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結城真一郎『#真相をお話しします』

一篇全文公開
受賞
第74回 日本推理作家協会賞 短編部門

#拡散希望

0:00

 どんよりと曇った夜空を見上げ、僕は唇を噛んだ。
 言われてみればすべてがおかしかったじゃないか。家族も、友人も、島での暮らしそのものも。それなのに僕は気付かなかった。気付きようがなかった。僕が知っている“世界”はこの島だけだったから。
 海鳴りが聞こえる。ゴロゴロと水平線の果てが震えるかのように。
 ――違う。
 震えているのは僕の両拳だ。
 どこにぶつければいい? この怒り、憎しみ、衝動を。わからない。見当もつかない。どうしたらいいのか。どうすべきなのか。だけど不思議と迷いはなかった。もう後戻りはできないし、する気もない。これはある種の“宣戦布告”なのだから。
 海鳴りが止んだ。
 それを合図に撮影を開始する。
「やあどうも、ごきげんよう。皆さんご存知、渡辺わたなべ珠穆朗瑪ちょもらんまです。いまから僕は、ある殺人事件の“真実”を白日の下に晒そうと思っています。でも、その前に――」
 例の事件に触れないわけにはいかないだろう。
 いまから三年前、小学三年生の夏休み。
 すべてはあの日から始まったのだ。

1:07

 その日、夕食を終えた僕はソファに埋まりながら流行りのアニメを観ていた。
「そろそろ三十分経つんじゃない?」
「あと三分あるよ」
 背後を盗み見ると、エプロン姿の母親と目が合う。しょうがないわね、と呆れつつもおおらかな視線。ルールでは「テレビは一日三十分」のはずだったが、なんだかんだ数分の延長は黙認してもらえる。
「いつもそう言って十分くらい観てるでしょ」
「今日は本当に三分だから」
「どうかしら、見物ね」
 僕の両親は、たぶん世間一般よりもかなり教育熱心だった。テレビの他にも、ゲームは一切禁止、スマホや携帯の所持など言語道断。でも、それを窮屈だと思ったことはない。そもそも暮らしの中で困る場面はなかったし、鷹揚な両親から押しつけを感じたこともなかったから。
 ――パパもママも、忙しない生活にちょっぴり疲れちゃってね。
 ――だから「子育ては絶対に田舎で」って決めてたの。
 そんな両親がここ匁島もんめじまに移住を決めたのは、僕が生まれてすぐのことだったという。
 ――まさにうってつけの環境だったのよ。
 ウェブ系のデザイナーだかクリエイターだか、詳しくは知らなかったけれど、とにかくそんな類いの仕事をしていたので、パソコン一つあれば暮らす場所はどこでもよかったらしい。稼ぎは割とあったようだが特に贅沢するでもなく、むしろ重きを置くのは金で買えない“経験”――つくづくおかしな両親だ。まあ、世界一の子に育って欲しいという理由で「チョモランマ」と名付ける時点でお察しではあるが。
《続いてニュースです。今日午後七時過ぎ、長崎駅前の路上で二十代の男性が腹部を刺され死亡した事件で、警察は現場近くに住む無職の男を現行犯逮捕しました。調べに対し、男は『誰かがやらなきゃならなかった』などと供述し――》
「えっ」と思わず声を上げてしまう。
 映し出された被害者の顔写真には、間違いなく見覚えがあった。
「この人、今日会ったよ」
 なんですって、と眉を顰める母親の視線が画面へと向く。
《調べによると田所たどころ容疑者は、被害者が動画共有サービスYouTubeでライブ配信した動画の内容に腹を立てたとのことで、犯行当時強い殺意を――》
 そこで映像は途切れた。
「ねえ、まだ観てるのに!」
「あと三分って約束でしょ」
「知ってる人が殺されたんだよ?」
「たまたま似てただけじゃないの?」
 そんなバカな。あの特徴的な風体――見間違えるはずがない。そう思ったけれど、それ以上文句は言わないでおく。リモコンを構える母親の表情に、そこはかとない怯えを垣間見た気がしたからだ。
「でも、どうして殺されちゃったんだろう」
「余計なこと考える暇があったら宿題でもしなさい。『報告の時間』を始めるわよ」
 報告の時間――それは、母親へ向けた“一日の振り返り”だった。
 ――あなたがどんな素敵な一日を過ごしたかを訊くのが、毎日一番の楽しみなの。
 毎晩、決まってリビングで行われる我が家の奇妙な“習わし”――初めのうちこそ「めんどくせー」と思っていたが、さすがにもう慣れてしまった。
 エプロンを外した母親が隣に座り、「さあ」と目顔で促してくる。
「えーっと、まず――」
 僕は天井を見上げると、一日の顛末を思い出し始めた。

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「ねえ、一緒にYouTuberにならない?」
 立花たちばな凜子りんこがそんなことを言い出したのは、昼下がりのことだった。小麦色の肌に長い手足、ぎょろりと大きな瞳。僕らの中で彼女だけが純粋な島生まれ島育ちだったので、言われた瞬間、初めて聞く島言葉の類いだと思ってしまった。
「え、何? ちゅーば?」
 大きな身体を揺すりながら間抜けな声を漏らすのは桑島くわじま砂鉄さてつ――僕の言えたことではないが変な名前だ。白のタンクトップに青の短パン、ゴムの伸びきった麦わら帽子。今でこそ島の景色に馴染む彼だが、僕やルーと同じく東京生まれの“余所者よそもの”――つまり、僕らが移住してこなければ凜子は島で唯一の小学生になるところだったわけだ。その甲斐あってか、島の人たちはずいぶんと僕ら四人を可愛がってくれた。柴田のおっちゃんは道で会うと採れたての野菜を山ほどお裾分けしてくれるし、駄菓子屋の“鶴ばあ”から「ママに内緒だかんな」とアイスやガムをもらったのは一度や二度ではない。友達が増えて嬉しいね、凜ちゃん。子供は多いのがええ、島の宝さ。それが島の人たちの口癖だ。
「これ、見て」
 差し出されたのはiPhone7だった。メタリックに輝く黒のボディ、色鮮やかなアイコンが並ぶ画面。何世代か前の機種ではあるが、スマホも携帯も持っていなかった当時の僕らにとって、それは日常に紛れ込んできた突然の“未来”だった。
「すっげえ!」うやうやしく受け取った砂鉄が溜息を漏らす。「かっちょいいなあ」
「実は先月買ってもらってたんだけどさ、パパもママも『壊すといけないから』って、なかなか持ち出すのを許してくれなくて」
 僕らは島南端の断崖絶壁に並んで腰をおろしていた。閉鎖された灯台のすぐ近く、駐車場に向かって右手奥の茂みの一角。そこを抜けると辿りつける秘密の場所。高さ三十メートルはあろうかという崖の上からは東シナ海が一望できた。
「ほら、チョモも見てみろよ」
 砂鉄の手から“未来”が回ってくる。持ってみると意外にずっしりくるが、特に重いわけではない。聞くところによれば、電話が出来たり、写真を撮れたり、映画だって観ることができるらしい。こんな薄っぺらくて小さいのに? ありえない! 僕は必死にこの“未来”と自分の接点を見つけようと試みたが、馴染みがあるのは画面に表示されているデジタル時計だけだった。
「時間は自分で合わせるの?」
「は、そんなわけないじゃん」ぷっと凜子が噴き出す。
「自分でも変えられるけど、電波で勝手に合うんだよ」
 そりゃそうか。いまどき手動でしか合わせられない時計なんて、僕の部屋の旧式目覚まし時計くらいだろう。あまりに時代遅れな質問を恥じつつ、僕の手元を覗き込む砂鉄が「電卓っぽいマークもあるね」と指摘するのを耳にして安心する。よかった、こいつのレベルも自分とそう大差なさそうだ。
 あのさあ、と凜子が苦笑する。最先端の機器を前にして時計や電卓の話ばかりなのに耐え切れなかったのだろう。彼女はその恐るべき機能を誇らしげに教えてくれた。ほら、カメラだよ。すげえ! Siriっていうのがあってね。尻? それから――
 中でも男子二人の心を掴んで離さなかったのは「指紋認証」だった。事前登録しておけば、表面にある丸いボタンに指を触れるだけで端末を起動できるという。
「僕の指紋も登録してよ」
「え、なんで?」
「やってみたい」
 難色を示した彼女だったが、懇願に懇願を重ねた結果、しぶしぶ承諾してくれた。
 すごいな、スパイみたい。でしょ? もう一回やらせて。別にいいけど。そんなやり取りを繰り返しているうちに、ふと左が気になった。いつもお喋りなルーがまったく会話に入ってこないからだ。iPhone7を砂鉄に押し付け、「ねえ」と声をかけてみる。
「なに?」
 水平線の先を睨む彼女は、こちらも見ずにぶっきらぼうな返事を寄越しただけだった。高い鼻にシャープな顎、陶器のような白い肌。つんと澄ました横顔は不機嫌そのもの。おそらく主役の座を凜子に奪われたのが気に食わないのだ。
 ルーの愛称で親しまれる彼女は安西あんざい口紅――こう書いて「ルージュ」と読む。聞くところによると家は相当なお金持ちとのことだが、彼女もそれを鼻にかけていたので本当だろう。事実、城と見紛う自宅のガレージには、いつだってスポーツカーが並んでいた。それも一台や二台じゃない。島で乗る機会があるかは甚だ疑問だが、わざわざ本土から輸送したのだとか。それなのに、ルー本人は僕や砂鉄と同じくスマホや携帯の類いを持っていないのが面白い。甘やかされていそうで、意外と教育方針は我が家と似ているのだろうか。
 そんな貴族なのか庶民なのかわからない彼女だが、その立ち振る舞いにはいつもどこか気取ったところがあった。演じているというか、外からの目を意識しているというか。上手く言えないけどそんな感じ。
 中でも目に余るのは、頻繁に行われる“撮影会”だ。
 本人曰く「島での私を一秒でも長く記録しておきたいんだって」とのことだったが、その言葉通り、彼女は常に両親からGoProを持たされていた。「あれだよ、金持ちのドーラクってやつ」と毎回したり顔で呟く砂鉄――彼自身の語彙とは思えないので親が言っているのだろう。ただ、その「ドーラク」とやらに付き合わされるこちらとしては堪ったもんじゃない。何をするかって? 彼女の望むように撮ってやるのだ。特に、ここぞという場面ではことさら「かわいく撮って」と甘えてきた。それこそ、今日の午前中もそうだ。外海に繰り出すべく僕らがイカダ造りに勤しむ間、彼女は日陰からその様子を撮っていただけなのに、完成と見るや「それと私のツーショットをお願い」とはしゃぎ出したのだから。
「あんまり変な動画ばっかり観てるとバカになるんだよ」
 午前中のはしゃぎようが嘘のように、ルーが嫌悪感丸出しで吐き捨てる。
「えー、面白いのに」
 凜子は何やら画面に触れると、横向きにして僕らの方へ向けた。
 流れ始めたのは、同い年くらいの少年が最新のおもちゃを開封する動画だった。
 みんな見て、すごくない? わー、どうやって操縦するんだろ。これが説明書かな? というわけで、公園にやってきました――
「面白い動画で視聴者を楽しませる人たち。それがYouTuberなの」
 箱の中から現れるラジコン(ドローンって言うらしい)、ポップで愉快なBGMとアニメチックな映像エフェクト、そしてドローンからの空撮によるエンディングシーン。あっという間に魅せられてしまった。
「なにこれ、すごい」
 その後も凜子は嬉々として教えてくれた。ソロだけじゃなく、グループの場合もあること。先程の少年は「ぼくちゃんTV」と言って、三十万人程のファンがいる中堅どころだということ。動画のジャンルも色々で、絶妙な掛け合いによるゲームの実況プレイが魅力の「脱力ブラザーズ」や、法令違反ギリギリの迷惑行為を繰り返す「無礼野郎ブレーメン」が彼女のお気に入りだということ。そんな数多あまたのYouTuberのトップに君臨する結成十年目の六人組「ふるはうす☆デイズ」にもなると、二千万人もの視聴者がチャンネル登録しており、広告収入だけで年間数億円になること。
 説明を終えた凜子は、企みに満ちた笑顔を寄越した。
「島育ちの男女四人組なんて、ウケそうじゃない?」

 僕らの住む匁島は、長崎市の西の沖合八十キロに位置する小さな島だった。一周巡っても十キロ程度。やや起伏はあるものの、自転車で一時間あれば回れてしまう広さだ。南北に細長い卵形をしており、北端に港が一つ。そこを中心に形成された集落には、島民が百五十人ほど。そのほとんどが漁業か山間地での農業で生計を立てていた。島に一つだけの小学校は全校生徒四人。無論、僕らだ。島には“後輩”もおらず、卒業したら廃校となってしまうだろう。テレビもねぇ、ラジオもねぇ、ということはないけれど、車はほぼ走ってないし、暇そうな巡査は巡回を名目に島民と雑談するだけ。なるほど凜子の言う通り、都会の人たちにとっては島の生活そのものが一大コンテンツだろう。

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「――で、その『ふるはうす☆デイズ』の動画は、やっぱめっちゃ面白いの?」
 頬を撫でる汐風、時折キィと軋む自転車。トコトコ走るトラクターを抜き去り、遠くの飛行機雲を追いかける。午後四時過ぎ、帰路につく僕ら。額の汗を拭いながら、僕は先頭を行く凜子の背に問いかける。島の南端から集落のある北端まで飛ばすと三十分、ゆっくりこいでも四十分強なので、門限の五時には余裕で間に合うだろう。
「それがさ、年齢制限のせいで観られないんだよね」
「エッチなやつだからかな?」すかさず口を挟むのは砂鉄だ。
「知らないよ」
「エッチで思い出したけど」砂鉄がこちらを向く。「結局、あの部屋はなんだったの?」
 どんなきっかけで思い出してくれてんだと、僕は苦笑する。
 彼が言っているのは「報告の時間」と並ぶ、我が家の奇妙な“掟”のことだった。
 ――危ないから、この部屋には入っちゃダメよ。
 二階の廊下の奥、向かって右手側にある閉ざされた扉。物心ついたときからそこは立ち入ってはならない場所だったが、先日、夜中に目を醒ました僕はついに好奇心を抑えきれなくなってしまった。抜き足で忍び寄り、息を殺して取手を捻る。開く気配はない。耳を澄ますと両親の気配――もぞもぞと動き、何かを囁き合っている。そうこうしているうちに扉が開き、寝間着姿の母親が顔を覗かせたのだ。
 ――何してるの! さっさと寝なさい!
 顔を真っ赤に上気させ、見たこともない剣幕だった。瞬時に部屋の中へ視線を走らせてみたものの、暗くてよく見えなかった。
 翌日この話をすると、意味ありげに顔を見合わせる女子二人――だがそれも束の間、すぐに凜子が訊いてきた。
 ――最近、パパかママに弟か妹が欲しいって言った?
 意味が分からず首を傾げていると、すぐに砂鉄が解説してくれた。
 ――なあ、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるってのは嘘らしいぜ。
「そんなことより、次は成功させたいね」
 居心地の悪さとむず痒さを振り払うべく、僕は話題を変えた。
「そうだね」背後から同意してくれたのはルーだ。「次こそは、ね」
 失敗に終わったイカダ造りの件だった。重さに耐えかねたのか、波に打ち負けたのか、僕らの夢を載せたイカダは出航後十秒も経たないうちに崩壊してしまったのだ。
「次こそはってルーは見てただけだろ」とすかさず文句を垂れる砂鉄。
「女の子に力仕事なんかさせないでよ」
「でた、それ逆差別って言うらしいぜ」
 いつも通りのやりとりを繰り返しながら、まもなく集落に入ろうかというときだった。
「ねえ、君たち! ちょっと、ちょっと!」
 反対側からやって来た男が、興奮気味に声をかけてきた。痩せ型で、モヒカンの髪をピンクに染めている。一目見て島外の人間だとわかった。
「やった、ついに見つけた!」
 まともじゃない。直感的にそう思ったが、男の異様な熱量に圧倒され、知らず知らずのうちにブレーキをかけてしまう。
「ねえ、よかったら一緒に映らない?」
 記念にさ、と男は手にしたスマホをインカメラモードにし、顔の前に掲げた。
 僕は、さしあたり隣の砂鉄と顔を見合わせる。
「まあ、いいよな」
 一瞬戸惑いはあったようだが、そう言うと砂鉄は男の脇に並び、ピースサインをカメラに向ける。なんだか知らないけど、まあいいか。危険があるわけでもなさそうだし。思い直して、僕も画面に映り込もうとした時だった。
「みんな、ダメ!」突如としてルーが叫ぶ。「逃げよう!」
 言うなり彼女は自転車を急発進させた。「待って」とすぐさま凜子が後を追う。
 あっけにとられて再び砂鉄と顔を見合わせるが、ただならぬ気配を感じ取ったのはお互い様だったようで、「そんじゃ」と言い残しそそくさと立ち去ることにする。
「おい、コラ。待てって」
 男の気配をいつまでも背後に感じながら、僕は必死でペダルをこぎ続けた――

「――で、ニュース番組にその人が映ったんだ。絶対、別人なんかじゃないよ。あのピンク髪とモヒカンを見間違えるわけないもん」
 そう「報告の時間」を締め括る。エッチの件は意図的に省いたが、問題ないだろう。
 聞き終えても、何故か眉間に皺を寄せ黙りこんだままの母親――悩んでいる、という風ではない。むしろ言うべきことは決まっていて、それをどう言葉にするか吟味しているだけといった感じ。どうしたんだろう。不安だけが募る。
 やがて沈黙を破った母親の口から飛び出したのは、思いも寄らない一言だった。
「凜子ちゃんと仲良くするのは、考え直した方が良いと思うな」
「え、なんで」
「ママもルーちゃんと同じ意見だから。せっかくこの島に来たのに、くだらない動画なんて見せられたら台無しなのよね。凜子ちゃんのママにも言っておこうかしら」
 何かがおかしいと思った。今までただの一度もこんなふうに言われたことはない。どんなときも友達は大切にしなさいね、島での仲間は一生モノだから。それが母親の口癖だったはず。それなのに、たかがYouTubeを流しただけでこの変わり様――
 だが、もっとおかしなことはその先に待ち受けていた。
 この日を境に島の人たちが揃いも揃って僕らによそよそしくなったのだ。いつも野菜をくれた柴田のおっちゃんも、駄菓子屋の“鶴ばあ”も。蔑みの目で見られるわけでも、罵声を浴びせられるわけでもない。だけど明らかに変わってしまった。それだけは幼心にも察知できた。普段通りを装いつつ、腹の底では「この子たちに関わっちゃいけない」と思っているのが見え見えだったから。ただ、何より信じられなかったのはその中に凜子も含まれていたこと――他の島民たちと同じく、彼女もまた僕らから離れていってしまったのだ。
 すべて、この日からだった。
 何かの歯車が狂い、僕らの日常が変調をきたし始めたのは。

6:46

「とにかく、その日から変わっちゃったんだ。不思議でしょ?」
 僕はカメラに向かって語り続ける。
 あの日、長崎駅前で殺された男は「キンダンショウジョウ」という名前で炎上系のネタ動画を投稿するそれなりに名の知れたYouTuberだった。事件は午後七時過ぎ――匁島から長崎港への最終便は午後五時なので、僕らと遭遇した後すぐ市内へとんぼ返りし、そこで刺殺されたことになる。
「それにしても、YouTuberってのは困った人種だよね」
 殺人事件にまで発展するのは稀有な例だが、器物損壊や名誉毀損で訴えられた者は数知れず。法に触れないまでも「不適切な言動」による炎上は日常茶飯事だし、ガチのドッキリを銘打ちながらヤラセが発覚、そのまま人気失墜なんてこともよくある。
 それでも、僕は彼らのことが大好きだった。
 ――ねえ、一緒にYouTuberにならない?
 あの日、彼女が見せてくれた動画の数々――自分なら思いつきもしないし、思いついたとしてもとても実行になんか移せない、そんな無茶をしてくれる彼らがかっこよくて堪らなかった。母親が聞いたら発狂しそうだが、なれるものならYouTuberになってみたかった。自分も彼らのように、画面の向こうの視聴者を笑顔にさせてみたかったから。
「だけど、その夢を叶える前にあいつは――」

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8:18

 小学六年生の三月。卒業を控え、砂鉄とルーは携帯を持つようになった。とはいえ機能は最低限――電話とメールができるだけで、ネットは見られない仕様のやつだ。あくまで隣の佃島つくだじまへ船通学が始まる中学生活を見越した備えなので、それだけあれば事足りるという判断だろう。凜子も同じスマホ――iPhone7を使い続けており、いよいよ何も持っていないのは僕だけになってしまったが、文句を言っても無駄だ。みんなが持ってるとか関係ないでしょ。うちはうち、よそはよそ。そう返ってくるのは目に見えている。
 凜子とは相変わらずぎくしゃくしたままだった。険悪な仲になったわけじゃない。互いに無視することもない。学校にいる間も放課後も、基本的には以前と変わらず行動を共にしていた。だけど、ふとしたときに感じてしまうのだ。距離を、垣根を。何故かあれ以来、僕らの前ではiPhoneを弄らなくなったし、自分から発言することも減った。時折思いつめたように口をつぐみ、訴えかけるように大きな瞳で見つめてくるばかり。
 ――俺らが“余所者”だからだよ。
 砂鉄がぼやくのを耳にする度、彼のランドセルに揺れるストラップへと目を向けてしまう。去年だったか、凜子がくれたのだ。僕が緑、砂鉄が青、ルーが赤で、凜子は黄。色は異なっているものの、形はお揃いの星形だった。
 僕は知っていた。凜子が今もスマホカバーに“黄色の星”をぶら下げていることを。それだけが拠り所だった。僕らは決してバラバラになったわけじゃないと信じるための。
 でも、残念ながらそれはとんだ間違いだったんだ。

「――お邪魔しまーす」
 今から十日前、ルーが僕の家にやって来た。
 陽も暮れかけた夕方のことだった。
「何だよ、こんな時間に」
「まあまあ、いいじゃん」
 両親は急遽ルーの家にお呼ばれしたとかで留守だったため、このままだと一つ屋根の下に二人きり。幼馴染とはいえ、短いスカートから健康的な太腿を覗かせ、身体のラインも女性らしくなってきた少女を前に意識するなというのも無理な話だろう。自室に案内するが、目のやり場に困って「適当にかけろよ」と勉強机に向かう。
「ねえ、お茶くらい出したら?」
「あ、そうか」
 気を回せなかったことを反省しつつ、引っかかることが二つあった。一つは、彼女が一瞬だけ僕の手首を凝視していたこと。もう一つは、訪問の目的――小学校低学年の頃は頻繁に互いの家を行き来していたけれど、最近はそうでもない。何か裏がある気がした。
 麦茶のグラスを両手に部屋へ戻ると、彼女は大胆にもベッドに俯せの体勢で寝そべっていた。腰まである長い黒髪、無防備に投げ出された両脚。ただ、それ以上に僕の目を引いたのは彼女の手に握られていたスマホの端末だった。
「じゃーん、見て。ママのをこっそり持ち出してきたの」
 銀色に光るiPhone8――思わず「おお」と唸ってしまう。
「色々試してみようよ」
 そう言われて、並んでベッドに腰かける。微かな甘い香りと、息遣い。それらを振り払い、彼女の手元に集中する。見るとホームボタンに親指をあてがい、ちょうど指紋認証によりロックを解除したところだった。
「すごーい、初めて触ったけど、こんな簡単なんだ」
 彼女は慣れた手つきで画面に触れては、きゃっきゃっと無邪気に笑う。
「持ち出したのバレたら怒られるんじゃないの」
「大丈夫、大丈夫。え、見て。なにこれウケる」
 写真加工アプリだった。なんでもそれを使って写真を撮ると、宇宙人のように目が大きくなったり、猫耳が生えたりするらしい。
「やってみよっか」
 それからひとしきり二人で写真を撮った。それ自体は純粋に楽しかった。でも、得体のしれない薄気味悪さがあったのも事実だ。真意が見えない。こんなことをするために彼女はやって来たのだろうか――
 しばらくすると彼女はスマホをベッドに放り、居ずまいを正した。
「っていうか、今日、凜子と何を話してたの」
 なるほど、それが訊きたかったわけか。
 瞬間、凜子に体育館裏へと呼び出された放課後のことを思い出す。

 ――ごめんね、急に。
 行ってみると、既に彼女は待っていた。軽い調子で「よっ」と声をかけるが、ふと考えてしまう。いつぶりだろう、こうして彼女と二人きりになるのは、と。
 しばらくたわいのない会話が続いた。中学で入りたい部活に流行りのテレビドラマ、最近のイチオシYouTuber。聞けば、「ふるはうす☆デイズ」はややネタ切れの感もあり失速気味で、次々と新星が台頭しているのだとか。久しぶりに二人で話すのは新鮮で楽しかったが、どれも本題じゃないことはなんとなくわかった。
 ――ずっと、悩んでたんだ。言うべきかどうか。
 やがて唇を噛みしめると、彼女は地面に視線を落とした。
 ――私たち、もうすぐ中学生になるよね。
 ――その前に、チョモには伝えておきたいことがあるんだ。
 告白されるんだと思った。
 体育館裏に呼び出す用事なんて、それ以外だと決闘くらいしか知らない。
 ――これを観てもらったほうがいいかな。
 彼女が差し出したのはiPhone7だった。意味が分からず首を傾げる。
 ――チョモはあの日から、ずっとYouTuberになりたがってたよね?
 そう思われても無理はないし、間違ってもない。凜子が僕らと距離を置くようになっても、しばらく「別の動画を見せてよ」と迫り続けたくらいだ。それに対して彼女は困ったように微笑むだけで、頑なに見せてはくれなかったけれど。
 ――だからこそ、チョモに言っておかないといけないの。
 そう言って、彼女がiPhoneのロックを解除しようとしたときだった。
 ――何してるの?
 体育館の陰から現れたのはルーだった。僕らを交互に見やると、何かを察したようにふふっと彼女は笑みを浮かべる。
 ――え、そういうこと? ごめん、邪魔しちゃった?
 そう言いつつ、彼女は何故かその場を立ち去らない。見張っているようにすら見える。
 しばらく口を引き結んで黙っていた凜子は、やがて弱々しく笑った。
 ――やっぱり今日はいいや、また今度ね。
 小走りに駆けていく後ろ姿を、僕はぼんやりと見送ることしかできなかった。

「――別に、何も」
「誤魔化しても、お見通しだからね」
 おどけた調子の彼女だったが、向けてくる視線は射るように鋭い。
「本当だって。ルーが来たから、結局何も聞けてない」
「え、私のせい? だって、二人が体育館裏に行くのが見えたから――」
 瞬間、ベッドの上のiPhone8が「ブー」と震えだした。
「やばい! パパからだ」
 二人して息を殺していると、すぐに着信のバイブレーションは収まった。
「ってか、もうこんな時間なんだ。そろそろ帰らないと」
「着信1件」という表示の上に、大きく18:12と出ていた。何とはなしに枕もとの目覚まし時計にも目をやるが、確かに短針はほぼ「6」、長針は「2」の少し先にある。
 玄関まで見送りに出て、「じゃあまた」と手を挙げる。
「え、家まで送ってくれないの? 女の子を夜道に放り出すわけ?」
「そっちが勝手に来たんだろうが」
 と言いつつ、彼女の言い分もわからないでもない。
 めんどくせーな、とぼやきながらスニーカーをつっかける。
 それと同時に、彼女は「あっ」と何かに気付いた。
「いけない、麦茶のグラス置きっぱなしだ」
「いいよ、別に」
「ダメだよ、私が出せって言ったんだから」
 一度履いた靴を脱ぎ、ルーはパタパタと僕の部屋に駆けて行く。こういうところは意外と真面目なんだな、と苦笑していると、しばらくして彼女は二つのグラスを手に戻ってきた。やけに時間がかかると思ったが、グラスの片方が空になっている。律儀に飲み干していたのだろう。その辺に適当に置いておいて、と僕は顎をしゃくる。
「ごめん、お待たせ」
「んじゃ、行こうか」
 凜子が死んだという一報を受けたのは、それからしばらくしてのことだった。

「信じてくれよ、俺じゃないんだ」
「じゃあ、何で現場に――」
「気付いたら無くなってたんだって。嘘じゃない!」
 凜子の遺体が見つかった三日後、僕は体育館裏で砂鉄に詰め寄っていた。もちろん告白のためではない。どちらかというと、決闘に近いだろう。
 遺体が発見されたのは、島南端の断崖絶壁――例の「秘密の場所」から約三十メートル下の岩場へ転落していたという。いつまでも帰宅せず、連絡もつかないことを心配した両親が交番へと駆け込んだのが十八時十五分。遺体発見の一報はその六十分後。灯台近くの駐車場に停められていた彼女の自転車が決め手だった。
 死因は転落による頭部の損傷で、死亡推定時刻は十七時五十二分から十九時十五分までの間。やけに“始点”が詳細なのは、携帯の通話記録が十七時五十二分まで残っていたからだ。相手は安西口紅――つまり、彼女は僕の家に来る前まで凜子と電話で話していたことになる。目撃情報は一件のみで、集落を自転車で走る姿を見た者がいた。十七時二十分のことだ。集落から現場までは自転車でも最短三十分はかかるため、死亡推定時刻との計算も合う。現場に争った形跡はなく、事件と断定する根拠はなし。自殺の可能性もあるが遺書の類いは見つかっておらず、唯一崖の上に残されていた遺留品と思しき物は星形をした青色のストラップだけ。もちろん、それがその日の落とし物かどうかはわからないため、このままだと事故として処理されるだろう――
「お前のストラップがあったんだってな?」
「俺のことばっかり疑うけど、ルーに電話の件は訊いたのかよ?」
「当たり前だろ!」
 ――「チョモに告白するつもりだったの?」って訊きたくて。
 警察にも同じ説明をしたという。もはや「死人に口なし」だが、その後僕の家に来て同じことを尋ねられたことを勘案すると、いちおうの一貫性はある。そして何より――
「ルーにはアリバイがある」
 彼女が内緒で持ち出した母親のiPhoneに父親から着信があったのは「18:12」――これは、僕も一緒に確認している。彼女が家に来た時刻を正確には把握していないが、少なくともあの時点で到着から十五分は経っていただろう。だが、現場となった島の南端から僕らの住む集落まではどう急いでも自転車で三十分。凜子の死亡時刻が十七時五十二分だったと仮定しても、彼女を崖下に突き落としたルーがあの時間までに僕の家に辿り着くことは不可能なのだ。
 反論を聴き終えた砂鉄は、力なく肩を落とした。
「じゃあ、自殺だよ」
 すぐさま放課後の体育館裏が脳裏をよぎる。
 ――これを観てもらったほうがいいかな。
 彼女が僕に差し出したiPhone7――その後ルーが現れ、会話は宙ぶらりんになった。
 ――やっぱり今日はいいや、また今度ね。
 自殺ではない気がする。何故なら、彼女は僕に“何か”を伝えるべく別の機会を望んでいたから。では、その“何か”とは? 答えはきっと、iPhone7に隠されている。彼女がずっと使い続けていたiPhone7に。
 瞬間、戦慄が背中を駆け抜けた。
 ――わかるかもしれない。
 一縷の望みながら、それには賭けてみる価値が十二分にあった。
「今すぐ凜子の家に行こう」
「え、どうしたんだよ急に」
「確かめてみたいことがあるんだ」

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14:45

「――で、結果的に読みは当たった」
 僕は、凜子の形見であるiPhone7のインカメラに向かって言い放つ。
 砂鉄を伴って凜子の家に急行し事情を説明したところ、彼女の両親は快諾してくれた。
 ――それなら、凜子もきっと浮かばれるわ。
 そこで譲り受けたのが、このiPhone7だった。
「じゃあどうして、僕が彼女のiPhoneを操作できるのか?」
 それは、この端末に僕の指紋も登録されているからだ。
 ――僕の指紋も登録してよ。
 ――え、なんで?
 ――やってみたい。
 あの日から機種変更をしていないなら、登録が残っているかも知れない。その可能性に賭け、僕は見事に勝ったのだ。すぐに端末を起動し、砂鉄と二人で画面を覗き込む。逸る気持ちを抑えながら、震える指で彼女のiPhoneを漁ってみると――
「ついに知っちゃったんだよね」
 僕は自嘲気味に笑う。
「『ふるはうす☆デイズ』が僕らの両親だったってことを」
 YouTube界の頂点に君臨する彼らは六人組――観る限りそれは僕、砂鉄、ルーの両親に間違いなかった。ジャンルは「リアルガチ」を謳った視聴者参加型「子育て観察ドキュメンタリー」とでも言えようか。各動画のタイトルを見た瞬間、僕はすべてを理解した。
【神回】ついに決定! 子供の名付け親選手権結果発表【キラキラネーム】
【どこ】投票により、移住先はM島に決まりました【離島】
【検証】スマホ無しゲーム禁止だと、本当に良い子に育つのか【結果は十年後】
【納車】離島でスポーツカーを乗り回してみた!
【祝】おかげさまで、チビたちも小学生になりました!
【人気企画】僕らの島遊び ~イカダでGO~
【毎日配信】チョモの一日 vol.56【反抗期?】

 ネットの評判も上々だった。「こいつら体張りすぎwww」「最強YouTuber爆誕」「『チョモランマ』はさすがにネタ過ぎる」「グレないといいなww」――
 すべては再生回数を稼ぐためのネタであり、チャンネル登録者の数を増やすための戦略――僕らの変わった名前も、現代社会から隔絶された離島への移住も、何もかも「視聴者投票」によって決められたことだったのだ。思い返すと三年前のあの日、凜子から「ふるはうす☆デイズ」は結成十年目と聞かされた。当時は気に留めるはずもないが、たしかにある意味では僕らと同い年だ。
「まさか凜子が思いついた『島暮らし』ネタを既にやってるグループがいたとはね。いいアイデアだと思ったんだけどなあ」
 そりゃ面白いに決まっている。まともな神経をしていれば、こんな無茶を思いついても実行になんて移せやしないから。
「でも、おかげで我が家の奇妙なルールの意味もわかったよ!」
 画角から逆算してリビングを調べると、サイドボードの上の鉢植えから隠しカメラが見つかった。毎日の「報告の時間」は「チョモの一日」という視聴者みんなで僕の成長を見守る企画であり、だからこそ必ずカメラのあるリビングで行う必要があったのだ。怒りのままに椅子を投げつけて秘密の部屋の扉を破ると、こちらも納得がいった。奥の壁に掛けられたクロマキー合成用のグリーンバック、床に並んだ撮影用の機材。なるほど、立ち入り禁止なわけだ。
「スマホも携帯も禁止だったのは企画のためで、僕らが“真実”に辿りつかないための防御線。教育方針でも何でもなかったんだね。いや、他にも――」
 ――凜子ちゃんと仲良くするのは、考え直した方が良いと思うな。
「だから彼女を遠ざけようとしたんだ」
 動画に年齢制限を設けてはいたものの、アカウントの年齢設定を変えてしまえば突破は容易たやすい。いずれこの抜け道に気付いた凜子が“真実”を知り、僕らにネタバラシすることを母親は恐れたのだ。事実、三年前は観られなかったはずの「ふるはうす☆デイズ」の動画が、今は凜子のスマホで視聴できるようになっている。ということは、当然彼女も動画を観ており、“真実”を知っていたと考えるべきだろう。
 そう、みんな知っていたのだ。
 凜子も、島民も、僕らが顔も知らない全国の視聴者たちも。知っていながら、誰一人として教えてくれなかったのだ。もちろん、高齢者中心の匁島の住民はもともと知らなかった可能性もあるが、本土に住む親族などから聞かされた者がいて、噂が広まったに違いない。島に住む小学生に関わっちゃ危ないよ、と。
「じゃあ、質問。関わったら危ないのはどうしてか」
 ここで関係してくるのがあの事件だ。
「YouTuberの『キンダンショウジョウ』が視聴者に殺されたからでしょ?」
 ――ねえ、よかったら一緒に映らない?
 炎上系動画の投稿に定評のある彼は“日本で最も有名な小学生”を訪ね、その姿をライブ配信するという暴挙に出た。それは一歩間違えると僕らに“真実”がばれかねない危険な行為――カルト的と揶揄されることもある「ふるはうす☆デイズ」ファンの間で、島への上陸だけは絶対に犯してはならない禁忌とされていたという。
「だけど彼はそのタブーを破り、視聴者の逆鱗に触れちゃった」
 だからこそファンの一人だった田所は、二千万人を超える“同朋”の想いを背負って殺害に踏み切った。こんな“蛮行”を野放しにしてはおけない。今世紀最高のネタが水泡に帰す前に、そして、不届きな追随者がこれから先出てこないようにするために、見せしめとして誰かがやらなきゃならなかったのだ。
「あの日からなんだよね。島の人たち、そして凜子の態度が変わったのは」
 下手すると日本中を敵に回し、熱狂的なファンに殺されるかもしれない。優しかった島民たちが態度を変え、凜子が壁を築いたのはそんな恐怖によるものだったに違いない。
「僕らが“余所者”だったからじゃない。自らの不用意な言動で僕らが真実を知ってしまい、その責任追及の矛先が向けられることを恐れたからだよ」
 だから凜子は僕らの前でスマホに触れなくなり、発言を控えるようになったのだ。間違いない。すべての違和感に説明が付く。ついに暴かれた真相、これにて一件落着――
「――とは、当然いかないわけだよ」
 インカメラの向きを変え、崖際に立たされた安西口紅の姿を映し出す。怨嗟、怒り、怯え――それらが綯交ぜになった軽蔑の視線。だが、うかつな行動をとるべきでないことは彼女も承知しているはず。両手を縛り上げられているうえ、隣に立つ砂鉄の一押しで凛子と同じ末路を辿ることになるからだ。
「ここからの話は、あくまで僕の“推測”なんだけど」
 同時にメインテーマでもあった。
 たっぷり間を取ってから、不敵に笑ってみせる。
「このチャンネルにはヤラセがあると思うんだ」
 画面の向こうで視聴者たちが怒り狂う姿を想像する。僕らの誕生から今日に至るまでの、実に十二年もの間YouTube界のトップの座を守り続けてきた「ふるはうす☆デイズ」――史上最高のエンタメとも呼び声高い“神企画”に隠された真実。
「君はすべて知ってたんだろ?」
 画面の中でこちらを睨み続けるルーに問いかける。
「適当なこと言わないで!」
「適当じゃないさ。そう思う根拠を説明するよ」
 まず、彼女がかつてよく持ち歩いていたGoPro――「ふるはうす☆デイズ」の人気企画の一つに「僕らの島遊び」というものがある。さすがに凜子の顔にはモザイク処理が施されてはいたものの、大自然の中で僕らが創意工夫して遊ぶ姿を捉えたその映像は、どう見ても彼女のGoProが出処だった。
「もちろん、親に言われてただ僕らの姿を撮っていただけかも知れない」
 だが、彼女はここぞという場面でいつも「私を撮って」と甘えてきた。演じているというか、外からの目を意識しているというか、とにかくそんな感じで。
「自分の姿がYouTubeで流れるって知ってたからでしょ?」
「違うもん!」
「それだけじゃない。あれは、凜子が初めてiPhone7を持って来た日のこと」
 凜子の話に大興奮だった僕らに、ルーはこう水を差した。
「『あんまり変な動画ばっかり観てるとバカになる』ってね。じゃあ訊くけど、君はどうしてそれが動画配信サービスだってことを知ってたの?」
 あの日、間違いなく彼女は「動画」と断言した。当時、スマホも携帯も持っていなかった僕は「YouTuber」を聞き取れず、島言葉と勘違いしたくらいだったのに。
「僕らを撮影する『キンダンショウジョウ』から逃げろと言ったのも君だった。映っちゃまずいって知ってたのはどうして?」
「言いがかりだよ。そんなの何の証拠にも……」
「極め付きは」反論を無視して、最後のカードを切る。「凜子が死んだ日のこと」
 瞬間、彼女の顔が青ざめる。
「あの日、君はお母さんのiPhone8をこっそり持ち出してきたと言っていた」
 ベッドに並んで腰掛けると、彼女は慣れた手つきで端末を起動させた。
 ――すごーい、初めて触ったけど、こんな簡単なんだ。
 どうやって? 指紋認証によってだ。
「初めて触ったっていうのは、明らかに嘘だよね。だって、指紋認証でロックを解除するには事前に指紋を登録しておく必要があるんだから」
「それは――」
「家では普通にスマホを扱ってたんだろ? 何なら、あれは母親のじゃなく君の持ち物だったんじゃないか?」
「だったら、なに?」
君のアリバイは成立しないんだよ。事前にあのiPhoneを弄ることができたんなら、僕の家に来る前に時刻設定を変えておくこともできたってことだろ?」
 ――時間は自分で合わせるの?
 ――自分でも変えられるけど、電波で勝手に合うんだよ。
「電波で勝手に合う」以上、画面に表示されているのは正しい時刻だと無意識に思い込みがちだが、自分の手で表示時刻を変えることだって当然できる。
「例えば、本来の時間より三十分遅らせるとか?」
 一緒に画面で確認した「18:12」――実際は「18:42」だったのでは?
「でも」と言いかけて口をつぐむ彼女を前にして、僕は確信を強める。
部屋にもともとあった目覚まし時計も同じ時刻だったって言いたいんだろ?」
 あのとき、僕は自分の時計にも目を向けたし、その時刻は彼女のiPhoneが示すものと同一だった。
「簡単だよ。僕がいない間に細工することはできたはず」
 ――ねえ、お茶くらい出したら?
 あの発言は僕を部屋から追い出すためで、僕の手首に向けられた不可解な視線は「腕時計がない」のを確かめるためだろう。すべては、僕がいない隙に部屋にもともとあった時計の針を動かすための策略だ。
「ただ、部屋の時計を細工済みのスマホの時刻に合わせたまでは良いけど、そのままにしたらいつか時間が違うことに気付かれるよね」
 ――いけない、麦茶のグラス置きっぱなしだ。
 だからこそ元の時刻へと戻しておくべく、独りで再び部屋へと向かったのだ。無邪気に「家まで送れ」と言ってきたのは、すぐに僕が部屋へ戻って“急に時間が進んだ時計”に気付いてしまうリスクを減らすためと考えれば筋が通る。
「凜子が体育館裏で僕に何かを伝えようとしているのを見て――いや、もしかして彼女の言葉が聞こえたのかな? いずれにせよ、君は焦った」
 ――チョモはあの日から、ずっとYouTuberになりたがってたよね?
 ――だからこそ、チョモに言っておかないといけないの。
 きっと、凜子は良心の呵責に苛まれ続けてきたのだろう。秘密を知った自分、それを黙っている自分。だけどあの日、腹を括った。すべての真実を白日の下に晒すために。
「もしもネタがばらされたら、リアルガチ『子育て観察ドキュメンタリー』は成立しなくなる。人気は失墜し、莫大な広告収入がなくなるかも知れない。それどころか、日本中から失笑を買う可能性だってあるよね。それはまずい! 何か手を打たないと!」
 資産家であることを彼女は常々鼻にかけていた。豪華絢爛な自宅、ガレージに並ぶスポーツカーの数々。それはひとえにリアルガチを謳った企画のおかげだ。それが島の同級生にネタバラシを食らうなどという幕切れでは視聴者が納得しないだろうし、その多くがチャンネルから離反するのは目に見えている。
「だから、口封じのために殺すことにしたのさ。いや、それだけじゃない。例の“キンダンショウジョウ殺し”が起きてしまったせいで、それ以降『ふるはうす☆デイズ』は穏当で無難なコンテンツに終始することになったんだってね。謹慎みたいなもんかな? でもその結果として、マンネリに陥ってしまった」
 あの日の体育館裏で凜子は言っていた。ネタ切れの感もある『ふるはうす☆デイズ』はやや失速気味で、次々と新星が台頭している、と。それは、あの事件が起きたことで世間の風当たりが強まったためだった。
「だから“同級生の死”という涙を誘う新ネタで起死回生を狙ったんだろ?」
【ご冥福をお祈りします】同級生が亡くなりました【追悼】――ラインナップにこのタイトルを見つけた瞬間、絶句するしかなかった。たった二日で視聴回数は五百万回超。動画の内容について視聴者は賛否両論のようだったが、それも含め最近のスランプを撥ねのける会心の一撃。再生してみると、予想通り大袈裟に泣きじゃくるルーが大写し――
「許せない、絶対に」
 最後まで気丈に振る舞う予定だったが、堪らず涙が溢れてくる。
「こんなことのために凜子は殺されたって? ふざけんなよ!」
 とはいえ、狭くて小さい、生活動線も限られる離島において人知れず殺害するのは容易ではない。そこで思いついたのが、例の「秘密の場所」から突き落とすことだった。転落死なら事故や自殺の可能性も排除出来ない。腕力も、特別な装置の類いも不要。あとはどうやってその場に連れ出すかだけ。
「でも、気の利いた策は思いつかなくて、電話で呼び出すしかなかったんだ」
 その際、どんなやり取りがあったのかは不明だが、幼馴染からの誘いとあっては特段断る理由もなかったのだろう。何も知らない凜子はかつてみんなで遊んだ「秘密の場所」へと呼び出され、そのまま突き落とされてしまった。
 残る問題は「直前の通話記録」――だからこそ先のアリバイ工作を施し、砂鉄のランドセルから外したストラップを現場に残すことにした。こうしておけば、万が一「殺人事件」として捜査がなされたとしても逃げ切れると踏んだのだ。
「ただ、全部君一人で考えたとは思えない。どうせ、入れ知恵があったんだろ?」
 誰の? 決まってる。彼女の両親だ。
 あの日、僕の両親は急遽彼女の両親に呼ばれて家を空けていた。そのタイミングを狙って彼女は僕の家を訪れたのではないか。なぜ? いじるべき時計の数を最小限に抑えるためだ。他にも人がいる中で先のトリックを成立させるには家中の時計に細工しておくべきだが、さすがにそんなの現実的ではない。
「違う! 信じて! 私は殺してないし、ヤラセもない!」
「残念ながら、それを決めるのは僕じゃない」
 吐き捨てると、画面の向こうに居るはずの二千万人へ向けて宣言する。
「決めるのは、この配信を観ている『ふるはうす☆デイズ』の視聴者だ。今回だって委ねようじゃないか。人の人生をおもちゃにするのは慣れてるはずだし」
 ――悪かった、だから落ち着いてくれないか。
 ――お願い、あなたはそんなことする子じゃないでしょ。
 先程、キッチンから持ち出した包丁を突き付けた際の両親を思い出す。動画の中で見せる快活さは見るも無残に失われ、ただただ繰り返されるのは哀願と謝罪のみ。
 ――何が望みだ、言ってごらん?
「ふるはうす☆デイズ」アカウントのログインIDとパスワードはこの流れで聞き出した。その足で島の南端へ向かい、ルーを呼び出した砂鉄と合流。同じように包丁を突き付け、彼女の両手を拘束したところでこのライブ配信を始めたのだ。
 真相がわかってからの一週間で、YouTubeアプリの操作方法や機能は一通りマスターした。聞き出したIDとパスワードで「ふるはうす☆デイズ」のアカウントにも入れている。
 万事、計画通り。
 ――ねえ、一緒にYouTuberにならない?
 君の無念は、今日この場で僕が晴らしてみせる。
「ここまでの推理が正しいと思う人は『高評価』を、間違っていると思う人は『低評価』を押してください。この配信自体が話題性を狙ったヤラセだと思うのなら、それはそれで結構です。そういう人も『低評価』ボタンをどうぞ」
 また、海鳴りが聞こえる。
 あるいは、海の向こうでこの配信を観た人たちの罵詈雑言だろうか。
「五分後、僕を支持する声が多かったら彼女をここから突き落とします」
 ここは島の最南端――五分以内に辿りつける者はいないだろう。家族も、島民も、警察も、視聴者も、ただ息を飲んで結末を見届けるしかないのだ。
 さあ、選べ。これぞ、視聴者参加型エンタメの完成形。
 あなたはどっちだと思う? それとも怖くて押せやしない?

「#拡散希望」 了

この試し読みは校了前のデータで作成しています。ご了承ください。