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漱石を知っていますか

阿刀田高/著

1,980円(税込)

発売日:2017/12/22

  • 書籍

はっきり言って小説のヘタなこの人が、なぜ「国民作家」と呼ばれ続けるのか?

小説の体をなさない「吾輩は猫である」、不親切な「門」、女性軽視が際立つ「こころ」――多くの難点を抱えつつも一世紀以上読者を魅了してきた作家の真の凄さとは。主要13作の手法・文章・創作者心理・完成度を作家の目から徹底解説。漱石生誕150年のトリを飾る、読まずにわかる名シリーズ最新作!

目次
1 猫の近道を訪ねて
〈吾輩は猫である〉ほか
2 小説の技をちりばめて
〈坊っちゃん〉ほか
3 おみくじを引こう
〈草枕〉ほか
4 絢爛豪華な文章で
〈虞美人草〉ほか
5 小説は男と女のことを書くもの
〈三四郎〉ほか
6 さざ波は渦となって一点へ
〈それから〉ほか
7 深読みをしてくれますか
〈門〉ほか
8 夢のあとさき
〈夢十夜〉ほか
9 ユニークな短編連作集をどうぞ
〈彼岸過迄〉ほか
10 摂理を探して
〈行人〉ほか
11 女性軽視かな
〈こころ〉ほか
12 サンドイッチを重ねて
〈道草〉ほか
13 変化は計り知れない
〈明暗〉ほか

書誌情報

読み仮名 ソウセキヲシッテイマスカ
装幀 矢吹申彦 × 新潮社装幀室/装幀、夏目漱石『池辺君の史論に就て』原稿(明治45年)/表紙
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 352ページ
ISBN 978-4-10-334330-1
C-CODE 0095
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 1,980円

書評

オチはなくてもいいんです。

ペリー荻野

 私の顔には「夏目漱石を読んだことがありません」と書いてあったらしい。新潮社のKさんから「読んでませんよね?」とすっかり見破られて、本書の書評を担当することとなった。元来、文豪の名作は、「国民的宿題」みたいで、読んでない人にうしろめたさを抱かせる。私もずっとそうだった。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』はギリギリ読んだが、『草枕』はお手上げ。『三四郎』に至っては、タイトルを聞くと柔道アニメ「紅三四郎」の顔が浮かぶ始末。そんな私が本書で「漱石」にアタックしたと思っていただきたい。
 構成は巧みだ。第一章に「猫の近道を訪ねて 〈吾輩は猫である〉ほか」、第二章に「小説の技をちりばめて 〈坊っちゃん〉」ともっともよく知られた作品を持ってきて、漱石世界のドアを軽く開けてくれる。そして、入門編ともいえるこの2作が漱石文学ではむしろ異端だということを示す。
「〈吾輩は猫である〉では、自分にとって書きやすく、仲間を楽しませるものを書いた。得意とする学識をおもしろおかしくちりばめ、猫を主人公とする奇策を用い、自分自身を戯画化し、落語調を採りユーモアをふんだんにそえた」
 なんと、夏目漱石の代名詞ともいえる「猫」は、猫の目で人間を描写するという斬新な小説(ペリー個人の感想です)ではなく、「奇策」! 阿刀田説によれば「猫」には、「ストーリーらしいストーリーはないし、イマジネーションも乏しい」「もう少し小説の基本的パターンを踏むほうがよいのではないか」その結果、「これを〈坊っちゃん〉で補おうと努めた、と私は推測したい」とまとまる。なるほど、揺籃期の2作は漱石が本当に書くべきものではなかったということか。
 では、漱石は何を書いたのか。第三章「おみくじを引こう 〈草枕〉ほか」以降、それが明らかになる。一番わかりやすいのは、第五章のタイトル「小説は男と女のことを書くもの 〈三四郎〉ほか」だろう。
 そうなのだ。第三章以降、取り上げられる作品『草枕』『三四郎』『それから』『』『夢十夜』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』『明暗』は、揃って「男と女」がテーマ。しかも、ほとんどが「女ひとりに男が二人」の三角関係パターンなのである。ここからは私にとって未読の作品ばかり。しかも全部色恋沙汰?……と思ったが、実際は未読作品の解説こそが、本書の読みどころだった。なんたって、オチがわかんないんですから。ドキドキと衝撃の連続だ。
 たとえば『草枕』。いやもう、ただただびっくり。
 主人公は三十過ぎの画家で、山中の温泉で宿の主人の娘那美と出会い、万葉集の「あきづけば、をばなが上に置く露の……」の歌について語り合う。この歌は2人の男に懸想された娘が悩んだ末に川に身を投げた話につながる。だが、那美は歌のあわれを味わうどころか、身投げなんてつまらない、「男たちを恋人にするばかりですわ」とさらりと言ってのける。
 ここでふたりが恋に落ちる……なら話が早いのだが、そうはならない。オチらしいオチはなしだ。えーっ!? 漱石先生からはオチとか言うな! と叱られそうだが、実はこの小説のポイントは画家が「おみくじを引くように、ぱっと開けて、開いたところを、漫然と読んでるのが面白いんです」なんてことを言いながら宿で小説を読んでいること。本書の解説によれば『草枕』という小説そのものも、「芸術を思案し検討するページと、男と女の関係など小説的なページとが、たがいちがいに綴られている二重構造の作品であり、前者は“ぱっと開けて、開いたところを”読むにふさわしい」。
 それがつまり、この章のタイトル「おみくじを引こう」なのである。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される……」ザッツ名文! ともいえるおなじみの書き出しも含め、ぱっと開いたところの文章をかみしめて読む。そんな読み方もアリなんですね。目ウロコ。
 留学後少しばかり成功した主人公(漱石そっくり)が元養父にたかられる『道草』など、晩年の作品のトーンは暗い。幼少時に養子に出され、養父母が離婚。不仲な妻、胃痛など、本書で語られる漱石の人生も作品理解の助けになる。背景を知れば知るほど『こころ』や『道草』のような暗い話よりも、『猫』のようなユーモア作品を書けたことの方に感心する。
 文のうまさは認めても、筋立てはたいしたことはないなど、各作品を冷静に評価する阿刀田目線に笑ったり、共感しながらの漱石世界探訪はすいすいと進む。ふふふ。今の私の顔に何が書かれているか、Kさんに観てもらいたいものだ。

(ぺりー・おぎの コラムニスト)
波 2018年1月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

漱石はどこが面白いのか?

阿刀田高藤原正彦

ハッキリ言って小説は下手だった! 二人の作家の目に映った文豪の本当の凄さとは。

阿刀田 私の感覚として、今の若い人たちは松本清張ですら読むのが難しくなってきている気がします。そうなると漱石などはほぼ古典の範疇です。『漱石を知っていますか』は、現代の実作者である私の目に漱石はどう見えるのか、敬意を持ちつつも率直に綴ってみることで、若い人たちが漱石を読む際のガイドにできないかと考えたのが第一歩でした。
 連載当初はドキドキしながら書き、だんだん図々しくなって、ついには本のオビにまで大書してあることですが、はっきり言って漱石は小説がヘタでした(笑)。キャリアの後期に書かれた『彼岸過迄』『行人』『道草』なんて、健康上の問題があったにしろ、いま新人賞に応募したら下読み段階でペケでしょう。じゃあそれより前の作品が素晴らしいかと言えばやはりそれぞれに問題点がある。
 漱石が凄い作家であり、日本文学の大恩人なのは確かですが、その凄さのありかは「小説が上手い」ことではない。それを踏まえておいた方が漱石は読みやすいと思います。前置きが長くなりましたが、藤原さんは漱石をどのように読まれていましたか。

藤原 私の漱石体験は、中学一年生の頃の『坊っちゃん』からです。一行目の「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」を読んだだけで笑い転げ、とにかく可笑しくて最後まで読み通すのにずいぶん時間がかかりました。ところが次に読んだ『吾輩は猫である』は登場するインテリのひけらかす知識や語句が全然わからず不愉快になり、高校生で手にした『草枕』は難しい漢字と文体に馴染めず最初の二、三ページで沈没。二十代の頃はガールフレンドが感動したという『行人』を彼女に好かれたい一心で読みましたが、生まれてから読んだ小説で一番つまらなかった(笑)。
 このように、めっぽう面白いものから一番つまらないものまで、若い時は漱石に様々な感想を持っていました。

阿刀田 よくわかります。「猫」などはあまりにも有名ですが、インテリが寄ってたかって自慢話をするだけのストーリーですから、じつは若い人が一番嫌うタイプの作品かもしれない。

藤原 ただ、漱石の印象というのは読んだ時期によって違ってくると思います。昨日、私はこの対談のために高校生の頃に大好きだった『こころ』を読み返してみました。高校生の吉永小百合が一番好きな本に挙げていたので読んでみたら私も感動したという思い出の小説で、吉永小百合との間に通じ合う何かがあると確信したものです。

阿刀田 藤原さんらしい(笑)。

漱石はMe Tooを知らない

藤原 ところが、今回読んだらちょっとアラが見えました。『こころ』は「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部構成ですが、このうち「両親と私」があまりに冗長。しかも話が収束していません。
 しかし新しい発見もあって、先生の死につながる明治天皇の死、乃木大将の死、つまり明治精神の死による衝撃が当時、漱石の中に大きくあった、という高校時代には想像もしなかった事実が見えてきました。『こころ』は乃木大将が自決した一年半後に書き始められたわけですが、漱石は江戸から続く情緒とか倫理、道徳、あるいは寄席、浄瑠璃といった文化芸能が文明開化の名の下にないがしろにされていることに相当な葛藤を抱えていたんだろうと、大人になった今読むことで感じ取れたわけです。

阿刀田 『こころ』は私も学生時代に深い感銘を受け、一番好きな小説はと問われたらこれを答えようと思ったものでした。そしてやはり年齢をとってからは少し見方が変わってきた。ヒントは家内が与えてくれたんですが、これは女性軽視小説じゃないでしょうか。

藤原 御本にもそのように書かれていましたね。

阿刀田 ええ。つまり「先生」は自分の決定的な秘密を当事者の一人である奥さんにまず打ち明けるべきなのに、「女に難しい話をするのは気の毒だ」などと話さないでおいて、鎌倉で偶然会った青年にはすべてを伝え、最後は奥さんを残して先に死んでしまう。奥さんにしてみればたまったものじゃありません。
 また『』は友人が親しくしていた女性・お米を奪って彼女と結婚した宗助が、その後ろめたさを背負い続ける小説です。しかし『それから』の代助のように人妻を奪ったのならともかく、未婚のお米と一緒になって何がいけないのか。しかも友人は初めにお米を自分の妹だと紹介していたのです。お米自身だって当然自分が「妹」ではないとわかっている。その上で宗助を選んでいるのだから、宗助は自信を持ったっていい。なのにそうならないのは、宗助が女は男の付属物であると考えているからです。言い換えればお米の意思を軽視している。
 漱石は立派なヒューマニストでしたし、女性をことさらに下に見たりすることはなかったと思いますけれど、明治に生きる以上、作品の中に女性軽視は抜き難くある。その点で二十一世紀においては彼を国民作家と呼び得ないというのが私の意見です。いかがですか?

藤原 私は女性軽視、大賛成ですね(笑)。現代の価値観で過去を評価するのはどうでしょうか。私などはむしろ、漱石を通して江戸時代生まれの人の倫理観が現代の我々の目に見えるのは非常に面白いし、そうした意味では偏見に満ちたところが彼のすばらしさではないでしょうか。

阿刀田 それもよくわかります。あの時代の人に男女同権だとかMe Tooだとか(笑)、考えるべきだったとは言いません。ただ、面白さとは別に現代の目できちんと指摘はしておくべきだというのが私の立場です。

藤原 フェミニストの阿刀田さんと女たらしの私の大きな違いが表れました。

すべては「運慶の仁王」に通ず

阿刀田 それと今回読み直して気が付いたんですが、漱石の小説はほとんどが男女の話なんですね。山口瞳さんがよく「小説とは男と女のことを書くものです」とおっしゃっていたものですが、漱石の場合、男と女の緊迫した場面を書くときは、もう全部うまいですね。
 たとえば藤原正彦青年が生涯で最もつまらなかったという『行人』などは、弟が兄に頼まれて兄嫁と二人きりで和歌山の温泉地に行くことになってしまう。日帰りのつもりだったのに天候悪化で泊まる羽目になる。嵐が来る。電気が消える。電気が点く。と、いつの間にか兄嫁が化粧をしていて綺麗になっている……こんな場面が実に巧みです。

藤原 『行人』って今にも何か起きそうで、結局何も起きないんですよね。

阿刀田 起きない。渡辺淳一さんの小説だったら、あの弟がもっと違う動きをすると思うんだけれども(笑)。

藤原 ジェイン・オースティンの『自負と偏見』にちょっと似ている感じがしました。人殺しもラブ・アフェアもない長大な物語なのに最後まで引っ張られる。

阿刀田 漱石の文章力がそれを可能にしています。漱石自身にはそれほど男女のことがあったとは思えないけれど(笑)、結果としては非常にうまく書いているのが興味深い。

藤原 私の考えでは、漱石は男女の仲を描いているように見せかけて、実は近代人の孤独や近代への抵抗を書いているんじゃないかと思うんですね。漱石自身、文明開化そして西洋文化に流されつつある日本に対する懐疑心や抵抗心がありました。そして明治時代の文明開化以降もロシア革命後のマルクス主義、ヒトラーの軍国主義、GHQの平和主義、さらに現代のグローバリズムまで、日本人はそれまでの「型」を忘れて無批判なままに流されてきた。
 漱石が今も読まれるのはいつの時代も変わらない、ここにいる皆さんも持っているだろう、時代の大きな流れに対する孤独や葛藤をうまく表現したからで、そこに彼の一番の価値があるんじゃないかなと思います。きっと百年後、五百年後も読まれるでしょう。

阿刀田 その見方には賛成です。上っ調子の西洋化に対する漱石の批判は鋭い。それが一番端的に表れているのが「夢十夜」の第六夜でしょう。運慶が護国寺の門前で仁王を刻んでいる。「木に埋まっている仁王を掘り出しているだけのことだ」と聞いた漱石も真似して刻んでみるけれども明治の木に仁王は埋まっていないことを悟る、という有名な話。

藤原 ああ、私が「夢十夜」の中で一番好きなのがその話です。なぜかというと、ノーベル化学賞を取った福井謙一先生と私の仲人をしてくれたフィールズ賞の小平邦彦先生、偉大な二人があれが一番好きだって言っているんですよ。木を彫ったら仁王が出てきた。仁王は人間が作ったものではない。すでに埋まっているのを掘り出しただけだ。お二人はそれがまさに数学や化学における発見と同じだと言うんですね。
 たとえば三角形の内角の和が180度だというのは数学者が作ったものじゃない。宇宙の中に最初からあるものだ。ピタゴラスの定理も宇宙にあったものを誰かが掘り出しただけだ。数学者はみんなそういうふうに思っているんです。

阿刀田 なるほど……いま思い当たったのですが、小説も同じかもしれない。私も八百篇を超える短編小説を書いてくる中で、誰かが宇宙にちりばめた小説のモチーフを自分がたまたま見つけただけなのではないかと思うことがあります。この感覚はすべてのクリエイションに当てはまることでしょうね。

英国の数学者が読んだ漱石

藤原 漱石といえば、私がイギリスのケンブリッジ大学に招かれた時にこんなことがありました。教授たちがくつろぐティールームにいるとフィールズ賞数学者のジョン・トンプソン教授が私のところにツカツカと来て「日本から来たのか」と訊く。そうだと答えるといきなり「漱石の『こころ』の先生の自殺と三島の自殺とは関係があるのか」と聞いてくるんですね。

阿刀田 そんな質問をいきなり初対面の相手にするんですか。

藤原 イギリスのエリートはそうやって相手の教養度を試すのです。何も答えられないと、この人は教養のないつまらない人だと判断され、相手にされなくなる。私も今ならいろいろ語れると思いますが、なんと答えたか覚えていませんから多分いい加減なことを言ったんでしょう。まさか数学の世界的権威に日本文学の質問をされるとは思わず、面食らいました。

阿刀田 いつか藤原さんに教わった話だと、イギリスでは住む地域、話している英語でこいつは階級が違うということがたちどころにわかってしまうとか。

藤原 五秒話せば出身地までわかってしまうイヤーな国です(笑)。だから『チャタレイ夫人の恋人』のD・H・ロレンスは経済学者のケインズなどにケンブリッジのディナーに招かれたけれど貴族的な英語をしゃべる教授連中を前に恥ずかしさで一言も話せず、「あんな不愉快な夜は生涯を通して他になかった」と書いている。彼は訛りの強いヨークシャーの炭坑夫の息子で、私などでは皆目理解できない英語なんです。

阿刀田 漱石はそのイギリスに勉強しに行って不愉快な思いをし、帰国してからもなおその不愉快が続いたという体験があります。イギリス留学が漱石に与えた影響についてどう思われますか?

藤原 漱石の留学体験はやはり劇的なものだったと思います。まずイギリスに到着した1900年には、新渡戸稲造が「武士道」を英語で出版して世界的ベストセラーとなっており、また同年、義和団事件で会津出身の柴五郎が陣頭指揮して北京にある八か国の公使館を守り、日本人の勇猛さ、礼儀正しさを世界に知らしめた。東洋のサルぐらいに思われていた日本人の株が急上昇しました。翌1901年には六十四年も在位したビクトリア女王が亡くなり漱石も葬列を見ました。翌1902年、日英同盟締結。栄光ある孤立を守っていたイギリスが初めて、しかも東洋の国と結んだ。
 そんな時に滞在していたので、ひどく軽蔑されたわけではないでしょうが、しかし東洋の文明の遅れた国から来たというコンプレックスを漱石は深く深く感じたでしょうね。それが第一のショック。
 第二のショックは、産業革命が完了したロンドンで近代の悲惨な結末を目の当たりにしたことです。当時のロンドンの大気汚染は今の北京よりひどかったと言われている。そんな喧噪の中に貧民が食料を求め長い列をなす、資本主義の醜悪な光景をさんざん見た。文明開化の最盛期に文明開化の先にあるものを見てしまった男の孤独と絶望があったでしょう。

阿刀田 経済的な苦しさもあり、また英語もあまり通じなかったらしいですね。

藤原 漱石は英文読解に関しては超一流でものすごい量の書物を読みこんでいます。ただ、読む力と話す力は必ずしも一致しない。ケンブリッジに来ていた東大英文科の教授はチョーサーという十四世紀の詩人の研究をしていて、イギリス人も読めない超難解なチョーサーをスラスラ読めるんです。ところがその教授は英語はまるで話せませんでした(笑)。

阿刀田 読んで分かるというのも一つの見識だとは思います。このごろの学校教育は読んで分からなくてもしゃべれればいいみたいに言っているけれど。

藤原 ちなみに漱石の作品には「猫」の苦沙弥先生をはじめ、高等遊民ばかりが出てきますが、あれはイギリスの価値観で、イギリス人の最大の夢は高等遊民になることなんです。親から莫大な財産を相続し、あくせく働かずに勉強したり、文化的活動をしたり、はたまた芸術を愛し、庭いじりや慈善活動に精を出す。これが究極の夢なんですね。漱石の家庭教師のクレイグ先生もどこにも所属せず、勉強しながら時々辞書の編纂をしたりの高等遊民でした。

フランス留学で日本文学は変わったか

阿刀田 もし漱石がイギリスではなくフランスに留学に行っていたらどうなっただろうと考えることがあります。十九世紀から二十世紀に入るころのフランスはデュマもいる、バルザックもいる、ユーゴー、スタンダールフロベールゾラモーパッサン。その輝かしさは控え目に言ってもイギリスとは比べ物にならない。

藤原 たしかに十九世紀フランスは小説という面においてはすばらしい。けれども漱石には思想家としての顔もあります。イギリスでノイローゼになるほど近代の悲劇を直視し、文明の発達が人間に幸せをもたらさないということをはっきり見てとった。無邪気に西欧の文明や文化に染まっていく日本人の中で例外的でした。思想家・漱石にとってまたとない経験だったと思いますね。

阿刀田 人間のエゴイズムの問題、社会の見方、資本主義への透徹した眼差し。そうした視点を得るにはイギリスは最良の国だったでしょう。

藤原 加えてフランスはヨーロッパ一の人種差別国ですから胃の悪い漱石にはお薦めしません。パリではGACKTもケンカしたらしいですが(笑)、私もケンカに次ぐケンカです。

阿刀田 悩ましいところですね。小説は西洋が生み出したもので、その技法は当時フランスが一番進んでいた。それを具体的なお手本から学べば漱石ならどんな小説を完成させたか……。
 日本語で小説を書くにはどうすればいいのかという大問題に漱石は1人で立ち向かいました。文体を変え、構成を工夫し、トライ&エラーを繰り返しながら、標準語で小説を書く素晴しいお手本を示した。これこそ漱石の真のすごさだったと思います。
 小説の技法自体はヘタだった。けれども漱石が命をすり減らしてさまざまな挑戦をしてくれなかったら、日本の小説は何十年も遅れていたでしょう。そのことを若い人たちにはどうか知っておいてほしいですね。

2018年1月25日 神楽坂la kaguにて
(あとうだ・たかし 作家)
(ふじわら・まさひこ 作家・数学者)
波 2018年3月号より
単行本刊行時掲載

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著者プロフィール

阿刀田高

アトウダ・タカシ

1935年、東京生れ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に司書として勤務しながら執筆活動を続け、1978年『冷蔵庫より愛をこめて』でデビュー。1979年「来訪者」で日本推理作家協会賞、短編集『ナポレオン狂』で直木賞、1995年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞した。短編小説、古典教養入門書、エッセイの名手として知られ、他の著書に『花あらし』『闇彦』『ローマへ行こう』『地下水路の夜』『ギリシア神話を知っていますか』『シェイクスピアを楽しむために』『知的創造の作法』『老いてこそユーモア』など多数。2003年に紫綬褒章、2009年に旭日中綬章を受章。2018年には文化功労者に選出。文化審議会会長や日本ペンクラブ会長、山梨県立図書館名誉館長を務め、妻で朗読家の阿刀田慶子と結成した「朗読21の会」の公演を通じて短編小説の魅力を伝える活動も行っている。

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