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雲の都―第二部 時計台―

加賀乙彦/著

2,640円(税込)

発売日:2005/09/30

書誌情報

読み仮名 クモノミヤコダイニブトケイダイ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 564ページ
ISBN 978-4-10-330811-9
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,640円
電子書籍 価格 2,112円
電子書籍 配信開始日 2012/12/07

死刑囚の悩みを聞き、人妻との恋に揺れる青春。著者渾身の自伝的大河小説。

主人公の悠太は、若き精神科医。拘置所で死刑囚に接して悩みを聞く一方で、遠縁にあたる造船会社社長夫人桜子と密会を重ねる。彼はまた、森鴎外、チェーホフなど医師で小説家の作品を愛読し、自らも同じ道を志していた。戦後まもない東京を舞台に、外科病院一族の運命を描き、自伝的要素を色濃くたたえた大河小説の第二部。

書評

波 2005年11月号より 同時代史を検証する試み  加賀乙彦『雲の都 第二部 時計台』

高井有一

『雲の都』の第一部『広場』が刊行されて間もなく、私は加賀乙彦と会つて、生まれたばかりの小説の話をした。そのとき彼は言つた。――「自分の寿命と競走する気で書いてゐるんだ。七十歳になつたら悠々自適と考へてゐたんだが、全然さうは行かない」と。
二・二六事件から敗戦に至る時代の動きと密接に絡んだ一族の歴史を主題とした『永遠の都』が十年をかけて完結したのが一九九五年、その続篇とも言ふべき『雲の都』は、二○○○年から雑誌連載が始まつた。作者にとつての同時代史を検証する試み、と言つていい。先行きの構想は窺ひ知りやうもないが、仮に二十世紀の末までを視野に入れるとすれば、作者が安閑としてゐられなくなるのは道理だらう。
しかし、時間に追はれ、息せき切つて書き継いだ印象は受けない。物語の時間は乱れなく均質に流れてゐて、作者が身に着けたリアリズムの堅固さを感じさせる。
第一部『広場』は、三人称によつて叙述され、複数の人物の視点を織り混ぜて物語が進んだが、第二部『時計台』はそれとは違つて、作者の面影を濃厚に映した医学生小暮悠太の語りの型式で一貫する。「今、あのころを思い出してみると……」といふやうな記述から、しばらく時を置いての回想だと察しがつく。時が経てば、過去はその分だけ隈取り鮮やかに見えてくるだらう。
小暮悠太は感受性の柔かな青年である。一九四九年、大学医学部に入学した彼は、先輩医師から原子爆弾の放射能によつて徹底的に破壊された幼児の脳の標本を見せられ、大変な衝撃を受ける。東京の街で見慣れた焼跡の光景そつくりになつてしまつた脳髄。彼はその標本の詳しい考察をした論文を家に帰つて読み、「知らなかった、何も知らなかった」と繰り返して叫んだ。「階下の母が息子の頭が狂ったのか、酒に酔っているのかと、階段を登ってきてぼくに声をかけたほどだった」。
彼は五月祭に、原爆症の展示会を開く事を提案し、その実現のために先頭に立つて奔走した。長崎で被爆をした教授に面会を求めて“症例報告”を聞き、文献、資料の蒐集にあらゆる手を尽くす。原爆の悲惨の隠蔽を図るアメリカの検閲に憤慨し、原民喜の『夏の花』や永井隆の『長崎の鐘』を読んで心に留めた。原爆症の脳標本を受け取りに行つた長崎では、「悲哀の吐息のような風が通うのみ」の爆心地を歩きながら、天涯の孤児となつて血を流しつつ廃墟の巷をさまよふ幼児の姿を思ひ泛べる……。
彼の行動や心の動きを追つて行くと、この年頃の若者が捉はれがちなシニシズムとは、まるで縁がないのに気が付く。関心を持つた事のすべてに正面から立ち向ふ。小説を読むのを唯一の趣味とし、いつか自分でも書く志はあるが、そのためにはもつと社会の現実を知らなくてはいけない、と考へてゐる。彼が多くの知己に恵まれるのは、誠実な人柄とたゆみのない向上心の賜物だと、自然に納得させられる。益田助教授といふ人物との関係は、取り分け美しい。
医学部を卒へ、医師国家試験に合格した彼は、大学の精神医学教室に入局して、精神科医としての第一歩を踏み出す。基礎的技術の修得のために派遣された松沢病院で患者を診察し、カルテを読んで「この奇怪で不可思議で錯綜した狂気という現象に驚きと興味」を持つ。一九五五年には東京拘置所の医務部に就職。「あらゆる種類の犯罪者が集まって」ゐる場所である。「ドストエフスキーが描いた通りの人物が、つぎつぎに目の前に登場」してくる。特に“ゼロ番”と呼ばれる死刑囚の拘禁反応に興味を覚えた彼は、拘置所内の死刑囚を全部診てしまふ計画を立て、実行する。その過程で知る学問の歓び。このあたりでは、主人公小暮悠太と作者加賀乙彦は一体化してゐるやうに見える。おそらく加賀乙彦の文学の基盤も、この時期に形造られたのだつたらう。
やがて二年後、悠太は難関のフランス政府給費留学生試験に一度で合格して、フランスへ旅立つ。先輩の医師は「君は神に選ばれた人だ」と感嘆する。
しかし、彼の上には一つだけ暗い影が射してゐる。十歳年上の人妻、野本桜子との抜き差しならない関係。桜子は性的不能の夫の暗黙の諒解のもとに悠太の子供を身ごもる。悠太は「絶対にぼくの名前は秘中の秘にする」と約束させて、出産を認める。「いまさらじたばたしても詮ないことだ」。彼はまだ自分の招き寄せた運命の怖しさに充分に気付いてゐない。この点は第三部以下の展開に俟つべきなのだらう。

(たかい・ゆういち 作家)

著者プロフィール

加賀乙彦

カガ・オトヒコ

1929(昭和4)年、東京生まれ。東京大学医学部卒業。1957年から1960年にかけてフランスに留学、パリ大学サンタンヌ病院と北仏サンヴナン病院に勤務した。犯罪心理学・精神医学の権威でもある。著書に『フランドルの冬』『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)、『宣告』(日本文学大賞)、『湿原』(大佛次郎賞)、『錨のない船』など多数。『永遠の都』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、続編である『雲の都』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。

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