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国道16号線―「日本」を創った道―

柳瀬博一/著

1,595円(税込)

発売日:2020/11/17

  • 書籍

首都圏をぐるり、330キロのこの道は、日本史上常に重要な地域であり続けた!

旧石器時代から人が住み、武士集団が駆け、頼朝と家康を呼び寄せた。近代に入ると絹と軍艦で経済を支え、ユーミンはじめ新しい歌がここから生まれた――横須賀、横浜、町田、八王子、川越、柏、木更津、と該当エリアには1000万人が住み、全国一混雑する道でもある。「道」と「地形」で読み解く、なるほど! 痛快文明論。

目次
はじめに
第1章 なにしろ日本最強の郊外道路
リゾートホテルと米軍とショッピングモールが同居する
1100万人が住む最強の「郊外」
生糸が殖産興業を、軍港が富国強兵を
東京に出入りする全ての高速道路と国道をつなぐ
地価高騰がクレヨンしんちゃん一家を呼び寄せた
郊外百貨店の早すぎた栄枯盛衰
テレビドラマが描いた16号線の街
バブル崩壊がもたらしたモータリゼーション
ディスカウントとショッピングモールの時代
水族館、動物園、遊園地はこの道に
少子高齢化がもたらすゴーストタウンと16号線の末路
第2章 16号線は地形である
クレイジーケンバンドと横須賀のトンネルの秘密
半島、台地、丘陵、川、海、そして小流域
大学と城と貝塚と石器が同じ場所で見つかる
小網代の森で妄想する縄文時代の16号線ライフ
ナウマンゾウが闊歩する道に旧石器人が住み着いた
貝塚と大学の数が日本一多い
湿原と台地が古代の高級住宅街を生んだ
船と馬と飛行機の基地となる
プレートテクトニクスと氷期が地形の創造主
ミヤマクワガタとチバニアン
第3章 戦後日本音楽のゆりかご
矢沢永吉とユーミン、ルート16を歌う
軍とシルクと港が音楽を生む
第1世代 ジャズもカントリーも進駐軍クラブに育てられた
16号線から創業した芸能プロダクション
進駐軍撤退とベトナム戦争が起こした変化
第2世代 米軍ハウスが最強のスタジオになる
ユーミンが16号線と六本木を音楽で結んだ
公害が郊外の歌を生んだ
第4章 消された16号線――日本史の教科書と家康の「罠」
『翔んで埼玉』が描くダサイタマと江戸中心主義の幻想
「江戸は寒村」は家康のついた「ウソ」?
太田道灌が拓いた豊かな水の都
東京が「中心」となったのは江戸時代から
16号線の関東武士が頼朝の鎌倉幕府を支える
馬と水運と鎌倉街道
日本史の教科書に描かれない関東の歴史
第5章 カイコとモスラと皇后と16号線
皇后が引き継ぐ宮中養蚕ようさんの伝統
モスラが伝える日本の近代と蚕の関係
八王子と横浜を結ぶシルクロードと鑓水商人
富岡製糸場と水運と鉄道が拓いた明治日本
天皇家の蚕と渋沢栄一
『用心棒』のピストルは生糸と交換?
多摩の自由民権運動と16号線
モスラの繭と皇后の繭が似ている理由
第6章 未来の子供とポケモンが育つ道
定年ゴジラが踏み潰す老いたニュータウン
実は子供たちが増えている!
ポケモンを生んだ町田のカブトムシとインベーダー
コロナウイルスとバイオフィリアが16号線を再発見させる
あなたの街の16号線を見つけよう
あとがき
16号線をもっと知るためのリスト

書誌情報

読み仮名 コクドウジュウロクゴウセンニホンヲツクッタミチ
装幀 北澤平祐/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 yom yomから生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 232ページ
ISBN 978-4-10-353771-7
C-CODE 0025
ジャンル 歴史・地理
定価 1,595円

インタビュー/対談/エッセイ

「16号線エリア」の地形がすごい建築を生んできた!

隈研吾柳瀬博一

東京の都心から30~40キロをぐるり、横浜、町田、八王子、福生、川越、柏、木更津……と330キロ。縄文時代から居住に好まれ、歌になり小説になり。この「郊外」人気エリアの地形が、「隈研吾」の建築の一翼をも担っていた。その意味は?

柳瀬 設計された「Hisao & Hiroko Taki Plaza」が東京工業大学(目黒区大岡山)にいよいよ竣工ですね(対談・撮影は東工大で行われた。お二人の後ろに見えるのが、このTaki Plaza)。コロナ禍で遅れましたが、学生の国際交流の拠点となり、図書館とも接続するようですね。

 大岡山に「建築ではなく、丘をつくろう」というコンセプトで、傾斜をそのまま利用して階段状に高さのレベルを持たせました。学んでもいいし友達と話してもいい、連続的な斜面だから、好きな場所を勝手に選べます。

柳瀬 東工大は呑川(世田谷区、目黒区、大田区にまたがる東京都の二級河川)の「流域」なので、その「谷」部分のV字型の傾斜ですね。

 「流域」というのは、行政区分などの人為的な分類ではなく、水の流れる流域など自然のある種、生物的な地図に沿って、自然の境界を基準にした区分ですよね。人間にとって基本的なゾーニングだと思います。

柳瀬 この「丘」は、大岡山と反対側の緑が丘の間、まさに流域のど真ん中で、「シン・ゴジラ」では、都心に向かうゴジラが遡上してきます(笑)。隈さん設計の国立競技場のある千駄ヶ谷も、渋谷川の源流の流域の丘サイドですよね。

 まさにあそこも斜面です。

柳瀬 ご著書の『ひとの住処―1964-2020―』(新潮新書)には、隈さんの生まれ育った横浜市大倉山の環境に始まり、ご自身の経験を通して、産業構造や資本主義と建築の関係を書かれていますよね。
 あの本でも触れられていましたが、一見人工的に見えていた建築家、丹下健三が地形の延長として建築を考えていたのかと気付きました。

 代表作の代々木競技場第一体育館ですね。丹下さんは渋谷川から上っていく宇田川流域の丘の地形を最大限に味方にできるように造形しています。

柳瀬 文京区関口の、丹下さんの「東京カテドラル聖マリア大聖堂」の教会も、目白台の丘から急に上がったてっぺんにあり、堂の最頂部は40メートルという高さを加えて、荘厳さを出していますね。

 丹下さんは、実は地形を利用するのがすごく上手!

柳瀬 Taki Plazaも大岡山の丘が強調され、地形を利用した建築だなと思いました(写真は完成イメージ図)。

Taki Plaza完成イメージ

 いろんな人を受け入れるには、全体が一続きの斜面になっている方がいい。学生の間ぐらいこういうところで、自由に地形を感じながら勉強させるべきですよね。

柳瀬 神社やお寺と同じで、昔の大学は多くが、流域の高台のへりにありますよね。早稲田も慶應もそうです。

 東大もそうですね。古い大学はなぜか建築より地形重視で、立地のいいところに建てていますね。

「16号線エリア」という自分のルーツ

 地形の観点が重視されている『国道16号線―「日本」を創った道―』という本には、だからこそ自己発見がありました。何しろ自分のルーツが埋め込まれている。一つは、子供時代を過ごした大倉山(横浜市港北区)のことです。鶴見川(町田市に源流を持ち、横浜市鶴見区の河口で東京湾へ)で魚釣りをし、歩いてすぐの大倉山に登り、と「流域」の自然の富を狩猟採集していた子供時代の場所の意味がわかりました。
 それと同時に、米軍基地(ベース)が自分に与えた意外な影響に気づきました。ベースは福生のような台地の崖線や、横須賀のリアス式の海岸沿いなど、軍事的に適した地形を選んでいる。砦として突き詰めていくと、地形を利用して人間がいかに身を守るかに行き着きます。

柳瀬 そもそも築城の名手と言われた太田道灌が作った城をプロットすると、16号線沿いに非常に多いんです。

 さすがですね。中学から通った「栄光学園」(神奈川県鎌倉市のイエズス会系カトリック校。1964年の移転までは横須賀市田浦にあった。現在その地は海上自衛隊自衛艦隊司令部に)も、まさに地形を利用した旧日本軍の土地でした。米軍の払い下げの服を染め直して制服にしていたなんていう話もあって、パイロットの制服みたいなんです。

柳瀬 米軍とも関係がある土地ですね。

 その栄光学園のバスケット部に所属していたので、横須賀の基地内の高校と試合をするのにベースには何度も行って。

柳瀬 アメリカ人高校生と試合ですか?

 そう、だからベースとは関係が深い。仲の良い友人が何人も音楽に進み、プロになった奴もいる。僕の青春時代は、米軍基地を通じて、バスケや音楽に触れ、アメリカと直接つながっていた。その土台が16号線にあることがこの本でわかったので、地形から文化へとリレーしてぼくの全てを解いてくれたという爽快感があります。

柳瀬 ありがとうございます。隈さんは16号線の当事者なんですね。

 日本の音楽シーンもこの本では読み解かれていますが、それまでの日本の音楽にない「風の流れ」みたいなものを感じて、ユーミンの歌詞や存在に、同世代ということもあり、ぼくは共感したんです。それは、いまから見れば「16号線エリア」に残っていた自然への郷愁にも聞こえます。土地を補助線にすることで、ストンと腑に落ちました。

「隈研吾は傾斜好き」なのか?

柳瀬 『ひとの住処』で、隈さんは16号線的な小流域に生まれ育ち、10歳の頃に、代々木競技場を見て流域の地形をとらえた丹下健三さんの視点を、看破されたとあります。その視点はいまもご自身の建築に活かされていますよね。
 たとえば、渋谷区南青山のパイナップルケーキの店、サニーヒルズ(波2020年4月号タモリさんとの訪問記事掲載)も、渋谷川の小流域の坂の上で、隈さんの建築は傾斜している土地が多いような気がします。

 傾斜好きなんですかね(笑)。技術的な話をすると、あの店の建物は3階建てなのですが、半分を傾斜部に埋め込んで、3階建ては耐火建築物の性能が求められるので2階建てと定義できるように設計しています。木が使えるんです。つまり、斜面というトリックを利用しました。

柳瀬 平地だと建物に木を使えない。そういう斜面の高さを人間が錯覚しての不可思議なズレ感覚には、ワクワクします。

 ぼくのワクワクポイントは、斜面地に多いんです。横浜の外人墓地の界隈もそう。
 昔から建築が接地する斜面には、注目していました。「建築を消す」という言い方をしているんですが、実は斜面をうまく利用すると建築が消せる。ぼくが育った大倉山の山裾の農家の脇に防空壕があって、そこを抜けると別の山の景色に出られます。そんな、子供時代に出会った不思議な地形の経験からの知恵ですね。その防空壕は人間が戦時中に掘ったもので、そのそばには、大倉精神文化研究所が建っている。荒俣宏さん原作の映画「帝都物語」でロケにも使われたくらいに不気味な名建築で、子供にはなにが起こるのかといつもドキドキする、不思議な場所でした。自然の中の計算された異物がもたらすワクワクです。

柳瀬 お化け屋敷ですね。

 いまは、横浜市が買い取ってホールとして使われています。

世界共通の住みたくなる地形

柳瀬 人間は集合して生きる生物だから、都市が好きなんだけれども、そういうワクワクも好きですよね。
 エドワード・オズボーン・ウィルソン(アメリカの昆虫学者で、社会生物学や生物多様性の研究者)が「バイオフィリア」と称して、生物への本能的な愛着を説いています。アフリカで大地溝帯(アフリカ大陸を南北に縦断する大きな谷)という、最初に人類が歩いた場所に行ったときにそれを実感したんです。太古の先祖が住んでいた大地のへりで、川沿いの見晴らしのいいところ……世界中の建築家や王族がその土地を選び、家を建てたことがよく理解できました。意匠は違っても求める土地の構造は変わらないと、ウィルソンも『バイオフィリア 人間と生物の絆』(狩野秀之訳、ちくま学芸文庫)で書いています。
 隈さんもサハラの旅をされて、集落調査をされた際の「発見」を『ひとの住処』に書かれていますね。

 1970年代、大学院生だった若いころに、バルセロナ、マルセイユを経由してアルジェからアフリカ大陸に入り、サハラ砂漠を南下しました。アルジェからアトラス山脈を越えると突然、ムザブの谷という深い峡谷が現れる。その谷底に七つの集落があり、それぞれが、集落なのに一つの山のようにも見える。斜面に家が立ち並んで人工物なのに山に見えちゃうんです。トップにモスクがあって、それぞれがひとつの巨大建築のようでもある。
 その七つのうちの「ガルダイヤ」、この街は最も美しく、コルビュジエが「ガルダイヤからすべてを学んだ」と言ったとか。そこでの経験は強烈で、その後の僕の建築は、サハラで得た夢のような新しい建築のイメージをどう日本で具現化するかという試行錯誤の連続ともいえる。

柳瀬 そこに丹下健三的な地形を利用する視点も加わっていった。丹下建築というのは、グローバルに、人間が建築に求める希求の産物でもあったんですね。

 1960年代にあれだけ丹下建築が世界に広がったのも、モダニズムの限界に気づく中で、狩猟採集的な流域での感覚を、丹下さんが巧みに取り入れたからではないかとも思います。

ひとの住処となるエリア規模

柳瀬 考えてみるとヨーロッパの街は20~30万の人口の都市が多いですよね。100万以上の街は首都クラスでいくつかあるだけ。
 日本でも、絹の輸出拠点となって今でこそ横浜は巨大になりましたが、16号線沿いの街は八王子は60万、町田は40万、川越は35万、柏は40万。実は東京23区を核とする首都圏は地方都市の集合体です。

 ヨーロッパで魅力的な都市はほとんど歩いて体験できます。歩いていけることが人間の身体が把握できるサイズだと考えると、20万、30万といった規模に町は自動的に収斂していくと思います。

柳瀬 コロナ禍で、リモートが基本で時々東京へ、に変わりつつある勤務環境でいうと、昔は机上の空論だった都市の分散化ができていくのかもしれません。

 都市を構成する概念を見直して、もう一回町を再編することが大事になってくる。たとえば、「道路」とは、基本的には歩く空間だけれど、同時に活動する空間ともなり、道路で働く人も増える。仕事をする人間、食べる人間、飲む人間、と、いろいろな人の場として道路が再編されていくと、日本の新しい町ができあがるのではないでしょうか。
 東京だって、単位を細かく分散させて、16号線エリアの地形の豊かさをもっとうまく、地形を強調するようなかたちで町を再編成すれば、きらきら輝く新たな都市圏構想ができる。自分の町を歩き倒すところから始めるしかない。

柳瀬 たとえば、町田はごちゃごちゃしているけど、あの歩けるサイズは重要ですよね。

 そうそう。「16号線」というと、普通はバイパスとか道路機能とかにばかり目が行きますが、実はそのバイパスでつながっている個々の集落は歩けるサイズのもので、不思議なものばかりです。だからこの本は、地形と街づくり、その延長にある建築というものを見直すきっかけを与えてくれる本だと僕は読みました。

柳瀬 それこそロビン・ダンバー(イギリスの生物学者、人類学者)がいう、霊長類の脳の大きさからして、人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度だ、という理論からいうと、「21世紀の150人の村」を構成するときの最小単位を、もしかしたら隈さんが、建築家として家という形になるのか、ある種のユニットとしてか、つくってくださるのではないかと希望もこめて思っています。

 150人ぐらいの村としては、集合住宅を作ることに、可能性を感じますね。日本の古い集落の現代版再構築になると思います。
 実は今、東京、神楽坂でシェアハウスを自分で経営しているんです。広げすぎずに、矢来町という街中に幾つかシェアハウスをつくり、そのエリアをつなげていく。個人でもできるミクロな範囲での街づくりに挑戦してみようと思って。
 過去と比べると、丹下さんの時代、1960年代の都市計画は、「人間が歩く」なんていうことはまったく考えないで設計されていました。その丹下的な俯瞰的街づくりの逆をやりたいんです。150人なんて単位は、車や高速鉄道の移動距離や運搬能力からいうとまったく無視するべき数なわけです。しかし「歩く」をキーワードにすると途端に、「150人」を単位にして新しい街のアーバンデザインができる気がします。

人間を支える地形としての土地

柳瀬 近代になってから日本は、イギリスのレッチワースの田園都市構想などを小林一三、渋沢栄一が鉄道開発に翻訳し、鉄道の構造で街をつくるモデルにしましたよね。ターミナルがあって、沿線があって、沿線住宅をつくるという。

 そうですね。

柳瀬 鉄道が最大の移動手段だったときは、放射線状の鉄道網が重要で、近代的な都市が完成する一方、殺人的ラッシュや人口過密化を引き起こしました。それがコロナ禍の初期には平日朝7~8時台の山手線がすかすかになった。これを機にリモートワークがある程度定着すると、街づくりを鉄道中心から一回捉え直さないといけないと思います。

 地価を上げるための開発の場合、基本的には土地売買を前提で、土地を商品化する構造と一体になっていますね。土地を完全に抽象化した商品にせずに、人間という生物を支える地形だと考えると、まったく違う絵が描けそうな気がします。

柳瀬 『都市で進化する生物たち “ダーウィン”が街にやってくる』(岸由二・小宮繁訳、草思社)という本で、オランダの生物学者、メノ・スヒルトハウゼンは、自然と都市を分けることがそもそもナンセンスで、都市は人間のつくった自然だと言うんです。アリの巣は人工ならぬ「アリ工」で、アリの都市です。アリが巨大な都市空間をつくることによって、そこにフィットしたさまざまな昆虫や細菌が、無限に暮らせるようになっている。

 都市をひとつのアリの巣と考えれば、そこにヒントがありそうです。ビルがあるから街、森が残っているから里山、手つかずだから自然、ではないかたち、都市か自然かの二項対立ではないやり方で、ゾーニングや街の再編成をするしかない。新しいアリ塚を作ればいい。

柳瀬 そのチャンスは、自然が豊かでありながら1100万人もが暮らす、世界最大の人口圏の一つである「16号線エリア」にありますね。

 あります!

(やなせ・ひろいち 東京工業大学教授)
(くま・けんご 建築家)
波 2021年1月号より
単行本刊行時掲載

イベント/書店情報

著者プロフィール

柳瀬博一

ヤナセ・ヒロイチ

1964(昭和39)年、静岡県生れ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。「日経ビジネス」記者、単行本の編集、「日経ビジネスオンライン」のプロデューサーを務める。2018(平成30)年に退社し、現職に。2023(令和5)年、『国道16号線 「日本」を創った道』で手島精一記念研究賞を受賞。著書に、『親父の納棺』『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人氏との共著)『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二氏との共著)『混ぜる教育』(崎谷実穂氏との共著)がある。

判型違い(文庫)

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