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小説ほど面白いものはない―山崎豊子 自作を語る3―

山崎豊子/著

1,540円(税込)

発売日:2009/12/21

  • 書籍

松本清張、城山三郎らと交わすスリリングな小説論。全三巻シリーズ、完結編!

テーマはどうやって見つける? ストーリーの組み立て方は? そして、誰のために小説を書くのか? 様々な対話から当てられる光によって、『華麗なる一族』、『不毛地帯』、『沈まぬ太陽』など、山崎文学の“謎”が、いま明らかに! 作家生活50年の総決算。

目次
はじめに
第一章 「人間ドラマ」を書く
社会小説を生み出す秘密 × 石川達三
一年一作主義 × 荒垣秀雄
小説に“聖域”はない × 秋元秀雄
小説ほど面白いものはない × 松本清張
第二章 「大阪」に住んで「大阪」を書く
大阪に生きる × 岡部伊都子、水野多津子
大阪の青春、大阪の魅力 × 今東光
のれんの蔭のど根性 × 菊田一夫
ええとこばかりの浪速女 × 浪花千栄子
第三章 「消えない良心」を書く
事実は小説よりも奇なり × 城山三郎、秋元秀雄、三鬼陽之助、伊藤肇
死に物狂いで書く × 長谷川一夫
日系米人の「戦争と平和」 × ドウス昌代
『二つの祖国』は反米的か × 三國一朗
“沈まぬ太陽”を求めて × 羽仁進
『運命の人』沖縄取材記
おわりに

年譜

書誌情報

読み仮名 ショウセツホドオモシロイモノハナイヤマサキトヨコジサクヲカタル3
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 272ページ
ISBN 978-4-10-322822-6
C-CODE 0095
ジャンル 全集・選書、文学賞受賞作家、ノンフィクション
定価 1,540円

書評

[いま、なぜ「山崎豊子」なのか?]
「時代」という主人公――『不毛地帯』

長部聡介

山崎作品が、多くの人に愛され、求められるのは何故なのか。その魅力を解き明かす。

不毛地帯』の主人公は元大本営参謀のエリート軍人であった壹岐正であるが、もう一人の主人公は「時代」であると思う。終戦から高度経済成長へ向かう「時代」のエネルギーに突き動かされるようにこの小説の登場人物達は疾走する。彼らの生は現在の我々から見れば、あらゆる意味で過剰である。その過剰さは「時代」そのものが持つ過剰さである。そこまでやらなくても、そこまで思いつめなくても、そんなにむきにならなくても、と我々が首をかしげるところを彼らは迷いなく駆け抜ける。男も女も、仕事も恋愛もあたかもそこで立ち止まることが世界の終焉を意味するかのように走り続けるのだ。
 しかし、やがてその「時代」は変わる。当然、登場人物達も変わらざるを得ない。ドラマはこの変わり行く「時代」を描かなくてはならない。それには物理的な時間が必要である。その「時間の流れ」は映画でも演劇でもなく連続ドラマでしか得られない。今回、通常の連続ドラマの倍の放送期間、半年にわたって放送するという特別な機会が与えられた。『不毛地帯』を映像化するには絶好の機会である。

(おさべ・そうすけ フジテレビ ドラマ・プロデューサー)
波 2009年11月号より
単行本刊行時掲載

[いま、なぜ「山崎豊子」なのか?]
規格はずれは当たり前――『沈まぬ太陽』

土川勉

山崎作品が、多くの人に愛され、求められるのは何故なのか。その魅力を解き明かす。

 私がまだ新人の頃、数々の山崎作品を手がけた山本薩夫監督から「山崎豊子の小説を映画化するプロデューサーは大変だぞ」と聞かされた。その時は何が大変なのかと他人事として聞き流したが、まさか三十年後に自分がその当事者になるとは夢にも思わなかった。
 しかし山本薩夫の言葉は真実であった。「『沈まぬ太陽』の映画を見るまでは死ぬ訳にはいかない」と言い切る山崎豊子の妥協を許さぬ執念は想像を絶するものであった。脚本を西岡琢也に依頼しての一年半、とにかくOKが出ない。書き直した印刷台本は二十冊にも及ぶ。この膨大な直しは今の日本映画界にとって規格はずれのことである。それに完成した映画の上映時間は何と二百二分。これまた営業的には規格外の上映時間である。
 だが「華麗なる一族」は二百十一分、「不毛地帯」も百八十一分であるように、山崎豊子にとって規格はずれはむしろ当たり前のことなのである。このスケール感こそが山崎豊子の真骨頂であることを実感した。

(つちかわ・つとむ 角川映画 プロデューサー)
波 2009年11月号より
単行本刊行時掲載

[いま、なぜ「山崎豊子」なのか?]
“大説”としての山崎作品

佐藤忠男

山崎作品が、多くの人に愛され、求められるのは何故なのか。その魅力を解き明かす。

 文学のジャンルのひとつに小説というものがある以上、大説というものもあっていいのではないか。小説が主に小さな個人の問題を扱うのに対して、大説は天下国家にかかわる文学ということになると思う。あっていいというより、じつは古くから脈々とそれはある。『古事記』や『平家物語』のような神話、叙事詩から、講談やら『南総里見八犬伝』やらに至る大きな流れである。明治以後に西洋の影響で生れた近代小説に較べてもずっと由緒ある文学流派であるが、小説が文学の主流と目されるようになってから日陰に追いやられた。大正末期に生れた大衆小説という分野は、はじめ新講談と呼ばれていたことで明らかなように、西洋伝来の新文明としての近代小説とは明確に区別されていたが、それは当初は真実を追求する小説に対して、『八犬伝』流に荒唐無稽で通俗なものという差別だった。
 しかし大衆小説も百年の歴史を持つようになって進化し、もはや荒唐無稽どころか歴史家やジャーナリストの仕事に比較してもヒケをとらない精密な調査研究の上に成り立っている作品が珍しくなくなっている。司馬遼太郎の仕事がそうだし、山崎豊子の仕事もそうだろう。それらはもう、荒唐無稽だから通俗小説だというふうには誰も言えない。しかしひたすら個人の内面にこだわる純文学とは区別されているし、読み較べれば確かに異質である。ではどう呼んだらいいか。
 司馬遼太郎なら『竜馬がゆく』以後、松本清張の『日本の黒い霧』や『昭和史発掘』やそれに連なる一連の作品、そしてこれから述べる山崎豊子の『沈まぬ太陽』や『不毛地帯』や、その他一連の作品は、小説ではなくて大説なんだと分野わけしていいと思う。その共通項は天下国家について語ることである。
 講談本も顔負けの空想的な歴史物語から出発した司馬遼太郎は、『竜馬がゆく』以後、ペンネイムの由来の司馬遷にあやかるかのように、史実に忠実な人物列伝形式の維新史とも言うべき一連の作品を書き、さらには晩年、フィクションではまだるっこいと言わんばかりに小説をやめて歴史を論ずるエッセイに専念した。松本清張がノン・フィクションの力作を多く残したのも、個人の物語の枠から容易に出られない小説ではあきたりない、もっと真向から天下国家を語りたい情熱が抑え難かったからであろう。では彼らは小説家をやめて歴史家になればよかったのか。
 事実上、ある時期以後の松本清張や司馬遼太郎は歴史家と呼んでいい。ただ歴史家が史実だけを扱う人間であるとすれば、彼らはそうはなりきれないだろう。彼らは大学で歴史を講じる歴史学者たちに較べるとあまりにも人間に興味があり過ぎ、人間を描こうとし、そうすると史料には残らない個人の私的な言動まで、「講釈師、見てきたような」なんとやらで創作せずにはいられない人たちだからである。歴史家は歴史を経済や技術や制度や思想の発展として描く。それが間違いというわけではないが、それらの諸条件を人間がどう操作して発展させたかも知りたいではないか。そういう立場で人間と歴史を渾然一体に物語るのが大説である。大説という言葉はないが現にそれは現代日本文学の中心に存在し、大いに読まれている。松本清張や司馬遼太郎の亡きあと、その第一線にあるのが山崎豊子である。『不毛地帯』も『沈まぬ太陽』も、歴史と言うには限りなく現在に近い時代を扱っているが、作家の態度としては殆んど歴史家であり、事実を徹底的に調べたうえでのフィクションという形式になっている。
 それならはじめからノン・フィクションで書いたらよさそうなものであるが、ノン・フィクションにははっきりした証拠のある事実しか書けないという制約がある。憶測や創作の部分はあってはいけない。しかし人間を生き生きと描き出そうとするとそれは欠かせない。『沈まぬ太陽』は日本航空を連想させる国民航空という航空会社を中心にした日本の現代史であり、政府出資の会社がそのためにどう堕落し腐敗していったかを、政財界とのかかわりをたどりつつ具体的に記述している。それが正確かどうか、一読者としての私には判断することはできないが、これだけのことを書いてトラブルが生じない以上、よほどの調査の裏づけがあるはずだと信じないわけにはゆかない。
 しかしこれは、たんなる一企業の内幕暴露ではない。一企業というにはこの会社のあり方は日本の社会のあり方の一面を代表するようなところがあり、それがうまくゆくかゆかないかには日本の現在と未来がかかっている。前の『不毛地帯』に描かれた近畿商事という会社が、一企業というにはあまりに、日本の経済成長のありようを代表するような組織であったことと同じで、それらがどんな人々のどんな情念を集約した有機体として成り立っているかを語ることは正に天下国家を論じることなのである。
『沈まぬ太陽』は上映時間が三時間半の長尺の映画になった。映画興行の常識を超えた長さだが、これは原作者の希望によるものだそうである。私の勝手な想像だが、それは前の『不毛地帯』の山本薩夫監督による映画化が、原作の前半だけで終っていたことに不満があったからではないだろうか。それだとなにか、主人公の元大本営参謀壹岐は、シベリア抑留の怒りを晴らそうとして商事会社の商戦に参加し、泥沼にはまりこんでいったという、政界と財界のスキャンダルの暴露にすぎないとみられかねない。しかし原作を終りまで読んで、イランの石油にかける彼の情熱まで知れば、天下国家を考えずにはいられない男の存在と、そういう男を書かずにはいられない小説家というよりは大説家としての山崎豊子の、作家としてのあり方を認めないわけにはゆかなくなるだろう。
『沈まぬ太陽』の映画化も、もし中途半端に前半だけにしたり、企業の内幕暴露だけに終るような描き方になることを警戒して、全体をいちどに見ることができるようにとこだわったのであろう。おかげでわれわれは、これを一企業のスキャンダルとしてでなく、叙事詩のヒーローや講談の豪傑につうじる、現代のあるべき肯定的な人物の足どりを大きく力強く謳いあげた、天下国家にかかわる大説としてたっぷり受け止めることができる。脚色は要領がよく見事だし、渡辺謙の演じる現代のオデッセイ恩地は堂々としてしかも謙虚である。しかし原作にはもっとたくさん、この追放されたヒーローの各地での受難がくわしく興味ぶかく描き出されている。しかもそれは空想的なものではなく、現代の日本人が現に海外勤務などで世界各地で経験していることなのである。小説だけでなく大説が求められるゆえんである。

(さとう・ただお 映画評論家)
波 2009年11月号より
単行本刊行時掲載

[いま、なぜ「山崎豊子」なのか?]
鋭い時代感覚と個性的な人間造形

権田萬治

山崎作品が、多くの人に愛され、求められるのは何故なのか。その魅力を解き明かす。

 山崎豊子はまず、自分が生まれ育った大阪船場の個性豊かな大阪商人の群像を描くところから出発した。
 大阪船場の昆布屋の老舗「小倉屋山本」の娘として何一つ不自由することなく育った山崎豊子は、大学卒業後、毎日新聞大阪本社に入社、学芸部の記者になったが、後に有名な作家となる上司の井上靖から、「人間は自分の生い立ちと家のことを書けば、誰だって一生に一度は書けるものだよ」と、小説の執筆を勧められ、処女長編の『暖簾』を書き上げた。
 翌年、女興行師のしなやかな生き方をテーマにした『花のれん』で直木賞を受賞して文壇的地位を確立したが、船場の老舗のぼんぼんが女性遍歴を通じて立派な男に成長して行く姿を扱った『ぼんち』、女系家族の三人の娘のすさまじい遺産相続の争いを生々しく描き出した『女系家族』などこれら一連の長編が初期の大阪ものに当たる。
 しかし、その後、氏の作風は社会性を重視する方向に大きく転換する。
 医学界の腐敗に鋭いメスを入れた『白い巨塔』は余りにも有名だが、勤労者のための音楽鑑賞組織に巣食う黒い影をえぐった『仮装集団』や、銀行業界の裏面にうごめく醜い人間の欲望を暴いた『華麗なる一族』などの長編は、それぞれ一般の人が知らない世界の内幕を赤裸々に描き出し、大きな反響を呼んだ。
 さらに、『不毛地帯』を境に、山崎豊子は作品の舞台を国際的なスケールに大きく拡大、まさに国際化時代にふさわしい国民的作家になった。
 国際的なスケールで展開する『不毛地帯』や『沈まぬ太陽』など、一連の作品に漂う新鮮な魅力は、何といっても、暗い影を背負いながら、あくまで自分の信条をまげず、汚辱にまみれた現代の競争社会を毅然として生き抜いて行く孤独な主人公の個性的な肖像にある。
『不毛地帯』の主人公壹岐正は、元大本営陸軍部の作戦参謀の中佐であり、十一年間にわたる苛酷なシベリア抑留生活の後、帰国して、商社に入り、戦闘機の売り込みから石油開発まで、激しい国際商戦の渦中に巻き込まれて行く。
 だが、競争に打ち勝って、出世街道を驀進する壹岐正が生きなければならない現代の日本も汚辱にまみれており、酷寒の雪のシベリアの荒野とおなじく、荒涼たる不毛地帯なのだ。
 一方の『沈まぬ太陽』の主人公である国民航空の恩地元は、ある意味で、壹岐とは対照的な所がある。自分が望んでもいなかった労働組合の委員長に選ばれ、誠実に活動したことで、「赤」の烙印を捺されてしまう。そして、立派な能力の持ち主であるにもかかわらず、カラチ、次いでテヘラン、さらにはナイロビと、転々と左遷され、家族と離され苛酷な労働条件の下で、仕事をさせられる。
 会社側は、本社復帰の条件として、組合活動からの決別を要求するが、恩地は組合員の仲間を裏切れないと、その要求を退ける。
 恩地は『不毛地帯』の壹岐とは逆に出世街道から外された男である。
 だが、自分の生き方を確固たる信念と不屈の忍耐力で貫こうとするその姿には、壹岐と同じように誇り高い男の美学が漂っている。
 山崎豊子は、苦悩にさいなまれながら、一つの道を貫こうとするこういう孤独な男の生き方に強い共感を抱いているのである。これらの国際的な作品のもう一つの魅力は外国現地の状況が生々しい現実感をもって描かれていることである。
 たとえば、『沈まぬ太陽』の冒頭で描かれている、恩地がアフリカの狩猟区で象を撃つ場面などはまさに迫力満点で忘れがたいし、カラチ、テヘランなどの万事金に汚い現地事情などもリアルに描き出されている。
 これは、『不毛地帯』の荒涼たるシベリアの冬景色についてもいえることである。
 第三の魅力は、両方の作品がいずれも激しい国際競争に直面している商社と航空会社の切実な問題をえぐる企業小説としての面白さをも持っていることである。
『不毛地帯』を連載中にロッキード事件で田中前総理が逮捕される事件が起こり、十五年前に始まる『沈まぬ太陽』でモデルになった日本航空が再び深刻な経営不振に陥って、合理化がらみで、安全対策の論議が再燃している現状を見るにつけ、作者の敏感な時代感覚と鋭い問題意識に改めて感心させられる。
『不毛地帯』も『沈まぬ太陽』も綿密な取材に基づいた小説だが、『沈まぬ太陽』には、冒頭に「この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基き、小説的に再構築したものである」という作者の言葉が掲げられている。その意味で『沈まぬ太陽』は想像力を駆使した他の小説よりも、事実をそのまま取り入れたノンフィクション・ノベル的な色彩が強い。
 程度の違いはあるにせよ、山崎豊子のすべての作品を支えているのは作者のいう「調査癖」であり、抜群の取材、情報収集能力だが、その根底に、豊かな情報をもとにさまざまな個性的な人間像を造形し、見事な作品に仕上げる作家としての透徹した人間への洞察力、構想力があることを見逃すことはできない。
 だからこそ、山崎豊子の作品は時代が変わっても、古びず、面白く、いつまでも長く読み継がれているのである。

(ごんだ・まんじ 文芸評論家)
波 2009年11月号より
単行本刊行時掲載

[いま、なぜ「山崎豊子」なのか?] 謎解き「山崎豊子」

「山崎豊子自作を語る」シリーズ編集部

 山崎豊子氏の五十年余に及ぶ作家生活と作品を、きちんと振り返ることができる「エッセイ・対談集」は、意外なことに初めてだ。
 企画が持ち上がった当初、山崎氏は「この何十年、いつも小説にかかりっきりだったから、エッセイ、インタビューがこれほど多かったとは、自分でも気付かなかったわ」と笑われた。一方で、「本にまとめる以上中途半端なものは載せたくないので、ここは直せとか、この原稿は落とした方がいいとか、遠慮なく云って下さい」と、自らに厳しい一言も。また「どうも堅物の作家と思われているようなので、取材時のちょっとした失敗談なども紹介したい」と、新たな原稿も書き下ろされた。
 このようにして誕生した本シリーズでは、デビュー当初から現在に至るその文学的姿勢、背景をゆっくりとたどることができ、「山崎文学」理解のよき助けとなるに違いない。小説執筆の合間に綴られた、貴重な創作秘話の数々、作品に込められた意図なども、今回明らかとなった。
 戦後という時代の節目節目で、作家が何を考え、何を取材し、何を伝えようとしたのか、その志の深さに感銘を受けると共に、多くの読者にとって、もう一度「山崎作品」を手に取るきっかけとなるだろう。以下、山崎氏の言葉を三巻シリーズより引用しながら、読みどころをご紹介する。

 山崎作品には、印象的なタイトルが多いが、実は様々な思いが込められているという。例えば『不毛地帯』の場合は――。

「不毛地帯」とは精神的飢餓状態を意味しています。昭和四十年以降、経済成長は異常な勢いで進行し、確かに物質的には豊かになりましたが、あらゆる人間の欲望が金銭で解決できると思いこんでしまったために、精神的には全く頽廃してしまった、それは政治のみならず教育問題にまで及び、大人の世界ばかりか子供の世界にまで蔓延していますね。日本全体が不毛地帯と云っても過言ではないと思いますが、いかがでしょうか……。大変おこがましいけれど、そういう精神的飢餓に対する一つの警鐘、そんなことが、大きな発想のもとになったと云えますね。(『作家の使命 私の戦後―山崎豊子 自作を語る1―』より)

 主人公の命名にあたっても、実にいろいろな意味が授けられている。

 もともと私は主人公の名前に凝る癖があります。名前だけで、読者に主人公のイメージを鮮明に定着させたいと思うからです。『不毛地帯』の主人公、壹岐正の場合は、戦中、戦後、いかなる環境におかれても、人生を第一義的に生きるという意味を籠めて、一を旧漢字の壹にして、壹岐という姓をつけ、名は字画を少くし、姿勢を正すという意で、正と名付けたのです。(『作家の使命 私の戦後―山崎豊子 自作を語る1―』より)

 では、それらの人物設定には、いったいどんな苦労があるのだろうか。『華麗なる一族』の万俵大介の場合。

 いちばん小説づくりで苦しむのは主人公ですね。主人公の性格即小説だといってもいい。ですから万俵大介を主人公にして、万俵一族を形成し、はじめ舞台を鉄鋼業で考えました。三カ月ほどかかって鉄ばかり勉強した。高炉づくりの煉瓦積みまでね、ずいぶん住友金属で勉強させていただきました。ところがどうしても、自分の考えた万俵と鉄の経営者のイメージが合わないのです。
 企業悪と官僚悪の結びつきという線では、鉄はもってこいの素材なんですが、表づらと裏づらの非常に違う経営者……、そんなイメージを辿っていくと、万俵大介は製鉄会社の社長じゃ合わない、そこで急遽、銀行家に変えたのです。企業小説と違うところは、まず人物を設定して、それからその人物の性格、ものの考え方に応じて就職をきめるわけです。(『小説ほど面白いものはない―山崎豊子 自作を語る3―』より)

 こうして、一つの作品を完成させるための苦悩と努力には計り知れないものがあるわけだが、どの作品にもちょっとしたイタズラ心が忍ばせてあり、そこが息抜きにもなるのだそうだ。『沈まぬ太陽』では……。

 悪役ではあっても、男性読者は行天に甘いようですね(笑)。彼は野心家ではあるけれど、有能な人間です。上昇志向というものは誰もが多かれ少なかれ持っているものだし、そのこと自体は悪いとは思いません。行天は、労務担当重役だった堂本前社長の罠にかかって恩地と袂を分かったのですから、彼だってあるいは巨象に上手にあやつられた蟻なのかも知れません。行天については、ある種の愛情を持って描いたところがあります。私の心の中では『白い巨塔』の財前五郎の弟分なのです。だから名前は四郎(笑)。才色兼備のパーサー・小川亜紀子との関係も、財前と愛人の花森ケイ子に似ているでしょう? 骨の折れるしんどい仕事をしていると、作者にしか味わえない楽しみをそっと忍ばせてみたくなるのです。(『作家の使命 私の戦後―山崎豊子 自作を語る1―』より)

 作家の苦労はまだ終わらない。完結したはずの作品でも、読者の要望、作家の社会的責任から、続編を書かなければならないこともある。『白い巨塔』がそうだった。しかし、財前勝訴という最初の結末を覆すことは、作家本人であっても簡単なことではない。山崎氏は意を決して、国立がんセンターを訪ね、協力を頼んだという。以下は、著者ならではのエピソードだ。

 上京すると、総長室に四人の先生方が、好奇心を滲ませ、集って下さった。
「財前教授の医学的論拠は、覆りますよ」
 開口一番、病理部長が云われ、内科、外科の先生方も頷かれた。年齢も、出身大学、勤務していた病院も異なっていた医師たちの集団だが、今まで取材していた方々と比べ、自由闊達で、互いに遠慮がなかった。
 やがて方向性が決まると、病理部長が患者側、外科医長が財前側という役割分担になり、次回から侃々諤々の議論が戦わされた。メモは到底、追いつかず、自宅で録音テープを何度、繰り返し聞いたかしれない。
 小説の裁判の展開に合わせ、半年以上、そうした模擬裁判的なやりとりを重ねて行くうち、財前役の外科医長が苛酷な病理部長の追及に本気で怒り出され、「たまには僕にも里見役をやらせて下さいよ」という一幕もあって、苦笑させられた。(『大阪づくし 私の産声―山崎豊子 自作を語る2―』より)

 山崎氏が世界中を駆け巡っての、厳しい取材を続けてこられたのは、「作家の使命」としてであろうが、それだけではない。『不毛地帯』の時のように、素晴らしい人と人の出会いがあったからではないだろうか。

(当時の)取材ノートと名刺入れを繰ってみると、シベリア抑留者の方々をはじめ、商社、石油開発会社、自動車会社、航空機会社、海外企業、銀行の方々、各新聞や経済記者の方々、三百七十七名の方々にお目にかかり、お力添えを戴いている。特に前半の“白い不毛地帯”が、シベリア抑留者の方々の談話や抑留記を参考にさせて戴かねばなし得なかったように、後半の“赤い不毛地帯”は、商社の方々のご協力がなければ到底なし得ない。文字通り“時は金なり”の多忙を極めておられる商社の方々が、何時間にもわたる取材に応じて下さったればこそで、サウジアラビアやイランの各空港で、深夜到着便にもかかわらず、出迎えのご面倒をかけ、翌日の取材打合せが終ると、午前一時、二時になることもあったが、爽やかな笑顔で、じゃあ、また後ほど――と、帰って行かれた何人かのオイルマンの顔が、今も私の瞼に残っている。
 その顔は、日夜、中東の苛烈な気候と特殊な社会風習の中で、日本の生命線である石油確保のために闘っている男の顔であった。今、日本で出会うことのない顔、日本で失われつつある心と、遥けき砂漠の国で出会い、心搏たれたところに、現代の日本の精神的不毛が象徴されていると云えよう。(『作家の使命 私の戦後―山崎豊子 自作を語る1―』より)

波 2009年11月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

山崎豊子

ヤマサキ・トヨコ

(1924-2013)大阪市生れ。京都女子大学国文科卒業。毎日新聞大阪本社学芸部に勤務。その傍ら小説を書き始め、1957(昭和32)年に『暖簾』を刊行。翌年、『花のれん』により直木賞を受賞。新聞社を退社して作家生活に入る。『白い巨塔』『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』『沈まぬ太陽』など著作はすべてベストセラーとなる。1991(平成3)年、菊池寛賞受賞。2009年『運命の人』を刊行。同書は毎日出版文化賞特別賞受賞。大作『約束の海』を遺作として 2013(平成 25)年に逝去。

関連書籍

判型違い(文庫)

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