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あの胸が岬のように遠かった―河野裕子との青春―

永田和宏/著

1,870円(税込)

発売日:2022/03/24

  • 書籍
  • 電子書籍あり

熱く、性急で、誠実ゆえに傷つけあった――。

「知らぬまま逝つてしまつた きみを捨て死なうとしたこと死にそこねたこと」「わたくしはあなたにふさはしかつたのか そのために書き、書き継ぎてなほ」――。妻が遺した日記と手紙300通を見つけた夫が初めて明かす、若き日の出会いと命がけの愛の物語。

  • テレビ化
    あの胸が岬のように遠かった~河野裕子と生きた青春~(2022年3月放映)
目次
はじめに
うみに降る雪ふりながら消ゆ
風のうわさに母の来ること
消したき言葉は消せざる言葉
手を触るることあらざりし口惜しさの
わが十代は駆けて去りゆく
青春の証が欲しい
さびしきことは言わずわかれき
二人のひとを愛してしまへり
あの胸が岬のように遠かった
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて
わが頬を打ちたるのちに
わが愛のすみかといえば
はろばろとし古典力学
泣くものか いまあざみさえ脱走を
おほよその君の範囲を知りしこと
「夏がおわる。夏がおわる。」と
寡黙のひとりをひそかに憎む
今しばしわれを娶らずにゐよ
附記
おわりに

書誌情報

読み仮名 アノムネガミサキノヨウニトオカッタカワノユウコトノセイシュン
装幀 永田和宏提供/カバー写真、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-332642-7
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,870円
電子書籍 配信開始日 2022/03/24

書評

二人でいるということの痛みと豊かさ

梯久美子

 読んでいる途中、こみあげるものがあって何度か本を閉じた。他人の青春物語が、なぜこんなにも切実に感じられ、かつての自分自身の痛みまでよみがえらせるのだろうと思いながら。
 その最大の理由は、若い日の河野裕子が書いた日記や手紙にある。公開を前提にしない日記でさえ、人はなかなか自分の感情に正直になることができないものだが、河野は痛々しいまでにまっすぐに自分を見つめ、文章にしている。その偽りのないひたむきさには、時代や境遇、性別をこえて、読み手の心を共振させる力がある。
 本書は、歌人で細胞生物学者の永田和宏が、2010年に亡くなった妻・河野裕子と出会ってから結婚するまでを、二人が交わした手紙、当時の河野の日記、そして折々にそれぞれが詠んだ歌を軸に描いた作品である。
 同じ著者による『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年―』は、晩年の河野の闘病と死を描いた、胸を引き絞られるような壮絶な記録だった。では、本書がさわやかな青春記かというとそうではない。
 当時、永田と河野がそれぞれに自死を試みていたことが本書で明かされている。互いにそれを告げることはなく、河野は生前、永田の自殺未遂を知らないままだったという。若い日の恋がときに死への傾斜をはらむこと、青春とは残酷で危うい季節であることに、多くの人が自身の過去を振り返りつつ、思い当たるに違いない。
〈陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり〉
 河野の初の歌集『森のやうに獣のやうに』にある歌である。河野は永田と出会う前に知り合った男性に心を奪われていた。永田は彼の存在を知っていたが、河野の没後に彼女の日記を読んだことで、二人の出会いの詳細や河野の懊悩の深さを初めて知るのである。
 永田と河野が出会ったのは互いに二十歳のとき。もう一人の男性の存在を意識しつつ仲を深めていく時間の中には、若い恋の一途さと愚かさがつまっていて、映画のようにドラマチックだ。
 しかし本当のドラマは、河野が永田を選び、恋愛が成就した後に始まる。一緒に生きていくことを決めてから結婚に至るまでの過程で、二人はそれぞれの現実とぶつかり、気持ちもすれ違う。私がひきつけられたのは、むしろこの時期を描いた部分だった。
〈私たちの間にあった、何年か以前の あのやわらかな空気のような 目に見えぬものは 一体どこに行ってしまったのだろう〉と河野は日記に書いている。それぞれの自殺未遂は、結婚を決めて以降のことだ。
 読み終えて、著者はよくぞここまで正直に書いてくれたと思った。本書はきれいごとではない生々しい記録であり、二人の間のごくプライベートな出来事にも触れている。
〈「何ゆゑにここまで書くか」は、稿を進めつつ往々にしてとらわれた思いであったが、河野の日記や手紙をそのまま出す以上、少しでも脚色があってはならないし、伏せる部分があってはならないと、それは河野への責任の取り方でもあると思ってきた〉と「はじめに」にある。
 河野の日記や手紙に見られる真摯さと熱量、誠実さと痛みを前にすれば、著者も正直に自分をさらけ出さないわけにはいかなかったのだろう。長い年月をへてその文章にふれたとき、改めてひとりの若い女性の愛情の深さと、それがほかでもない自分に向けられたものであったことに、畏怖に似た思いを抱いたのではないだろうか。
『歌に私は泣くだらう』で、臨終前の河野が、永田の頭を抱き寄せて髪を撫でながら、子供たちに「お父さんを頼みましたよ。お父さんはさびしい人なのだから、ひとりにしてはいけませんよ」と語りかける場面がある。
 本書の冒頭の数章には、河野と出会う前の永田の幼少期が書かれているが、それを読んで、「お父さんはさびしい人なのだから」と河野が言ったことの意味がよくわかった。
 実の母の記憶がなく、複雑な家庭の中で埋められない欠落を抱えていた永田。伴侶の中に存在する「さびしい少年」を、最後まで大きな包容力で抱きしめて生きたのが河野裕子という人だった。それは、出会ったばかりの若い日からもう始まっていたのだ。
 二人でいるということの豊かさが、胸にしみとおるように伝わってくる、かけがえのない読書体験だった。

(かけはし・くみこ ノンフィクション作家)
波 2022年5月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

「あの胸」は、いま……

永田和宏

 歌人河野裕子が亡くなったのは、2010年(平成22年)8月であった。乳がんの発症から、その死までの十年の闘病の記録を本誌「」に連載しはじめたのは、彼女の死からまだ一年も経たない頃であった。一年間の連載ののち、それは『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年―』(新潮社)として一冊になった。
 2020年から一年半、同じ「波」で、今度は河野との出会いのころのことを書く機会をいただいた。私が二十歳で出会って、結婚する直前までの五年ほどの記録である。連載時のタイトルは「あなたと出会って、それから……」というものだったが、それがこの度、単行本として出版されることになり、そのタイトルは『あの胸が岬のように遠かった』。かなり気恥ずかしいタイトルであるが、

あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年

 という私の若書きの一首から採ったものである。
 河野の死後、実家にある河野の遺品の整理に行っていて、押入れのなかに私と河野が交わした三〇〇通を超える手紙(いわゆるラブレター!)を見つけることになった。こんなにたくさんの手紙を交わしていたこと自体が驚きだったが、それよりも驚いたのは、その時同時に、河野の日記が十数冊見つかったこと。高校時代から結婚前までのものである。だが私は、長い間この日記を読むことがなかった。それを開く勇気がなかった。
 なぜ読んでみようという気になったのか。

訊くことはつひになかつたほんたうに俺でよかつたのかと訊けなかつたのだ

 という歌を作ったのは最近だが、この「ほんたうに俺でよかつたのか」という問いが、河野の死後、徐々に私の心を占めるようになっていた。
 若き日に出会ってからその死の直前まで、彼女がすべてをかけて私を愛してくれていたことを疑ったことはなかった。しかし、私はそれに値するだけのものを持っていたのか。彼女はほんとうに私に満足して死んでくれたのだろうか。そんな問うに詮のない疑問が徐々に膨らんでくるのをどうしようもなかった。たぶん、彼女の日記を開いたのは、そんな頃だったのだろう。
 ほとんど孫娘に近い一人の少女が、人を愛するということにこれだけ一途になれるものなのかということに、正直に言って、私は感動したのだった。その愛は私ともう一人の青年へのあいだを揺れ動き、深く苦悩するものであったが、その一途さ、真摯さがまざまざと書き記されていた。彼女と一緒に激しく揺れ動いた、そんな私たち二人の青春という時間を何とか残せないものか。
 本書は、彼女の日記と私たちが交わした手紙の束を基に、それに私の記憶を絡めて書き綴った、二人の出会いから、様々の曲折を経て、結ばれるまでの物語である。
 読み直してみると、二人ともなぜこんなに性急で、熱く、そして激しかったのか、お互いを傷つけあって悲しませなければならなかったのか、不思議な気がするほどである。私に関してはまことに不様な青春の記と言う以外ないが、それでも書き終わって感じたのは、このようにしか私たちには生きられなかったのだという思いでもあった。
 いかに不様で幼かったにせよ、お互いへの思いに正直であろうとしたことだけは本当だった。二人ともが自殺未遂を起こしていたことを知ることにもなった。しかし、疾風怒濤のごとく熱かった、河野とともにあった青春の日々を、私はいま、何物にも代えがたい、私の生涯の時間の財産だと思っている。それによって彼女亡き日々を何とか生き凌いでいるのかもしれないと思い、そう思えることを幸せだと正直に告白しておきたいとも思う。
 本書の出版と前後して、ドキュメンタリー「ほんたうに俺でよかつたのか」がNHKのBS1スペシャルとして放送され、そしてドラマ「あの胸が岬のように遠かった 河野裕子と生きた青春」がやはりNHKのBS4K及びBSプレミアムで放送予定である。主演の柄本佑、藤野涼子さんと一緒に飲む機会があったが、五〇年前の私たち二人を前にして、共に飲むというのは、まことに不思議な体験であった。

(ながた・かずひろ 歌人/細胞生物学者)
波 2022年4月号より
単行本刊行時掲載

担当編集者のひとこと

「これまで書いたことのないことを、書いてみたい」
 永田さんがこう切り出されたとき、担当編集の私は少し戸惑ってしまいました。河野裕子さんの乳がん発覚、そして家族で迎えた最後の日々をあれほど克明に記した『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年―』があるのに、まだ書いていないことなどあるのだろうか。
 予告の通り、毎月届く原稿は驚きの連続でした。映画のようにロマンチックな展開もあれば、あまりに悲しい事実が明かされた回も。日本を代表する歌人であり、京都大学名誉教授(細胞生物学)として後進指導にあたる永田さんが、幼少期に母親を亡くし、近くの寺の「読み書きのできないお婆さん」に育てられたとは、思いもよりませんでした。
 連載後半になると、「いつ書籍になるのか」というお問い合わせが相次いだと同時に、NHKでのドラマ化企画も走り始めました。柄本佑さん、藤野涼子さんによる同名ドラマがこの春にNHK BSプレミアムで放送予定です。
 河野さんが逝ってもう12年。それでもここまで熱く蘇り、燃え上がる蒼き愛の記録をぜひご一読ください。(新書編集部・AK)

2022/04/27

著者プロフィール

永田和宏

ナガタ・カズヒロ

1947年滋賀県生まれ。歌人・細胞生物学者。京都大学理学部物理学科卒業。京大再生医科学研究所教授などを経て、2020年よりJT生命誌研究館館長。日本細胞生物学会元会長。京大名誉教授。京都産業大名誉教授。歌人として宮中歌会始詠進歌選者、朝日歌壇選者をつとめる。「塔」短歌会前主宰。読売文学賞、迢空賞など受賞多数。2009年、紫綬褒章受章。近著に『知の体力』『置行堀』(第十五歌集)。河野裕子と1972年に結婚。2010年、六十四歳で亡くなるまで三十八年間連れ添った。最後の日々を綴った著書に『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年』。

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