と、神様の感覚を教えてくれる人なんていなかった。ある日突然小さな子供に真っ直ぐに目を見られながら「愛って、なに?」と聞かれても、もう私はビビらない。
「陳腐って、なに?」と聞かれたら「『ぼく』とか『きみ』とか『愛』とかのことだよ」と、かつてなら答えていたであろう言葉たちを最果タヒが新しくしてくれたように、今まで「無職の言い換えのパターンの中でもかなり古風なヤツ」とか「谷川俊太郎以外は食っていけない」という意味であった「詩人」という存在も新しくしてくれた。ちなみに件の元彼は「現実的に考えて詩人にはなれない」という理由で学生時代にのめり込んでいた詩の創作を止めて千葉で会社員になったらしい。「現実的に考えて!? 詩人にはなれない!?(笑) プッ……アーハハハハ!! 展示会やったりグッズ作ったり広告に詩を書いたりしてる人がいる現実なんですけど!?」と千葉まで出向いて嘲笑いたい。
 そのうち「お世話になっております」とか「マザファッカー」などのお馴染みの言葉も最果さんが新しくしてくれるのだろう。楽しみにしている。

(みね・なゆか 漫画家)
波 2021年2月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

最果タヒ×萩尾望都
詩を読む呼吸、漫画を読む呼吸

萩尾望都最果タヒ

14才の科学進化説
最果氏の詩と萩尾氏の絵の出会いとなった「14才の化学進化説」冒頭(『空が分裂する』所収)

萩尾 タヒさんにお会いしたのはだいぶ前ですよね。15年くらい前?

最果 そうです、その頃です。「別冊少年マガジン」での連載に、前からファンだった萩尾先生が絵を描いてくださったのがすごく嬉しくて。ちょうど原画展が行われていたので、サイン会に並んでお手紙を渡したんですよね。その後、先生からメールをいただいて「物語をどう作ったらいいのかが分からない」といった悩みを先生に相談するやりとりが始まって。あのときは色々なことを先生に相談しましたけど、いまだに悩んでいるんですよ。

萩尾 あらら、そうなの?

最果 インタビューとかで「なんで詩じゃなくて小説を書くんですか?」って、よく訊かれるんですけど……。

萩尾 「余計なお世話だ」とか言わないの? 詩も書いている小説家って結構いるから、3人くらい文豪を揃えておきましょうよ。「この人も、この人も書いています!」って。

最果 (笑)。他人に言われるぶんには「はい、その系統の質問ですね」って思えるんですが、小説を書いているときに自分があえて小説という形式を選んでいるんだという感覚に一瞬なってしまうと、作品を書ききれない感じがあって。先生は漫画という物語があるものを描かれていますが、「物語ってなんだろう?」って思ったりします?

萩尾 世の中にはいろんな理不尽なこととか理解できないことがあるけど、物語はそれを理解してくれる世界だと思いますね。だから人が書いた物語を読んでいても自分で書いていても、とりあえず「ザ・エンド」っていう落とし所があるとほっとします。それがハッピーエンドでも、アンハッピーエンドであっても。

最果 でもそれは現実にある理不尽さや問題とかに完全な答えが出るわけではない?

萩尾 うん、出るわけではない。逆に完全な答えが出ていたら、作品としてちょっと説明過剰になってしまう。私は母との間に色々なことがあったので、親子関係を描く作品のアイデアをずいぶんと作ったんですけど、どれもただの愚痴になってしまっていたんです。でも、なぜ親とうまくコミュニケーションを取れないのかという理由をずっと考えている中でした「もしかしたら私は人間じゃないのかもしれない。宇宙人かもしれないし、イグアナなのかもしれない」という連想から「これネタとして面白いんじゃない?」となって。「イグアナなら嫌われて当然だよね」って諦めることを理解したところ『イグアナの娘』の話がうまく出来上がりました。

最果 諦める……! それは「ザ・エンド」がつくと安心するのとつながっている気がします。

萩尾 そうですね。それまで母と分かり合えないたびに腹を立てていたんですが、『イグアナの娘』を描いて以来、腹が立たなくなりましたね。

最果 あと以前、先生は描きたいシーンがあって、そこを目指しながら作ると話されてましたけど、私はそうはできなくて。特に最近は人とうまく話せないイライラからくる「こういう会話が本当はしたいんや!」という会話文から書いているんですが、それがすごく楽しくて。

萩尾 あ、それはいいですね。

最果 以前はモノローグや一人の心のうちをとても熱心に書く人間だったんです。けど会話に転じた瞬間に二人になるから……相容れないわけじゃないですか、二人って。でも小説での会話だと現実と違って、その相容れなさをぶつけられるんですよね。相手に「訳わからんこと言うな!」と怒ったり、これまでモノローグで書いていたことに、その場でツッコミを入れてくれたりするというか。相容れない状態のままでも会話文が進んでいくと、相容れなさそのものが解決されないままで描かれて、そのままで決着がつく気がするんです。それがとても嬉しい。やっぱり相容れないことを恐れてしまうことが日常では多いから。あと結局、自分が好きな会話って、自分で書かないと読めないんだなって思ったりもしていて。

萩尾 じゃあ、どんどんタヒさんの好きな会話を書いて。読んでみたい!

最果 はい! そうしようと思っています。お話を読むと登場人物をまず好きになるから、自分で書くときもどんな人物で、どんな世界観で動かそうと考えてしまうんですけど、会話から書き始めるとそういうことや「物語ってなんだろう?」と考えなくて済むし、自分ではない登場人物でも何か自分とつながっているように感じられるんですよ。そうするとフィクションでも書けるし、「物語じゃないと描けないものって、やっぱりあるぞ!」と実感できて。ここまでたどり着くのに、すごい時間がかかってしまいましたが(笑)。先生の作品も読んでいると、会話が面白いなって感じます。

萩尾 ありがとうございます、私も会話文がすごく好きなんですよ。「この本、買おうかな、どうしようかな?」というときは会話のシーンだけ読んでみて、面白かったら買うようにしていて。あんまりハズレがなくて、いいですよ。

最果 これを読んだら、みんな緊張して会話文を書き始めそう(笑)。

漫画と詩における読みやすさ

最果 でも漫画の場合、絵があって、セリフやモノローグがあって……考える要素がとても多く、途方のなさを感じます。

萩尾 でも1ページに全部を入れるから、絵や文字の分量、枠線の位置を決めるだけでもすごくデザイン的で面白いですよ。一ノ関圭さんっていう、画家になったほうがいいんじゃないかってくらい絵がうまい漫画家の方がいるんですけど、彼女は「枠線はワクワクしながら引くからワク線っていうんです」って言うんです。これを聞いたとき「この方はコマ割りが本当に好きなんだな」って思いましたね(笑)。

最果 私、動いて見えるようなコマに対する興奮みたいなものがずっとあります。漫画って全てがリズムによって出来ているのに、たどろうと思ったらどこまでもたどっていける感覚がすごく面白いと思うんです。それこそ漫画にあるモノローグの言葉が好きだから、私は詩を書いているんじゃないかと思ったりもするんです。

萩尾 モノローグを書くときはね、コマの形からはみ出さないように縦は何文字、横は何行までって決めておかないといけないんですよ。

最果 えぇっ、外枠から書かれていたんですか?!

萩尾 そう、外枠(笑)。人間には目線が動く速度や呼吸のリズムというものがあるから、漫画はそれを途切れさせないようにしないといけなくて。でね、うまく誘導していくと自分で読んでいても気持ちが良くて、良いオーケストラの演奏を聞いているような恍惚状態に陥るんですよ。

最果 すごい! 詩や文章の場合、読んでいるときの文字って意外と目で追ってないんですよ。頭の中で文字を音にして、その音を聞いている感覚で読むから。仮に詩を四角い文字組にしても、読まれている間はその四角がずっと見られているわけではなくて。

萩尾 はっ、そうだったのか……!

最果 頭の中の音で聞かれているから改行は意識が切り替わる拍みたいな感覚で入れてます。

萩尾 なんかリズムみたいですね。

最果 やっぱり読む呼吸は、詩も大事です。

萩尾 私は詩を読むとき、文字からビジュアルが立ち上がってくるとすごく読みやすいですね。それこそタヒさんの「美しい人」(『夜景座生まれ』所収)の「桃の皮を剥く、桃は次第に記憶喪失、する、」みたいな。

最果 私もその一行目が好きなので、好きと言ってもらえて良かった!

萩尾 「母国語」もすごく面白かったし、あと「21歳」も。

最果 「21歳」は「yom yom」での連載の中で書いた詩なのですが、物語を求めて読む読者が多い雑誌だからか若干、小説に寄っていった感じのある詩というか。そういえば先生に絵を描いていただいた「別冊少年マガジン」での連載も、漫画誌での連載ということもあり、どんどん自分が書く言葉が変わる感覚がありました。

萩尾 「14才の化学進化説」と「12歳」(『空が分裂する』所収)は読んでいるとキャラクターが立ってくる、姿が見えるような詩でしたね。

最果 わっ、うれしいです。どの雑誌に連載したかってやはり影響があると思っています。「別冊少年マガジン」での連載は「“なんで漫画誌に詩が載ってんねん!”ってみんなが見てるやろな」って思う場で書くことがすごく良かったんです。『夜景座生まれ』のあとがきにも書いたのですが「誰にも読まれてない、求められてないぞ」っていう場のほうが、それまで書いたことがなかった詩を書ける気がして、すごく楽しいんです。ただ、そういうときに、失敗もしますけど(笑)。

萩尾 大丈夫、失敗は繰り返すものです! 私なんて失敗だらけですよ。「しまった、前後のエピソードを間違えた!」とか「もうちょっと大きなコマで描くべきだった」とか。失敗したことはあんまり考えないようにしているし、もしくは無かったことにしてみればいいんですよ。

最果 (笑)。でも先生がこれまで培われてきたものが今、全て『ポーの一族』の続編に注がれている気がします。『ポーの一族』が好きだった自分にとっては「こんな幸せな続編があるのか?!」みたいな感じですよ。

萩尾 いやぁ、私も続編を描けるとは思わなかった。だって絵も何もかも変わっちゃっているでしょ? やっぱり20代の線、30代の線っていうのが絵にはあるから「うぅ、60代の線で20代の頃に描いていたキャラクターを描くのか……」って感じで。絶対に何か言われるだろうけど「もう還暦過ぎてるから許して」って逃げようと思ってました(笑)。しかも途中で『ポーの一族』が宝塚歌劇団の舞台になって、そのとき花組のトップだった明日海りおさんがエドガーを演じられたんですよ。そうしたら、それから描くエドガーが明日海さんになっちゃって(笑)。

最果 私が宝塚にハマったのは『ポーの一族』公演の後だったんですが、その絵が寄っていってしまう宝塚のパワー、わかります! 現実に存在して、しかもめちゃくちゃキレイっていうパワー、ものすごいですよね。

萩尾 そう! 宝塚はハマっていないと分からない魅力がありますね。

最果 現実の舞台の上にいるっていう事実が本当に衝撃的だし……今は映像配信もあるけど、宝塚は舞台を実際に観に行ったほうがいい。

萩尾 そうですよね、映像だとどうしても小さく感じてしまうんですよ。

最果 そういえば先生が「浦沢直樹の漫勉」に出られたときの映像、途中から正座して見ていました。

萩尾 いやぁ、お恥ずかしい(笑)。

最果 ものを作る人間として、こんなに胸にくるものはないと感じましたし「自分も一生、作っていこう」って、見ていてすごく思えました。

萩尾 ぜひ一生、作っていってください。創作と宝塚は一生ものですから。

最果 そうです、宝塚と共に作り続けましょう(笑)。

(はぎお・もと 漫画家)
(さいはて・たひ 詩人)
 司会・構成 林みき(ライター)
波 2021年1月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

最果タヒ

サイハテ・タヒ

詩人。1986年生まれ。2004年よりインターネット上で詩作をはじめ、翌年より「現代詩手帖」の新人作品欄に投稿をはじめる。2006年、現代詩手帖賞受賞。2007年、第一詩集『グッドモーニング』を刊行。同作で中原中也賞を受賞。以後の詩集に『空が分裂する』、『死んでしまう系のぼくらに』(現代詩花椿賞)、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年、石井裕也監督により映画化)、『愛の縫い目はここ』、『天国と、とてつもない暇』、『恋人たちはせーので光る』、『夜景座生まれ』、『さっきまでは薔薇だったぼく』、『不死身のつもりの流れ星』がある。2017年に刊行した『千年後の百人一首』(清川あさみとの共著)では100首を詩の言葉で現代語訳した。2018年、案内エッセイ『百人一首という感情』刊行。小説作品に『星か獣になる季節』、『渦森今日子は宇宙に期待しない。』、『十代に共感する奴はみんな嘘つき』など、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』、『「好き」の因数分解』、『コンプレックス・プリズム』、『恋できみが死なない理由』など、絵本に『ここは』(及川賢治/絵)、翻訳作品に『わたしの全てのわたしたち』(サラ・クロッサン/著、金原瑞人との共訳)がある。

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